日曜日の午後。
突然訪ねてきた唯先輩を出迎えるため、玄関の扉を開けた私は、
唯先輩の大きな声と、大きな黒猫に遭遇した。
一瞬思考が止まり、「え?」と間の抜けた声を出してしまう。
「ほらほら! あずにゃんあずにゃん! かき氷機かき氷機!」
黒猫が上下に揺れ、その向こうに唯先輩の顔が見えて……
ようやくその黒猫がかき氷機で、
それを両手で持った唯先輩が目の前に立っていることに気がついた。
「ん? あずにゃん、なんか元気ない?」
「い、いえ……突然のことに驚いただけです」
唯先輩の少し心配そうな声に、私は苦笑を浮かべて答えた。
実際体調が悪いとか、そういったことはなかった。
ただ、玄関の戸を開けた途端、
大きな黒猫型のかき氷機を突きつけられて、
びっくりしてしまっただけだった。
「そうなんだぁ、よかったよぉ」
私の返事に、かき氷機を頭上に持ち上げた唯先輩が、
ほっとした声を出した。
「あずにゃんの具合が悪かったら、一緒にかき氷食べられないもんね!」
「……ひょっとして、かき氷を食べるためだけにうちに来たんですか?」
「ん? そうだよ?」
私の問いに、あっさりと答える唯先輩。その表情は、
「なんでそんな
当たり前のことを聞くの?」と言っているようで……
私はあきれ、ため息をついてしまった。
普通、かき氷を食べるためだけに、人のうちを訪ねたりはしないと思う。
「……まったく、しょうがないですねぇ、唯先輩は」
「え? あれ……なんかひょっとして、私あきれられてる?」
「ええ、あきれてます。かき氷を食べるためだけに、
わざわざうちに来るなんて……普通しないですよ」
「えぇ~、そうかなぁ……」
私の言葉に、唯先輩がちょっと不服そうに唇を尖らせた。
でもその表情も、
「まぁとりあえず、上がって下さい。立ち話もなんですし」
私がそう言った途端、また満面の笑みに変わって、
「エヘヘ……お邪魔しまぁす」
唯先輩は弾んだ声を出しながら、玄関に上がった。
コロコロ変わる唯先輩の表情がおかしくて、
私もつい、笑ってしまっていた。
「でも珍しいですね、黒猫型のかき氷機なんて」
台所のテーブルに置かれたかき氷機を見て、私は言った。
頭の上にハンドルのついた手動式のもの自体は、
家庭用としては定番だろうけれど……
黒猫型というのはほんとに珍しいと思った。
動物を模したかき氷機の定番は、やっぱり白熊型だろう。
「エヘヘ……さっきお散歩してたらね、
玩具屋さんで偶然見かけてね、一目惚れして買っちゃったんだぁ」
「もうっ……また無駄遣いして……」
「えぇ、無駄遣いじゃないよぉ……
こんなかわいい子を無駄なんて、あずにゃんひどいんだぁ」
そう言って、唯先輩はかき氷機の頭、ハンドル部分の脇を撫でた。
まるで本物の猫を撫でるような優しい手つきだった。
「まぁ……かわいいとは、思いますけど……」
招き猫のポーズで、目を細くしている黒猫の形をしたかき氷機。
無駄遣いだとは思いつつも、確かにかわいいデザインで……
目を離せなくて、私は真正面からついじっと見つめてしまった。
「ね? かわいいでしょ?」
「ええ……まぁ……」
「でしょ! それになんか、あずにゃんにも似てると思わない?」
「わ、私にですか?」
「うん、そっくりだよぉ」
そう言って笑う、唯先輩。
その笑顔になにか嫌な予感がして……
私は両手で、自分の頭を触った。案の定、
「もうっ、唯先輩!」
いつの間にか、私の頭にネコミミのカチューシャがのっけられていた。
誰がのせたのかなんて考えるまでもなかった。
この場には私と唯先輩しかいないのだから。
「勝手にネコミミなんてのせないで下さい!」
カチューシャを取って唯先輩につき返す。
途端、残念そうな声を唯先輩は出した。
「えぇ、取っちゃうのぉ」
「当然です!」
「ぶー、かわいいのにぃ……」
怒る私と、不満の声を出す唯先輩。
でも、唯先輩が唇を尖らせていたのは一瞬のことで、
「よし! それじゃかき氷を作ろう!」
カチューシャをテーブルの脇に置くと、
気を持ち直すように鼻息を一つ。
そして唯先輩が大きな声で宣言をした。
そんな唯先輩にちょっとあきれつつ、
でもかき氷を食べられるのはやっぱりちょっと楽しみで、
「そうですね、じゃ、氷を持ってきますから」
と、私は言った。夏だから氷は多めに作ってある。
二人だったら充分おかわりもできるだろう。
そう思って微笑んだ矢先……
「……って、唯先輩?」
冷蔵庫の手前で、唯先輩がかき氷機しか持っていないことを思い出し……
私は振り向いて、唯先輩に尋ねた。
「あの……シロップは……?」
私の問いに、唯先輩は二三度瞬きをして、
「あー!!」
突然大きな声を出した。それが何よりも明確な返事だった。
「……忘れたんですね」
「…………うん」
念のため、唯先輩が持ってきたかき氷機の箱を確かめてみたけれど、
シロップ等は入っていなかった。
このままでは何の味もしないかき氷を食べることになってしまいそうだった。
「ご、ごめんね……あずにゃん……」
私がため息をつくと、唯先輩が心底落ち込んだ声音で、そう言った。
「あ、いえ……」
「この前……ムギちゃんが部室に氷持ってきたとき……
あずにゃんもかき氷すごく食べたそうだったから……
これで一緒にたくさん食べれるって、思ったんだけど……」
俯いて、唯先輩が言う。
その落ち込んだ様子に、私の胸も塞がってしまった。
このかき氷機に一目惚れをしたというのも嘘ではないのだろうけれど……
でもなによりも、唯先輩はあのときのことを覚えていて、
そして私のことを思ってかき氷機を持ってきてくれたことに私は気づいた。
自宅には憂がいるし、律先輩や澪先輩の家だってそう遠くないのに、
それでも私の家を訪ねてきてくれたのは、きっとそういうわけなんだ……。
(どうしよう……)
落ち込む唯先輩を見て、なんとかしなきゃと私は思って……
「……唯先輩! 一緒に実験しましょう!」
私はそんなことを、叫んでいた。
「……やっぱり、砂糖水はあんまし、だねぇ……」
「本当は、ちゃんと砂糖を煮詰めてシロップを作るみたいですよ?」
氷を器に少なめに盛って、砂糖水をかけて作ったかき氷。
「水(すい)」ってよく言われているものだけど、
やっぱりただの砂糖水では味は今一つだった。
「うん! やっぱりアイスのは美味しいね!」
「……でもそれ、トッピングの量、超えてますよ?」
別な器に、アイスをのせて作ったかき氷を、
唯先輩がニコニコ顔で口にした。
アイスの量が多すぎて、もうかき氷とは言えない気もした。
「オレンジジュースのは……
シロップに比べるとやっぱりちょっと薄いかなぁ。
あずにゃん、コーヒーはどうだった?」
「……苦いだけでした」
「……だよね」
「テレビで紹介されていたときは、
もう少し美味しそうだったんですけど……」
並んで座り、少な目のかき氷を二人で食べながら、
私たちはそれぞれの感想を口にした。
かけるのは砂糖水やジュース。
アイスをのせてみたり、フルーツの缶詰を試してみたりもする。
氷の量を少なくして、台所にあるものを利用して……
実験と称して、私たちはいろいろなかき氷を試してみた。
端から見たら、
食材で遊んでしまっている子供ときっと変わらないことだろう。
でも……
「エヘヘ……あずにゃん……ありがとね……」
「……いえ、たまには楽しいですよ、こういうのも」
そう言って、私はかき氷を一口食べた。
唯先輩もアイスをのせたかき氷を口に入れる。
正直、味は今一つのかき氷。
でも二人で笑って食べれば、決して悪くはなかった。
「ほんとに……悪くないです……」
「うん……そだね」
二人でかき氷を口にして、悪戯っ子のような笑みを一緒に浮かべて……
そんな私たちの前で、猫型かき氷機は変わらず目を細くしていた。
END
最終更新:2010年06月23日 22:51