「まったく、唯先輩はほんとしょうがないんですから!」

アパートの廊下を歩きながら、私は隣を歩く唯先輩に文句を言った。

「うぅ……まったくもって面目ないです……」

私に怒られて、唯先輩がしゅんと肩を落とす。
それを見て、ちょっと言い過ぎちゃったかなと思ったけれど……

(ダメダメ! 甘やかしちゃダメ!)

胸中でそう自分に言い聞かせた。
私たち「放課後ティータイム」が中心のお茶の時間が長引いたせいで、
今日もあまり練習できなかったのだ。
たまにはしっかり怒らないといけない。

「ほんとにもうっ……大学生になっても昔と変わらないんですから!」

私たちの入った大学の音楽サークル。
昔は結構練習熱心なサークルとして知られていたのに……
唯先輩たちが入ってからの一年で、
ものの見事にお気楽サークルに変わってしまっていた。
私が今年の春大学に入学した頃には、
もう完全に「放課後ティータイム」色に染まってしまっていて……
そのときほど、自分が年下であることを恨んだことはなかった。
私が一緒にサークルに入っていれば、
あそこまで堕落させることはなかったのに。

「明日はもっとちゃんと練習しますからね!
わかりましたか、唯先輩!」

ドアの鍵を開けながら、怒った声で私は言った。
唯先輩は「はぁ~い……」なんて情けない声で返事をする。
本当にわかってくれているのだろうかと不安になり、

「もうっ、ほんとに唯先輩はしょうがないんですから……」

明日も今日と同じようにティータイムの時間は長引いてしまうのだろう……
そう悟って、ついため息をついてしまう。

「明日は! 明日はちゃんと頑張るよ、あずにゃん!」

中に入りながら、ガッツポーズをしてそう言う唯先輩。
私はまたため息をついて、

「……もう、いっつも言葉だけは気合入っているんですから、唯先輩は」

そう言いながら、私もドアをくぐった。
私の後を追うようにしまったドアが音をたてて……
その「合図」の音が、私の耳朶を打った。

「お帰り、あずにゃん!」

靴を脱いで、一足先に部屋に上がった彼女が、満面の笑みを浮かべて言う。
私は顔を上げ、彼女を見つめながら、やっぱり笑みを浮かべて言った。

「ただいま、唯」


昨年高校を卒業した唯は、卒業と同時に近くのアパートの部屋を借りて、
一人暮らしを始めていた。
憂に頼りきりの状態を改善するための一人暮らし。
当然憂は大泣きしたけれど、
「お、お姉ちゃんのためだもん! 我慢する!」
と最後にはそう言って、家を出る唯をちゃんと見送った。
本当によく出来た妹だと、一年前の私は思ったものだった。
そんな憂に対して……私の方はあまり良い彼女ではないのかもしれない。
唯が高校を卒業してから一年後の春、
私も学校を卒業して、唯と同じ大学に入学した。
澪先輩たちも同じ女子大で、当然のように軽音サークルにみんな入っていた。
「放課後ティータイム」としての活動は私も含めて、
学外の活動としてずっと続けてきていたけれど、
大学内の施設を使うにはサークルに所属しておくのが一番
ということもあって、大学のサークルにもみんな入っていたのだ。
同じ大学の同じ学部に入り、同じサークルに所属して……
その上、私は春から唯と同棲していた。
唯のためにと憂は我慢しているというのに……
「一緒に暮らそっか、あずにゃん」という恋人の甘いお誘いに、
私は抵抗することができなかったのだ。

「でも恋人に同棲しようって誘われたら、断れるわけないじゃん……」

春からのことを思い返しながら、私は自分にそう言い訳して……
手に持った菜箸をジャガイモに突き刺した。今日の料理当番は私だった。
邪魔にならないよう髪をポニーテールにまとめ、
去年唯から誕生日プレゼントに貰ったピンクのエプロンを身に着けて、
晩ご飯の準備をする。おかずは肉じゃが。
一応見た目は不恰好ではない。
お肉と小さいジャガイモを一つずつ口に放り込んでみる。
味も悪くはなかった。
勉強して、少しはお料理もできるようになり、
肉じゃがぐらいならレシピを見ないでも失敗することはなくなったけど……
でも、憂にはまだまだ敵わない。というか、一生敵わない気がした。

「で、でも! 唯は美味しいって言ってくれるもん!」

私がそう言って自分を励ました直後、

「うん! あずにゃんの作るご飯、私大好きだよ!」

そう言って、唯が私に抱きついてきた。
突然のことに、「にゃっ」という悲鳴が私の口から漏れてしまった。

「ゆ、唯、危ないじゃない! 
火を使っているときは抱きつかないでって言ったでしょ!」

私に抱きつく唯に抗議の声を上げるけれど、唯はまるで気にした風もなく、

「今日のおかずはなっにかなぁ♪」

弾んだ声を出しながら、お鍋の中を覗き込んでいた。
まるで子供のような振る舞いに、直前の抗議も忘れて、
私は口元をほころばしてしまっていた。

「もう、しょうがないなぁ、唯は……」

「だって楽しみなんだもん! 早く食べたいなぁ」

「もう少しだから我慢して。ほらっ、すぐできるから」

「うぅ……ゴクリ……」

「しょうがないなぁ……はい、味見」

外では絶対にしない口調で、唯の名前を呼び捨てにして、
私は菜箸でお肉を一つとって、唯の口元に運んだ。
唯は「わ~い♪」って無邪気な声を出して、お肉をあむっと食べる。
噛んで飲み込んで……満面の笑みを浮かべて、

「美味い!」

「フフ……ならよかった」

「あずにゃん、もう一口!」

「ダ~メ。あともうちょっとだから我慢するのっ」

お鍋の前で、外では見せないじゃれあいをする。
そう、私たちが恋人同士であることはみんな知っているけれど、
外ではあからさまにじゃれあうような真似はしないよう、
私は気をつけていた。唯の名前を呼び捨てにしたりもしない。
同じ大学に通う先輩と後輩である以上、外ではちゃんとけじめをつけよう。
外では真面目な後輩になり……
家に入って、合図に決めたドアが閉まる音を聞くまでは、
唯をちゃんと先輩と呼ぶ。
同棲を始めたとき、私はそう決めたのだった。

そうやってけじめをつけているのだけれど……
他の先輩方や憂には、口調が違うだけで、
家の外でも内でも大差なくじゃれあっているって、
そう言われてしまっていた。

「……気をつけてるつもりなんだけどなぁ」

天井を見上げてそうぼやく。
自分のけじめについて話したときの、
みんなのきょとんとした表情が忘れられない。
外では唯とじゃれあっているつもりなんて、
私にはまるでないというのに……。

「隙あり!」

そんな風に考え事をしていた隙をつかれて……
唯の手がさっと鍋の中に伸びた。
味のしみたジャガイモをひょいっと掴み、
そのまま口の中に放り込んでしまう。
その次に出てきた声は、

「あちゅっ!!」

高い悲鳴だった。口の中のジャガイモを出すわけにもいかず、
唯はその場でぴょんぴょんと飛び跳ねていた。

「もうっ、当たり前でしょ!」

ようやくジャガイモを飲み込み、
涙目になっている唯に水を入れたコップを差し出した。
コップを受け取った唯は、中の水を一気に飲み干していた。

「うぅ……熱かったよぉ……」

「もうっ、つまみ食いなんてするからだよ」

「舌がヒリヒリするよぉ……あずにゃん、火傷してない?」

言って、口を開けた唯が舌を出して私に見せる。
火傷をしているようには見えず、私は「大丈夫」と答えた。

「うぅ……でもなんか痛いよ……」

「もう……しょうがないなぁ……」

そう言って、私は苦笑を浮かべると……
唯の頬を両手で押さえ、自分の唇を唯の唇に重ねた。
驚く声を口で封じ、唯の舌の表面を私の舌で撫でる。

「ん……ちゅ……」

「ん……んぅ……っ」

少し長めのキス。充分唯の舌を愛撫してから口を離し、

「どう? まだ痛い?」

「……ん……大丈夫、治った……」

私が聞くと、唯は笑ってそう答えた。

「エヘヘ……あずにゃんにちゅーされちった……」

「あ、改めて言わないでよ! 恥ずかしいでしょ!」

「エッヘヘ……ちゅー! あずにゃんのちゅー!」

「ゆ、唯!」

私が怒った声を出すと、
唯はわざとらしい悲鳴を上げながら自分の部屋に逃げていった。
外でも家でも変わらない唯の振る舞いに、私は深く嘆息した。
そんな私の後ろで、肉じゃがが良い匂いを放っていた。

食後、カーペットの上にごろりと私は寝そべっていた。
料理の当番は私だったので、今日の後片付けは唯の番だった。
台所から、唯の鼻歌と水の音が聞こえてくる。
危なげな様子はまるでなく、私も安心して寝そべっていた。
約一年の一人暮らし。しょっちゅう憂が様子を見にきて、
先輩方もよく遊びにきたりしていたけれど……
それでも一年の一人暮らしは、唯の家事能力を充分に鍛えていた。
唯もしっかり成長していることを嬉しく思い、
でも同時にちょっと寂しくも思ってしまう。
そう思った矢先、

「後片付け終了!」

そんな声を上げながら、唯が居間に戻ってきた。
手にはソーダ味のアイスを持っている。
こういうところは今も昔も変わらなくて……
私はあきれと安心が混じった苦笑を浮かべた。

「もうっ、食後にまたそんなもの食べて……」

「いいじゃん、デザートだよぉ……あむ」

唯には文句を言ったものの、でも冷たいアイスは美味しそうで、
そこから私は視線を逸らせなかった。
夏はもうちょっと先だけれど、今日ぐらい暖かいと、
冷たいアイスはきっと美味しいことだろう。

「エヘヘ……はい、あずにゃんも一口」

私がもの欲しそうに見ていることに気づいたのか、
寝そべる私の横に座って、唯がアイスを差し出してくる。
一瞬躊躇い、でも微かに伝わってくる程良い冷気に逆らえず、

「あ~ん……」

横になったまま顔を上に向けて、私は口を大きく開けた。
唯の持つアイスが私の口に近づいてきて、

「あ……」

「にゃっ……!」

溶けたアイスの滴が、私の頬に落ちてきた。

「も、もうっ、唯……!」

「ごめんね、あずにゃん……すぐ拭いてあげるから」

文句を言う私に、唯はそう言って、

「ペロ……」

「にゃぁっ……!」

頬のアイスを唯に舐めとられて、私はまた悲鳴を上げていた。

「ゆ、唯!」

「エヘヘ……だって、もったいなかったんだもん」

「で、でも……だからって……」

「ん~……梓は、嫌だった……?」

突然唯に「梓」と呼ばれて……
途中まで出かかっていた文句が、言葉にならずに消えてしまった。
どくんと心臓が強く鼓動し、
近づいてくる唯の顔から目を離せなくなってしまう。

「え……あ……」

「梓は嫌だったの? 私にアイスを舐めとられるの?」

仰向けに寝そべったままの私に覆いかぶさるような姿勢で、
唯が顔を間近まで近づける。
私は何も言えず、ただ黙って、

「ねぇ、梓?」

唯の「合図」の声を聞いていた。
唯の「梓」という呼び方は、私にとってもう一つの合図だった。
唯からの合図……
恋人同士だけに許されたことをしようという、合図だった。

「梓?」

唯がまた私の名前を呼び……
そしてぽたりと、また一滴、溶けたアイスが私の顔に落ちた。
唇の側に、ソーダ味の滴が落ちていた。

「あ、また落ちちゃった……ねぇ、拭いてあげよっか?」

「う、うん……」

「じゃぁ……どう、拭いて欲しい?」

普段の唯とは違う、艶やかな笑みが目の前にあった。
それに対する私の答えは……一つしかなかった。

「ゆ、唯の……」

「私の……?」

「唯の舌で……拭いて欲しい……」

私がそう言い終わると同時に、唯の舌がアイスの滴を舐めとり……
そのまま私の唇を舐め、口の中にまで侵入してきた。
気がつけば、私は唯と深く口付けを交わしていた。

「ん……ゆ、唯……ちゅ……んぁ……」

「んぅ……梓……ん……ちゅ……ん……」

たっぷり一分は口付けを交わして……
唇を離すと、私たちは荒く息を吐いた。
口付けを交わしている間、溶けたアイスの滴は私の体に落ちて、
服の中にまで流れてきてしまっていた。

「ゆ、唯……」

「ん?」

「あ、アイスが……」

「大丈夫。ちゃんと、全部拭いてあげるから……」

そう言いながら、唯の手が私の服に伸びてきて……
そこから先、私は全てを、唯に委ねていた……


「ふわぁぁ……眠い……」

翌朝、玄関で靴を履きながら、唯が大きなあくびをした。

「ふあぁぁ……お互い様……」

同じように靴を履きながら、私も大きなあくびをした。
寝不足のせいで、まだ頭がボーっとしていた。

「もうっ……あずにゃんが、もっともっとっておねだりするから……」

「わ、私はそんなにおねだりなんかしてないもん!
それに、最初に合図をしたのは唯じゃない!」

「え~、すっごいおねだりしてたよぉ?
それに、合図に答えたのはあずにゃんだもん」

狭い玄関で言い合い、

「「ふあわぁぁぁ……」」

揃って私たちは大きなあくびをした。
涙目になってお互いを見つめ、堪えきれずに同時に噴き出していた。

「平日はちょっと控えないとダメだね、あずにゃん」

「そだね……って、唯が合図しなければ、私は我慢できるもん」

「あ~、またすぐそういうこと言うんだからぁっ」

「だってほんとのことだもん」

そう言いながら、私は玄関のドアをあけた。
唯が先に外に出て、すぐに私も追いかける。
ドアを閉め、鍵をかけて……
耳を打った「合図」の音に、私は口調を変えていた。

「それじゃ、行きましょうか、唯先輩」

「うん! 今日も一日がんばろう!」

「今日こそ、ちゃんと練習しますからね!」

「が、がんばろー」

情けない声を出す唯先輩の手を握って、私は廊下を歩き出していた。


END


  • 呼称の使い分けがいいな -- (はるちん) 2010-07-27 02:14:05
  • あぁ全くだな。これはたまらん -- (ゆいこ) 2010-09-08 08:58:42
  • 確かにいい。甘いな。 -- (あずにゃんラブ) 2013-01-17 23:01:09
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最終更新:2010年07月13日 22:52