あ、
あずにゃんとムギちゃんが仲良くしてる。
今度はりっちゃん、そして澪ちゃん。
お願い、私だけを見てよ。
……まただ。
こんなこと考えちゃダメなのに、あずにゃんが他の人と仲良くするところを見たくないと思ってしまう自分がいる。
こんなことを考えること自体おかしいのは百も承知。
それでもあずにゃんには私を見ていてほしい。
だけどもちろんみんなとも仲良くいてほしい気持ちもどこかにあって。
そんな相容れない二つの感情に悩まされ、私の心は疲れきっていた。
とはいえどんなに抗おうとも時間は止まってくれるはずがなく、毎日
放課後になれば私が見たくないその光景を見ざるをえなくて。
でもあずにゃん含めたみんな、そして軽音部はけっして嫌いではなくむしろ好きだからそこには行きたい自分もいて。
そんなどっちも選べない究極の選択に心休まらない日々を送るのが私の日課となってしまっていた。
「どうしたんですか、唯先輩?」
あずにゃんの心配そうな声が私を放課後の音楽準備室に引き戻した。
どうやら我ここにあらずといった表情をしていたみたい。
実際悩みのタネの処理方法に知恵を絞っていた私は意識をどこかに飛ばしてしまっていたけど。
これじゃダメだ、こんなの私のキャラじゃないよ。
「ううん、何でもないよ。それじゃ今日もあずにゃん分補給っと」
いつものようにあずにゃんに抱きつく。
努めて明るく精一杯『平沢唯』を演じることで私は普段の自分を取り戻そうとした。
「もう、やめてください唯先輩」
きっとあずにゃんには言葉のとおりほどの強い拒否の意識はなかったと思う。
だけどこのときの私には、何故かそれを文面どおりに受け止めてしまった。
それほどまでに心に余裕がなかった。
ショックから全身の力が抜けてしまって、あずにゃんの肩から私の腕はだらりと落ちてしまった。
「……唯先輩?」
いつもとは違う私の反応にあずにゃんも違和感を覚えたようだった。
「ごめん、やっぱ今日調子悪いや。先帰るね」
みんなに断りをいれて、長椅子に置いてあったカバンとギー太を手にとり足早に音楽準備室をあとにする。
そのとき背中に投げかけられた私の不調を気遣う声に、あずにゃんのものは含まれていなかった。
家に帰っても普段の自分は戻ってこなかった。
いつもなら美味しいはずの憂の夕食にも今日はどうも箸が進まない。
心配してくれる憂に大丈夫と声をかけ、私は逃げるように部屋へ戻った。
とにかく一人になりたかった。
いったい私、どうしちゃったんだろ?
あずにゃんがみんなと仲良く話すのを見てモヤモヤしちゃうなんて。
そりゃあ普通に話くらいするよね。
あずにゃんにとってりっちゃんも澪ちゃんもムギちゃんも大切な先輩だし同じバンドのメンバーなんだもん。
私もきっとみんなと同じように思ってくれてるよね。
だけど、みんなと『同じ』じゃ嫌だ。
あずにゃんにとって特別な存在になりたい。
でもこれは私のワガママ。
きっとあずにゃんは私たちに優劣なんかつけないしつけたくもないはずだもん。
ならこの気持ち、隠したままのほうがいい。
普段の『平沢唯』でいることが、あずにゃんのためなんだ。
だけど……。
ベッドの上で枕を胸に抱き答えの出ない堂々巡りをしていると、携帯電話が誰かからの着信をしらせた。
一旦思い悩むのを中止し、着信音が鳴り止む前に携帯電話に手を伸ばす。
液晶に表示された『あずにゃん』の文字。
今日のことがあったから一瞬ためらったけど、出ないのは悪いと思い通話ボタンに指をかけた。
「何、あずにゃん?」
平静を装い電話に出る。
私の心情を悟られないように。
『唯先輩、今お電話大丈夫ですか』
「うん、大丈夫だよ」
活字にすれば文末にビックリマークがつくくらい明るい声で答える。
元気の無い私は、私じゃないから。
『あの、今日はすみませんでした』
「え、どうしてあずにゃんが謝るの?」
『あのとき私が拒否したら唯先輩が帰ってしまったので、もしかしたら気に障ってしまったのかと思いまして』
はあ、最低だ私。
勝手に自分で悩んで自分の都合で動いて、挙句にあずにゃんにあらぬ心配をかけさせて。
ホント何やってんだろ?
「そんなんじゃないよ。ホントに調子悪かったんだ。ゴメンね、そんな思いさせちゃって」
『いえ、それならよかったです。……ってよくないですね、唯先輩調子悪いっていうのに。すみません』
「ううん、こうやって心配して電話までくれたんだから、そんな言い間違いは気にしない気にしない。電話ありがと」
一通りのやり取りを終え、おやすみの挨拶をして電話を切ろうとしたら不意にあずにゃんの声が耳に届いた。
『……あの、後輩の私が言うのは失礼かもしれませんが、何かあったら相談してください。力になりますから』
「うん、ありがと、あずにゃん」
もしかしたらあずにゃんは今日の私から何か感じ取ってたのかもしれない。
これも私の想像の域は超えないけど。
精神的に弱くなっていた私はこのあずにゃんの申し出に頼ってしまった。
「……
ねえ、あずにゃん」
『はい、何ですか?』
「明日の朝、そうだね、始業のチャイムが鳴る30分くらい前に音楽準備室に来てもらってもいいかな」
『わかりました』
「ありがと。それじゃおやすみ、あずにゃん」
『おやすみなさい、唯先輩』
電話を切ると私はお風呂へ向かった。
明日早くの用事ができたため、さっさとすることを終わらして寝てしまおうと考えたからだ。
烏の行水のようにお風呂を済まし、目覚ましをいつもより早い時間にセットして明日に備えて眠りについた。
次の日、目覚ましがけたたましい音を響かせるよりも早く目が覚めてしまった。
遠足の日の小学生じゃないんだから、と自分自身に脳内でツッコミをいれて学校へ行く準備をする。
普段なら考えられない時間に起きてきた私に驚きを隠せない憂に、朝練があると言って早めに家を出た。
あ、もちろん朝ご飯は食べたよ。
憂の朝ご飯を食べないとその日一日力入らなくなっちゃうから。
学校に到着すると、職員室で音楽準備室の鍵を受け取って目的の部屋へと向かう。
早朝の学校は独特な雰囲気に包まれていて、偶然だろうけど職員室以外では誰かとすれ違うことすらなく、まるでここには私しかいないような感覚に陥った。
音楽準備室の鍵を開け、中に入る。
もちろんそこに誰かいるはずもなく、ただただ広い空間が私を迎えてくれた。
荷物を長椅子の端に置き、その反対側に腰を下ろしてあずにゃんの到着を待つ。
ギー太でも弾こうかなとも思ったけど、もうすぐで約束の時間だったからそれは放課後までのお楽しみとして取っておくことにした。
「おはようございます、唯先輩」
数分後、約束の時間に遅れることなくあずにゃんはやってきた。
「ゴメンね、朝早くから呼びだしちゃって」
「いえ、大丈夫です。ところで今日はどうしたんですか、こんなに朝早く」
「うん、あずにゃんに相談したいことがあって」
「そうですか、私でよかったらお聴きします」
そう言うと立ったままだったあずにゃんは私の隣に座った。
あずにゃんの聴く体勢が整うのを待って私は悩みを打ち明け始めた。
「えとね、最近私おかしいんだ」
「昨日も調子悪いって言ってましたね」
「ううん、あれはウソ。……ウソってわけでもないかな。まわりまわって疲れてたのはホントだし」
「え、それじゃおかしいっていったい何がですか?」
あずにゃんは疑問の表情を私にぶつけてきた。
ほんの少しの沈黙のあと、私は不調の原因となっている核心部分に踏み込んだ。
「……ずっと見ていてほしいって思っちゃうんだ、ある女の子に。
その女の子はとても真面目で先輩思いの優しい子でね、部活のときもどの先輩とも分け隔てなく接してくれるんだ。
それは後輩としてすばらしいことだと思うし、私がその立場だったらきっとそうしようとする。
だけど、私はそれが嫌。他の人と仲良くしてるのを見ちゃうと胸がぎゅって締めつけられるんだ。
だから私だけを見てほしいて思っちゃうんだ。その子の一番になりたいと思っちゃうんだ。
でもそれは私のワガママだってことはわかってる。それを口にするとその関係が壊れてしまうかもしれないことも。
だから私は我慢することに決めたんだ。それが最善の策だと信じて。
最初はそれでもよかった。その子は私のことも他の先輩と同じように見てくれてたから。
でも、どんどんその子に対する私の気持ちは大きくなっていって、他の先輩と『同じ』じゃ嫌だって思うようになっちゃったんだ。
だけど、さっきも言ったけどこの関係が壊れるのが怖くて口にはできなくて、もうどうしていいかわからなくなっちゃった」
あずにゃんは私が苦しみを吐露するのを何も言わずに聴いてくれていた。
ううん、もしかしたら何も言えなかったのかもしれない。
だって私たちを知ってる人が聞いたら誰だって私の話の中の女の子があずにゃんのことだってわかっちゃうはずだから。
しかもあずにゃんはその当事者。
私だったらとても耐えられないような、そんな状況に今あずにゃんはいるんだ。
ホント、私は最低だ。
「唯先輩はその女の子に、恋しちゃってるんですね」
しばらくしてあずにゃんの口から出てきたのは予想外の言葉。
私自身何度も考えたけど否定しなきゃと思っていたものだった。
「恋、なのかな?」
「きっとそうです」
あずにゃんの自信にあふれた言葉に、私は背中を押されているような気がした。
「ただ、きっとその女の子にとってはどの先輩も同じように大事な存在だと思います。
だからけっしてその女の子から他の先輩を奪うようなことはしないであげてください」
一度肯定されたような気でいただけに、あずにゃんの言葉が胸に響く。
やっぱり私、間違ってたのかな……。
自責の念が私を包み込む。
だけど、あずにゃんの言葉で奈落の底に突き落とされた私を救ってくれたのも、あずにゃんの言葉だった。
「その女の子の先輩たちに対する好きという感情は今は英語でいう『like』のはずです。
でもその好きという感情は変えることも可能だと思います。
それに好きな人に見てほしいと思うことは間違ってはいないと思います。
見させるのと見てもらうのは違いますから。
もちろんそうなってほしいと思ってるのは唯先輩の側なんですから、その女の子の気持ちをそうさせようと努力する必要はあります。
その女の子にとっての一番になりたいって願うためにいつ来るかわからない流れ星を待つくらいなら、その時間をその女の子のために使ってあげるべきです。
見てくれないって嘆く暇があったら振り向かせてみろってことです。
つまり、唯先輩の悩みに対する私の答えは、悩むくらいなら行動するべき、です」
えっと、これは脈あり……は言い過ぎかな。
でも、こうやって言ってくれたってことは悲観する必要もないってことだよね。
あずにゃんもその女の子の気持ちを変えることは可能だって言ってくれたし。
どっちに転ぶかは私次第ってことなんだもんね。
「そっか、一人で抱え込んでたって何も始まらないよね。ありがとあずにゃん」
「いえ、こんな後輩の意見でも参考になったのなら嬉しいです」
参考どころじゃないよ、私の進むべき道を示してくれたんだから。
それじゃ教えてくれたこと、さっそく今から実践させてもらうね。
「ねえあずにゃん」
「何ですか?」
「こないだたい焼きの美味しいお店見つけたんだ。今日の部活のあと、時間が大丈夫だったら一緒に行きたいなって思ってるんだけど、どうかな?」
さっきのアドバイスをすぐに行動に移した私に、あずにゃんは少しだけ驚いた顔を見せた。
でもその表情はすぐに緩んだ。
「はい、大丈夫ですよ。さて、そろそろ教室に戻りましょうか。一旦ここの鍵も返さないといけませんし」
「そうだね。あずにゃん今日はありがと」
「いえ、お役に立てたなら幸いです」
会話を交わしながらも急いで荷物をまとめ音楽準備室を出る。
「それじゃ私、鍵返しに行くから。また放課後ね、あずにゃん」
「唯先輩」
扉の鍵を閉め職員室へ向かおうとした私をあずにゃんが呼び止めた。
「何、あずにゃん?」
振り返った私にあずにゃんは微笑みながら、
「その女の子の、一番になれるといいですね」
とエールを送ってくれた。
私は私を演じることなく素直な心で、ここ最近できないでいた表情で、あずにゃんのエールに答えた。
「うん、頑張るよ!」
おわり!
- きっと唯が梓の一番になれる日は遠くないと思います。 -- (名無しさん) 2011-01-06 01:12:01
- ↑まったくだ!唯よ精進せい -- (あずにゃんラブ) 2013-01-17 23:25:18
最終更新:2010年07月29日 20:35