「では、今日はお疲れ様でした」
「お疲れー。あ、そうだ
あずにゃん。今度の日曜日空いてたら私の家に来てくれない? 来年に向けての練習したいんだけど」
帰り道での別れ際、唯先輩が休日練習を提案してきた。
「日曜日ですか? もちろんいいですよ。それでは今日はお疲れ様でした」
突然の申し出だったけど、幸いなことに特に予定はなかったし断る理由もないから私はその誘いを快く受け入れた。
「じゃあね」
約束が成立し意気揚々と歩いていく唯先輩を見届けて、私はついさっき出来たばかりの予定をスケジュール帳に書き込もうとした。
そのとき、唯先輩の言葉の中に違和感を覚えさせる部分があったことに気づいた。
――『来年に向けて』ってどういうことだろ? ……まあ、ギターの練習には違いないよね。
私はそんなに深く気にすることなく日曜日の欄を埋めて家路を急いだ。
そして約束の日曜日――
「それじゃさっそくやりましょうか」
唯先輩の部屋に入るなり、私は背負ってきたギターケースを肩から下ろし準備に取り掛かろうとした。
「待って、あずにゃん」
だけど何故か唯先輩はそんな私にストップをかけた。
「え? でも練習って……」
「そう、練習だよ。それじゃあずにゃんはそこに座って。それじゃいくよー」
ちょっと唯先輩、『いくよー』って何をですか?
私が質問を投げかける前に唯先輩はその疑問に答えてくれた。
「梓せんぱーい!」
……その答えのおかげでより多くのハテナマークが頭の中をぐるぐるまわることになったんだけど。
「え? え? 何ですか?」
「うーん、中野先輩のほうが良かったかな? あずにゃんはどっちがいい?」
突然のことに困惑する私なんかどこ吹く風。
唯先輩は私をおいてけぼりにして話を進めていく。
「えっと、梓先輩のほうが……じゃなくて! いったい何なんですか?」
私の質問を受けてようやく唯先輩はさっきの答えの解説をしてくれた。
「今年は残念だったけど、来年はきっと軽音部に後輩が入ってくると思うんだ。
でもそのとき私たちは卒業しちゃってるからあずにゃんがその後輩を引っ張っていくことになるでしょ。
だけど、あずにゃんってあんまり後輩と接する機会がなかったと思うから、そのときに向けての練習だよ」
なるほど、頭の中の点が全部繋がった。
『来年に向けて』ってのはそういうことだったんですね。
決して悪ふざけなんかじゃなくて本当に私のことを考えての行動なんだろうけど、この人の考えることはたまに斜め上をいくなあ。
まあ、それが唯先輩らしさだったりするんだけど。
よし決めた、今日は唯先輩の『練習』にトコトン付き合おう。
せっかく私のためにやってくれるんだから。
「じゃあ練習始めようか。私のことは後輩のつもりで『唯』って呼んでいいからね。それじゃ……、梓せんぱーい!」
聞き慣れない呼ばれ方だからか、背中にムズ痒さが走る。
うーん、これは意外と練習させてもらって正解だったかも。
「何ですか、唯さん?」
いざ自分の中にある先輩像を演じてみようとするけど、何かおかしい。
こんな喋り方、私のキャラじゃないな。
「違うよあずにゃん。私は後輩なんだからもっと上から目線でいかないと」
唯先輩も同じような感想を抱いたみたい。
でもアドバイスの仕方がどこかずれてるような。
「上から目線、ですか? もっとこう、フレンドリーに、ってことですか?」
「そうそうそれそれ、『何ですか』なんてよそよそしいよ。それに後輩に『さん付け』なんてあずにゃんのキャラじゃないよ」
唯先輩の中で私はどういうキャラとして位置付けられてるんだろ?
確かに自分でもそんなキャラではないとは思いましたけど。
「そうだ
ねえ、あずにゃんのキャラ的に……、『どうしたの、唯?』って感じかな? それじゃ、あずにゃん言ってみて」
「えと、それでは……、どうしたの、唯?」
「うん、いいねー。じゃあもっとやっていきましょうか、梓先輩!」
「はい、わかりまし……じゃなかった。うん、わかったよ、唯」
そんな感じでその日はギター練習よりもはるかに多くの時間が唯先輩発案の『練習』に割かれて一日が終わった。
「いやー、今日は楽しかったよ、先輩風あずにゃんが見られたし。あずにゃんはどうだった?」
「はい、私も逆に後輩風な唯先輩が見られましたから新鮮でしたし、意外といい予行練習にもなりました」
「でしょ。じゃあさ、またいつかこの『練習』しようよ?」
「いや、ギターの練習をしましょうよ……」
「えー」
私の消極的なリアクションに唯先輩は少し不服そう。
でもそんな顔したってダメです。
そもそも私は今日ギターの練習をするつもりだったんですよ。
だけど、いざやってみたら唯先輩の『練習』も結構楽しかったなあ。
……たまにはこんな『練習』もあり、かな?
おわり!
最終更新:2010年07月29日 20:36