「あれ……この音……?」
日曜日の午後。商店街を歩いていた私は、
聞き覚えのあるギターの音に足を止めていた。
曲自体は初めて聞くもので、誰の曲なのかもわからないけれど……
軽やかで弾むようなその弾き方は、私の耳によく馴染んでいるものだった。
弾いている人の笑顔が自然と浮かんでしまうような、楽しげなメロディー。
私の頭に浮かぶ笑顔は、当然あの人のもので……
「……唯先輩?」
まるで私の呟きに答えるように、唯先輩の歌声が聞こえてきた。
「ケーキ♪ ケーキ♪ 美味しいケーキ♪ 頂上のイチゴも輝いてる♪
とられたら泣いちゃうからとっちゃダメェ♪」
「…………」
空気を震わして伝わってきたのは、ひどく脱力するような歌詞だった。
あまりの内容に、私は思わず踵を返して、
「あ、あずにゃ~ん!」
足を動かすよりも先に、唯先輩に見つかってしまっていた。
嘆息し、声が聞こえてきた方に顔を向けると、
ケーキ屋さんの前にギターを持った唯先輩が立っているのが見えた。
数人の見物客が、唯先輩と私を面白そうに見ているけれど……
そんな視線にはまるで気がつかず、
唯先輩はいつものほにゃっとした笑顔を浮かべながら、
両手を振ってはぴょんぴょんと飛び跳ねていた。
「あっずにゃぁぁぁ~ん!!」
「はぁ……まったく、唯先輩は……」
唯先輩の振る舞いにため息をついて……
私は足の向きをケーキ屋さんの方へと変えていた。
「お手伝い、ですか?」
「うん、そうだよ!」
首を傾げて聞く私に、笑顔で答える唯先輩。
ケーキ屋さんのスタッフルームで、
私は唯先輩がギターを弾いていた理由を聞いていた。
「秋の新作ケーキの宣伝を、今日やる予定だったんだけどね。
頼んでいたチンドン屋さんの人たちが、急病で来られなくなっちゃってね」
「それで唯先輩が代わりに?」
「うん! さっきお話を聞いてね。
子供の頃、このお店のおじさんによくおまけ貰ったりして、
お世話になってたし、私のギターでお手伝いできるならって、そう思って」
このお店のパティシエである初老の男性は、
私たちが出た演芸大会を見ていたらしい。
それで唯先輩がギターを弾けることを覚えていて……
偶然お店の前を通った唯先輩に、お手伝いをお願いしたのだそうだ。
「事情はわかりましたけど……でもあの歌で、宣伝になるんですか?」
「え~、だめかなぁ……? 澪ちゃんみたいに可愛い歌は無理だけど、
私の気持ちはしっかりこめたのに……」
「ま、まぁ……唯先輩の気持ちは、伝わってきますけど……」
「でしょ! 私ね、思ったんだよ! ケーキの上のイチゴの大切さを、
和ちゃんは澪ちゃんの涙を見てわかってくれたけれど……世界にはまだまだ、
ケーキの上のイチゴの大切さに気づいていない人が多いんじゃないかって!」
「はぁ……」
「だから私は、ケーキの上のイチゴの大切さを、
歌を通してみんなに伝えようって思ったんだよ!!」
「……じゃ、私帰りますね」
「え~待ってよあずにゃぁん……っ」
外に出ようとする私に、唯先輩が抱きついてくる。
仕方なく私は足を止めて、唯先輩の胸の中で文句を言った。
「唯先輩の気持ちはわかりましたけど、でもやっぱりあれじゃ、
新作ケーキの宣伝にはなってないと思いますけど」
「お店のおじさんは、笑って喜んでくれたよ?」
「それは唯先輩のお知り合いだから許してくれてるだけです」
「で、でもでも……結構人、集まってくれてたし……」
「物珍しさに野次馬が集まっただけですよ。
実際、新作ケーキのことは誰も話してないですし、
売れ行きだってあまりよくないじゃないですか」
私がそう言うと、唯先輩は小声で「あうぅ……」と言って、
うな垂れてしまった。私を抱きしめる腕の力も弱まってしまう。
唯先輩の落ち込みように、私はまたため息をついて、
「もうっ、しょうがないですねぇ……宣伝、まだするんですよね?」
「え? うん、夕方までやる約束だけど……」
「……それじゃ、私も手伝います」
「……え?」
「まだ時間ありますし……私もギター持ってきて、手伝いますよ」
「あずにゃあ~ん!!」
私の言葉に、唯先輩が歓声を上げて頬ずりをしてきた。
「あ、でも……お店の人が許してくれたら、ですけど……」
「もちろん大丈夫に決まってるよ!」
「い、いえ……一応聞いてみないと……」
「じゃ、聞いてくるね!」
言うが早いか、唯先輩はスタッフルームのドア目掛けて駆け出していた。
ドアを開けて、そこから廊下に飛び出して、
一瞬だけ振り向いて、満面の笑みを浮かべてそう言った。
大きく響いたその声に、私は少し呆然として……
でも、すぐに自分の表情が笑顔に変わったのが、鏡を見なくてもわかった。
私が唯先輩と一緒に宣伝のお手伝いをすることを、
お店のおじさんは快く許してくれた。
私はすぐに家からギターを持ってきて、
そしてお店のスタッフルームで、唯先輩と作戦会議を始めた。
「とりあえずあのイチゴの歌はやめましょう」
「え~、やっぱりやめちゃうの?」
「あれじゃ新作ケーキじゃなくて、
イチゴのショートケーキの宣伝じゃないですか」
実際お店のおじさんに聞くと、
いつもよりもイチゴを使ったケーキはよく売れているらしい。
今日の本命は、新作の桃を使ったケーキのはずなのに……
これではなんの宣伝をしているのかわからない。
「じゃあ……今から桃のケーキの歌、作る?」
「いえ……無理に歌を作る必要はないかと。
普通に何か歌って、人が集まったところで新作ケーキの紹介をして……
それで充分だと思いますよ」
「え~……せっかくなんだからなんか歌作ろうよぉ、あずにゃぁん……」
「時間ないんですから、変な駄々こねないで下さい」
「じゃあ、せめてコントでゆいあずのアピールを……
はっ! しまった! 今日はハリセンがないよ!!」
「……なくていいです」
唯先輩は少しごねたけれど……
やっぱり「放課後ティータイム」で歌いなれている曲を歌うことにしよう。
そう決めて店の表に出たところで、
「うっ……」
私は小さなうめき声を上げてしまっていた。
演奏する位置に立ってみて、見物客との距離の近さに気づいたからだった。
ライブや演芸大会のときと違って、
ステージと観客の席がわかれているわけではない。
ストリートパフォーマンスのように、
見ている人が意識して距離をとってくれるわけでもない。
私たちと見ている人たちは、本当に同じ場所に立っていた。
通行人が私たちのすぐ脇を通り過ぎることも当たり前で……
その距離の近さに、今更ながら緊張に胃が縮まってしまった。
「あら? あの子たち、ひょっとして演芸大会に出ていた子たちかしら?」
「ああ、覚えてる覚えてる。確かゆいあずって言ってた女子校生だよ」
そんな誰かの呟きが、また私の緊張をひどくしていた。
学校の外で、自分たちのことを知っている人に見られている。
それも音楽とはまったく関係のない、普通の人たちに……
それを意識してしまうと、腕が変に震えてしまった。
喉がひどく渇き、まるで塞がってしまったような息苦しさを覚えてしまう。
学校やライブハウスでの演奏なら、こんなに緊張することはなかった。
会場にいる人たちは音楽が好きな人や
演奏を聞きたいと思っている人たちばかりで、
自分たちはただ全力で演奏すればいいと、そう思えるから。
演芸大会だって、会場にいるのは芸を見にきている人ばかりだし、
参加するための心構えは充分に出来た上で壇上に上がっていた。
でも今は違った。
ここは普通の街中で、周りにいる人たちは普通の人たちだ。
野次馬同然の人もいれば、露骨に迷惑そうな視線を向けてくる人もいる。
そんな視線の中心で、私たちは演奏しなければいけないのだ。
(ど、どうしよう……)
緊張と不安で震える私の耳に、
「どうもぉ、こんにちはぁ!」
いつもの明るい唯先輩の声と、弾むようなギターの音が飛び込んできた。
一瞬視線を唯先輩の方へ向けると、
そこにはいつもの唯先輩の笑顔があって、
楽しそうにギターを抱えている姿が目に映って、
「桜が丘高校3年、平沢唯と!」
「お、同じく2年、中野梓!」
「二人あわせて、ゆい!」
「あず!」
「「です!!」」
気がつけば私は、あの演芸大会のときと同じように、
唯先輩にあわせて挨拶をしていた。
背中合わせになってユニット名を名乗り、離れてギターを鳴らす。
緊張も不安も消えたわけではないけれど、
体は自然と唯先輩にあわせて動いていた。
「え~っと、早速ですけど、まずは一曲お聞かせしたいと思います!」
唯先輩の言葉に答えて、まばらな拍手が辺りに響いた。
その拍手に紛れるように、でも確かに、
唯先輩の「いくよ、あずにゃん」という声が聞こえてきて、
「ふわふわ時間!」
唯先輩が曲名を叫べば、私の体も自然と曲の演奏を始めていた。
楽しげに弾む唯先輩のギターを追いかけるように、
私のギターの音が鳴り響く。
踊るような、飛び跳ねるような唯先輩のギター。
大人しくしていたら離れていってしまうそのギターを、
私のギターが追いかけて……寄り添うようにその身を寄せると、
唯先輩の音が私を引っ張り上げてくれた。
二つの音が繋がりあい、一緒に踊り、大きくジャンプして……
いつしか緊張も不安も忘れて、私は笑顔でギターを弾いていた。
笑顔の唯先輩がこちらを一瞬だけ向いて、
それに答えるように私は笑みを返して、
そして見てくれている人たちに向かって音を放つ。
私たちの演奏にあわせて手拍子が鳴って、
その中心で、唯先輩の隣でギターを弾いて、
(なんて、楽しいんだろう……)
ただその思いだけが、いつしか私の胸を満たしていた。
緊張も不安も忘れて、私は唯先輩と一緒にギターを弾き続けた……。
「なんか……却って申し訳なかったですね、お土産まで貰っちゃって……」
夕方、唯先輩と二人で家路について……隣を歩く唯先輩に、私は言った。
お手伝いが終わった後、ケーキ屋さんは私たちにケーキをご馳走してくれて、
その上お土産まで用意してくれたのだ。
今日家族で食べるケーキに、軽音部の方々にと日持ちのする焼き菓子まで。
「ほんと、申し訳ないよねぇ……」
「……唯先輩、顔、にやけてますよ」
「あ、あずにゃんだって!」
二人でそう言って、思わず笑い出してしまう。
申し訳ないとは思うけれど……
それでもやっぱり、お土産を貰えて嬉しくないわけがなかった。
「おじさんのお手伝いできたし、ケーキも貰えたし……
それにあずにゃんとまた演奏できたし!
今日はすっごい良い日だね!」
唯先輩の言葉に、私は「はい、そうですね」と答えていた。
その言葉に嘘はなかった。
店の前に立ったときは、あんなに緊張と不安で一杯だったのに……
唯先輩と一緒に演奏をするうちに、
私は緊張も不安も忘れていた。
ただ素直に演奏を楽しみ、
唯先輩の隣でギターを弾けることを喜んでいたのだ。
(やっぱり私……)
唯先輩のギターが好きだと思った。
弾んで踊るような唯先輩のギターが好きで、
ギターを弾くことを本当に楽しんでいる唯先輩が好きで……
そんな唯先輩の隣で、ずっとギターを弾いていたいと、私は思った。
そんな私の気持ちに答えてくれるように、
「こんなお手伝い、またやりたいね!」
笑顔で唯先輩は、そう言ってくれた。私も笑って、言った。
「フフ……そうですね」
「今度はみんなも呼んで、一緒にお手伝いしたいね!」
「なんか、ほんとにチンドン屋さんみたいですね」
「放課後ティータイム! チンドン屋デビュー!!」
「……澪先輩が泣いて嫌がりそうな気もしますけど……」
笑って話しながら、私たちは道を歩いた。
夕日に照らされて、地面に落ちたギターケースの影が二つ、
そろって楽しげに揺れていた。
END
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最終更新:2010年07月29日 20:37