律先輩から借りたDVDを見終わって、最初に思い浮かんだ言葉は、

(……見るんじゃなかった)

その一言だった。
律先輩が、澪先輩をからかおうと思って買ったホラー映画のDVD。
貸す前に試しに見てみて……律先輩自身が怖すぎると思ったために、
澪先輩に貸すのをやめたというホラー映画。

「澪に貸すと、ちょっと洒落じゃ済みそうにないからなぁ……」

バッグに入っていたDVDを私が偶然見つけてしまったとき、
律先輩はそんなことを言っていた。
で、そんなホラーDVDを家に置いておくのも嫌なので、
部活帰りに中古ショップで処分してしまおうと思って、
バッグに入れてきたのだそうだけど、

「私、見てみたい!」

話を聞いた唯先輩がそんなことを言って、律先輩からDVDを借りて……
そして私は、唯先輩に付き合わされて、
一緒にホラー映画を見ることになってしまったのだった。

(……ほんと、見るんじゃなかった)

スタッフロールを眺めながら、私は胸中でため息混じりに呟いた。
澪先輩ほど怖がりではないけれど、
だからといってホラー映画が得意なわけでもない。
呪われた館に迷い込んだ若者が幽霊に襲われるという
オーソドックスな内容の映画だって、
しっかり怖がれてしまうわけで……

「あ、あずにゃ~ん……」

涙声で私の手を握る唯先輩に、今日の私は、
むしろ自分から身を寄せていた。
怖さが不安を呼び、人肌が恋しくなってしまう。
誰かに触れていないと気持ちが落ち着かなかった。

「こ、怖かったよぉ……み、見なければよかった……」
「み、見たいって言ったの唯先輩じゃないですかっ……
その唯先輩が怖がってどうするんですか!」
「そ、そんなこと言われてもぉ……」
「だ、だから、途中で見るのやめちゃえばよかったんですよ……」
「で、でもでも……なんか最後まで見ないと、
それはそれで不安っていうか、逆に怖くなっちゃうっていうか……」
「そ、それは、まぁ……その通りかもしれませんけど……」

それは確かに唯先輩の言う通りかもしれない。
結末を見届けないと、まるで自分たちも物語の中に取り込まれたまま
抜け出せなくなってしまったみたいな気がして……
最後まで見ないと、却って不安が消えず、
いつまでも落ち着かない気分のままになってしまうのだ。
ホラー映画には、確かにそんな魔力があった。
だからやっぱり、ホラー映画は最初から見ないというのが正解なわけで、

「もうっ……唯先輩が見たいなんて言わなければ……」
「うぅ……ごめんね、あずにゃん……」

半ば抱き合うような格好で、小声で言い合う私たち。
視線の先では、ようやくスタッフロールが終わって、
画面はメニューに戻っていた。
メニュー画面の館の画像が映画の内容を思い出させて……
私は慌てて、リモコンでテレビを消した。
途端、シーンと静まり返る室内。
その静かさに、私は嫌な事実を思い出していた。

「あ、あの、唯先輩……」
「な、なに、あずにゃん……」
「実は今日……両親が仕事で出掛けていて……
明日まで、帰ってこないんですよ……」
「そ、そうなんだ……」
「はい……」
「……あ、あのねあずにゃん……実は憂もね、
お父さんに仕事の都合で呼ばれてて……今晩、私一人なんだ……」
「そ、そうなんですか……」
「うん……」

一瞬の沈黙。それから、唯先輩が口を開いて、

「……今日、泊まってくれる、あずにゃん?」
「……はい」

唯先輩の言葉に、私は迷わず頷いていた。

そんなわけで、唯先輩のお家にお泊りすることになった私。
まずは晩ご飯をどうにかしないと、と思って、

「……うっ」

視線を向けた先、台所の方が真っ暗なことに気づいて、
思わず息を呑んでいた。
唯先輩の家に着いたのが6時。
それから約2時間の映画を見て8時。
季節は秋で、当然外は真っ暗で……
電気が消され、窓から日も差していないキッチンは
闇の底に沈んでいるかのようだった。

「あ、あずにゃ~ん……」
「な、情けない声出さないで下さいよ!
キッチンはすぐそこじゃないですか!
リビングは明るいんですし、
怖いことなんてなにもないですよ!」

そう言って、私は立ち上がった……唯先輩に握られた手をそのままに。

「あ、あずにゃん……?」
「……こ、怖いことなんてなにもないですけど……
一緒に行きましょう……」

視線を明後日の方向に向けながらそう言うと、
唯先輩の小さな笑い声が聞こえた。

「エヘヘ……あずにゃんもやっぱり怖いんじゃん♪」
「わ、私は別に怖くなんて……!」
「エヘヘ……」
「ゆ、唯先輩!」

笑う唯先輩に、私は怒声を上げ、

 ガタン!
「きゃ!」
「わっ!」

突然響いた大きな音に、私たちは悲鳴を上げていた。
飛び上がった唯先輩がそのまま私に抱きついてきて、
私も唯先輩に身を寄せる。二人一緒に、
恐る恐るキッチンの方に顔を向けて……

「い、今の音……なんだろね……?」
「な、なんかの拍子に、物が倒れただけですよ、きっと……
そうに決まってます……っ」

唯先輩に答えるというよりも、むしろ自分に言い聞かせるように言う私。
それに対しての返答はどこからも返ってくることはなく……
沈黙が、部屋の中を覆っていた。
ぎゅっと抱きしめあったまま、キッチンの方を見続けるけれど……
闇の中に、何かの気配を感じることもなかった。
そのまま、1分、2分と時が過ぎ……

「ご飯、食べないと、ね……あずにゃん……」
「え、ええ……」
「い、一緒に、行こ……」
「はい……」

二人抱き合ったままの不自然な格好で、私たちはキッチンへと向かった……。


当然のことではあるけれど、キッチンには何の異常もなかった。
当たり前だけれど、幽霊だってもちろんいなかった。
明かりをつければそこはいつものキッチンで、冷蔵庫の中には、
憂が唯先輩のために作ったご飯が温められるのを待っていた。

「ご飯、美味しいねぇ♪」
「そうですね」
「うまうま♪」
「ああ、もうっ、唯先輩、こぼしてますよ!」

憂の作ったご飯と、それだと一人分で足りないので、
非常用の冷凍食品を2品。それらを温めて、
二人で分けて食べているうちに……気分はすっかり落ち着いていた。
なにをあんなに怖がっていたのだろうと、少し前の自分にあきれてしまう。
いくらよくできていたって、結局は作り物の映画。
見終えた直後は怖さが抜けなくても、
少したてば簡単に立ち直ることができた。

「それにしても……憂ってほんとに料理が上手ですよね」
「エヘヘ……でしょう? 憂、昔からお料理上手でねぇ」
「唯先輩がダメな分、きっと頑張ったんですね」
「ブー! あずにゃんひどい!」

ご飯を食べているうちに、いつもの調子も取り戻した。
普通に遊びに来たときのように、私は唯先輩と笑いあった。
そして時刻は9時近く。私たちはご飯を食べ終えて、

「ごちそうさまでした♪ あ、あずにゃん、
私が片付けておくから、お風呂、入っちゃっていいよ」
「え、でも……大丈夫ですか?」
「お皿洗うのぐらい、一人でも大丈夫だよぉ……多分」
「……多分、ですか」
「だ、大丈夫! 頑張るから!」

ふんすと気合を入れる唯先輩を見て、私は苦笑を浮かべて、

「……それじゃ、すみませんけど、お風呂頂いちゃいますね」
「うん、ゆっくり温まってね!」
「はい。唯先輩、気をつけて下さいね」
「うん!」

笑顔の唯先輩に送り出されて、リビングを出て……
階段の暗がりに気づいて、私の顔は引きつっていた。
消えたと思っていた怖さがぶり返してきて、思い出したくもないのに、
映画の映像が頭の中に勝手に浮かんできてしまう。
一人でシャワーを浴びていてた女性の末路が脳裏に浮かび、

「……唯先輩、やっぱり手伝います」
「え? でも……」
「手伝います」
「そ、そう……?」

きょとんとする唯先輩をそのままに、
私はテーブルの上のお皿をキッチンへと運び始めた。
別に怖いわけじゃないですと、空しい言い訳を胸中で繰り返しながら……。

食器の片づけが終わって、私たちは一緒にお風呂に入ることになった。
唯先輩はもう立ち直っているみたいだけれど、
私はぶり返した恐怖が消えてくれず、
どうしても一人でお風呂に入ることが出来なかったのだ。

「ふんふふーん♪」
「う、うぅ……」

そんなわけで、二人一緒に脱衣所に入ったわけだけれど……
恐怖が薄れてくれた代わりに、
どうしようもない羞恥心が大きくなってしまっていた。
脱衣所は狭く、唯先輩とは肩が触れ合うほどに近い。
唯先輩はまるで気にせず服を脱いでいくけれど、
私は恥ずかしさに捕らわれ、なかなか服を脱ぐことができずにいた。
下着になることすら恥ずかしかった。
合宿のときは全然平気だったけれど……
お家のお風呂場の狭さや生活感が、
否応もなく側にいる人のことを意識させるのだ。

「ん? どしたの、あずにゃん?」
「い、いえ、なんでもありま……っ!?」

唯先輩に聞かれ、視線をそちらに向けて……
すぐ目の前の唯先輩の胸に、私は絶句していた。
大きかった。ほんとに。
この前喫茶店のお手伝いをしたとき、
胸の部分が苦しいと言っていたけれど……
いつの間にか、ほんとに大きくなっていて……
その迫力に、私は視線を逸らせなくて……、

「あ、あずにゃんの……えっち……」

私の視線に気づいた唯先輩が、頬を染めて、胸を両腕で隠した。
ほんとに恥ずかしいと思ったのか、いつもみたいにふざけることなく、
その態度はどこまでも大人しかった。
いつにない唯先輩の態度に、私の頬も真っ赤になってしまって、

「す、すみません!」

大声で謝って、私は視線を逸らした。
その後、いつになく静かに、私たちはお風呂に入った。
その間、私たちの顔は真っ赤なままで……
それは確実に、お風呂で温まったためではなかった……。

ご飯を食べて、お風呂に入って……
そして夜、私は唯先輩と一緒にベッドに入っていた。
電気が消され、真っ暗になった部屋の中、
ホラー映画を見た後の恐怖がまたぶりかえしている。
すぐ隣には唯先輩がいて、パジャマ越しに感じる唯先輩の温もりに、
お風呂に入ったときの恥ずかしさも甦ってきた。
それらの感情がない交ぜになって……
よくわからない変な気持ちのまま、私はベッドに横になっていた。
本当におかしな気分で、うまく眠れず、
かといって唯先輩に話しかけることもできなくて……
ただぼんやりと暗い天井を見つめていると、

「……プッ……クスクス……」

突然、唯先輩の笑い声が聞こえてきた。
驚きのあまり、私は思わず声を上げていた。

「ゆ、唯先輩っ?」
「クス……あ、あずにゃ……ププッ……」
「ど、どうしたんですかっ?」
「クスクス……あ、あのね……わ、わかんない!」

私が聞くと、唯先輩は半ば叫ぶようにそう言って……
そして体を震わして、笑い出していた。

「わ、わかんないって……じゃあなんで、そんなに大笑いしてるんですか」
「ほ、ほんとにね……ププッ……わかんないのっ……
自分でもなにが面白いのか……っ」
「だ、だって……でも……」
「あ、あのね……ほんとになんでなのか、わかんないんだけど……
ただね……映画見て怖かったこととか、
あずにゃんとご飯食べれて楽しかったこととか、
お風呂で裸見られて恥ずかしかったこととか……
そんな気持ちがね、混ざちゃってね……今、すごい変な気持ちで……
そしたらね、なんか笑っちゃってたの!」

話しながらも唯先輩は笑い続けていた。
お布団の下で体が震え、ベッドが揺れる。
あわせて私の体も揺れていて、

「も、もうっ……クス……そ、そんな笑うようなこと、
なにもないじゃないですか……アハハ……っ」
「あ、あずにゃんだって……笑ってるじゃん……っ」
「わ、私は、唯先輩につられてるだけです……っ」

気がつけば私も、唯先輩と一緒になって笑っていた。
唯先輩の言うように、唯先輩と同じ気持ちで……
怖さも楽しさも恥ずかしさもみんなごちゃ混ぜになってて、
もう気持ちの整理なんてできなくて……
変な気分のまま、ただただ笑い続けていた。

「クス……アハハ……あ~ずにゃん!」
「アハハ……ゆ、唯先輩、やめ……アハハ……っ」

唯先輩が笑いながら抱きついてきて、
私は笑いながら抗議の声を上げて……
やがて、笑い疲れた唯先輩は、私を抱きしめたまま眠っていた。
笑い疲れた私も、唯先輩の胸の中で眠ろうとしていた。
今眠ったら……私はきっと、すごく変な夢を見てしまうことだろう。
今の気分のまま、怖いような楽しいような恥ずかしいような……
そんな気持ちがごちゃ混ぜの変な夢を見てしまうだろうと思った。
そしてきっと、明日の朝……私と同じように変な夢を見た唯先輩と、
一緒になってまた笑うのだろう。
そんな明日の朝を楽しみに思いながら……
私は眠気に身を任せていた……。


END


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最終更新:2010年08月24日 04:08