「唯先輩、ごめんなさい! 反省してます!
ですから……お願いですから、ドアを開けて下さい……」

かたく閉ざされた扉の前で、私は半ば涙ぐみながらそう言った。
それでも扉は開く気配を見せず、中から声が聞こえてくることもない。
私の震えた声は、きっと唯先輩に届いたはずなのに……
いつもなら、私が涙ぐんだりしたら、
すぐに慰めるように抱きしめてくれるのに……
部屋に閉じこもった唯先輩は、その姿を見せてくれないばかりか、
声一つ私に聞かせてはくれなかった。


体から力が抜けて、私はその場に座り込んでしまった。
か細い声で唯先輩の名前を呼び、かたいドアを見つめながら……
私は自分の行いを悔いた。
戻れるものなら過去に戻りたい。ほんの数十分でいい。
数十分前に戻ることができれば、あの過ちを取り消せるのだから……
でもいくら祈っても、時間を戻すなんてことができるわけがなかった。
私の過ちをなかったことにできるわけもなく……
薄暗い廊下で膝をついた私は、鼻をすすって、また唯先輩に呼びかけた。

「唯先輩! ごめんなさい! でも信じて下さい、わざとじゃないんです!
唯先輩のアイスを食べちゃったのはわざとじゃないんです!」


……あり得ない過ちだった。夏休みのある日、
受験勉強の息抜きにと久しぶりにギターの練習に誘われた私は、
もちろん断る理由なんてなくて、朝から唯先輩のお家にお邪魔した。
用事があって憂は出掛けていて、私は唯先輩と二人で、
ギターの練習をしたり、ゲームで遊んだりした。
そこまでは楽しい日曜日だったのに……お昼ご飯の後、
問題の事件が起きてしまった。いや、私が起こしてしまったのだ。
昼食後、お腹がいっぱいになった心地よさから
ついうとうととしてしまった私は……あろうことか、
寝惚けてお家の中を彷徨った挙げ句、
勝手に冷凍庫のアイスをあけてしまったのだ。

それは、本当にあり得ない過ちだった。
唯先輩が悲鳴のような声で私の名前を呼び、
それで正気を取り戻したときにはもう既に遅かった。
棒状のアイスを袋から出し、私はそれをかじってしまっていたのだ。

「あ、あずにゃんひどい……私が……
私があずにゃんにあ~んってして食べさせてあげたかったのにぃ!」
「ゆ、唯先輩!」

悲痛な声を上げて、背を向けて走り出す唯先輩。
私が伸ばした手は唯先輩には届かず……
慌てて追いかけたときにはもう、唯先輩は自分の部屋に飛び込んで、
そのドアを閉めてしまっていて……
かたいかたいドアが、私と唯先輩、二人の間を遮ってしまっていた。


「う……ぐす……唯先輩……」

廊下に座り込んだ私は、目に浮かんだ涙を、流れ落ちる前に拭った。
楽しかった日曜日が台無しだった。
受験勉強で忙しくて、なかなか会えなくなってしまった唯先輩と、
本当に久しぶりに朝から一緒にいられたというのに……
これは、夏休みだからとだらけた生活をしていた私に対する罰なのだろうか。
夜更かしして、朝起きるのも遅めで、
冷房のきいた部屋でアイスばかり食べて……
そんなだらしない生活をしていたから、
こんなことになってしまったのだろうか。
でも、もしそうだとしても、これはあんまりだと思った。
私が悲しい思いをするだけならともかく、
なんで唯先輩まで傷つかなくてはならないのか。
私の怠惰への罰なら、私だけが悲しい思いをすれば充分なのに……。

「ぐす……だ、だめ……泣いちゃだめ!」

また零れ落ちそうになる涙を拭いて、私は自分に言い聞かせた。
そうだ、悪いのは自分だ。これが天からの罰であっても、
そうでなくても、私が悲しい思いをするのは仕方ない。
でも、唯先輩を傷つけたままにしていいはずがなかった。
泣いている暇なんてない。私が今しなくちゃいけないことは、
唯先輩にきちんと謝ること。
謝って、そして唯先輩の傷ついた心を……

「…………」

……ふと、これはそんなに大事なのだろうかと、
心の片隅で思ったけれど……
い、いや、唯先輩にとっては本当に大事なのだ。
唯先輩があんな悲痛な声を上げることなんて滅多にないのだから。
イチゴショートの件だってこの前あったばかりだ。
イチゴを取られて泣いた澪先輩のことを思い出し、
和先輩を部室にまで連れてきた唯先輩の姿が脳裏に浮かんだ。
うん、これは唯先輩にとってはきっと一大事。だから、

「ちゃ、ちゃんと謝らないと!」

なんかちょっと納得できない気持ちが胸の奥で首をもたげたけど……
それを私は押さえつけた。


「唯先輩、聞こえてますか?」

扉を数度ノックし、それからその表面に手を当てて……
私は中にいる唯先輩に話しかけた。

「さっきは、その……本当にごめんなさい。
寝惚けてあんなことしちゃうなんて、自分でも信じられません……
そのせいで唯先輩を傷つけて……本当にごめんなさい……」

私の言葉に、でも唯先輩の返事は返ってこなかった。
部屋の中からは物音一つ聞こえず、
まるで中には誰もいないかのように静かだった。
そのあまりの静かさに……
唯先輩が返事をしてくれないことにくじけそうになるけれど……
私は必死に言葉を搾り出した。

「あのアイス……私と一緒に食べようと思って、
唯先輩が用意してくれていたものなんですよね?
さっき、あ~んってして……って言ってましたし。
それなのに、私が勝手にあけたせいで、台無しにしちゃって……
本当にごめんなさい……」

言いながら、そっと額をドアの表面に当てる。
中にいる唯先輩の気配を少しでも感じたくて、
私は目を閉じてドアの向こうに意識を向けた。
でもやっぱり、中から返事は返ってこなかった。
唯先輩の気配を感じることもできなかった。
きっと、それだけ唯先輩は怒っていて、
そして悲しんでいるのだろう。

どうしよう……いったいどうすれば償うことができるのだろう?
代わりのアイスを買ってこようかと一瞬思ったけれど……
いや、それはダメだろうとすぐに思い直した。
物の問題ではないのだ。
一緒に食べようと思っていたアイスを、
私が一人で勝手に口をつけてしまったことを唯先輩は怒り、
悲しんでいるのだから。
またアイスを買ってくればいいという問題ではなかった。
……そうだ。代わりに何かを買ってくるとか、何かするとか、
そういうことではダメなんだ。
唯先輩の気持ちを台無しにしてしまったのが問題なのだから。
だから私にできることは、しなくてはいけないことは、
ただ真摯に謝り続けることだけだ。
謝って、唯先輩が許してくれるのを待つしかないのだ……。

……唯先輩が部屋に閉じこもってから、どれぐらいの時間がたったのだろう。
夏の陽光は強く、外は明るい。
まだ昼なのか、それとももう夕方に近いのか、
外の明るさだけでは判断がつかなかった。

「唯先輩……」

ドアに寄り掛かるように身を預け、私は小声で名前を呼んだ。
返事を期待したわけではなく、ただ疲れのために、
口から漏れてしまっただけだった。
あれから何度謝っても、呼びかけても……
唯先輩は返事をしてくれなかった。
ドアが開く気配もなく、
それどころか中で誰かが動く音すら聞こえてこない。
部屋に閉じこもった唯先輩が、そのまま消えてしまったのではないか……
そんなことすら考えてしまうほど、部屋の中は静かだった。

「ぐす……」

無意識のうちに、私は鼻を啜っていた。
気がつけば、また瞳に涙が浮かんでいた。
唯先輩のこんな態度は初めてで、
こんな風に無視されてしまうなんて信じられなくて……
堪えようもなく、私は泣いてしまっていた。
もし、このまま唯先輩と仲が悪くなってしまったらどうしよう、
そんなことまで考えてしまって、

「やだ……唯先輩、やだよぉ……」

拭う暇もなく、涙が瞳から零れ落ちた……
それと同時だった。かたく閉ざされていたドアが開いたのは。
信じられない気持ちで、私は顔を上げた。
開いたドアの向こうに、唯先輩の顔が見えて、
少し潤んだ瞳に、私もつられるようにまた泣きかけて、

「ふわぁぁ……あれ……あずにゃん……?」

唯先輩のあくびに、私の全身は硬直していた。
謝ることも、立ち上がって抱きつくことも忘れて……
そのあくびが、私の動きを止めていた。

「ゆ、唯先輩……?」
「ぅん……って、わ!? どうしたのあずにゃん!
泣いてるの!? なんかあったの!?」

慌てた様子でしゃがみこみ、私の肩に手を置いてくる唯先輩に……
私は呆然とした口調で聞いた。

「あの……唯先輩……ひょっとして、寝てたんですか?」
「へ? ……あ、その……テヘヘ……ごめんね、あずにゃん。
あの後、ベッドに倒れこんだら……
昨日干したばかりのお布団が気持ちよくてねぇ……つい……」
「あの……アイスのことは……」
「ん? もう気にしてないよぉ。あ~んってできなかったのは残念だけど」
「……怒ってないんですか?」
「え? うん、もちろん!」
「……じゃ、ほんとに今まで、寝てただけ……」
「え……う、うん……」
「…………」
「あ、あずにゃん……?」
「唯先輩!!」

「あずにゃん、ごめんね! 反省してるから!
だから……お願いだからドアを開けてよぉ……」


END


  • エンドレス…になりそうなフラグだけど、梓ならそんなことしないんだろうなぁ… -- (名無しさん) 2010-10-22 07:43:15
  • オチで笑ったww 二人とも可愛いなぁ… -- (名無しさん) 2012-05-12 03:37:28
  • アイスか…と思ったが表面上は深刻だった。 -- (あずにゃんラブ) 2012-12-29 01:53:07
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最終更新:2010年10月20日 21:06