今日は2月14日、バレンタイン。全国的に女の子の日。
男の子も女の子もテンションが高くなる日でもある。
男の子はチョコを貰えるかどうかソワソワして、女の子は想いを伝えるために精一杯の勇気をスパイスに作ったチョコをいつ渡そうかと思案している。
舞台が女子高になると男の子がいなくなるから渡す相手がいなくなるかというと、そうではない。女の子同士でも友チョコやら何やらで盛り上がるのだから。
……それに、たとえ同性だとしても恋愛は成立するものだし、そういう人はしっかりと本命のチョコを作ってきている。澪先輩や律先輩辺りがそれに当たるんじゃないかな。
斯く言う私も憂や純たちに渡すチョコを持ってきているのだけれど、あくまでそれは友チョコ。本命もしっかりと持ってきている。
渡す相手は現在私が片想い中の唯先輩。これまで幾度となくアプローチをかけてきたけど、全然気付いてもらえないからこれを機に想いを伝えよう、という魂胆である。
……しかし、悲しいかな私は臆病だから本命チョコとは別の義理チョコも持ってきてしまった。
本命は大きなハートに恥ずかしい言葉を書いてきたけど、義理のほうは大きなハートまでは同じだけどその上にはみ出すぐらいの大きさで『義理』と書いたものである。
「はぁ……、どうしようかなぁ……」
伝えたいという気持ちはもちろんある。気持ちを伝えてチョコを食べてもらって、おいしいって言われたい。大好きな唯先輩の笑顔でおいしいよって。
だけど、もし受け取ってくれなかったら、気持ち悪いと思われたらと思うと後一歩が踏み出せない。そうすると今までの関係が壊れてしまう。抱きつかれたり頬擦りされたりする日常が無くなってしまう。
それなら、何も渡さないで、何も言わないで、今までの関係で満足したほうがいい。結ばれることはないけど、それでも関係が壊れるよりかはマシだ。
「でも……、それで私は満足できるの?」
音楽室の扉をそぉっと開ける。別に何かやましいことをしている訳じゃ無いから堂々と開ければいいとは思うけど、なんとなくの行動だ。
いつもどおり私が一番乗りかなと思っていたら、先客がいた。唯先輩だ。部室の真ん中で誰かを待っているように目を瞑っている。
「唯先輩、早いですね」
私が入ってきたことに気付いていないみたいだから、忍び足で真後ろに歩み寄り、背中をぽんと叩きながら声をかける。
すると、ようやく気付いたのか、先輩は振り返って私を見つけると花のような笑みを零した。
「
あずにゃん、待ってたよ」
その表情に、その言葉に、私の心臓がどきりとする。待っていた? 私を? 一体どうして……。
胸に宿るのは疑問と、そして期待。なんとなく解る気がしたけど、それを決め付けるには早計すぎる。それに、そんなに世の中は甘くない。
「どうしたんですか?」
「うん。今日はあずにゃんに渡したいものがあるんだ」
心臓が一際大きく高鳴った。
「渡したいもの? おもちゃとかならいりませんよ?」
「違うよ。あずにゃん、今日が何の日だか知ってる?」
「……バレンタイン」
唯先輩の言葉と、後ろに回ったときに見つけた、きれいにラッピングされた小袋を思い出して、疑問が確信に変わる。
唯先輩は私の言葉ににかっと笑い「正解」と言うと、後ろに隠していた小袋を私の目の前に突きつけてきた。
「……何ですか、これ」
「何って、チョコレートだよ。憂に教えてもらいながら頑張って作ったんだ」
「……食べられるんですか?」
嬉しいはずなのに、ついつい可愛くないことを言ってしまう。我ながら素直じゃないなとは思う。だけど、素直に喜ぶのは私のキャラじゃないし、これはこれでしょうがない。
今も顔がにやけてしまうのを抑えるので精一杯だ。まさか、唯先輩からチョコをもらえるなんて、しかも手作りの。予想もしていなかったことに喜びゲージが振り切れている。
「失礼な! 食べられるよちゃんと! りっちゃんたちもおいしいって言ってくれたもんっ!」
「え……」
唯先輩は何気なく言ったんだろうけど、その言葉に絶句してしまう。
「これ、他の人にもあげたんですか?」
「うん? うん、そうだよ。軽音部のみんなと憂、和ちゃんには」
「そう、ですか……」
何だ、結局私が一人で舞い上がってただけだったのか。唯先輩の性格を考えればすぐに解ることなのに、私はバカか。
ゲージが一気に下がってきて、テンションがガタ落ち。きっと今の私の顔はとても悲しそうになっているはずだ。
それを見られたくなくて、俯いて前髪で表情を隠す。そこまで弱くは無いだろうけど、もしかしたら涙も出るかもしれない。
「あずにゃん……?」
頭上で、困ったような声。それはそうだろう、さっきまで喜んでいた人間が急に俯いたりしたら、誰だって困る。私だって困る。
だけど、返事をするだけの余裕は無かった。きっと声を出したら何かが崩壊してしまうから。一言でも言葉を発したら涙が出てくるかもしれない。
「……」
唯先輩が困っているのが解る。何も言わなくても、きっとどうしたらいいのか解らないでいるはずだ。……これ以上先輩を困らせるのはよくない。
「す、すみません。私、帰りますね」
少し濡れた言葉でそう言い、逃げるようにして唯先輩に背を向ける。そして、そのままそそくさと音楽室を後に――
「待って、あずにゃん!」
できなかった。
立ち去ろうとした私を唯先輩は後ろからぎゅっと抱きしめてきたのだ。いつもよりも数倍強く、決して私を逃がさないように。
「……何ですか」
「実は、もうひとつあずにゃんだけに持ってきたものがあるんだ」
私にだけ、という言葉に体が反応する。私が動くつもりが無いと理解した唯先輩は一旦私を放して、自分の鞄から何かを取り出してそれを私に見せてくる。
取り出したのは板状の何か。表面から見ただけではそれが何なのか解りにくい。ただ、ラッピングがされていることからして
プレゼントか何かだろうということは解った――ラッピングが雑なのが気になるけど。
「開けていいですか?」
「うん、ゆっくりね」
許可を得て、紐を解いて包装紙を外す。すると、現れたのはハート型の箱。
「これは……?」
「それも開けてみて」
「はい」
ゆっくりと、箱を開ける。すると、中にはチョコが入っていた――ハート型で、表面に大きく『I LOVE AZUNYAN』と書かれた。
「先輩、これ……」
まさかと思って唯先輩を振り返ると、先輩は照れくさそうにえへへと笑っていた。
「こっちが本命なんだ。あずにゃんのためだけに作ったの。誰にも内緒だよ?」
「は、はい、それは解りましたけど……。この、表に書かれている言葉の意味は……」
そんなの訊かなくても充分理解できる。だけど、それが信じられなかった。
「言葉通りの意味だよ。あずにゃんが大好きってこと」
「えと、つまり……」
――つまり、私たちは両想いだったという訳か。
「うぐ、ぇぐ……」
「あ、あずにゃん!?」
嬉しさのあまり、泣き出してしまった。さっきは我慢できたのに、悲しみより嬉しさで涙が出るなんてね……。
そんな私を見て、唯先輩はあたふたとし始める。きっと自分が何かしてしまったのだろうと思っているんだろう。
「ご、ごめんあずにゃん。私何かしちゃったかな?」
「えぇ、しましたよ。それはもういっぱい」
「ご、ごめん――」
「はい、これ」
唯先輩の謝罪を遮るようにして私は鞄から取り出したチョコを唯先輩に突きつける。
もちろん、本命チョコだ。
「な、何これ?」
「開けてみてください」
その言葉に唯先輩は「うん」と頷き、包装を外す。
そして、中から現れたチョコを見て、驚いたように顔を上げた。
「あずにゃん、これ……」
「好きです、唯先輩。私と付き合ってください」
――初めて触れた唇は、とてもやわらかかった。