奏の受難
名無しさん
椅子に深く腰掛け,だらーんという擬音が聞こえそうな姿で机に俯せになっている少女が一人。
はああああ~~~~。
「また,この日が来たか‥‥‥‥」
苦虫をかみつぶしたような表情で顔を曇らせ俯き沈黙の思考の時が続いたかと思うと‥‥。
「やっぱり嫌だあ~~!!」
突然手足をバタバタと空(くう)を切らせ喚き始める。‥‥‥‥かと思えば,
はああああああ~~~~‥‥‥‥。
糸が切れたように,ばったりと机に平伏し,また先程のようにジタバタと挙動不振な行動をする。
しかし,そろそろ食堂が開く時間が迫っている。 ブルーな気持ちを抱えたまま髪も服装も整えた奏は,いまだ,ベッドで夢の中の人物をみやる。
幸せそうに眠る姉の顔が恨めしい。
東京に来て,やっと開放されると思ってたのに‥‥。
それもこれも全部雪乃のせいだ。
人の気も知らないで,あれほど嫌だと言ったのに。
今日という日か,幸せそうに眠る雪乃に腹を立てたのか,中々起きない雪乃に奏はついに勘忍袋の尾が切れた。
「あたしだけちゃんと起きても意味ないでしょ!早く起きてよ雪ねぇ!」
「いひゃいひゃいひゃいひゃい!」
いつものように頬っぺた伸ばしで起こしたのだった。
「早く,食堂行くよ!」
雪乃に背を向けて出かける準備をする。
奏の食堂という言葉を聞いて今思い出したかのように雪乃は‥‥‥‥,
「おぉ,食堂!」
「何,雪ちゃん?」
ジト目で見る奏に構わず後ろから雪乃は抱き着いた。
「ねぇ,かなちゃん今日は‥‥‥‥」
「わ,わかってるわよ‥‥!」
「うん!放課後に,みんなで食堂で‥‥‥‥,だから,これ‥‥‥‥,はい!」
奏に手渡されたのは,左右に輪ゴムが付いた三つの目がある黒いキツネのお面だった。
「かわいいでしょ~~♪私の手づくり♪転生した時のかなちゃん!」
「分かってるって,今年もやらせていただきます‥‥‥‥」
はあ,と今日で何度目かわからない溜め息を付いた。
「わあ~~♪かなちゃん大好き~♪」
繰り返される悪夢‥‥。
いつもなら,おはようと寮生に笑顔で挨拶をするのだが今日は違う。
奏にとって地獄のカウントダウンが始まってしまったのだ。
事の発端は今から一年前,いつものようにみんなで朝食をとっていた時だ。
雪乃と奏が話していた時に寮生も集まってきた。
何と言うタイミングの悪さ。
雪乃が奏に話していた内容とは‥‥。
「ダメだよかなちゃん,こっちでもやるの~~!」
「嫌!絶対,嫌!!」
「うちの,櫻井家の伝統行事だから,きちんと毎年やらないとだめ~~!!」
「いつの間に伝統なの!?もうカンベンしてよ‥‥‥‥」うなだれる奏に,寮生は話しかける。
「何,何の話?」
げんなりとした奏は答える事ができず,代わりに雪乃が答える。
「ウチはね,ウチの実家では毎年豆まきをやるの~♪」
隣では,もう嫌だ,やだ‥‥,と呟く奏が。
「豆まきなんて節分にやる,アレでしょ?鬼は~外,福は内~,ってやつじゃん。何でそんなに嫌がるのよ?家族団欒で楽しそうじゃん。年の離れた妹もいるんでしょ?可愛いもんじゃない」
ねー,と笑顔で寮生と相槌を打つ雪乃。
「そんな可愛いもんじゃないわよ!!」
奏は勢いよく立ち上がり叫んでしまった。
一斉に,それまで普通に朝食をとっていた寮生達が奏に注目する。
「ゆきちゃんにも分からないんだ‥‥。みんなだってあたしの気持ちが分からないんだ‥‥‥‥」
今にも泣きそうな奏を見た寮生は雪乃に話かけた。
「家族みんなでやるんでしょ?なのに何で奏がそんなに嫌がるのよ?」
「ウチは毎年ね~,鬼役は,かなちゃんにやってもらうんだ~♪」
と,雪乃は笑顔で答えた。ビクッ!!と奏の体が,こわばる。
な~んだ,そんなくだらないことで奏はウジウジしてるんだ~,なんて寮生が言うものだから‥‥‥‥。
「ゆきちゃんも,しーちゃんも,みんなだって豆を投げ付けられる鬼の気持ちが分からないのよ!愛する家族に豆を投げ付けられる,この気持ちが~~~~!!!」
と,叫んだ体勢のままで奏と寮生は見合う。
しばしの瞬間‥‥‥‥。
「‥‥‥‥奏もう一度言ってみなよ?」
寮生はうながす。
「だから,みんなには豆投げられる鬼の気持ちが分からないと」
ぶっきらぼうに答える奏に寮生は気持ちの中で頭を抱えた。
「え~と,その,つまり,奏は毎年鬼役になって豆を投げられる訳なんだ」
うんうんと奏は上下に頭を振って頷く。
「で,奏はその豆を投げられるのが嫌だと」
更に激しく奏は頷く。
「みんなは知らないんだ。あの爛々と瞳を輝かせる,ゆきちゃんと,しーちゃんの恐ろしさを‥‥‥‥」
「にこにこと微笑みながら,その瞳の奥には獲物を捕らえる光りを放ち‥‥‥‥」
「親の仇のごとくに豆を投げ付ける様は地獄だよ‥‥‥‥」
去年の節分は散々だった。
地元でいられる最後の節分だからと,奏は仕方なく鬼役を引き受けた。
いくら自分が本物の妖怪でも,愛する姉妹達に豆をぶつけられるのは心底嫌だった。
雪ねぇ代わってよ!と奏が反発しても雪乃と雫が瞳を潤ませて,かなちゃん(かな姉ちゃん)じゃないとだめ~,なんて言うものだから断れるはずもなく‥‥‥‥。
助けて父ちゃん!と父親に助けを求めるが,これも修行だと言い庇ってくれない。
あの,これは修行じゃなくて拷問なんですけど‥‥‥‥?
こうして二月三日を迎え櫻井家豆まき大会が始まった。
豆を持って準備万端な雪乃が奏に一言,
「かなちゃん,転生禁止ね」
「へっ?何で?」
「何でって私達は自由に妖魔の姿になれるけど,しーちゃんはまだ術のおけいこ,し始めたばかりじゃない」
「あっ,そうか」
三姉妹の父親は農業をしている傍らで妖怪を退治する退魔師という仕事をしている。
現代でも妖怪のせいで悩んでいる人が多く平安時代から全国各地首都にある退魔仲介所という事務所から仕事を承っている。
退魔仲介所とは,妖怪の被害で悩んでいる人が仲介所に依頼を出し,そこへ来た退魔師が集まった依頼のどれかを選んで依頼をこなし,依頼人から報酬金を貰うというシステムだ。
櫻井家は代々,十歳になると妖怪退治が義務付けられ,妖怪を退治するための技を磨かなければいけない。
母親が半妖,父親が人間のため,妖魔の血が(四分の一だけだが)流れる櫻井三姉妹は両親を交え互い互いに決めた事がある。
それは,人間と共に暮らす事。
そのためには人前では,お互いの転生を禁じ,妖魔を相手に戦う時に周りに人間がいれば転生せず,人間の退魔師として力を使う事を約束した。
もし人前で転生すれば人間達に溶け込む事は,まずできない。
それは,いずれ悲劇に通じる。
双子の両親は双子が上京する時,そのことと,刀を守る事,人間を守る事を強く念を押した。
そして地元最後の節分が何故散々だったかというと,所狭しと櫻井家の中を走り回る三姉妹。
ついに奏は二人に追い詰められてしまった!
奏の後ろには壁,左下には階段。
もう逃げられない。
それでも雪乃,雫に捕まるのは嫌だと思い二人を突っ切り階段を下りようとした瞬間---
足を踏み外し,すってんころりんと落ちてしまったのだ!
気絶している奏を自分達は普通の人間じゃないから大丈夫だろうと,たかをくくって雪乃は,いつも自分がされてるように奏の頬っぺたを突いたり伸ばしたりして,起こそうとしている。と,その時,低く,くぐもった声が聞こえた。
「‥‥‥‥何してんの,雪ねぇ‥‥‥‥?」
頬っぺたをつねっている雪乃の手を奏は仰向けのまま,ガシリ!と掴む。
「‥‥‥‥手,痛いよ?かなちゃん‥‥‥‥」
油断していたこともあったが突然のことに驚き雪乃の顔は青く引きつっている。そして,
「‥‥‥‥ひっ!」
急に怯えたような声をあげる雫。
雪乃は雫を見ると,カタカタと奮えている。
「ゆ,雪姉ちゃん‥‥‥‥」
怯え,かすれた声で倒れている奏の方に指をさす。
雪乃は,その方向を見ると雪乃の手を掴んだまま,ゆっくりと立ち上がる奏の姿が。
ゆっくりと口を開いた奏の口からは,いつしか野獣の牙が見え隠れしていた。
「もう‥‥‥‥,我慢できない‥‥‥‥」
くぐもった声と共に結ってあった髪が自然とほどける。
雪乃は掴まれた奏の手を見ると,柔らかい人肌だった皮膚が徐々に獣のような黒い皮膚に覆われていく。
「か,かなちゃん‥‥‥‥転生禁止だったはずじゃ‥‥‥‥?」
そう言う雪乃も転生して対抗すればいいのだが,あまりにも予想外のことで普段できているコントロールが上手くできなくて転生できず,奏にされるがままになっている。
「あたしをこう,させたのは誰よ!?‥‥‥‥あたしはやっと自由に転生できるようになったけど雪ねぇみたいにまだ力をコントロールできないことは知ってるよね‥‥‥‥!?」
「か,かなちゃん,落ち着いて‥‥‥‥?」
顔を青くさせたままの雪乃は奏をなだめるが‥‥‥‥。
「だめ‥‥‥‥,許さない‥‥‥‥!!」
瞬間,奏の目が光った。
ドオォオオオオオオオン!!
櫻井家に轟音が鳴り響く。
この衝撃で天井に穴が空き,その穴から見える空から,まばゆい閃光の後,もうもうと白煙が立ち視界をさえぎった。
しばらくすると煙が風に流され視界が晴れてくる。
黒い大きなかげが煙の向こうに見えていた。
その影は雫の前に立ち塞がっている。
「‥‥‥‥ひっ!?」
雫は身構えた。
「しーちゃん!!」
雪乃が雫に駆け寄る。
『天動雷呼!!香桜太子(こうおうたいし)推参っっ!!』
煙の晴れた視界には香桜太子と名乗る,黒き狐の化身,人の恐れる妖魔に転生した奏の姿が目に入った。
グル‥‥‥‥,と喉を鳴らし,チロ,と雪乃,雫の両名を見やると三つの目を伏せ雄々しいまでの動作でゆっくりと右の拳を広げ,空(穴が空いた天井)にかかげた。
息が止まるような瞬間に空気が変わるのがわかった。
カッと香桜太子の目が見開く!
『‥‥‥‥‥‥雷よ,あれ!!』
香桜太子の声に引かれて空より光りの閃光が降りてくる!
降りる閃光に合わせて香桜太子は,かかげた拳を地に振り下ろした!
ゴッパアァアアアアアァッ!!!
凄まじい衝撃が櫻井家に起こった。
地は割れ,櫻井家は倒壊し,見るも無惨な‥‥‥‥,ことには不思議となっていなかった。
あらかじめ,両親が櫻井家に結界(けっかい)を張り,天井に穴は空いたものの,被害は最小限に留められた。
香桜太子が放った轟音と閃光は結界によって目くらまし程度に抑えられていた。
視界が戻ると香桜太子は力尽きたのか,そのままその場に倒れ,気を失った。
倒れた香桜太子は,しだいに人間へとその姿を変貌させていく。
櫻井奏という少女の姿に---。
結局,この時の豆まき勝負は暴走した奏によって,うやむやになった。
ルールとしては鬼役の奏が雪乃,雫から制限時間内に捕まらずに,逃げ切れば勝ち,というものだが,二対一,な,上に転生禁止で相手は二人がかりで武器は豆。当然勝てるはずもなく一度も奏は二人から捕まらなかった事はなかった。
奏は地元最後にできる節分だから勝負は関係なしに楽しくやろうと言ったにも関わらず,結果はこれだ。
奏が怒るのも無理はない。数時間後,目覚めた奏は案の定,機嫌が悪く三日間,雪乃と雫が,どんなに話しかけても徹底的に無視し続けた。
喧嘩して,仲直りして,泣いて笑っての繰り返しで,いつしかお互いを認め合うようになって‥‥‥‥。
だから雪乃は自分の気持ちは,きっと分かってくれると思っていたのに‥‥‥‥。
東京に来て,始めての冬。
去年のようなこと(勿論,自分達の正体は秘密)にはなりたくないから嫌だと雪乃に懇願している所を寮生に,からかわれ,あげくのはてには雪乃が寮生に‥‥‥‥。
「‥‥て,今年からは,こっちでやろうよって,かなちゃんとさっき話してたの」
にっこりと微笑みながら寮生に答える雪乃。
何だか嫌な予感がする‥‥‥‥。
朝食を終え,奏に注目していた寮生達が集まってくる。
「へぇ,おもしろそうじゃん」
で,ルールはね~,と寮生達と楽しそうに話している雪乃。
そして周りから,やろう,やりたいという声が,ちらほらと聞こえてくる。
雪ねぇ,あたしの意思は?
何も理解できぬまま,周りで事が進んでいく。
まるで,自分だけが取り残されてしまったように。
そして,いつの間にか寮生達だけで放課後に食堂に集まって豆まきをしよう,ということになった。
もう逃げられない‥‥‥‥。
「第一回,豆まき大会開催~~♪」
と高らかに宣言する雪乃であった。
こうして奏の悪夢は再び始まったのである。
本日,第二回豆まき大会,自分達が食堂にいくと放課後,奏にぶつけるであろう大量の豆が入ったビニール袋がテーブルに鎮座しているのが目に入った。
勿論,朝食の時,奏はみんなに,いいようにからかわれる。
ただでさえ前日から今日という日が憂鬱で更に追い打ちをかけるような,この仕打ち。
もう奏が起きた時点で地獄のカウントダウンは始まっていた。
今日もホームに佇む二人。
一生懸命雪乃が話しかけても,奏は,ああ,うん,ぐらいの生返事しかできないくらい,げんなりとした顔をしていた。
「おはようございます!雪乃先輩!奏先輩!」
すっかりデジカメがトレードマークの咲夜が,いつものように元気いっぱいに二人に声をかける。
「‥‥‥‥おはよ」
「咲ちゃん,おはよう」
今日は待ちに待ったイベントがあるというのに元気のない奏に咲夜は声をかけた。
「朝からどうしたんですか?今日は私にとって始めての大事なイベントがあるというのに,でもでもぉ,大好きな奏先輩を追い掛けて捕まえた暁には奏先輩に,あんなことや,こんなことを~‥‥~」
またもや一人で妄想して妖しく悶えている。
そんな咲夜をよそに奏はやっと雪乃に話しかけた。
「‥‥‥‥あのさー」
「なあに?かなちゃん」
「‥‥豆まきってさー,寮生だけのイベントだったよね?絶対来るとは思ってたけど,‥‥‥‥何で?」
「えーっと‥‥‥‥何ででしょう?‥‥‥‥」
「普段から追い掛け回されてるんだからせめて今日くらいはカンベンしてよ,まさか雪ちゃんまた‥‥‥‥?」
ジト目で雪乃を睨む。
「おいしかったなぁ。まるまるバナナ一週間分♪」
しばしの沈黙。
握っている手がハンパなく痛い。
ふと,雪乃は奏を見ると,さっきまで纏めてあった髪が自然に下ろされている。
「かなちゃん,もしかして,力,使ってる?」
つい,おずおずと聞いてしまう。
そして,低く地の底から聞こえるような声で‥‥‥‥。
「‥‥‥‥おうよ‥‥‥‥」
「か,かなちゃん,ここ,駅だよ?ホームだよ?人間がたくさんいるよ~‥‥?」
「‥‥‥‥分かってるよ,そのくらい。もう中三の時みたいなことにはならないから‥‥‥‥」
一瞬,奏がまた暴走するんじゃないかと思ったが,とりあえずコントロールはできているようでよかったとホッとしたのもつかの間,その握られた手ら学校に着くまで離れず雪乃は顔を青くしたまま通学するハメになった。
まあ,雪乃の自業自得といえば自業自得なのだが。
「‥‥‥‥それでそれでぇ,奏先輩にぶつけられた数々の豆を私がぜ~んぶ食べちゃいますぅ~。年の数以上食べちゃうことになるけど気にしません,もう大豆の味がしません~。奏先輩の味がしますぅ~」
と,ホームで悶えている少女が一人。
またしても咲夜は遅刻だ。
駅員の注意と過ぎ去った電車で我に返る咲夜。
「‥‥‥‥今日も遅刻決定ですが,放課後のメインイベントに間に合えば無問題です!待ってて下さい奏先ぱ~い」
訳のわからない自信と共に次の電車に駆け込む咲夜であった。
そして,ついにこの日が来てしまった。
寮に帰宅した櫻井姉妹。
食堂に入り,まず奏が目に入ったのは朝に準備されたままの大量の豆とトランシーバー数台。
そしてデジカメを手に,にこにことしている咲夜。
逃げられないことは,もう分かっていた。
奏は,げんなりしながらも朝,雪乃に渡された,お面を付けた。
「奏,もう諦めなって」
何かを悟ったように奏に,ぽんと肩を叩く寮生。
「それでは第二回,豆まき大会開始~~!!」
高らかに宣言する雪乃の声で開始の合図を告げた。
四人ずつのグループに分かれ,その班のリーダー,副リーダーはトランシーバーを使い奏がどこにいったか連絡がとれるようにしている。
一対集団,逃亡範囲は寮近辺。そして勿論転生禁止。
おなごの集団が豆を投げつつ鬼は~外,福は~内と言いながらおなごを追いかける。
そして,その様をパシャパシャとフラッシュをたきカメラの中に収めるおなごが一人。
その光景は,端から見れば,何とも言えない,異様な光景だった。
「誰か助けてよ~~~!!!」
奏の悲鳴が真冬の寮全体に響き渡った。
数日後‥‥‥‥。
「かなちゃん,かなちゃん,春休みに家に帰ったら今年は姉ちゃん達と豆まきしたいって,しーちゃんからメールが‥‥‥‥」
「絶対ヤダ!!」
最終更新:2010年11月11日 17:32