ある日、阿求が独り鍬で穴を掘っていた。
穴は既に二尺ほどの深さになっている
しばらくすると穴の底に木の板が見えてきた。
さらに掘り進めると木の板は木箱の蓋だったことがわかる。
木箱はほぼ立方体をしていた。
木箱の全体が見える程度まで穴を掘ると、阿求は鍬を置いて木箱を穴から取り出す。
やっぱり一月は長すぎたかしらと考えながら、木箱を鍬の柄で叩いてみた。
中から、かすかに「ゆっ」という声が聞こえる。よかった、まだ生きているようだ。
木箱は蓋が開かないように縄で縛りつけてあり、蓋にはには「れいむ、おしおき中」とかかれた札が張ってある。
小刀で縄を切って蓋を取ると、中から黒い霧が吹き上がった。
蠅だ。
蠅が辺りを黒く染める。
「五月蠅(さばえ)なすとは言うけれど、実際にこうしてみるとおぞましいものね」
しばらく蠅が去るのを待って、木箱の中をのぞく。
「まるで、『蠅の王』ね」
中には黒い蠅と白い蛆にまみれたゆっくりれいむがいた。
「あ、あきゅ……」れいむが飼い主に気づいて声を出す。朦朧としているものの、意識はあるようだ。
れいむは目の周りや口の中に蠅の卵をびっしりと産みつけられ、身動きするたびにぽろぽろと蛆がこぼれ落ちる。
白かった肌は、カビによって絵の具をぶちまけたかのように極彩色に染まっていた。
「ひさしぶり、れいむ」にっこり笑ってそういうと、持ってきた殺虫剤を振りかけ、気付けとしてミカンの果汁をかけてやった。
木箱は一月前に阿求が自分で埋めたものだった。
中はゆっくりが多少身動きできる程度の大きさで、なかにはゆっくりれいむと蠅のつがいを入れてあった。
蠅は、木箱が地中にあった一月の間れいむに卵を産みつけ、孵った蛆はれいむ食べて育ち、交尾し、再びれいむに卵を産み付け、増えていった。
一応、木箱に入れる前にれいむには防腐剤を食べさせておいたのだが、それでも一月たったれいむはカビと蛆にまみれて一部が腐り、溶けかかっている。
しばらく待っていると、ミカンの果汁を吸って意識がはっきりしたようで、しきりと阿求に話しかけてくる。
「ゆっ、ゆっ、阿求、ここから出して」
「ゆっくり反省した?」
「ゆっ、れいむ、反省したよ、ゆっくり反省したよ、だから早く助けてね。ここは全然ゆっくりできなかったよ」
「そう、それで、一体何を反省したのかしら」
「ゆっ……」
「何を反省したのかわからないようじゃ、もうしばらく箱の中にいてもらうしかないようね」
そういって置いてあった蓋を取り上げる。
「わかってる、れいむ、わかってる、れいむ、悪い子だったの、反省した、反省したから、もう箱はやめて。お願い、お願い、ごれがらば何でもいうごどぎぐがら、ね、ね、もう許じで、ゆるじでよぉぉぉ」
途中からはすっかり涙声になっていた。
さすがにこれ以上埋めておくと本当に腐ってしまうしねと考えて、許してやることにする
「そうね、もうこれからはわたしがお仕事しているときは、机の上に登って邪魔したりしちゃ駄目よ。あのときはれいむが硯をひっくり返したせいでその日の原稿が全部駄目になっちゃったんだから」
「う゛ん、わがっだ、わがりまじだ。ごめんなざいもうじまぜん、だがらごごがらだじでぐだざい、おねがいじまず」
「もう怒ってないから泣かなくてもいいわよ。それにしても、きれいだった顔がすっかり台無しになってしまったわね。お家に戻ったらお肌の生地を張りなおしてあげる。腐っちゃったところも取ってあげないとね」
「阿求ありがとう。やっぱり阿求はゆっくりできる人だよ。早くゆっくりさせてね」
一瞬で泣きやんだ。現金な饅頭だ。
「あ、でも少し待っててね、ちょっとやることがあるから。お家にはおいしいご馳走やれいむの好きな蒸し風呂も用意してあるから、戻ったらそこでゆっくりするといいわ」
「うん、ゆっくり早くしてね」
そういうとれいむの入った木箱を脇におろし、持ってきたもう一つの木箱を持ち上げた。
木箱はガタガタとしきりにゆれて、中から声がする。
「出して! 出して! まりさ、何にも悪いことしてないのに、なんでこんなひどいことするの! 早くゆっくりさせてね!」
「あら、わからないの。それじゃ、わかるまでその中でお友達と一緒にゆっくり考えなさい」
「やだ、こんなキタナイ虫、まりさの友達なんかじゃない! 早く出してね! ここじゃゆっくりできないよ!」
「汚いだなんて、黒くてすばしっこくて、まるであなたそっくりじゃないの。お友達にそんなこと言っちゃ失礼でしょう」
阿求はゆっくりと穴の底に木箱を下ろす。
木箱には「ゴキブリとゴミクズ」とかかれた札が張ってあった。
蓋が開かないよう、れいむのときと同じように縄で縛り付けてある。
中にはゆっくりまりさとゴキブリのつがいが入れてある。
阿求は、まりさの食事の仕方があまりにも見苦しいのでおしおきすることにしたのだ。
今度も一月ほど埋めておいて様子を見る予定だ。
木箱の上に土をかけて埋め戻し始める。
土をかけられる音を聞き、木箱の中の声が焦りを含む。
「ごめんなざいまりざがわるがっだでず、ゆるじでえぇぇえぇ、ごごじゃゆっくりでぎないぃぃぃ」
「あら、何が悪かったかわかったの」土をかける動きを一旦止める。
「わがんあい、わがんあいげどゆるじで、ごめんなざいごめんなざいごめんなざいぃぃ」
「わからないんじゃ許すわけにはいかないわねぇ、そこでゆっくりしなさい」
木箱の中からは依然として声が聞こえているが、それには構わず穴を埋め戻した。
阿求は、できればこの穴は掘り返したくないなあと考えていた。
『阿⑨正伝』より抜萃
最終更新:2008年09月14日 11:34