現代設定です
『夏の夕方の一幕』
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太陽の光がオレンジ色の日差しに変わり始めるころ、私は帰宅するために大通りから路地へとはいっていく。
強い西日とアスファルトからの放熱は、普段ならただ熱いだけで済むのだが、体調が芳しくない今は自分の命を秒刻みで切り取っていくように思えた。
頭が痛い
路地の奥のほうに入っていくと、老朽化から数年ほど前についに住人がすべていなくなったアパート群がある。
このアパート群、中央にある公園を中心として、東西南北に公園を囲む城壁のように立っている。
家に帰るには、中央の公園を通ってに敷地を南から北へと抜け、その後急斜面の坂を登らなければならない。
頭が痛い、胸に刺すような痛みが走る。
少し休まないと、冗談抜きに道端で倒れるかもしれない。
いつもなら通り抜けるだけの公園のベンチに腰掛ける。ちょうど木陰になっていて休みにはぴったりの場所だった。
頭が痛い、脂汗が出る
今日は模試だった。同じ予備校の生徒は今頃、校舎で仲のいい者同士で自己採点をして一喜一憂しているころだろう。
皆と違い、自分は一人でやるという違いはあるが、同じ場所にいるはずだった、しかしどうしても体調が悪くて帰ってきた。
頭が痛い、むかむかする。
自分は果して抜け出せるのだろうか?
志望校の倍率の数字が、去年より増えた。去年の倍率が例年より低かったからだろうか。
偏差値的になかなか手頃な国立大学で、今年はそこより少しレベルが低い者、高い者両方が流れてきているようだ。
成績としては、自分は今中間グループを走っている状態だ。去年と比べると、下がっている。
自分より成績の高い層が多く来ているのか?
努力は怠っていないつもりだ。自信はある、私は大学でやりたいことがあるのだ。
そのためなら勉強は苦ではない。
しかし抜け出せるだろうか、今のままで。
…いや、こんなことを考える暇があるのなら、家に帰って模試の復習をしなければ。
だが、あたまがいたい。
背もたれに体を預けて楽な姿勢で休んでいるが、気分も体もなかなか良くならない。
動く気にもならない。
その姿勢のまま辺りを見回す。
数年放置された建物で囲まれた空間は、不気味な雰囲気を感じるかもしれない。
だがオレンジ色の夕日に照らされ、耳に入る音が蝉の声と、遠くに聞こえる車の音しかない今のこの空間はなんとなく懐かしい気持ちになる。
ところどころ崩壊が始まっている建物は、変化しているはずだが逆に数年前から時間が止まっていると感じた。
そして、この建物たちが止まった時間以上に昔に引き戻されるような感覚。
今まで感じていた鬱屈した気分も少しは晴れるのを感じた。
――もし昔に戻れるのなら、今の状態をすべて投げ出してここで友達と遊んでいたころに戻りたい。
そんなどうしようもないことを考えていた時だった。
私から三、四mは離れところに、かつては花壇であったであろう草むらから丸い物体たちが現れた。
「おとーさん、おかーさん。いままで
ゆっくりありがとう…ちょっと遅くなったけど、まりさはひとりだちするよ!」
父まりさは今日、巣立ちの門出に立つ立派な娘、まりさを無言で眺める。
目には涙が今にもこぼれそうなほど溜まり、唇はぎゅっと締められている。
母れいむは今日、厳しい世界でこれから一人で生きていく、まだまだ半人前の娘のために涙も声も惜しまず垂れ流した。
「ゆゆぅ、おかーさん…けがも治ったし、ともだちのぱちゅりーやれいむといっしょにきょうりょくしていくからだいじょうぶだよ!」
娘のその言葉に母れいむもようやく泣きやみ、にっこりとゆっくりできる笑顔を浮かべると母親として、旅立ちの娘に言葉を贈った。
「ゆぐっ…そうだね…おちびちゃん。つらいときはいつでもかえってきてね。
おかーさんにとって、おちびちゃんはおとなになってもおかーさんのおちびちゃんだから…」
母親のその言葉に、笑顔で別れを告げようとしていたまりさもおもわず涙があふれてしまう。
母子でひしっと体をくっつけ、親子の愛と繋がりを確かめ合う。
やがて、訪れる別れの時間。そこで今まで口を開かなかった父まりさがようやく口を開く。
「おちびちゃん」
ようやく開いた父の口、娘のまりさは視線だけで返事を返す。
娘の様子を見た父まりさは軽くうなずくと、再び娘に語りかける。
「おちびちゃんは、まりさのおちびちゃんだよ。むれのおさのおちびちゃんだよ」
「だからじしんもって、みんなよりひとりだちがおそくなったけど、それはけがだからしかたのないことだからね」
「ほかのいえのこみたいに、おとなになってもひとりだちしない、くずとはちがうんだよ!」
「どりょくしても、せいちょうしないやくたたずでもないし」
「どりょくしたつもりでおわってるような、おばかさんでもないよ」
「だから、だいじょうぶだよ!」
娘まりさは、まりさ種にもかかわらず狩りがへたくそで、体も少し弱かった過去を思い出す。
いや、それはけっして過去のことではない。まりさとしての能力は平均よりもまだ低いだろう。
――自分の持って生まれた能力はとんでもなく低いのかもしれない。
――だがそれに甘えるつもりはない。
まりさはその言葉に力強くうなずくと、再び両親に育ててくれたお礼を述べ、仲間の待つ世界へと旅立っていった。
両親との別れで気付かなかったが自分の近くに、にんげんさんがいることにまりさは気付いた。
なんだかんだで好奇心の強いまりさは、まりさ種にしては遅い速さで近づいていく。
これから合流するぱちゅりーやれいむに話の種としてにんげんさんとお話しするのもいいかもしれない、
とまりさは思った。
私はゆっくりまりさが近づいてくるのを眺めた。
「にんげんさん、ゆっくりしていってね!」
私は、一応挨拶を返した。
「ゆゆっ、にんげんさんはなにをしているの?」
私は話したくもないし、話しかけられたくもないのでずっと黙っていた。
「まりさはね、きょうひとりだちしたんだよ、でもともだちのぱちゅりーとれいむといっしょだけどね!」
私は手のひらに汗を感じた。
「ゆっ、にんげんさん、おへんじしてよぅ…それともおつかれーなの?」
今までに何回か感じたことのある衝動が湧き上がる
「ゆっ、そうだねさっきからずーっとなにもしていないみたいだし。おつかれーなんだね」
これはシャーペンでも下敷きでもないし
「ごめんねにんげんさん、まりさおじゃまだったね、そこでゆっくりしていってね!」
私はまりさの頭をつかんだ。
「ゆゆっ!にんげんさん!まりさをはなしてね!」
私は嫉妬しているのだろうか、この生物に
「げんきになったんだねにんげんさん、でもいきなりあたまつかまないでね、びっくりしちゃうでしょ」
軽く握ったこぶしをまりさの前でぶらぶらとさせる。
まりさはそれを不思議そうに目で追いながら、こちらにはなしかけてくる
「すこしならおはなししてあげるよ、だからゆっくりおろ
まりさの言葉は途中で途切れる、口の中に拳を打ち込まれてしゃべれる者はなかなかいないだろう。
まりさの歯が折れる感触が拳を通してはっきりと伝わる。
奥歯以外はほとんど折れただろうか、正直かなり気持ちがよかった。
衝動を満たす。
見開かれた大きい目を指先でさわってみる。
その感触は柔かい寒天で、涙があふれているので指先を水に浸した感覚がして気持ちよかった。
つかんでいたまりさを仰向けにして押さえつけて、目玉の中心を指で少し陥没させた。
その目玉のくぼみにどんどん涙がたまっていき、人差し指の指先からの最初の関節までが涙の海に漬かる。
指先が目玉をひっかくように動かして遊んでいたが、涙がぬるくなってきて気持ちよさは半減してしまった。
鼻をふんっと鳴らすと、今度はピンと伸ばした指で目玉をブチ抜き体内まで侵入させる。
この感触は…昔よくやった、水田での泥遊びを思い出す。
足が泥につかったとき、意外と冷たくて驚いた。
あれほど冷たくはないが、気持ちよさとしてはよく似ている
まりさの体内は思いのほかひんやりとしていて、体内の人差し指だけ夏の暑さから逃れていた。
自分の体なのに、感じる温度が全く違う。その奇妙な感覚も懐かしい。
かつて泥遊びを思い出すように、関節を駆使して指を前後させる。
またまりさがうるさいので空いている手で黙らせた
こちらはだいぶ泥の中より動かしやすいが、それでも遊んだ時の感覚をまじまじと思いだせる。
力を込めているのになかなか動かないもどかしさ。機会があればまたやってみたいものだ。
この遊びも、まりさの体内が私の体温が移って生ぬるくなるまで続けた。
ゆっくりをいじめて懐かしい思い出を思い出すとは思わなかった。現実逃避かもしれないが懐かしいものは懐かしい
小学校まではずいぶんと遊んだが、いつの間にかやらなくなった。
まりさから離れて、まだ使える水道を開いて手を洗う。
最初は衝動からまりさを殴ったが、よくわからんうちに思い出に浸っていた。
痙攣しているまりさの元に戻る。
うーんと首をかしげながら砂糖水にぬれた残りの目玉をえぐりだし、黒蜜の入った寒天となった目玉を口に含む。
今度は和菓子の甘さに、田舎の昼下がりに出されたおやつを思い出す。
日ごろたまっていたストレスと不安、そして今日体調が悪いことと重なってか、ゆっくりにちょっかいをかけてしまった。
怒鳴りながら体当たりをしてきた大きいまりさとれいむを、小さい頃蹴飛ばしながら帰った小石の代わりにしながら、残り少ない帰り道を歩き始めた。
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最終更新:2011年07月28日 23:24