そんな男がとっくに日が変わった深夜に帰宅した。男は車で一時間ほどの所にあるソフト会社に勤務している。
IT土方、と揶揄されるこの業界の例に漏れず、男は激務の中に身をおいていた。最近は納期が近いこともあり、
土曜の出勤は当たり前、日曜日もろくに休めない状況が続いている。
車を下り、ネクタイを緩めながら鍵穴に鍵を差し込み、回そうとしたが、自分が望んだ方向に鍵穴が回らない。
首をひねりながら扉に手をかけると鍵はかかっていないことを証明するように開いた。男はひとつ舌打ちをして、
寝坊しあわてて家を出た今朝の自分を責めた。
とはいえ、鍵をかけ忘れたとはいえ、のどかな田舎町だ。鍵をかけてない家など珍しくないし、
泥棒が出たと言う話も聞かない。大して気に留めず家の中に足を踏み入れた瞬間、男は絶句した。
下駄箱の上に飾っていた花は玄関にぶちまけられ、見るも無残な姿になっている。
敷いていたクロスも泥にまみれたうえ、引きちぎられている。男は金魚のように
口をパクパクと開閉し、しばし呆然とした後にあわてて居間に駆け込み、絶句した。
居間にはバスケットボール大の
ゆっくりれいむとゆっくりまりさが男の父が大切に、
そして自慢していたマホガニー製のテーブルの上に鎮座し、眠っていた。
「ゆぅ……ゆぅ」
「ゆふん……ゆぅ」
男は言葉も出ない。目の前の生物が「ゆっくり」と呼ばれる生き物だと言うことは知っている。
この田舎町では農業を営むものが大勢おり、彼らにとってはゆっくりは害獣以外何者でもない。
今朝も、芋穴に保存しておいたサツマイモを食い荒らされたと言う憎憎しい愚痴を聞いたばかりだ。
そんなゆっくりは、人間の家屋に侵入し住み着こうとする事件も時々見られた。
前述したとおり、このあたりでは鍵をかけない家も数多く見られるがそんな家を狙って
ゆっくりが侵入する事件が発生している。そんなとこもあり、最近ではこのあたりでも
鍵をかける習慣が身に付きつつあった。
辺りを見回した男は、部屋の被害状況に目をしかめ顔を伏せた後、声を上げた。
「おい、起きろ」
声をかけたが、起きる気配がない。ため息をひとつつき、2匹が眠るテーブルの上に手のひらを落とした。
バシン、と大きな音が鳴り響き、2匹がびくっと体を震わせ目を覚ました。
「ゆ、うるさいよ……ゆぅ」
れいむのほうは寝起きが悪いのか、目を覚ましてもあらぬ方向をボーっと見つめていた。
「ゆゆ、にんげん! ここはれいむとまりさのおうちだよ! ゆっくりしないででていってね!」
まりさのほうはそれなりに危機意識があるようだ。目が覚めた瞬間に男に噛み付く。
これが俗に「おうち宣言」と言われるやつなのか、と男は怒りを抑えながら思った。
「違う。ここは俺の家。さっさと出て行ってくれ。まったく、こんなに散らかして……」
「ちがうよ! ここはまりさがみつけたからまりさたちのものだよ! おじさんはゆっくりでていってね!」
男の言葉をさえぎってまりさは自分の主張を男にぶつける。
そして、その叫び声にさすがのれいむも目が覚めたようでまりさに追随する。
「そうだよ! さっさとでていってね!」
男は大きくため息をついた。世の中にはゆっくりを虐待する嗜好を持つ人間、
通称『虐待お兄さん』と呼ばれる人種が居る。今まで男はそういった人種の思考が
理解できなかったが、彼らの気持ちが若干わかる気がした。
とは言え、男はそこで虐待に踏み切るほどタガの外れた人間でもなかった。
所詮ゆっくりは野生動物。人語をしゃべり、ある程度の意思疎通ができるとは言え
同じレベルで会話をしようとしても不毛なだけである。そう男は思い、並んで男を
威嚇するに引きの髪の毛を掴んで持ち上げた。
「ゆゆ! いたいよ! ゆっくりしないではなしてね!」
「どうしてこんなことするのぉぉぉ!」
まりさは突然の仕打ちに声を荒げ、れいむは髪を引っ張られる痛みに涙を流す。
男はそれを無視し、玄関の扉を開けて二人を外へと放り投げた。
「ゆびっ!」
「ゆべっ!」
地面にたたきつけられた拍子に二人そろって鈍い声を漏らす。それと同時に、男は扉に鍵をかけ、踵を返した。
「さて、ざっとだけ掃除して寝よう……」
「かえして! まりさたちのおうちかえして!」
「ゆっくりしないであけてね! あけてね!」
一人暮らしに特有の癖である独り言をもらしたとき、扉から鈍い音が聞こえる。
どうやら、放り出したゆっくりたちが扉に体当たりを試みているようだった。
冒頭で述べたとおり、近所に家はないため迷惑にはならないだろうが、あまりの五月蝿さに眉をしかめた。
「おじさんはしね! まりさたちのおうちからでていってゆっくりしね!」
「ゆっくりしんでね!」
再び怒りが湧き上がるが、無視を決め込み掃除を始めた。幸い、
物損被害は玄関のクロスと数点の雑誌ぐらいであった。残りは掃除をすれば何とかなるレベルである。
食料の被害も、山盛りのみかんで満足したようで冷蔵庫などに被害はなかった。
雑巾と箒を持ち出し、簡単に掃除を始める。父が大切にしていたテーブルは泥とみかんの汁で
ベタベタになっており、それを掃除しているさなかはかなり腹が立ったが不毛だと思い黙って掃除を続けた。
「あけて! おねがいだからあけてね!」
「よるのおそとはいやだよ! おねがいだからあけて!」
そんな最中でも外の2匹は必死で叫んでいた。最初は高圧的だった叫びもだんだん自信なさげに
必死な様相が浮かんでくる。それでも男は無視し続けたが、次に聞こえたゆっくりの言葉に重い腰を上げた。
「おねがいでずぅぅぅぅ。れいむのおながのながにばあがぢゃんがいるんでずぅぅぅぅ」
「おねがいだがらあげでねぇぇぇぇ」
身重だったのか、と男は思った。確かに身重の妻を連れて野生動物が闊歩する夜の山に
帰るのは非常にリスクが高いだろう。はぁ、とひとつため息をつき玄関に散らばった
花瓶のかけらを拾い集めたあと、扉を開けた。
「ゆ!? おじさんやっとでてきたね! さっさと」
「一晩だけ泊めてやる」
相手の流儀に則って、台詞をさえぎって自分の意思のみを伝える。
まりさは5秒ほどぽかんとして、再び反論する。
「なにいってるの!? ここはまりさたちの」
「じゃあ帰れ」
相手が言い終わるのを待たず、扉を閉めた。すると、途端にわめきだした。
「ごべんなざいいいいぃぃぃぃ! ばりざがわるがっだでずぅぅぅ」
「あげでぐだじゃいいいいいい!」
やれやれ、と再びため息をつき、男は再び扉を開けた。