こんな感じで、れいむの虐待は毎日のように行われていった。
過ぎてしまえば、長いようで短かった一か月。
れいむは何度心が折れてしまいそうになったか分からない。実際、折れた方がどれだけ楽だっただろうか。
しかし、その度にれいむの心を救ってくれたのは、同じく男に虐待を受けるまりさとありすの存在であった。
男は初日の説明通り、一日一時間の虐待を済ませると、きっちりと虐待を止めて、れいむを元の部屋に帰してくれた。
本当に虐待以外に興味がないのか、虐待時間以外は決してれいむたちに干渉してこなかった。
そのため、残りの23時間は、部屋から出れないことを除けば、自由に過ごすことが出来た。
れいむは一日の大半を、寝て過ごす。
虐待時間は一時間とは言え、あまりに過密な内容に、十分な休息を取らなければ、それこそいつ死んでもおかしくないからだ。
まりさやありすも同様に、大半を休息で過ごしているそうだ。
その後、起きたら食事の時間である。
部屋にはドッグフードと水が毎日欠かさず用意されており、その点に関してだけ言えば、森での生活より遥かにゴージャスであった。
とは言え、初日のように体が受け付けないことも多く、楽しい食事とはそうそういかない。
それでも、体力回復には食事を取らなければならないこともあり、れいむはどんなに苦しくても、毎日食事を取り続けた。
その後はまりさ・ありすを交えての意見交換会。
三匹で集まれる時間はあまり長いものではないが、これがれいむの一日の中で最大の楽しみであった。
内容は、今日はどんな虐待をされたのかとか、これこれこうすればあんまり痛くないだとか、明日はきっとこんなことをされるに違いないといった虐待に関することが半分。
そしてもう半分は、ただただ無駄話の駄弁りである。
大抵は男の悪口であったり、自分はどこどこの森で暮らしていただとか、昔こんなことをしたことがあるとかいった世間話だ。
もしこの時間がなくなれば、それこそれいむの心は早々に折れていたことだろう。
まりさとありすが居るからこそ、れいむは心を保ち続けることが出来、未だ信じるに足らないが、「飽きたら森に帰す」という男の言葉を微かな希望として生き続けている。
どれか一つ欠けても、先はないのだ。
まりさとありすと言えば、この一か月の間に二匹に対する感情も変化していった。
まずはまりさ。
出会ったときから美ゆっくりであったまりさへの親愛度は高かったが、今では以前に輪をかけて大きなものになっている。
最初は単なる一目惚れであったが、今では間違いなく、れいむはまりさに惚れ込んでいた。
会話を交わしていて分かったのだが、まずまりさは頭がいいのだ。
無論、所詮はゆっくりの中でのことであり、人間や妖怪とは比べられないが、それでも母ぱちゅりーに匹敵するのではというほどの知識を溜めこんでいる。
聞けば、まりさの片親もぱちゅりーであり、幼い頃から様々なことを教え込まれてきたらしい。
今後使う機会があればよいが、丈夫な家の作り方や安全なキノコの見分け方など生活の知恵からちょっとした雑学まで、れいむとありすに懇切丁寧に教えてくれる。
また、リーダーシップにも長けていた。
まりさは三匹の中で一番年長であり、自然とまとめ役をこなすことが多い。まりさ種特有の気質も無関係ではないだろう。
れいむとありすが喧嘩した時もうまく収めてくれたし、三匹の意見が食い違うことがあっても、常に一歩引いて二匹を立ててくれる。
こういうさり気なさがまりさの魅力を引き出しており、結果、れいむのまりさへの好意は急上昇していったのである。
続いてありすであるが、最初はれいむにとって、あまりいい印象を持つゆっくりではなかった。
しかし、今ではれいむの親友であると、はっきりと断言できる存在となっていた。
ありすについて真っ先にいうなら、とても優しいゆっくりだということである。
自身も辛い目に遭わされているにも関わらず、常にれいむとまりさの心配を優先し、自分は二の次に置いていた。
以前、れいむが寝れなかった時など、ありす自身も辛いはずなのに、一晩中、れいむの話し相手をしてくれたことがあった。
都会派を気取るところは最初から変わりないが、それはありす特有の照れ隠しの場合が多く、付き合いが続けば自然とそれが理解出来るようになっていた。
そんなありすであるが、小さい頃から親まりさ一匹に育てられたらしい。
れいむがうっかりと「おとうさんはどうしたの?」と聞いてしまったことがあって、すぐに失敗したと思った。
こういう場合、大抵れみりゃや野生動物に食べられたか、人間に捕まったかのどちらかであるからだ。
しかし、ありすから返ってきたのはそのどちらでもなかった。
ありすの親ありすは、なんとレイパーだというのだ!!
これには、れいむばかりかまりさも驚愕した。
レイパーありすは、無理やり親まりさをすっきりさせると、親まりさを置いてどこかに行ってしまったらしい。
その後、ありすは親まりさ一匹で育てられたそうだ。
レイパーから生まれたありすは、高確率でレイパーになることが多い。
先天的にレイパーの因子を持つことと、望まれないで生まれてきたことによる親からの愛情不足、生活環境の乱れが、レイパーへと成長させる主な原因である。
しかし、このありすはレイパーの子供でありながら、とてもレイパーを憎んでいた。
望まれて生まれて来たわけではなく、周りのゆっくりたちはそんなありすをレイパーの子と蔑んだが、親まりさはありすを憎むどころか、自分の子供としてしっかりと育ててくれた。
その過程を見て育ったありすは、親まりさを心の底から尊敬し、愛し、レイパーを憎んだ。
自分は決してレイパーなどという下品で下等なゆっくりにはならないと心に誓い、常に他者を思いやる心を持ち続けようと、今日まで頑張ってきたのだという。
それが、この慈愛に満ちたありすなのだろう。
れいむは、見もせず伝聞だけでありす種すべてを嫌っていたことを恥じ、ありすに謝罪した。
ありすは、そんなれいむに怒ることはなく、「仕方がないわ」と笑って許してくれた。
それ以来、二匹は親友と呼べるようになった。
二匹の年齢がほぼ同じくらいなのも、それに輪をかける結果となったのだろう。
これが現在のれいむの二匹に対する感情である。
男の虐待がなければ、三匹仲良くいつまでもゆっくり出来たことだろう。
男に連れてこられなければ出会うこともなかったのだが、例えそうだとしてもれいむはそれが悔しくて仕方がなかった。
しかし、男の虐待は、ここにきてようやくターニングポイントを通過したことを、この時のれいむは知る由もなかったのである。
翌日、今日も一日が始まる。
男が三匹に虐待する時間はほぼ決まっており、今日もその時間がやってきた。
虐待の順番は、まりさ→ありす→れいむ→まりさ→ありす→れいむ→まりさ→……とサイクルが決められており、昨日はありすが一番だったので、今日はれいむが最初である。
ところが、男はれいむの部屋になかなか入って来ることはなかった。
いつもなら入ってくるや、れいむを木箱に詰めて虐待部屋に連れていくのだが、いったいどうしたのだろう。
男が居ないわけではない。
現にここまでの足音はしっかりと聞こえているので、扉のすぐ前に男は居るはずなのだ。
順番を忘れたのだろうか? もしかしたら今日は虐待されないんじゃ……
れいむがそんなあり得ないことを考えていると、男がようやくリアクションを見せた。
れいむの部屋を開けることなく、壁越しに大きな声で言葉をかけてくる。
れいむだけでなく、まりさとありすにも聞こえるように、そこから話しているのだろう。
「お前たち、よく聞け。今日から虐待の一部を変更する」
「ゆっ!?」
虐待の一部変更?
一体今さら何を変更するというのだ?
まさか時間を延ばすのだろうか? それとも更なる痛みに耐えなければならないとか?
まさか、虐待に飽きたから殺されるんじゃ!!
れいむは焦った。
何しろ今日の虐待はれいむが最初なのだ。
全く心構えが出来ていない。
しかし、男はそんなれいむの心情を知ってか、「怯えているようだな」と前置きをして、説明を続けた。
「心配することはない。虐待方法は、前と変わりはない。時間はきっちり一時間だし、決して殺すまで傷めつけたりはしない。
他の時間は何をしても構わない。寝るのも食べるのも三匹で語り合うのも、お前たちの自由だ」
「ゆっ……それじゃあ……」
「変えることはただ一つ。今日から、お前たちの中の一匹だけを虐待することにする」
「ゆゆっ!!」
一匹だけ?
ってことは、残された二匹は虐待されずに済むってこと?
でもそんな都合のいい話があるだろうか?
かつては疑うことを知らなかったれいむも、今ではすっかり俗世の垢にまみれ、あらゆることに考えを向けるようになっていた。
あれだけ虐待の好きな男が、一匹だけを虐待し、他の二匹を虐待しないなんてそんな甘いことをするだろうか?
れいむがその旨を男にそれを問いただす。
男も予め予想が付いていたのだろう。れいむの質問に、淀みなく返事を返してくれた。
「その通り。今日からは一匹だけを虐待し、他の二匹は虐待しない」
「ゆゆっ!!」
れいむはその言葉に、あんぐりと口を開けた。
あり得ない。あり得るわけがなかった。
余りにも自分達に都合がよすぎる。なぜ今頃になって、男がそんなことを言ってくるのか、全く理解が出来なかった。
何か裏があることは間違いないだろう。
男はまたしてもれいむの心を悟ったように、続けてくる。
「どうやら、何か裏があるんじゃないかって疑っているようだな? まあ、今までの経緯を見れば、お前らが俺を疑うのは当たり前だな。
だが、この話に裏はない。一日の虐待は一匹のみ、他の二匹は今日から虐待をされなくなる。この話は真実だ。ただし、裏ではないが一つだけ条件がある」
れいむはほら来たと思いつつも、言葉に出さずに男のいう条件に耳を傾けた。
「虐待されるゆっくりは、俺が決めるのではなく、お前らが選出する。これが条件だ」
「ゆっ!! れいむたちがえらぶの?」
「その通り。相談して誰が虐待されるかを選び、選ばれたゆっくりだけが虐待され、他の二匹はその日は解放される。次の日は誰、次の日は誰と、毎日決めるんだ。
自分で立候補してもいいし、多数決で決めても構わない。毎日、同じ奴が虐待されても構わないし、三匹仲良く順番に虐待されてもいい。決めるのはお前らだ。
ただ、お前らが虐待される一匹を選出できなかった場合、その日は今まで通り三匹全員を虐待する。無論、それでも俺は構わないが」
「ゆぅぅぅ……」
男の言葉に、れいむは悩んだ。
未だ完全に男の話を鵜呑みには出来ないものの、もし話が本当だとするなら、自分たちにとってこれほど都合のいいことはない。
しかし、自分たちが選ばなくてはならないというのが一番の問題だ。
誰か一匹を選ぶということは、その日の生贄を選ぶということである。
れいむは二匹を親友だと思っている。
向こうもれいむを親友であると思ってくれているという自負がある。
たかが一か月の付き合いだが、今や二匹は自身の一生をかけても惜しくない存在になっている。
本心である。
嘘ではない、嘘ではない、が……
あの虐待と友情を天秤にかけると、それが揺らいでしまう自分がいることに、れいむは気付き愕然とした。
それだけ男の提案は魅力的なのだ。
もし生贄に選ばれさえしなければ、森に解放されるその日まで、ずっと虐待されなくなる可能性があるのだ。
あの地獄の苦しみにも匹敵するほどの暴力を、その身に受ける必要がなくなるかもしれないのだ。
忘れかけていたゆっくりした日々を、再びおくることが出来るかもしれないのだ。
どうして簡単に結論を出せるだろう。
虐待される者を選ばないという選択肢は、初めから却下だ。
せっかくのチャンスを不意にするような馬鹿者はここにはいない。
これをするくらいなら、三匹でサイクルで回すほうが効率的だ、というかサイクル回しこそが、この場合最もベストな案であろう。
これなら全員等しく虐待されるので、友情面は何ら変わらない。
しかし、虐待時間は三日に一度、今までの1/3で済むことになるのだ。
もし、今日虐待されるのが誰かで揉めるようなことがあれば、そこはれいむが立候補すればいい。
元々今日最初に虐待されるはずだったのはれいむなのだ。
それに今日虐待されてしまえば、明日明後日は平穏に過ごすことが出来る。
早いか遅いかの違いである。
と、ここまで考えたが、れいむはそれをまりさとありすに言い出しきれなかった。
確かに三匹を平等に考えれば、これがベストな案なのは間違いない。
しかしながら、自身だけに重きを置けば、永遠にゆっくりすることすら可能な選択がある。
二匹との友情は壊したくない。
けれども、相談次第では虐待されないかもしれないチャンスがあるのを、みすみす逃したくはない。
虐待は怖い、痛い、辛い。二度と受けたくはない。
でもまりさとありすに、れいむの代わりに虐待されろとは言えるはずがない。
このジレンマが、れいむの心に重くのしかかる。
そんなれいむの葛藤を余所に、男は言葉をドア越しに言葉をかけてくる。
「まあ、いきなり決めろって言ったって、すぐには思いつかんだろう。一時間後また来る。その時まで、今日誰が虐待されるか考えておけ。決まらなかったら、全員を虐待するからな」
そう言って、男の足音は遠ざかっていく。
が、次の瞬間、沈黙を続けていたまりさが、いきなり声を上げた。
「おにいさん、ちょっとまってね!!」
「ん? なんだ、まりさ?」
男の足音が止まり、再びこちらに近づいてくる。
れいむは、まりさが何を言うのか分からなかった。
まだ三匹で相談はしていない。誰が生贄になるか決まっていない。
何か聞き洩らしたことでもあったのだろうか?
すると、まりさはれいむの予想に反して、とんでもないことを言い出してきた。
「おにいさん!! まりさがぎゃくたいされるよ!! だから、れいむとありすにはぜったいになにもしないでね!!」
これにはれいむも唖然とさせられた。
隣にいるであろうありすもそう思ったのだろう。
黙っていられなかったのか、声を出してくる。
「ま、まりさ!! まだそうだんしていないのよ!! それなのに、じぶんからすすんでいじめられるなんて!!」
「わかってるよ、ありす!!」
「ほんとうにわかってるの!! いじめられるのよ!! いたいのよ!! それをじぶんからうけるなんて!!」
ありすは、信じられないといった声色で、まりさに問いかける。
そんなありすの言葉に続いて、男も質問を返してくる。
男にとっても、予想外の展開だったのだろう。
しかし、まりさの返答は変わりはしなかった。
「……本当にいいのか、まりさ?」
「いいんだよ!! まりさがぎゃくたいされるよ!!」
「本当に分かっているのか? ありすのセリフではないが、虐待されるんだぞ。あの痛みを忘れたのか? あの苦しさを再び味わいたいのか? それを自分から進んで買って出るなんて正気か?」
全くもってありすと男の言う通りである。二人はれいむのセリフをすべて代弁してくれた。
賢いまりさのことだ。
れいむと同じ考えに行きついていないはずはないだろう。
それなのに、自分から進んで地獄に飛び込むなんて、まりさはいったい如何してしまったのだ!!
「……ぎゃくたいはまりさもこわいよ」
「だろうな」
「できるなられいむとありすといっしょにいつまでもゆっくりしていたいよ!!」
「ならなぜ自分から進んで虐待されようとする?」
まりさは、男の問いに少し間を置いた後、おもむろに語りだした。
「ぎゃくたいはされたくないよ!! でも、れいむとありすがぎゃくたいされるのは、もっといやだよ!!」
この言葉には、男ばかりかれいむも言葉を失った。
まりさが、自分から進んで志願した理由。
それは、れいむとありすを守るためだというのだ!!
れいむは心を叩きつけられるような衝撃を受けた。
れいむにとって、まりさとありすは大切な存在だ。しかし、一方で虐待は受けたくない。
れいむは友情と虐待を天秤にかけて選びきれなかった。
精々譲れない妥協点として、三匹でサイクル回しをすることを考え付いただけ。
自分の被る被害をなんとか最小限にしようということばかり考えていた。
このれいむ考えを非難することなど、誰にも出来はしないだろう。
人間や妖怪ですら、心を強く持つことはとても難しいことなのだ。
増してや、幻想郷におけるヒエラルキーの下層に位置するゆっくりだ。
自分のことを第一に考えても、それは決して責められるべきことではない。
しかし、まりさは違った。
弱いゆっくりという身でありながら、自分よりれいむとありすを優先させた。
自分が被る被害など、初めから頭になかったのだ。
「……それじゃあ何か、お前は二匹の為に進んで虐待を受けるというのか?」
「そうだよ!! ゆっくりまりさだけにぎゃくたいしてね!!」
「二匹の為ってことは、今日だけじゃなく、明日も明後日もお前が虐待を受けるのか?」
「そうだよ!! まりさがゆっくりまいにちぎゃくたいされるよ!!」
「やはり正気の沙汰じゃないな……そんなことをして何になる。自分だけが虐待されるなんて、不公平だとは思わないのか?
お前が俺に酷い虐待されている時、他の二匹は悠々とゆっくりを満喫しているんだぞ。妬ましいと思わないのか?
毎日三匹交替で虐待されていけば、全員公平なんだぞ。それが分からないのか?」
「おにいさんおいうことはわかるよ!! でもまりさは、このなかでいちばんおねえさんなんだよ!! だから、がんばらなくちゃいけないんだよ!!
それに、まりさのおかあさんがむかしいってたよ!! だいすきなゆっくりは、じぶんをぎせいにしても、まもらなくちゃならないって!!
まりさもそうおもうよ!! だから、だいすきなれいむとありすのぶんまで、まりさががんばらなくちゃならないんだよ!!」
「……いいだろう。そこまでいうなら、お前の意地を見せてもらおうか。今日の生贄はお前で決まりだが、明日は明日でもう一度決めるチャンスをやろう。
いつでも今の言葉を撤回して構わない。あまり意固地にはならないことだ」
そう言って、男は隣でゴソゴソ物音を立てる。
まりさを連れていこうとしているのだろう。
「まりさっ!!」
れいむは、そんなまりさに言葉をかけた。
何か言いたいことがあったわけではない。
いや、違う。言いたいことはたくさんあったが、いったい何から伝えればいいのか、考えを纏められないでいたのだ。
まりさの自己犠牲をもいとわない尊い精神と、れいむたちへの深い愛情に対し、いったいどんな言葉で返せばいいのか分からなかった。
自分が何か言ったところで、陳腐な言葉しか掛けられないだろう。
それでも、何か言わなければならない。言わずにいられない。
強迫観念にも似た思いで、まりさの名だけ口にする。
そして壁越しに聞こえてくるまりさの声。
「だいじょうぶだよ、れいむ!! ありす!! まりさはへいきだよ!! どうせいつもとおんなじだよ!! すぐにもどってくるから、ゆっくりまっててね!!」
それだけ言って、男の足音は徐々に遠ざかっていった。
「まりさ……」
再度れいむの口から出てくるまりさの名前。
れいむは、ただただまりさが無事に帰ってきますようにと、必死で願い続けた。
「れいむ……まりさ、つれていかれちゃったね」
ありすが壁越しに言葉をかけてくる。
それに対し、れいむは一言、「そうだね……」と返しただけであった。
何を話せばいいのか分からなかったのだ。
まりさのおかげで、自分たちは今日は虐待されないだろう。
それは、れいむの然程長くない人生の中で、最も嬉しい瞬間であった。
それと同時に、れいむの人生の中で、とても悔しい瞬間でもあった。
まりさの無事を願う反面、虐待されなくて良かったなんて思っている自分がいる。
なんて醜いのだろう。
まりさを助けたい。まりさの役に立ちたい。
もし自分から名乗り出れば、明日はまりさは虐待されないだろう。男も続けてまりさを虐待するくらいなら、きっとれいむを選ぶだろう。
まりさに対して胸を張れるだろう。
しかし、れいむには自分を虐待しろなんて男に言えない。言い出せない。言いだす勇気が持てない。
虐待はされたくない。虐待は怖い。
でも、まりさは助けたい。
れいむの葛藤は計り知れなかった。
おそらくありすもれいむと同じ気持ちなのだろう。
最初の言葉以外、れいむに話しかけてこなかった。
ここに来て以来、初めて味わうゆっくりした一日だというのに、何でこんなに気が晴れないのだろう。
モヤモヤした気持ちは一時間後、虐待を終えた男がまりさを連れてくるまで続いた。
「明日の虐待は今日とは比べ物にならないほどキツイ。安易に自分がなんて、言わない方が身のためだ」
まりさを部屋に戻し、男が挑発してくる。
しかし、まりさの意志は変わらなかった。
「ゆぅゆぅ……ゆぅ………あ、あしたも……まりさがぎゃくた…い……されるよ……れいむとあり……すはいじめ………ない……で…ね……」
苦しそうな声で、しかし、きっぱりと男の言葉を否定するまりさ。
男はそんなまりさを苦々しく思ったのか、「ちっ!」と舌打ちをして、去って行った。
男が行った後も、まりさは荒い息を吐いている。
相当きつい虐待を受けたことが、姿を見ずとも容易に感じられた。
「まりさ……だいじょうぶ?」
なんて声をかければよいのか分からず、れいむは在り来たりな言葉を口にする。
対して、まりさは「ゆっ!! へいき…だよ!! ぜんぜん……へっちゃら…だよ!!」と、不安を見せまいと虚勢を張ってきた。
それが一層れいむの心をかき乱す。
とにかくなんか言葉をかけなければ!!
焦るれいむは、思ったことを適当につなげ、言葉を紡ぐ。
「まりさ、ゆっくりありがとう!! まりさはすごいよ!! やっぱりえらいね!! まりさのおかげで、れいむとありすは、ぎゃくたいされなかったよ!! ゆっくりかっこいいね!! きょうはゆっくりやすんでね!!」
「そうだよ、まりさ!! ゆっくりねむってね!!」
れいむに続いて、ありすも言葉を投げかける。
ありすもどうやら何を言えばよいか分からなかったと見える。
他人を特に気遣うありすだ。
れいむ同様、まりさを頼り切った状況に、悔しく思っているに違いない。
「ありが…とう、れいむ、ありす!! まりさ、ゆっく……りおひるねす……るね……」
まりさはそう返すと、その後、何も言ってこなくなった。
おそらく毛布に包まって、寝入ったのだろう。
今までの日課のパターンと同じである。
れいむとありすは、まりさを起こさないように、「しずかにしようね!」と口裏を合わせ、その後一切の会話をしなかった。
れいむは、まりさの心意気を無駄にしないためにも、精一杯ゆっくりさせてもらうことにした。
この日、れいむの体は久しぶりにゆっくりを味わった。
この日、れいむの心は、一日中ゆっくり出来なかった。
最終更新:2008年12月11日 00:21