「お、友世。なにしてんの?」
列島を、久しぶりに強烈な寒波が襲った日の昼下がり。
両手に荷物を抱えた少女は、自分を呼び止める声に振り向いた。
「あ、珠緒ちゃん」
「どうせまたこき使われて……って、なんやそれ?」
友世と呼んだ少女が何かとこき使われているのはいつもの事。
難儀なやっちゃと肩を竦めようとして、彼女は友世が抱える箱に宅配伝票が貼られている事に気が付いた。
メガネの位置を直し、薮睨みに見つめた送り先は、遠い、遠い場所の名前。
「ん? 荷物。送り返すものと、仕舞っておくのと、捨てちゃうやつと」
「ああ、なるほどな。で、今度は誰なん?」
彼女がこき使われるのと同じ位に、ここから誰かが居なくなるなんてのはよくある事だ。
気がついたら居なくなっていたなんて事もざらだし、本人が言おうとしない限りいちいち問い詰める者もそうは居ない。
「429号室」
友世が告げた部屋番号に、珠緒の眉がぴくりと跳ね上がる。
「ホンマか? おらへんようになったんと違って?」
「うん。本人から学園に連絡があったって」
「……そうか。それやったらしゃあないな」
残念やけどな、と珠緒は視線を傾けた。
窓の外に広がるのは一面の冬景色。
純白に彩られた美しい景色のはずだが、今は何故かモノトーンの味気ない世界に思える。
「きっといいんだよ、これで」
「……そやな」
隣に並んだ友世の言葉に、珠緒は小さく頷く。
ここは特殊な界隈だ。
好き好んで居る間ならともかく、そうでなくなったらば離れていくに越した事は無い。
「ま、ええわ。暇な奴二人ほど知っとるから声かけたるよ」
「あ……」
踏ん切りをつけるように一つ頷き、珠緒は携帯を取り出して誰かに連絡をつけ始める。
どうやら手遅れらしいと踏んで、友世は断ろうと伸ばした手を下ろした。
そのまま、何とはなしにまた外へと視線を戻す。
運動場の端に広がる森、そこには未だに多くの
ゆっくりが生息している。
最近は特に用も無いので行っていないが、ちゃんと無事に冬を越してくれるだろうか。
今年のような人工繁殖地獄は御免被りたい。
アレは酷かった。
んほおおおおおおおおおお!
んほおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!
んほおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!
一時期は脳裏にあの愉悦の嬌声がこびり付いて、夜も眠れなかったほどだ。
……思い出したくないもの、思い出しちゃった。
自分の記憶力にうんざりした渋面を浮かべ、彼女は脳裏の回想を断ち切ろうとすべく、更なる逃避を始めようとする。
元々自信なさげに伏せ気味な目付きのため、知らぬものが見れば眠りに就く寸前のように細められた目。
「オッケー、二人とも来れるってさ。ま、とりあえずはそれやな」
ぼんやりとしている間に電話は終わっていたらしい。
我に返った友世の視界には、荷物を分けようと屈む珠緒の後頭部。
「……? どないした? とりあえず伝票ついとるのと付いて無いので分けたらええんやろ?」
「え、ああ、うん」
まだどこかぼんやりしたように頷いて、友世も一緒に荷物の仕分けを始める。
「――よっ、と。ほな伝票付いてるのは詰め所やな」
伝票付きの荷物を珠緒、それ以外を友世が持って、二人は並んで歩き始めた。
倉庫に行くまでの間に玄関があるから、そこまでは同じ道だ。
「なあ、おらんようになった奴が面倒見てたゆっくりはどないするんや? 処分とかになるんか?」
「基本的には」
珠緒の問いに、友世は遠慮がちに頷く。
せっかく育てたものを、ゴミのように捨てられるのは相も変わらず少々へこむ。
「そらちょっと可哀相ちゃうの? 少しくらいやったらうちがもったるよ?」
それを察したような提案を、僅かに先行しているため振り返りながら珠緒が続ける。
情のある話のようだが、内実はちょっと違う。
彼女が相手にしている少女は、ここでは珍しく飼育などを担当していた。
数を少しちょろまかすことくらい、造作も無い立場。
要するに、そういう用途のゆっくりをこっそりと、少しばかり分けてほしいと言う事だ。
「実験用の奴を自分の分とすりかえようとしてない? そういう事があるからの殺処分だし。楽しようたって、そううまくはいかないよ」
「ほな、普通の奴はどうなんや? ただのタグ付きの奴とか」
だが、返ってきたのはそんな考えはお見通しとばかりに笑み交じりの声。
しかし珠緒も食い下がる。
それならば、他の授業と何の関係無いゆっくりならば、貰ったところで悪い道理はないだろう。
そんな考えがありありだ。
「見つけた分だと、全部死んじゃってたけど」
「なんでや」
あれ、と友世が右手を指差した。
それを追うようにして珠緒が首を巡らせた先。
「今日は凍り饅頭が大量でさ」
今朝から何度も見た、積もり積もった雪の世界。
雪かきが面倒だからと、足を潰して逃走を封じたれてぃに雪を食わせ、除雪に勤しむ者たちの姿も見える。
誰もがこんもりと着膨れているが、恐らくローテーションで作業しているはずだ。
今日の寒さは長居すれば人間だって楽に死ねる。
いわんや、ゆっくりなど。
「多分、出て行くからって逃がしてあげたんだろうけど……。屋内育ちじゃあ、ねぇ」
「……そうか」
完膚なきまでの現実に、珠緒はがっくり肩を落とす。
「そもそも珠ちゃんは消費ペースがちょっと多すぎ。冬の間くらい自重してね?」
「えー?」
「来年の割り当てが繁殖用ありすオンリーになるかも」
「そら困る。自重せんとあかんなぁ」
脅しめいた会話だが、二人の声は揃って苦笑めいた響き。
そもそも友世もまともな答えを期待していない。
止められるものなら止めている。
迷惑をかけないように、この隔離された学園が存在するのだから。
「ほな、うちは。もうすぐ二人も来ると思うけどな」
「うん、ありがと」
荷物が半分になったため、思ったよりも早くロビーへと辿り着いた。
足だけで器用に靴を脱ぎ換え、雪の舞う中を行く珠緒の背を見送る友世。
その先には外界とこことを途絶する門が存在する。
ここに正しく在ろうとする者には、この学園の門戸はいつでも開かれている。
去るも自由、戻るも自由。
きっとまた、誰かがこの門を叩き、あるいは去っていくことなのだろう。
自分の居場所を見つけること。
それがここであるということが幸せなのか、そうでないのか。
自分の答えと他人の答えが違う事は理解している。
だから彼女がそれを誰かに問う事は無い。
そして、友世はゆっくりと自分の仕事を果たすため、玄関に背を向け倉庫の方へと歩き出した。
この学園には、一つの部屋があるという。
そこには、この曰くつきの学園を去って行った者達が残した、多くの品が眠っているという。
またいつか、新しい人材が来たときには持ち出され、彼女達の生活の糧となり、そしてまた役目を終えればひっそりとここで眠るのだ。
生徒達が去り、その姿が消えても、残していったものが消えてなくなる事は無い。
そして今日もまた。
この学園を去って行った生徒が使っていた品の確認が行われていた。
彼女はしきりにリストと集められた品とを見比べて、しっかりと整理されている事を確認する。
やがて、リストを確認し終えたのか。
少女は紙から顔を上げて、部屋の出口へと足を向けた。
ドアに手をかけたところで、細い指がすぐ脇にある照明のスイッチに伸びる。
かちり、とあっけない音とともに部屋の中に闇が落ちる。
「それじゃ、お疲れ様でした」
一礼とともに少女の声が最後に小さく響き、その身も扉の向こうへ消えた。
部屋の扉が閉ざされる。
最早そこにあるのは、ただ静けさに満たされた空間だ。
また誰かが来るのをこの部屋は待っているのだろうか。
あるいは、誰も来ない事を望んでいるのだろうか。
それは誰にも判らない。
部屋は今日も静かにそこに佇んでいる。
終わり
「で、この三角木馬はどうしたらいいの……」
最終更新:2009年03月05日 01:05