- 現代もの
- ゲス、レイパー、ドス
- バッジ設定あり
- 俺設定
- 虐待分薄め?
渡された資料に目を通しながら、俺は編集長に言った。
都内にある、とある出版社の編集部。俺はここでゆっくりの総合雑誌である『月刊ゆっく
り』の作成に携わっている。
ゆっくりの生態から飼い方、取引価格の相場に法改正の動き、愛でに虐待と何でもござれ
の雑誌だ。愛でと虐待のページがそれぞれを好む読者への配慮として閉じられているため、
全体の半分が袋とじという妙な外見となっている。
五十代も半ばを過ぎた上司は、かけた眼鏡を押し上げてから俺の言葉に頷いた。
「ペットの盗難事件じゃ……ないようですね」
最初に考えたのはそれだ。
希少種や有名なブリーダーのしつけを受けたゆっくりは高値で取引される。それを狙った
犯行がかつて流行ったが、労力の割りに合わなかったのか、すぐに下火になった。
現在起こっているゆっくりの盗難は極端な虐待派か、極端な愛で派のどちらかというのが
実際のところだ。
今回もそんなところだろうと思ったが、資料によると被害を受けているのは――
「失踪しているのは野良が大半だ。飼いゆっくりのケースもあるが、報告は少ない。
加工所の野良対策部からの情報が23件、飼い主からの情報が5件だ」
「……これ記事にする価値、あるんですか?」
俺はそう言わずにはいられなかった。ゆっくりが、特に野良がいなくなることなど珍しく
も何ともない。
現代日本に突如として現れた謎の動く饅頭、ゆっくり。奴らは生物として、種として、異
常と言えるほどに弱い。
他の動物に食料にされ、池や川に落ち、車に轢かれ、辛味を食して中身を吐き、人間に潰
される。
今回もどうせ人目につかないところで死んだのだろう。
しかし編集長は、そんな俺の考えを見通したかのように言った。
「ただ死んだのならば無いだろう。だが死んだのではなく『いなくなった』のだ。
仲間であるゆっくりの目の前で、忽然と消えたらしい。
飼いゆっくりの方は、飼い主が直接目にしたケースが無いから何とも言えないが……」
言うなれば、ゆっくりの神隠しか。俺はこの件に興味を持った。
どこから来たのか解らず、言葉を話し、中身は餡子。そんな不思議ナマモノに、新たな不
思議が加わるかもしれない。
子供のような好奇心に感情を揺らされ、俺は笑みを浮かべていた。
「分かりました、締め切りはいつですか?」
「雲をつかむ様な話だからな、そもそも記事にならないかもしれん。
取りあえず二週間後としておくが、形にならなくても報告はしてくれ」
他の仕事も有るが、終わる目処は付いている。差し当たっての問題は無いだろう。
俺は編集長に頭を下げ、自分のデスクに戻った。
タバコを咥え、火をつけようとすると隣のデスクの同僚から「禁煙です」と言われた。
そんなことは分かってるよ、癖だちくしょうめ。ちょっと前から喫煙所以外では吸えなく
なった。世間での流行りらしい。
俺はタバコを箱に戻すと、混沌としたデスクの上を整理し始めた。
結局その日は、資料を読むのと、事件に遭った飼い主に取材のアポを取るので終わってし
まった。
――ゆっくり失踪事件――
「八雲出版『月刊ゆっくり』のものですが」
2日後、静かな住宅街にある一軒の家の前で、俺はインターホンに向かっていた。
取材に応じてくれた飼い主の一人の家だ。かなり大きな庭付き一戸建てである。裕福な家
庭なのだろう。
ここの夫人はゆっくりれいむを一匹飼っていたが、一月ほど前に失踪したらしい。
機械越しに二、三言葉を交わした後で、飼い主である夫人の案内でリビングに通された。
金をかけている。家の中に入っての第一印象はそれだった。家具はどれも気品漂うものだ。
茶を淹れると言って席を離れようとした夫人に、飼っていたゆっくりの写真は無いか、と
尋ねた。
「それでしたらアルバムが有りますので、持って参ります」
「いえ、一枚だけで結構ですので、なるべく新しいものをお願いします」
あら残念、とばかりに夫人は肩を竦め、リビングから出て行った。
危ないところだった。電話での態度からすると、夫人はれいむを溺愛していたようだった。
アルバムを見ながらの解説付きゆっくり自慢なんてのは堪らない。
「これが、私の飼っていたれいむです」
戻ってきた夫人から差し出された写真には、しつけ度最低を表す銅色のバッジをリボンに
付けた、バスケットボール程のでっぷりと肥え太ったゆっくりれいむが写っていた。
下膨れの身体に、にやけた口元。垂れた目尻に、つり上がった目元。そして撮影者を見下
すような視線。
栄養状態が良かったからか肌のツヤ、髪質は申し分ないものの、間違いないだろう。素人
の金持ちがゆっくりを飼うと、甘やかしてしまって大概はこうなる。こいつはゲスれいむ
――『でいぶ』と呼ばれる存在だ。
出された紅茶を一口飲んでから、俺は本題を切り出した。
「それで、失踪していたゆっくりの話ですが……」
それからが大変だった。よくもここまで舌が回るものだと感心するほど、夫人は飼ってい
たれいむについて語り始めた。
自分がどれほどゆっくりを可愛がっていたか。
どれほど可愛かったか。
失踪したことでどれほど自分が悲しんだか。
それらを延々と語った。
「食事は毎日最高級のゆっくりフードを三回、おやつには有名なパティシェ監修のケーキ
を与えていましたわ。
それでもグルメなんでしょうね。より美味しい食べ物をねだって来て、その時の眼差し
が愛らしくて……」
こちとらコンビニ弁当が主食だというのに、いい身分だ。挙句にそれにさえも満足できな
いとか、甘やかすにもほどがある。
「れいむに食べさせるために、評判のお菓子屋を回るのが趣味になってしまいました。
でも可愛いれいむのためですもの、苦労も喜びのうちですわ」
飼い主は嬉々としてやっているし。親バカならぬ飼い主バカだ。仕事柄この手の人間には
よく会うが、何度目でもうんざりする。
「部屋はすぐに庭に出れる日当たりの良い二十畳ほどの部屋を与えてあげましたし、庭の
外にも出たいと言うので塀にれいむ用の出入り口を作ってあげました。
とってもきれい好きで、少しでも部屋が汚れるとちゃんと掃除の必要があると伝えて来
ますのよ」
俺の部屋なんてボロアパートの6畳1R……やめよう、これ以上は自分が惨めになる。
それときれい好きなら自分で掃除ぐらいしろと。
「自尊心も強くて、おもちゃで遊んであげようとすると、それは自分のものだと主張して、
小さな身体で必死にじゃれついてきて、本当に可愛らしかったものです。
他にも……」
じゃれてるんじゃなくて、攻撃していたんだろう。れいむが飼い主と自分の立場を理解し
ていたとも思えないし。あ、遠い目してる。これは止まらないな。
だが聞きたいのは失踪の瞬間の状況だ。これ以上このマシンガントークに付き合ってはい
られない。夫人に目をやると、涙を流して悲しみに嘆いている。俺は気づかれないよう溜
め息をついて、気合を入れるように紅茶を飲み干した。既に冷めてしまっている。
それから何とか夫人を宥め、失踪当時の状況を尋ねたものの、大した情報は得られなかっ
た。
その日れいむは昼食を食べるといつものように(午後の日課らしい)家の外に出かけてい
ったが、夕食の時間になっても帰らない。飼いゆっくりの証であるバッジには発信機が付
いているため、それを頼りに探したが見つかったのはバッジだけだった。近所の公園に落
ちていたバッジは無理やり外された様子も無く、周囲には何の痕跡も無かった。
そこで夫人は公園に住んでいる野良のゆっくりに尋ねてみたという。
野良ゆっくりたちは、確かにバッジを付けたれいむが来ていたこと。
そのれいむは「自分をゆっくりさせろ」と繰り返し、非常にゆっくりできなかったこと。
現れてしばらくしてから、れいむは突然消えたこと。
以上のようなことを久しぶりの「あまあま」に舌鼓を打っていた野良たちは、食事の邪魔
をされたことに気分を害しながらも餡子まみれの口で答えたらしい。
その野良を命の危険があるところまで叩きながら聞いたというので、間違いは無いだろう。
最初は野良が食べている「あまあま」が、自分の飼いれいむだと思ったらしい(結局ただ
の饅頭だったとか。ゆっくり好きの人間が与えたのだろう)。
愛で一辺倒の飼い主かと思ったが、飼いれいむを食われたと勘違いして怒り心頭だったと
はいえ、中々ワイルドなことをするものだ。
自身もゆっくりを飼っているのに野良にはそんなことができるのか、とそれとなく言って
みたが
「ウチのれいむと薄汚い野良ふぜいを一緒にしないで下さい!」
と烈火のごとく怒られてしまった。藪蛇だったか。
収穫はそれだけだった。結局何も分かっていないに等しい。
その後も何日かけて被害に有った飼い主のうち、アポの取れた人に話を聞いたが、有力な
情報は無かった。
共通点といえば、飼い主は揃って飼いゆっくりを甘やかしていたことぐらいだ。
そして必然的に、その全てが筋金入りのゲスゆっくりだった。ゆっくりに筋も金も無いが。
ある飼い主を訪問したときは、そんなゆっくりのホームビデオを延々と見せられて辟易し
たものだ。
食事、部屋、飼い主の対応。ありとあらゆる環境に対して文句を言い、飼い主を罵倒する。
無能だ。この奴隷が。じじい。ばばあ。
貧弱な語彙であらん限りのい悪態をつく。
こんなゲスをよく可愛がれますね、とリニア長野ルートばりの限りなく迂遠な言い方で尋
ねてみたが
「いやあ、この素直じゃないところが可愛くてね。ツンデレっていうやつ?
内心では感謝しているのに口を開けば憎まれ口が出てくるのが良いんだよ」
と根本から理解していないようだった。ダメだこいつ、もうどうにもならない。
「仕方ない……野良をあたるか」
最後に尋ねた飼い主の家を出た後、タバコに火を点けながら俺は呟いた。
報告件数こそ多いものの、野良よりも飼いゆっくりへの調査を優先させてきた。
飼いゆっくりならば話を聞く相手が人間だから、まともな情報が期待できると踏んだのだ
が、あてが外れた。
ゆっくりが直接の情報源となると信頼性に欠けるが、連中は失踪の瞬間を目の当たりにし
ているのだ。
ペット自慢ばかりで肝心の目撃証言の出ない飼い主を相手にするよりは幾分マシだろう。
取材を始めた時とは正反対の思いを持って、一番近い現場に足を向けた。
「「ゆっくりしていってね!!」」
「はいはいゆっくり」
俺の目の前には赤リボン饅頭と黒帽子大福。ゆっくりれいむとまりさの番だ。
お決まりの挨拶に、本日5本目となるタバコの煙を吐きながら適当に返した。
ここは団地の中にある公園。ちょっとした林があるため、野生動物が数多く棲む中々良い
場所だ。
目の前の饅頭が大量に住み着いてなければ、だが。
「おじさんはゆっくりできるひと? れいむといっしょにゆっくりしていってね!」
都会に住む野良には珍しく、中々純粋な個体のようだ。
俺は仕事柄相手にする機会が多いが、基本的にゆっくりは好きではない。
生意気だったり、媚びたりする態度が気に入らないし、仕事も当初は政治部を希望してい
たのだ。
だがこのれいむを見ていると、少しは考えを改めてもいいかもな、と思う。
「にんげんさんはあまあまをもってきてね! そうしたらまりさがいっしょにゆっくりし
てあげるよ!」
前言撤回。やはりゆっくりは嫌いだ。
「ちょっと聞きたいんだが、この辺りで最近突然いなくなったゆっくりっているか?」
ゆっくりでも取材の相手だ。一応の礼儀として、まずは平和的に尋ねる。周囲の目もある
し、それで情報が得られれば、それに越したことは無い。
だが短い目で見れば、ゆっくりは暴力で従えた方が良い。どうせこの十数分、一度きりの
関係である。信頼させて情報を引き出すなど非効率的だ。
「じょうほうりょうとしてあまあまをもってきたらおしえてやらないこともないよ!」
人が優しく聞いているのに、いきなり見返りの要求か。やはり饅頭相手に礼など意味のな
いものだ。この仕事を始めてからそう思うのは何度目か。それでも一度目は礼儀なんても
のを考える俺は、律儀なのか馬鹿なのか。多分、後者だろう。
「はやくしてね! さっさとしてね……ゆぐぐ!?」
「質問に答えろ」
たわ言を抜かしたまりさを踏みつけ、俺は再度尋ねた。相手が無礼を望むならこちらも相
応のやり方をするまでだ。
足もとにれいむが体当たりを仕掛けてきたが、持ち上げて八つ当たり気味に地面に叩きつ
けた。
ぴくぴくと痙攣しているし口から餡子が漏れているが、死にはしないだろう。あと30分
ぐらいは。
足もとのまりさがれいむ、れいむと騒がしくなったので踏む力を強めた。
「騒ぐな叫ぶな喚くな。れいむのようになりたくなかったら、聞かれた事に答えろ」
「わがりまじだぁぁぁ! なんでもごだえまずぅぅう!」
だから静かにしろって言ってるだろうが。二度とここを訪れる事は無いだろが、周囲の人
間に白い目で見られるのはやるせない。
一部興奮するような目で見ているもの、同調するような視線を送ってくる者もいるが。
違う。あくまで取材の手段だ。俺に虐待趣味は無い。
「この辺りで、最近突然いなくなったゆっくりはいるか?
事故で死んだとか何処かに行って帰って来なくなったとかじゃなく、他のゆっくりが見
ている前で消えたやつだ」
靴の裏でぐりぐりとまりさをえぐる様にして聞くと、恐怖に導かれてぽつぽつと喋り始め
た。
「い、いなくなったのはありすだよ! とってもびじんで、とってもゆっくりしてたよ!
みんながありすのことがだいすきで、ごはんやたからものをあげていたよ!」
美ゆっくりなのを利用して、他の野良に貢がせていたのか。中々ゲスなようだ。
「まりさもいつかありすとすっきりして、ゆっくりした赤ちゃんがほしかったよ!
ありすはいつも「ゆっくりさせてね」っていっていたから、まりさとの赤ちゃんがいれ
ばゆっくりできたはずだよ!」
お前れいむと番じゃなかったのか。浮気か、ありすが失踪したかられいむに乗り換えたの
か。どちらにしろ碌な個体じゃないな。
「でもある日いきなりいなくなっちゃったんだよ!」
ありすのおうちにあったごはんやたからものは、みんなでわけたよ! あまあまおいし
かったよ! のうこうなかすたーどだったよ!」
野良のくせに甘いものなんて蓄えていたのか。
それもどうせ貢がせたものだろう。
「これだけおしえてあげたんだから、まりさをはなしてね! さっさとはなしてね! お
わびにあまあまちょうだいね!」
これ以上はこいつから聞ける情報は無いだろう。そう判断した俺は、目玉にタバコを押し
付けて火を消し、悲鳴をあげるまりさを踏み潰した。
しまったな。殺すつもりまではなかったのだが、ついイラっとしてやってしまった。
周囲には数匹のゆっくりが怯えた表情でこちらを見ている。自分達を害する存在を目の当
たりにして逃げるなり隠れるなりしないのは愚かとしか言いようが無い。
だが、更に情報が欲しい俺には好都合だ。とりあえず友好を示そうと、俺は微笑みながら
ゆっくり達に向かって歩いていった。
その後近くに住む他のゆっくりを何匹か尋問してみたが、似たようなことしか聞けなかっ
た。
ありすが消える瞬間を見たやつもいたが、まるで役に立たなかった。
目の前で突然消えた、ということを拙い語彙で言うだけだったのだ。
それにしても無礼な饅頭たちだった。人の笑顔を見て、引きつった表情で逃げ出すのだか
ら。その結果、公園に餡子の山が出来てしまった。
残ったゆっくりは甘いものが食べられるのだから、感謝してほしいものだ。
そんな事を考えながら、俺は次の現場に向かった。
そうして10余りを回ったところで一旦職場に戻った俺は、頭を抱えていた。
進展は無い。幾つかあった目撃証言も、消えるようにいなくなったという意味のものばか
りだ。ゆっくりの言語能力では詳しい説明など無理だったのだ。
俺はデスクで取材のメモを読み返しながら、何か発見はないか、と考えていた。
一匹目。飼い。ゲスれいむ。目撃者は野良。失踪当時、その野良は饅頭を食していた。
二匹目。飼い。れみりゃ。目撃者野良さくや。「じゅーしーなでぃなー」を野良れみりゃ
と食していた。
三匹目。飼い。ゲスまりさ。目撃者無し。現場に残ったバッジに餡子が付着していた。
「……ん?」
ふと思い立って、更に読み進める。
四匹目。野良。ありす。貢がせ。目撃者野良れいむ。巣にカスタードの蓄え。
五匹目。野良。ゲスまりさ。目撃者無し。巣に甘味。
六匹目。野良。ゲスまりさ。目撃者野良まりさ。周辺のゲスの憧れ。
「何だこれは……どういうことだ」
七匹目。野良。ドスまりさ。群れを奴隷のように扱う。目撃者群れの多数。巣に大量の甘
味。
八匹目。野良。レイパーありす。目撃者被害者の野良まりさ。
九匹目…………。
…………。
異常だった。失踪したゆっくりのほぼ全てがゲス。それはまだいい。
問題なのは、その現場のほとんどには甘味が関係していること。飼いゆっくりならまだし
も、目撃者となった野良にとって甘味は縁遠いものだ。
野良ゆっくりが甘味を手に入れる手段は少ない。最もありえるのは人間から貰うことだが、
事件のほぼ全ての場合で、関係したゆっくりが、しかも愛想の良くない都会の野良が甘味
を受け取っていたなどという偶然があるだろうか。
次に考えられるのは同族食いだが、これはゆっくりの間で禁忌とされている。可能性とし
ては低い。
嫌われもののゆっくりが制裁されて食われたということは考えられるが、周囲のゆっくり
に好まれていた貢がせありすやゲスの憧れ的存在だったまりさ、他のゆっくりに襲われて
も撃退可能なドスなどの場合には可能性は薄くなる。
何か有るのかも知れない。俺は席を立った。
次の現場ではれいむが失踪していたが、やはりゲスで、失踪後発見した甘味を周囲の仲間
で食べたという。それはいなくなったれいむだったんじゃないか、と直接の目撃者のゆっ
くりを含め、身体に聞いたが否定された。
その後さらに幾つかの現場で同じ事をしたが、結果は変わらなかった。
それに、最初に訪問した飼い主は、自分の目で、目撃した野良がゆっくりではない只の饅
頭を食していたことを確かめている。
やはり同族食いではないと考えるべきだろう。
俺はもう一度メモに目を通した。
れいむの場合は饅頭。おそらく中身は餡子だろう。
れみりゃは「じゅーしーなでぃなー」。おそらく調理された肉。
まりさは餡子。
ありすはカスタード。
現場に残っていた、目撃者である野良が食べていたものは、どれも『失踪したゆっくりの
中身』だ。ほぼ間違いなく、失踪ゆっくりは目撃ゆっくりに食われてしまったのだろう。
しかし目撃ゆっくりは同族を食べていない。いや、『食べたと思っていない』。彼らが食
べたのは『ただの饅頭』、もしくはその中身だ。
目撃ゆっくりは失踪ゆっくりを食べた。
しかし同族食いを認識していない。
目撃ゆっくりが食べたのは失踪ゆっくりの中身もしくは饅頭。
失踪ゆっくりは消えるようにいなくなった。
つまり――
「ゆっくりがただの饅頭になった……?」
ゆっくりは飾りで互いを識別する。親子でもなければ、目の前で飾りが外されても、それ
が誰だか分からなくなってしまう。
もっとも識別が出来ないだけで、「ゆっくりできないゆっくり」とは認識できるのだが。
もしも別のゆっくりが飾りのない、目も口も髪も無い「ただの饅頭」に突如変化してしま
ったら、その瞬間を実際に見ていたとしても、ゆっくりが消えて饅頭が残ったように見え
ないだろうか……?
「馬鹿馬鹿しい」
とは思いつつも、俺はその考えを捨てきれないでいた。普通ならありえない。だが相手は
普通の存在ではない。ゆっくりだ。もともとが動く不思議饅頭なのだから、普通の饅頭に
なってしまうことだってあるかもしれない。
だが何故ゲスゆっくりばかりなのか?
俺は加工所の研究部へと電話をかけた。ゆっくりに関することなら、やはりあそこが一番
だ。
何と言ったらいいものか悩んだが、ストレートに
「ゲスゆっくりが普通の饅頭に変化する事例について知らないか」
と聞いてみた。これだけ聞いたら、正気を疑われるかもしれない。相手も戸惑っていたが、
思い当たる節があったのか、一人の研究者を紹介してくれた。
三日後、俺は都内のある大学の研究室を訪ねていた。部屋の入り口でノックをし、いらえ
を聞いてからドアを開ける。
「いらっしゃい。待っていましたよ」
迎えてくれたのは、見たところウチの編集長よりも若い男だった。それで教授だというの
だから大したものだ。互いに名刺を出して挨拶をする。
勧められた革張りの応接用ソファに腰かけ、ぐるりと部屋の中を見渡す。
普通の部屋だ。正直、拍子抜けした。
ゆっくりの研究者と言うから、その研究室たるや、ありとあらゆるゆっくりグッズで埋め
尽くされ、壁一面が水槽に改造されていて、各種のゆっくりが飼育されている。そんな光
景を想像していた。
それがどうだ。ドアノブに子ゆっくりのカバーなんて掛かっていないし、ゴミ箱はホーム
センターで売っているプラスチック製のものだ。掛け時計は振り子にゆっくりが使われて
いないし、観葉植物に刺してある栄養剤も普通。本棚は流石にゆっくり関係の本で埋め尽
くされているが、ゆっくりの入った水槽なんてものも無い。
出された茶菓子は饅頭だったが、まさかこれが……?
「ゆっくりではありませんよ」
はっとして顔を上げた。目の前にはまだ若い教授がにこにこと笑って座っている。
「ここに初めて来た人は、みんな同じことをする。部屋にあるものが、ゆっくり製じゃな
いかって部屋を見渡すんです。だがそんなものは見当たらない。そこでお茶菓子には饅頭
を置いておく。するとお客さんはこう思うんです。ひょっとしたらこれがゆっくりじゃな
いか、ってね」
どうやらこの教授の悪戯に、ものの見事に引っかかってしまったようだ。俺は苦笑するし
かなかった。
「そりゃあ実験室では大量のゆっくりを保管していますがね、ここには赤ゆっくり一匹い
ませんよ。自分の研究対象を無碍に扱うことはしませんし、虐待趣味は僕にはありません。
大体、誰よりもゆっくりの不可解さを知っている僕に言わせれば、あれを食べるなんて
蛮勇もいいところだ」
二人で一しきり笑いあったところで本題を切り出すと、教授は表情を引き締めて一つのビ
デオを取り出し口を開いた。
「ゆっくりが単なる饅頭に変化する事例についての話、ということでしたね。一般の雑誌
の方からそう言われたので、些か驚きました。口で説明する前に、実際に実験の様子を見
てもらった方が早いでしょう。これは先日学会で発表したばかりのもので、研究誌以外の
記者さんに見せるのは初めてなんですよ」
そう言って再生されたビデオは一匹のまりさを飼育した実験経過を収めたものだったが、
その内容は凄まじいの一言に尽きた。
与える食事は最高級、部屋は広く快適で、飼育員はまりさの望みは何でも聞き、奴隷とし
てまりさに扱われ、そして自身もそう振舞っていた。
数日前にれみりゃを甘やかして育てていた飼い主を訪れた際に、れみりゃのホームビデオ
を見せられたのを思い出した。その飼い主はお嬢様に仕える下僕と言った態度でれみりゃ
を飼っていたが、このビデオのまりさに対する飼育員の態度はそれを遥かに超えている。
ブラウン管を叩き割りたい衝動を抑えきれなくなった頃、『それ』は起こった。その時画
面の中ではまりさと飼育員が会話をしていた。
「どれいはさっさとごはんをもってくるんだぜ! まりさをさっさとゆっくりさせるんだ
ぜ!」
「分かりました、まりさ様。まりさ様がゆっくりすると私もゆっくり出来ますので」
この「まりさがゆっくりすると自分もゆっくり出来る」というのが、ビデオの中で飼育員
が事あるごとに言っていた言葉だった。それに対してまりさは「かんだいなたいど」で笑
いながら許可してやる、というのが毎度のパターンだった。
「どれいのくせにゆっくりするなんてなまいきだぜ!」
だが今回は違った。飼育員はまりさをゆっくりさせようとしているにも関わらず、まりさ
はそれに異を唱えたのだ。
「しかしまりさ様、まりさ様をゆっくりさせるのが私の役目です」
「うるさいんだぜ! まりさがゆっくりするのはとうぜんなんだぜ!
なんでそれでどれいをゆっくりさせてやらなきゃいけないんだぜ!
どれいのゆっくりなんかどうでもいいんだぜ!
まりささえゆっくりできればいいんだぜ!
わかったらどれいはゆっくりせずに、まりさをゆっくりさせるんだぜ!
このよでただひとりゆっくりできる、えらいまりささまをゆっくりさせ…………」
まりさが意味のある言葉を喋れたのはそこまでだった。いや、言葉に限らず、何か意図の
ある行動を一切取れなくなった。電源の落ちたロボットのように、全ての活動が止まって
しまったのだ。
「ゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆ
ゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆ
ゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆ
ゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆ
ゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆ」
数秒後、突如としてまりさが痙攣し始めた。目の光は消え、口は半開きになり、「ゆ」の一文字だけを壊れたテープレコーダーのように繰り返している。
精神崩壊でも起こしたのか、と俺は思ったが、事態はそんな単純なものではなかった。
まりさの壊れた声が続く中、まりさの帽子が無くなってしまった。輪郭がぼやけたかと思
ったら、空気に溶けるようにして消えてしまったのだ。
それだけでも自分の目を疑う光景だったが、まりさの変化はまだ終わらない。
帽子に続くように髪の毛が消え、目玉と口が周囲の皮に包まれるように消えた。
「開始から12日と5時間37分。実験成功」
飼育員の声がしたかと思うと、カメラがまりさにズームアップする。飼育員はまりさを回
転させて全方向を見せ、最後にまりさをナイフで切り、切断面をカメラに向けた。
そこには皮に包まれた黒い餡子だけが有った。もうまりさには帽子は無い。髪の毛も目も
口も無い。小麦粉の皮で餡子を包んだだけの存在、ただの饅頭になった。
「いかがでしたか?」
教授がビデオを止め、穏やかな声で尋ねてくる。俺は先ほどまで見ていたものに呆然とし、
どういうことか、と返すので精一杯だった。自分の喉から出たのを疑問に感じるほどに震
えた声だった。
俺とは対照的に平静な教授は、少し考えてから更に問いを重ねた。
「あなたは、ゆっくりは何故ゆっくりなのだと思いますか?」
質問の意図が分からない。俺は口を閉ざしているしかなかった。何しろビデオの内容だけ
で、思考回路は糸口が見えないほど絡まってしまった。復旧には時間がかかる。
「聞き方が悪かったですね。ゆっくりをゆっくりたらしめている本質は何だと思います
か? 刃物ならよく切れること。馬なら早く長い距離を走れること。人間なら二本の足で
歩くことと発達した知能でしょう。ではゆっくりでは?」
教授の落ち着いた声を聞いているうちに、ようやく少し冷静さを取り戻してきた。俺は考
え、口を開いた。
「……飾りを着けていること?」
「それは特徴的なことですね。ですがゆうか種のように飾りを持たない種もいますし、人
間も飾りを着けることはあります」
「饅頭であること」
「確かに大部分のゆっくりは饅頭ですが、ただの饅頭を見て、これはゆっくりだ、とは思
いません。本質とは言えないでしょう」
「人の言葉を喋ること」
「中々良いところを突いてきましたね。ですがそれは人間が喋ることが前提ですから、ゆ
っくり自身には関係の無いことです」
そうして思いつくままに答えてみたが、どれも正解ではないようだった。俺は諦めて、投
げやり気味に言った。
「…………分かりませんね、降参です。そもそもゆっくりなんていう人間と饅頭を混ぜた
ようなものに、本質なんてものあるのですか? 何を言っても人間か饅頭、どちらかの本
質になりそうな気がしますが。ゆっくりはゆっくりっていう生き物だからゆっくりなんで
しょう」
教授は俺の言葉を聞いて、にこりと笑った。
「正解です」
「はい?」
「今あなたが言った通りですよ。『ゆっくりはゆっくりという生き物だからゆっくり』。
ナゾナゾのようですが、これに尽きます。その名にあるように、ゆっくりと言う言葉がゆ
っくりの全てです。正確には『他者をゆっくりさせる』というのがゆっくりの本質と言え
るでしょう」
俺はなるほど、と頷いた。ゆっくりは他者に出会うと、挨拶として「ゆっくりしていって
ね」と言う。ゆっくりさせてね、ではなく、ゆっくりしてね、でもない。他者をもてなす
ための言葉である「ゆっくりしていってね」。それはどんな種のゆっくりでも、赤ゆっく
りでもゲスでも変わらない。
「れみりゃ種は相手が人間でも、自分に仕えることを要求します。それは本人の言うとこ
ろの『えれがんとなおぜうさま』に仕えることが、相手にとってゆっくりできることだと
考えているからです。ゲスもそうです。自分をゆっくりさせることで相手がゆっくりでき
ると信じているのです」
全ては相手をゆっくりさせるため。それこそがゆっくりの存在意義。かつて『ゆっくりは
棚に仕舞われたまま忘れられた饅頭が変化したものだ』と言われたことがあった。人をも
てなすために作られた饅頭が存在を忘れられ、その無念の思いからゆっくりになるのだと
いう。何を馬鹿な、とその時は一笑に付したが、今ではそんな話を信じてもいい気持ちに
なる。
「ゆっくりが初めてこの世に現れた時、現在のように脆弱でもありませんでした。感情の
起伏は乏しく、表情の変化も皆無でした。
しかし人はそのようなゆっくりを望まなかった。異物であるゆっくりを排除する理由を
正当化するために、または保護欲を満たすために脆弱なゆっくりを求めた。嗜虐心をくす
ぐるような、あるいは与えた愛情に反応するような変化のある感情と表情を求めた。その
結果、ゆっくりは人の望む存在へと進化しました。全ては人をゆっくりさせるために。
ゆっくりは自身の性質がどんなに変化しても、他者のゆっくりを望むものなのです。
しかしビデオのまりさは違います。他者ではなく、自分がゆっくりすることだけを考え
てしまった。そしてそれを当然のことと考えてしまった。そうなってしまったゆっくりは、
最早ゆっくりであることの本質を失ってしまった。だからゆっくりではなくなってしまっ
たのです」
そう述べた教授は、どこか寂しい目をしていた。
単なる実験材料に向ける、無機質な目ではない。この人はこの人なりに、ゆっくりに思い
入れがあるのだろう。
記事が出来たら雑誌を一冊届けると約束をして、研究室を辞した。
帰りがけに教授は実験論文のコピーを渡してくれたが、ひどく難解な内容だった。日本語
で書かれているのが救いだが、読むのに四苦八苦だった。取材やデスクで記事を書いてい
た時間よりも、これを読むのに費やしたほうが長かった。おかげで出来上がりは締め切り
ギリギリになってしまった。
そんな苦労に関わらず、出来た記事はオカルト色の強いものになってしまった。論文は学
術的な格調高い文章だったが、大衆読者を意識して書くと、どうしてもそうなってしまう
のだ。
もっとも、ゆっくりの存在自体がオカルトとも言えるので、問題は無かった。「そんなも
んだ」で全てがすむ。それがゆっくりというものだ。深く考えないほうが、あの不可思議
な存在を楽しめる。
都内にある、とある出版社。俺は今日もここで
ゆっくりについての記事を書く。配属され
た当初は早く別の部門に行きたいと考えていたが、最近では好奇心を刺激してくれる良い
職場だと思えるようになった。
タバコが吸えないのが難点だが。
相も変わらず散らかったデスクで、いつもと変わらず原稿に向かう。今書いている記事は
虐待派と愛で派の討論企画についてだが、見事なまでに平行線の論議で、まとめるのが大
変そうだ。どちらも自分の主張こそ正しいと言っているが、きっとゆっくりはどちらの扱
いをされても満足なのだろう。
ゆっくりは他者をゆっくりさせることが望み。虐待派はゆっくりを虐待することでゆっく
りできるし、愛で派は愛でることでゆっくりできる。究極的には根本は同じ。どちらも自
分がゆっくりすることを考えている。
人間なのだからそれで良いと俺は思う。自分の人生を、自分のために生きられないなんて
真っ平だ。比べて、そう生きた結果饅頭になるだなんて、ゆっくりはなんて不自由な生き
物なのだろう。
そんなことを考えてると、向かいのデスクの同僚が壁に貼られた「禁煙」の紙を指で叩い
て示してきた。どうやら無意識のうちにタバコを咥えていたらしい。
俺は箱にタバコを戻すと、軽く溜め息をついて仕事を再開した。
最終更新:2009年05月18日 14:42