とある町の公園。
そこはランニングするには少々狭く、ウォーキングをするにもどこか殺風景、
管理費をケチったために一部の遊具は錆付き、市民の憩いの場としては落第もの。
そんな公園に住み着いたゆっくりがいる。
別にゆっくりが公園に住み着くのは異常な事ではなかったが、そのゆっくりはちょっと事情が違った。
そのゆっくりは俗にれいむ種と呼ばれる個体である。
特徴としては黒髪と赤いリボンが挙げられるのだが、そのれいむは両こめかみを貫くように矢が刺さっていた。
人間なら即死もののキズだがそこは不思議饅頭、致命傷には至らなかったのだ。
「ゆ!きょうのごはんはこれでじゅうぶんだね!ゆっくりかえるよ!」
口いっぱいに食べ物を詰め込んだ矢れいむは、ぴょんぴょんと飛び跳ねて帰路を急いだ。
だがそのとき、刺さった矢の端が植込みの枝にかすかに引っかかると
「ゆ゛っ!」
と苦悶の声を上げ、歩みを止めると苦痛に顔を歪めその場に蹲ってしまった。
元気そうに飛び回ってはいるが、傷の痛みが全く無くなった訳ではない。
何かしらの刺激があればそれが何十倍にもなって餡に伝わり、体内を引っかき回されたかのような激痛に変わるのだ。
「ゆ゛うぅぅ…ゆっくりしていられないよ!」
しかし矢れいむは歯を食いしばりながら痛みをこらえ、餌をこぼさないようにきっ、と口を引き締めながら必死になって飛んでいった。
痛いならゆっくりしていればいいものだが、ゆっくりしていられない訳があった。
公園の一角にあるトイレ。
まともに管理されていない所為で酷く汚らしく、そこに出入りする人は全くいない。
猛烈な便意で(社会的に)生きるか死ぬかの瀬戸際に追いやられた人でも利用するのを躊躇うような状態だ。
そんな対人結界のようなトイレの裏側に置かれたダンボール、そこが矢れいむの寝床であった。
「ただいま!ゆっくりしていた!?」
「「「おかえりなしゃい!ゆっくちしていたよ!」」」
矢れいむの帰宅の知らせを受けて、三匹の小さなゆっくりれいむがダンボールからぞろぞろと這い出てきた。
出迎えてきた子ゆっくり、これは矢れいむの子供たちなのだ。
れいむはいわゆる「しんぐるまざー」であった。
れいむがこの公園にやってきたのは一ヶ月前のことだった。
子ゆっくりを口の中にしまいこみ、公園の入り口にやってきた親れいむ。
どれほどの距離を旅してきたかは分からないが、底部周辺が満遍なく汚れていることから察するに、相当な距離を移動して来た事がわかる。
元の住処からここまで不眠不休で飛び続けていたが、歩みを遅める事はまったくなかった。
なぜなら公園全てがゆっくりぷれいすではないからだ。
旅の前日、公園内にあらかじめ作っておいた手作りのお家、そこまで行ってはじめてゆっくりの旅が終わるのである。
物陰から物陰、茂みから茂みへとその身を潜ませ、隙を見せずに目的の地へと進んでいく。
トイレの影へもぐりこむと、そこにはダンボールが置いてあった。
それこそが、れいむがこさえたゆっくりぷれいすなのだ。
赤ちゃんを口から出して少し待つようにと言いつけてから、先にれいむが中を伺う。
一日の間に余所者が勝手に住み着いているかもしれないからだ。
待っている子ゆっくり達は、始めて見る景色に戸惑い、どこか怯えの見える表情で辺りの様子を伺っている。
親れいむは安全を確認すると、子供達が先に入るように笑顔で促す。
今日初めて穏やかになった親の表情を見て、子供達も顔を綻ばせる。
子供達は口の中でゆっくりとした旅をしていたかと思いきや、子供達は子供達で親の緊張を全身で感じ取っていたのだ。
安堵した子供達は逸早くゆっくりぷれいすに入ろうと、競うようにダンボールの中へと入っていった。
親れいむはやれやれといった表情をしながらも、やっとゆっくり出来る喜びに目を細めていた。
「きょきょがゆっくちぷれいちゅなんだね!」
「とてみょゆっくちちちぇいるね!」
「ゆっくち!ゆっくち!」
子供達が新居に感激している所にれいむもゆっくりと中へ入ってきて、はしゃぐ子供達を一列に並べる。
そしてダンボールの中で高らかにゆっくりぷれいすの制定を宣言する。
「きょうからここが、れいむたちのゆっくりぷれいすだよ!ゆっくりしていってね!」
「「「ゆっくちしていっちぇね!!」」」
これで晴れて新しいゆっくりぷれいすでの生活が始まったのである。
新しいゆっくりぷれいすとは言っても、一応そこは人間の生活圏内。
人間に対して不信感のあるれいむは、万が一にも人間に見つからないように慎重に餌集めをしていく。
人間は怖いが、その代りに捕食種が全くいない事が救いだった。
この公園に来てからというもの、れいむは子供達の為にと餌集めに朝から晩まで走り回っていた。
子供達をゆっくりさせる事が、自分のゆっくりにも繋がると信じて。
ところがある日、悪意のある人間がれいむの事を見つけてしまい、あろうことかボウガンでそのれいむを射ったのである。
「ゆぎゃああ!!!ゆっぐりでぎなああい!」
れいむは矢を刺された痛みでのた打ち回った。
凶漢は一発で仕留めるつもりだったが、外したと見るや否や、第二の矢をつがえる。
しかしれいむが大声を出したがために公園外の人間の注意を引いてしまい、
「なんだ、そうぞうしいな…」
その声を聞いた一人が公園内に入ってきたのであった。
凶漢は見つかるわけにはいかないと、さっさとれいむを諦めて去っていった。
そして公園にやってきた人間は、矢を刺され苦しみのた打ちまわるれいむを発見したのである。
「なんてこったい、こりゃひどい!」
苦しむ動物を見て放っておけなかった人間は、れいむに救いの手を差し伸べようとしたが。
「ゆぎゃあ!にんげんはゆっくりできなくするよぅ!」
れいむは矢を刺されたにもかかわらず、ゆっくりとは思えぬ速度で逃げ出していってしまったのである。
れいむは人間を撒いた事を確認するとその場にへたり込んでしまった。
矢に刺されたにもかかわらず、無理をして駆け出したために疲労とダメージが一気に来たのだろう。
真っ青になりながら頭の傷の治療をどうするか考える。
しかし考えようにもれいむからは矢の事は分からない。
鏡も無ければ他のゆっくりも居ない現状では、何か頭の中がずきんずきんとした痛みが走るぐらいとしか認知できない。
そうして暫く考える内に傷の痛みがわずかに引いていった。
すると親れいむは相当なダメージを負っているはずなのに餌集めを再開した。
「れいむがいないと…おちびちゃんは…ゆっくりできないよ…」
自分がいないと子供達がゆっくり出来ない、その思いが矢れいむを突き動かす。
れいむは刺さった矢をそのままに、いつも通りに子供達の餌集めに精を出していたのである。
その身を引きずるようにして、必死の思いでお家に帰った母れいむ。
幸か不幸か、刺さった矢の幅は、ダンボールハウスよりも短かったおかげでお家に入るには問題なかった。
母の帰宅を待ちわびていた子供たちは、顔面蒼白で帰ってきたゆっくり出来ていない母親に驚きを隠せなかった。
「おかーしゃん!?どうちたの!?」
「おかーしゃんがゆっくちしないと、れいみゅたちもゆっくちできにゃいよ!」
母の心配はするが、力も弱く、器用さも無い赤ゆっくりではどうすることも出来ない。
しかし矢れいむは、母を思う言葉を聞いただけでも十分にゆっくり出来たようだ。
矢に刺されながらも数日間、矢れいむは変わらず子育てに励んでいた。
矢に刺されてからは、刺さった矢が物に触れる度に、酷い苦痛に襲われると共に未来を悲観していたものだが、
暫くすると矢の長さを体で覚え、安全に立ち振る舞えるようになっていた。
今では矢のハンデをものともせず、立派に子育てして見せると、以前よりも強い自負を持って臨むようになったのだ。
町が夕闇に染まりかけた頃、公園外の道路に設置された街灯から差し込む光がトイレの外壁をわずかに照らす。
ダンボールの中ではその反射光を頼りにしたゆっくり親子の団欒が始まる。
「ゆっくりたべてね!」
「「「むーちゃむーちゃ、ちあわせーっ!」」」
「きょうはおひさまがきれいだったね!」
「「「ゆっくちしていたね!」」」
「きょうね!おねーちゃんがね、おうちにきちゃちょうちょさんつかまえたよ!」
「ゆゆーん!おちびちゃんもいちにんまえだね!」
「ゆっへん!」
「それじゃあゆっくりおやすみのじかんだよ!ゆっくりねむっていってね!」
「「「ゆっくちおやすみなちゃい!」」」
「おちびちゃんたち…ゆっくりしていってね…」
子ゆっくりの安らかな寝顔を見て矢れいむはとてもゆっくりした気持ちになっていく。
朝から晩までの餌集めはとても大変で身体的疲労もとても大きかったが、子ゆっくりのことを思えばなんてことはないのだろう。
朝、太陽は民家の屋根高く上り公園をさんさんと照らしてはいたが、
矢れいむの住むダンボールはトイレの陰になっているので直接日に当たらず少し暗い。
時がたつにつれ、公園周辺の人間の活動は激しくなり、人々の雑踏がれいむの目覚まし代わりになっていた。
れいむは起床時にお決まりの挨拶をする。
「ゆっくりおはよう!」
子供達もその声を聞き目覚め始める。
まだまだ眠り足りないのか、体を起こすも左に右に、その身をふらふらと揺らしている。
寝ぼけ眼の子供達に、ぺろぺろをしてあげる母れいむ。
それが気付けになり、子供達の目はまん丸に開かれると一斉に母を見つめ
「「「ゆっくちおはやう!」」」
声を合わせて元気な挨拶を返す。
子供達の挨拶を聞いくと、母れいむはぺろぺろすりすりをして子供の体調の確認をしてからごはんの調達に出かける。
「それじゃあ、おかあさんはおしごといってくるからね!」
「「「ゆっくちしているよ!」」」
矢れいむはダンボールから這い出しトイレの影から身を乗り出す。
何時もならそのまま藪を掻き分けながら餌探しをするのだが、今日はいつもと様子が違う。
れいむは慎重に身を隠し、公園の中央部へ目線をやると人影があることに気づく。
「ゆうーっ!にんげんがいっぱいいるよ!」
この公園はもともと人気が無く、朝と夕方に散歩コースの一部にする人がわずかにいるぐらいで普段は閑散としている。
それもあってれいむはここを住処にすることに決めたのであったが、今日は十人以上の人間が集まっている。
「それじゃあみなさん、見つけたらまず最初に他の方を呼ぶようにしてください」
作業着を身にまとった男が指示を出している。
集まった人間も動きやすい格好をしていて、手には網などの捕獲道具を手にしていた。
「ゆう…これはゆっくりできないよ…」
れいむは子供達に言いつけを残す為に、すぐさま家に引き返す。
「ゆ!ゆっくりしっかりきいてね!」
「「「ゆっくちきくよ!」」」
「おかーさんがかえるまで、おうちからいっぽでもでるとゆっくりできないよ!」
「「「にゃんで?」」」
「ゆっくりできないにんげんさんがいっぱいいるからだよ!」
「「「ゆゆぅ!ゆっくりりかいしちゃよ!」」」
人間は怖いが餌集めを止める訳にはいかない、お腹が減っては子供達がゆっくり出来なくなるから。
れいむはいつも以上に周囲に気を払い、人間に見つからないように餌探しを始めた。
慎重に藪から藪へ身を隠し、人間の様子を伺いながら口の中へ食べものをしまいこむ。
だがしかし、いくられいむが見つからないようにしていても所詮はゆっくり。
人間がゆっくりを見つけるように行動をしているのであれば、ゆっくり程度の隠密能力では役には立たない。
どれくらい役に立たないかといえば、以前かられいむは度々その姿を人間に見止められていた。
その証拠にれいむが矢れいむになってしまったのも、未熟な隠密能力故である。
そうこうしている間にれいむはあっさりと人間に見つかってしまうのであった。
「いました!矢が刺さったゆっくりです!」
第一発見者はれいむが矢に刺されたのを真っ先に見つけた人間だった。
その人は近所の人と相談した上で、矢れいむの捕獲をし治療をしてあげようと人を集めたのである。
罠を掛けることも考えたのだが、罠に掛かった所で下手に暴れられて傷を広げたら元も子もないという事で捕獲作戦にしたのだ。
「ゆうううう!なんでおっかけてくるのおぉ!?」
そんな人間の好意をれいむは知る由も無く、つかまらないように必死で逃げていく。
(ここでつかまったら、あのこたちはだれがゆっくりさせてあげるの?)
心の中で繰り返し、あんよが攣りそうになるのを堪えながら逃げ回る。
母としては人並みの心の強さを備えていたが、悲しいことに彼女はゆっくり。
動く饅頭と揶揄されるゆっくりの移動は緩慢そのもの。
人間の足にゆっくりが敵うはずもなく
「そっちにいったよ!うまく回り込んで!」
「体を大きく見せて!脇を抜けられないように!」
ついに周りを全て人間に固められ
「ゆっくり輪をすぼめていって」
「ゆっくり…ゆっくり…」
「やさしく…矢に触れないように…」
逃げ場を失ったれいむは
「ゆううううう!ゆっくりできないよ!」
人間に捕らわれてしまった。
作戦が成功した事に人間たちは喜びの声を上げる。
「いやー道具を使わずに済んで良かったですよ」
「まあ網が矢に引っかかったらそれはそれで大変でしたからね」
「それにしてこんなところに矢が刺さって生きているなんて…」
「まあ生首が生きているのとは違いますから、ぎりぎりの部分に刺さっているんでしょうね」
「細かいことは専門家に任せることにしましょう」
一方捕まってしまったれいむはある決心をしていた。
それは子供達の事は決して口にしないこと。
しかし人間達にはれいむの子供を探そうという気は全く無い。
そもそも子供達の存在は知らないのだから当然である。
れいむはあちこちに出向いていたので人間の目にさらされてきたが、子供達は非常に聞き分けが良く、
人目に付かないダンボールハウス近辺から出て行かなかった為にその存在が知られることが無かったのである。
「ゆっくりできないよ!れいむをゆっくりさせてね!」
「大丈夫だよ、これからゆっくり出来るようにしてあげるんだから」
「おねがい!おうちでゆっくりさせてよ!」
れいむは檻の中からお家に返してと懇願するが聞き入れられない。
「安心しなさい、治療が終わったらすぐに返すから」
捕獲作戦の指揮を取っていた男が檻に囲われ震えるれいむに優しく語っている。
しかしれいむは人間の言葉が信じられなかった。人間そのものが信じられなかった。
だから子供達の事を言えずにいたし、治療といわれても何をされるのかと、びくびくとその身を震わせていた。
れいむは様々な不安を抱えたまま檻ごと車の中に押し込められ、見知らぬ人間とのドライブに連れられていった。
車は郊外にある、一軒の民家の前で停止した。
築30年は経っているであろう、外壁に茶色いトタンが打ち付けてある、どこにでもあるような民家だった。
れいむとドライブをした男は車から降りると無言でれいむを車の後部座席から出した。
「ここはどこ!?ゆっくりしないでおうちにかえしてね!」
れいむは移動中ずっと同じようなことを言っていたので全く相手をされなくなっていた。
男は檻を抱え玄関の前に立つと、檻を足元に置きインターホンを押す。
「はーい、今いきますよー」
男性の声がした後、暫くしてから玄関の引き戸ががらがらと音を立て開けられ、その奥には一人の人間が立っていた。
「どうも博士、これがそのゆっくりです」
れいむを連れて来た男は戸の先に居る男を博士と呼び、地に置いた檻を持ち上げそれを渡す。
「その博士ってのは…まあいいか。全快するまでしっかり面倒を見るよ」
ぼさぼさ髪の少々だらしない印象を受ける風体の、博士と呼ばれた男はれいむの入った檻を受け取る。
れいむの引渡しが済むと、博士に一礼をして車に乗り込み去っていった。
博士は車が去っていくのを見届けると、れいむの檻を持ったまま戸を閉めた後ぼつりと呟いた。
「まったく、こんなものに治療だなんて大げさな」
この男はゆっくりの専門家というわけではないが、ゆっくりの扱いに長けているということで、
矢れいむを発見した人間の伝でゆっくりの治療を依頼されたのである。
「おじさん!れいむはおうちにかえりたいんだよ!?ゆっくりしないでここからだしてね!」
れいむは他に言うことがないのでおうちに帰るとわめき続けている。
「わーった、わーった。治療がすんだら返してやっから大人しくしていろ」
博士は面倒事をとっとと片付けたいかのような口ぶりだ。
廊下を伝って奥の部屋に入るとそこは台所。
博士は床の上に檻をそっと置き、「大人しくしていろ」と念を押してから檻の戸を開けると、
「おじさんありがとう!」
れいむはそういって家の出口を探しに飛んでいこうとする。
「大人しくしろって言ったろ!」
博士は少々イラついたようで、床を飛ぶれいむの頭を軽く踏みつける。
「ゆぎゃががががが!ゆびゃあああ!ゆっぐりじだああい!」
矢が刺さったままなので、踏みつけられることで体内を貫通する矢がれいむの体の餡を激しく刺激してしまう。
白目を剥き、涙やら涎やらを撒き散らし、ぴくぴくと痙攣し泣き喚く。
「大人しくしないのが悪いんだよ」
荒々しく言いながら、両こめかみから出た矢を掴んでテーブルの上へ引き上げる。
「ゆっぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ!ごぼごおおぎゃごおぼ!!おぼぼおぼぼ…」
今まで体験した事の無い未知の苦痛がれいむの口から異常な悲鳴を吐き出させる。
「ったく…うるせえなぁ」
また暴れださないようにと男は片手でれいむの頭を強めに抑えつける。
「ゆ゛っ!…ぐっ…ゆ゛う゛うぅ…」
口を開けない所為でくぐもったうめき声が体から漏れ出し、充血した目からあふれ出た涙が足元に溜まりだす。
男は開いた片手でテーブルの上にあった焼酎のビンを手にして、その中身を口に含む。
そして口に含んだ焼酎を霧状にしてれいむの顔に吹きかけた。
「ゆゅうううう!?ゆううううぅ!?」
液体を掛けられたことで、水を嫌うれいむはパニックに陥る。
「ま、アルコール消毒なんて意味は無いとは思うが、これで大人しくなるだろう」
アルコールが消毒に効いたのかどうか分からないが、大人しくさせるには効果は有ったようで、
れいむは焦点の合わない目で遠くを見つめ、小刻みに震えながら「ゆっ、ゆっ、ゆっ」と呟くだけで暴れなくなっていた。
博士はれいむが大人しくなっているうちにと、素早く矢を引き抜いた。
「ゆ゛んっ!」
矢を抜かれたれいむは相変わらず震えっぱなしである。
矢を抜いたら次に小麦粉を水で溶き、ペースト状になったものをこめかみの穴に埋める。
穴がふさがったところでオレンジジュースをれいむの口に注ぎ込み、しばし待ってから頬をはたいた。
「おーい、めーをさーませー」
外部からの刺激を受け、れいむは正気を取り戻す。
もちろんオレンジジュースの効能もあってのことだったが。
「ゆゆっ!?ゆっくりできないことをするおじさんはゆっくりできないよ!」
覚醒したれいむは不満を述べつつ、ここから逃げ出そうとテーブルから飛び降りようとする。
逃がす訳には行かないと、博士は両手でがっしりとれいむの体をわしづかみにする。
「やああああ!ゆっくりできなくなるからやべで!」
わずかな期間であったが、自身の頭部にあった違和感の事はしっかりとれいむの記憶に刻み込まれている。
頭の異物が何かに触れると、体の芯から痺れる様な激痛が全身を襲うのだ。
その苦痛が人間の手によって強制的にもたらされる恐怖で身がすくむ。
人間に触れられるだけでも泣いてしまいそうなのに、頭の異物を弄られたらと思うとおかしくなってしまいそうだった。
「やべでくだはい!おでがいひましゅ!」
言葉も正確に発することが出来なくなるぐらい一杯一杯になっている。
そんな状態でれいむが出来ることはお願いすることだけだった。
しかし博士はそんな願いを無視してしつこく撫で回していく。
「ゆばぁっ!あばっ!あ゛っ!ああ゛っ…」
恐怖のあまり顔がめちゃくちゃに歪み、口から漏れるのはうめき声だけ。
やめてやめてと頭の中では考えているのにそれが言葉になってくれない。
れいむはあの痛みが何時来るのかと身構えていたのだが、なかなかその痛みがやってこない。
暫くするとれいむもだんだん分かってきたようだ。
自分の頭に出来たゆっくり出来ない物が、綺麗さっぱり無くなっている事に。
今まで恐怖にゆがめられた顔がだんだん正常な状態に近づいていく。
頭の中身も整理が付き始めると、れいむは久しぶりにまともな言葉を発した。
「ゆっ!ゆっくりできるよ!」
人間に無理やり連れられて、踏みつけられた時は殺されるんじゃないかとさえ思った。
顔に手を這わされたときは永遠に苦しめられるかと思った。
けど今は矢が刺さっていた部分を触られた時に、あの痺れるような痛みが走らなかったのだ。
何故か分からないけどもう二度とあのゆっくり出来ない痛さに悩まされることはない!
これで頭のことを気にしないでゆっくり餌集めができるとれいむは喜んだ。
(餌集め?)
ここでれいむは重大な事を思い出した。
おうちに可愛いおちびちゃんが待っていることを。
「れいむはおうちにかえるよ!」
れいむはテーブルから飛び降りようとしたが。
「そうは問屋がおろさないんだよ」
先生はれいむの頭をがっちりホールドし、再び檻の中へれいむを閉じ込めた。
「おじさんゆっくりしてよ!れいむはゆっくりおうちにかえりたいよ!」
「俺から言わせればもうお前を帰してもいいんだが、ほかの奴らが納得してくれないんだよ」
普通の生き物なら、矢が貫通したキズが10分で完治する事などありえない。
だがゆっくりは脆弱な肉体とは裏腹に、驚異的な回復力を持っている。
しかしそのことを知っているのはゆっくりを扱ったことのある人間ぐらいだろう。
矢れいむを助けようと思った人間をはじめ、捕獲作戦に関与した人は皆そのことを知ってはいない。
このまま解き放っても余計な騒動を巻き起こすだけだと思った博士は、しばらくれいむを飼う事にしたのだ。
「おじさん!れいむはここじゃゆっくりできないよ!ゆっくりできないのはゆっくりじゃないよ!」
さっきも言ったとおり、今れいむを帰すと博士の不利益になるかもしれないので聞き入れられない。
いっそ子供達のことを話して説得しようと思ったが、先ほどまで散々痛めつけてきた博士の事を信用出来るれいむではなかった。
一方博士は必死に訴えかけるれいむに相当いらいらしていた。
傷を治してやったのにゆっくり出来ないとは何事かと。
正直言って殴り飛ばしてもかまわないと思っている。
だが怪我を治すことで報酬を受け取るのに新たな傷を作ったら元も子もない。
「おうち、おうちってよぉ…」
先生は『おうち』という単語を自ら口にしたことではっと気づいた。
こいつは腹が減っているだけなんじゃないかと。
おうちの周りはゆっくりの餌場、おうちは食事をする場所。
おうちに帰りたいのは腹が減ってるだけなんだと、そう結論づけた。
そうと分かれば話が早いと早速戸棚の中を探り、ゆっくり好みの甘いお菓子を取り出してきた。
「ほら、腹が減っていたんだろ?これでも食べなよ」
れいむはおうちに帰して欲しいのに食べ物を貰っても…と思ったが、実際朝から何も食べておらず、人間達に追い回されたのでお腹は空いていたのだ。
「ゆっくりいただきます!」
腹が減ってはなんとやら、ひとまず空腹を満たしてからお家に帰ろうとれいむは思った。
こうしているうちにも子供達はお腹を空かしているんだろうなと、れいむは少し申し訳ない気持ちにはなったが、今は力をつけることが必要だと考え直し、
せめて残りをもって帰ろうと思いながらお菓子を口にした。
「うっめ!これめっちゃうめぇ!」
れいむの目からは涙があふれ、半開きの口からもよだれが駄々漏れになる。
いままで人間の食べ物を口にした事の無いれいむは初めての甘味に感動していた。
その強烈な刺激はれいむの体を駆け巡り、餡子の隅まで伝わった。
結果、
「おじさん、あまあまありがとうね!」
お菓子を全部平らげてしまうほど、子供達の事を失念してしまった。
一方れいむの満面の笑みを見た博士は自身の予想が当たったことに気をよくする。
「夕飯までおとなしくしているんだぞ」
そう言い残して外へ出て行った。
口の中のあまあまの後味が無くなるにつれて、れいむはふつふつと子供たちのことを思い出していく。
「ゆっくりしすぎていたよ!ゆっくりおうちにかえしてね!」
すでに部屋に先生はいない。
ゆっくりの声が聞こえないところに行ってしまっていて、れいむの願いは届かない。
夜、博士がれいむのいる部屋に行くと、再びれいむが訴え始める。
「おじさん、れいむはおうちでゆっくりしたいよ!」
先ほどと同じように空腹の訴えだと判断してお菓子を置いていく。
「むーしゃむーしゃ、しあわせ~♪」
子供達に残そうと思いながら食べるが、ついつい全部食べきってしまう。
再び空腹になる頃に子供たちのことを思い出し
「おうちにかえりたいよ!」
と、声が伝わらない寝室で眠る先生へ届かぬ願いを訴え続ける。
朝、目が覚めたれいむは「おうちにかえりたいよ!」と挨拶代わりの叫びを上げる。
何度か叫ぶが相変わらず誰もやってくる気配がない。
目覚めから暫く後、手に大きな袋を下げた博士がれいむの元へやってきた。
「もうやだ!おうちかえる!」
博士は相変わらずれいむの叫びを無視している。
無視しながらも、博士は手に提げた袋から取り出したお菓子を次から次ぎへと檻の中へ入れていく。
袋の中身が空になると、博士はやっと口を開いた。
「何回かに分けて食べろよ」
博士はそう言って檻の戸を閉め、空の袋をゴミ箱に投げ入れてから部屋を出て行った。
また今度も帰れない。
一旦気落ちしたれいむだったが、今が駄目なら次の機会だと思い直し、改めて目の前のお菓子に目をやった。
れいむは大量のお菓子に目を輝かせていた。
疲れ果てて寝てしまうまで、一晩中叫び続けたのだから空腹度も相当なものだ。
一杯食べないと満足出来ないと思ったが、これだけあれば子供たちの分まで十分あるだろうと思い、遠慮しないでがつがつと食べ始めた。
「むーしゃむーしゃ、しあ…むーしゃむーしゃ!しあわせー!」
れいむは一瞬しあわせーを躊躇ったが、家に帰れば子供達にもこのしあわせーをあげる事が出来ると思い直したので、改めてしあわせーを口にした。
おなかが一杯になった所で、唯一の脱出手段である「おうちにかえる!」の叫びを上げていた。
それを昼間で繰り返し、お腹が空いたらお菓子を食べ、また夜まで叫んだらお菓子を食べる。
結局その日博士はれいむに姿を見せることは無かった。
そして子供達の為に残そうと思ったお菓子も奇麗さっぱり無くなってしまった。
「ゆゆっ!おちびちゃんたちのおかしがなくなっちゃよおお!?どぼちてええええ!?」
一日中叫び続けるという無駄なことをした所為だとは、れいむは気付いていなかった。
結局博士が帰ってきたのは次の日の夜だった。
その日のれいむは体力のある間、朝からずっと叫んでいた所為で、昼以降は猛烈な空腹感に苦しんでいた。
「よくもまああれだけの菓子を食いきるとはねぇ…少し多めにくれてやるか」
れいむは檻の中に入れられたお菓子の所まで這いずる様に近付いて、しあわせーを言うことなく食べきった。
翌日の昼、博士が多めにお菓子を与えたことで余裕が出来たからか、朝にもらったお菓子を取って置いていた。
れいむ種は、まりさ種やぱちゅりー種のように帽子を所持していないので、餌を隠すことが出来ない為に、残したお菓子を博士に見られてしまった。
「なんだ、もうおなか一杯なのか」
博士は何気なく聞いたつもりだったが、その質問はれいむを困らせた。
おなか一杯と言えば、これを食べるまで次のお菓子は貰えないだろうし、子供達の為に取って置いてあげているとは、とてもじゃないが言えはしない。
博士は今まで人を見るなり散々お家に帰ると喚き散らしていたれいむが黙りこくっている事に疑問を感じた。
「…誰かにあげたいのか?」
博士の二の句は一番答えに困る質問だった。
「いないよ!れいむにかわいいおちびちゃんはいないよ?」
その質問にれいむは動転しすぎてぼろが出てしまった。
「お前…子供がいるのか?」
博士には悪意も何も無いが、れいむにはそれは分からない。
この期に及んでも子供の存在を必死に否定する。
「れいむはひとりぼっちだよ!おうちにかえってもだれもいないよ!」
その必死さが逆に裏があると読み取れてしまうことにれいむは気付けない。
「まったく、母性が強いってのも、時と場合によっては考え物だな」
れいむが公園に着いた時はすでに夕方になっていた。
「ありがとうおじさん!ゆっくりしていってね!」
れいむはすぐに家に帰りたかったが、お家が人間に見つかるのはまずいと思ってわざと逆方向の藪に体を潜ませた。
結局最後まで人間不信は抜けなかったようだ。
人間が去るのを確認すると、れいむはおうちに向かって駆けていった。
いままでさみしい思いをさせてしまった分、たっぷりゆっくりさせてあげよう。
もらったお菓子で一緒にしあわせーになろう。
そう思いながら藪の中を飛ぶように跳ねていくれいむ。
目印になるのは誰も使う事のないトイレ。
その裏にはダンボールで出来たおうちがあるのだ。
お家が無事な事にほっと胸をなでおろすれいむ。
喜色満面でお家の前に駆け込み、大きな声で
「おちびちゃん、ゆっくりしていた!?」
帰宅を知らせる挨拶をしたが返事が無い。
「おちびちゃん、おこってるの?」
返事が無いのは拗ねているからなんだと、そう思いつつ部屋の中をのぞくがそこには子ゆっくりはいなかった。
「おちびちゃん…どこにい
呟きながら部屋を見渡すと、そこに黒い塊と見慣れたものが。
「お…お…」
黒い塊より少し小さい赤いリボン。
紛れもなくれいむの子供達のリボンだった。
家に帰る途中で子供達が飢えて苦しんでいるんではないかと心配したりもした。
しかし家を出る前日、子供の一人が
「ちょーちょさんをつかまえたんだよ」
と言ったことを思い出すと、もしかしたら立派に狩をしているかも?と思ったりもした。
結果は子ゆっくりがあまりにも親を信頼しすぎた末の悲劇だった。
あのちょうちょを捕まえた子れいむは、確かに狩ができる力を持っていた。
表に出て地力で餌を取ることもできただろう。
しかし子ゆっくり達はれいむの「一歩も家を出たらいけない」という言いつけを守ってしまった。
「おかーしゃんおそいにぇ…」
「おにゃかすいちゃったよ!」
「あめさんのひにたべりゅごはんがのこってるよ!」
体内の餡の少ない子ゆっくりは、丸一日の絶食でも命にかかわる。
備蓄の食糧はそれなりにあったのだが、自制の効きにくい子ゆっくりではそれをうまく持たせるのは難しい。
「おかーしゃんどこいっちゃのかな?さがしにいってみようよ!」
「かえってきゅるよ!おかーしゃんはうそつかにゃいもん!」
「でていっちゃらにんげんにみちゅかっちゃうよ!」
一日、二日とどうにか生き抜いてはいたが、丸一日絶食してしまった三日目の夜には動くこともままならなくなった。
「…おにゃかしゅいたよおおぉぉ…」
「おきゃーしゃあん…」
「もっちょ…ゆっきゅり…しちゃかったよ…」
空腹で動けなくなった子ゆっくりの末路、それは徐々に体の餡を減らし、黒ずみになるのを待つだけであった。
れいむは泣いた、泣きに泣いた。
人間に捕まったあの日、お家を出てから今までの行動を悔やみぬいた。
今思い返せば、あまあまをくれた人間は信用してもいい人間だった。
でも檻の中から見た人間はどうしても信用しきれなかった。
しかしいくら悔やんだところで子供は帰ってこない。
子ゆっくりの亡骸が、虫達の糧にならなかったのはせめてもの慰めだった。
泣き疲れたれいむは誰もいないおうちで泥のように眠った。
「ゆっくりおはよう!」
れいむは目を覚ますといつものように朝の挨拶をした。
だが部屋の黒い塊は返事を返すことはない。
「ゆっくりかたづけるよ・・・」
小枝を使ってダンボールの側に小さな穴を掘る。
道具を使うのが得意ではないれいむだったが、時間を掛けてしっかりとした穴を掘る。
栄養失調で萎んだ亡骸は、生前の子ゆっくり一匹がすっぽり納まるサイズの穴に全て収められた。
「おしごとにいくよ」
れいむは自分に言い聞かせるように呟きながら、土饅頭に一瞥をくれてから家を出た。
オワリ
最終更新:2009年05月22日 20:41