長女まりさの口が開いた。右手が解放される。だが、ほっとしたのも束の間、その口はれみりゃの首筋を挟み込んだ。もがいても、叩いても外れない。もう、このまりさは本当に死んでしまっているのかもしれない。
れみりゃは死んだ。
「れみりゃも、死んだどぉ!」
左手でまりさの目を突き、えぐり出す。だが、相手は死
ゆっくり、その程度じゃあ怯まない、離さない。
それならば、左手で解体してやる。少しずつ削り取って最後に腕に刺さった歯を抜き取ってやる。
その間、好きなだけ右手に噛み付いていろ。右手だけ失っても、左手がある。利き腕ではないので、右手ほどの働きはできないが、ほっといても死ぬようなお前のまぁまと、戦いを知らぬゆっくりと、子供や赤ちゃんを殺すには十分だ。
着実に、れみりゃの左手は長女まりさの体を削っていった。
かちゃん、と音が鳴った。
それは腰に下げていた。一本のナイフ。
咲夜から貰ったナイフ。これがあれば十分だどぉ、と木剣を見せて言ったれみりゃに、咲夜がいざという時のために持って行きなさいと押し付けたナイフだ。
洞窟の扉を開こうとしていた時に、その存在を一度思い出したが、結局あの時は使わなかったので、再び存在自体を忘れていた。どうせ、使うことはないだろうから。
そして、実際に使わないで済みそうだった。
「ゆ゛ぎぎぎぎぎ!」
長女まりさは体の半分を失いながらも、しつこく噛み付いている。正直、右腕が痛くてしょうがない。
「うー、使わなくても大丈夫なんだど、でも、このまりざめ、たいした奴だどぉ、あまりにもいだいから、使うづもりの無かったナイフを使うどぉ」
れみりゃはナイフを拾い、手元の突起を押し込んでから振った。それで鞘は外れた。
さすがに、十六夜咲夜のナイフである。見事な輝きだ。人里の刀剣売買を生業にしている人間のところに持ち込めばちょっと間、食うに困らぬぐらいの金にはなるだろう。
「つがわなくで済むとおぼったのにっ!」
右手の激痛によって、じわりと涙を流しながら、れみりゃはナイフを振った。手でかきむしるようにするよりも遙かに容易に、長女まりさが削れて行く。
「う゛ーっ」
やがて、れみりゃの右手には、長女まりさの歯だけが食い込んでいた。それを一つ一つ取り出す。一つ取るたびに激痛が走る。
「う゛っ、う゛っ、う゛あ゛っ」
全てを取り除いてから、母まりさの方を見ると、なんとまだ生きていた。
れみりゃが近付くと、怨念に凝り固まった目を向けてくる。娘を殺したれみりゃに恨み言の一つといわず千も万も言いたいのだろうが、もう声が出ないようだ。
もう、軽く蹴っただけで死にそうな母まりさに、れみりゃは、ナイフを突き立てた。
「このナイフは、おばえらおやこへのけーいなんだどぉー」
洞窟の中では、か細い泣き声と、それを必死に励ます声が絶え間なく上がっていた。子供たちを励ます大人たちの声も、これでもかというぐらいに震えているのだから、あまり効果は無い。
苦悶の表情で死んでいる赤ゆっくりがけっこういた。毒性の煙によって死んだのだ。広い洞窟内で拡散したとはいっても、大人のゆっくりが体調を崩すぐらいの威力はあったのだから、耐えられれぬ赤ゆっくりがいるのも当然だろう。
コツコツ、と足音がする。
「ゆっ!」
誰かが来る。
「ゆゆーっ! 勝っちゃー!」
「長たちが、あのれみりゃをやっつけたんだよ!」
「ゆわーい! ゆわーい!」
「しゃすがちゃんぴおん、れーむは長たちが勝つと思っちぇたよ!」
「ゆゆぅ、そんにゃら、まりさだっちぇ」
「ばんじゃーい、ばんじゃーい!」
子供たちは、もうそれを長たちの勝利の報せと決め付けて盛り上がっている。
大人たちは、さすがに現時点ではまだわからないではないか、とは思ってはいたのだが、既に彼女らも極限状態であり、その子供たちの明るい声に、すすんで乗せられた。
「ゆゆーっ! ばんざーい! ゆっくりばんざーい!」
「たいへんだったけど、これでまた明日からゆっくりするよ!」
「ゆっくりしようね!」
「みんな、ゆっくりしようね!」
「ゆっくりしていってね!」
「「「ゆっくりしていってね!!!」」」
洞窟の中にいた全ゆっくり、いや、正確には一匹を除いた他全てのゆっくりたちの歓喜の声が響き渡った。
ただ一匹、それに唱和しなかったパチュリーは、長女まりさのブレーンとなって彼女と群れのために様々な仕事をしていた。長女まりさに今はまだその気が無いが……将来、彼女と番になれたら、と夢想して、むきゅむきゅ、と照れていた。
それも全て終わった。でも、あの大好きなまりさと一緒に死ぬのは悪くない、と思った。
コツコツ、と足音が近付いてくる。
群れを守った英雄たちを迎えんと、ゆっくりたちは今か今かと、あの言葉を喉下に溜めて待っている。
パチュリーは、それに唱和する気にはなれなかったが、喜びに満ちた仲間たちを見ると、水を差す気にもなれず、沈黙を守る以外に無かった。
パチュリー種は、ゆっくりの通常種の中でも知能の高い個体が多いことで有名だ。彼女もまたその例に含まれる。でなければ、あの賢い長女まりさのブレーンなどできるものではない。
だから、彼女は気付いている。
あの足音は、自分たちの仲間が地面を跳ねる音とは全く違う、ということを――。
あの足音は、
コツ
二本の足を持った生き物が
コツ
交互に足を動かして歩く時に生じる音である、と。
影が見えた。
パチュリーはもう目を閉じている。もう、何も見たくなかった。
影に向かってパチュリーを除いたゆっくりたちは喉が張り裂けんばかりに叫ぶ。
「「「ゆっくりしていってね!!!」」」
ゆ゛っぐりでぎないんだどぉ……。
その影はそう呟いた。
戦闘マッスィーンだがら、もう死ぬまでゆっぐりできないんだどぉ……。
「うー、かんじが多いんだどぉ」
「あらあら、まだ早かったかしらね」
本を開いた途端にうぁーと頭を抱えるれみりゃを見てニコニコ微笑みながら、小悪魔がそれじゃこれなら、と字がほとんどない絵ばかりの本を差し出す。
「うー、これならわかりやすいんだどぉ、わかりやすく書くのがぷろだどぉ、さっきのは書いた奴が気取ってかんじたくさん使ってわかりにくくなってるんだどぉ、ひとりよがりだどぉ」
「そうねえ」
と気の無い返事を返しつつ、れみりゃが投げ出した本をちらと見る。外の世界から漂着した本で「幼稚園のうちからはじめる 小学一年のこくご」と表紙には書かれている。
「うー、そろそろさんぽに行ぐんだどぉ」
立ち上がって、図書館を出て行こうとするれみりゃに、小悪魔がいつもしている注意をする。
「誰かに襲われたら、ちゃんとそれ見せるのよ。人間はもちろん、低級な妖怪もビビって逃げ出すからね」
それ、と小悪魔が指差すのは、れみりゃの帽子につけられた赤いバッチ。かつて彼女の母がつけていたもので、とある群れの長であったまりさを経て、れみりゃのものとなった。 紅魔館の十六夜咲夜の飼いれみりゃであるということの証であるが、れみりゃは、それを強いゆっくり、ちゃんぴおんの証だと思っている。
「ユー アー ちゃんぴおん! えーご使えるどぉ、インデリだどぉ」
アイ アム チャンピオン、って言いたかったのねえ、と小悪魔は気付いたが、意味は通らなくても、れみりゃが「ユー」と「アー」を覚えているということにちょっと本気で驚いていたので、それは言わずにおいた。
ふらふらとれみりゃの散歩に目的地は無い。しかし、とある生き物の声が聞こえると、れみりゃの足はそちらへと向けられる。
「ゆっゆっゆっ、ゆっゆっゆ~っ」
「ゆゆっ、れーむおうたがじょーずになっちゃね」
「ゆふん、おきゃーしゃんにとっくんしてもらっちゃの」
「ゆぅ、それにゃらまりしゃもこんどおぼうしでお水さんのうえをすいーって行きゅの見せちぇあげりゅ」
「ゆゆぅ、まりしゃ、おぼうしですいーできるようになっちゃの?」
「ゆへん、おとーしゃんにとっくんしてもらっちゃの」
れいむとまりさの両親に、子まりさと子れいむの四匹家族。
「ゆゆぅ、れいむたち、とってもゆっくりしているね!」
「れいむはおうた、まりさはおぼうしですいーをできるようになってよかったね!」
「これからもゆっくりしようね!」
「ゆっくりしていこうね!」
だが、その団欒を引き裂く悲鳴。
「ゆきゃぁぁぁ!」
「れみりゃだぁぁぁ!」
「ゆぎっ! れみりゃ!」
「ちびちゃんたち、はやくこっちに逃げてきてね、ゆっくりしないでね!」
「ゆ、ゆっくりしないで逃げるよ!」
子供たちがぽよんぽよんと必死に親のところまで行く。
「それじゃ、逃げるよ!」
と、逃げ出そうとした時には、れみりゃは空を飛んで一家の前に立っていた。
「ゆぎぎゃあぁぁ!」
「ゆ、ゆひぃ、ゆひぃ」
「たしゅけちぇー!」
「きょわいよぉぉぉぉ!」
もう半ば諦めて震えるだけの一家に、れみりゃは優しく声をかける。
「ゆっくりさせてあげるどぉ」
「ゆゆっ!」
捕食種は、あまりゆっくりという言葉を使わない。ゆっくりしているゆっくりをゆっくりさせないのが捕食種だ。ゆっくりしていってね! と挨拶しても、無視するか。れみりゃがゆっくりするために、おまえらは食われるんだどぉ、と捕食してくるのが当然だ。
「ゆっ? ゆっくりさせてくれるの?」
「ゆゆゆ?」
「……れみりゃは、よいれみりゃにゃの?」
「れみりゃがゆっくちさせてくりぇるなんて知りゃなかったよ!」
知識に乏しい子供たちは、自然と世の中にはゆっくりしているれみりゃもいるのだなあ、と思っていたが、さすがに両親はそんなことあり得ないと頭から決め付けている。
「ゆっきゅりちゃちぇてえ!」
「お、おちびちゃん!」
子供たちが、まだ赤ん坊言葉が抜けない舌足らずな喋りをしながら、れみりゃに向かってぽよんぽよんと跳ねていく。両親は近付かせたくないのだが、れみりゃが怖くてあんよが竦んで動けない。
「うー、ゆっぐりするんだどぉ」
「ゆっくちぃー」
ぱん、と、れみりゃの足が、子まりさを踏み潰した。
「ゆ?」
「ゆ?」
「ゆ?」
「うー、お前もゆっぐりするんだどぉ」
何が起こったかを認識して叫び声を上げる残された三匹。
「ゆ゛ぎゃああああ、れいぶのおちびちゃんがぁぁぁ!」
「ゆびぃぃぃ、おぼうしですいーを覚えたばかりのばりさの子がぁぁぁ!」
「ゆぎ」
最後の子れいむは、何か言う前にれみりゃに踏み潰された。
「ゆぎぎぎぎぎ、おちびちゃんをごろしたれびりゃは、ゆっぐりじねええええ!」
果敢に、親まりさが体当たりを仕掛けてくるが、れみりゃはそれをがっしと受け止めて地面に叩きつける。
「ゆびゅっ!」
と、餡子を噴水のように噴出して、親まりさはぴくぴく痙攣するばかりとなった。
「ゆ゛ゆ゛ゆ゛、やべちぇね! ごろじゃないでね! れいぶ、もっどまりざどゆっぐりじだいぃぃぃ!」
「うー、ゆっぐりするんだどぉ」
れみりゃが背中に手を回すと、その手には一振りの木剣が握られていた。
すぱん。
親まりさが斬り潰されて絶命する。
「ばりざぁぁぁぁ! おぢびぢゃんだぢぃぃぃぃ!」
「ゆっぐりするんだどぉ」
「ゆ゛っぐりでぎない゛ぃぃぃぃ! 死んだら、ゆっぐいでぎにゃぃぃぃ!」
「うー、お前はわかってないんだどー、生きている間はゆっくりできないことばかり。死んではじめてゆっくりできるんだどぉ」
「ぢがう、ぢがう、死んだら、ゆっぐりできにゃいよぉぉぉぉぉ!」
「ゆっぐりするんだどぉ」
「ゆぎ、ゆびゃあああ」
四つのゆっくりの死骸を見下ろして、れみりゃは頭を下げる。
「どうかゆっぐりしてください、だどぉ」
死ぬことこそが、ゆっくりなのだ。
だから、れみりゃもできることなら今すぐに死んでゆっくりしたい。
だが、それはれみりゃが犯した罪が許さない。れみりゃは母の仇討ちとはいえ、二百匹からなるゆっくりの群れを絶滅させてしまった罪深いゆっくりである。中には、小さな赤ちゃんもたくさんいた。にんっしんっ、している母親をそれと気付かずに叩き割ったら赤ちゃんが出てきて、最初に見たれみりゃのことを親だと思っておきゃーしゃんおきゃーしゃん、と慕ってくるのを叩き潰すのは、さすがに心が痛んだ。
この罪を償うために、れみりゃはゆっくりたちをゆっくりさせている。
……それなら、その罪だっていう二百匹のゆっくり殺しも、ゆっくりさせてやったんだから罪とかじゃねえんじゃねえの? とか思っても、れみりゃにそれを言ってはいけない。いや、言ってもいいけど、まったくりかいしません。
「うー、ゆっぐりとは死ぬごとと見つけだり、だどぉ」
※あとがき
このれみりゃ、優遇……と言っていいのかな。
自分でもよくわかんないよ!
あと、レミリアお嬢様は、おれのイメージではけっこう寛大なお方です。
最終更新:2009年06月01日 05:12