*警告*
- 現代物です。
- ゆっくりは何も悪いことをしていませんが、ゆっくりできません。
- 設定と構成上、「ペットを飼う資格(略)」系は*絶対に*受け付けません。
↓以下本文
「ゆっくりしていってね!」
視界が一瞬にして開けた。れいむは目の前の人間さんに、あんこの底から沸き上がった
言葉を投げかける。このおねえさんは、無条件にゆっくりできる相手だと本能が告げてい
たから。
「れいむ、ゆっくりしていってね」
「いっしょにゆっくりしようね!」
おねえさんはにこにこしていて、とってもゆっくりできるにんげんさん。れいむは確信
していた。こんなゆっくりできるおねえさんと一緒にゆっくりできるれいむは、きっと世
界で一番ゆっくりしているゆっくりなのだと。
しかし、それは全て加工場のたゆまぬ努力によるものである。愛玩用ゆっくりは、目が
開く前に親ゆっくりの茎から切り離され、出荷まで親ゆっくりの顔も知らず、すーりすー
りの感触も知らず、あまあまの味も知らずに、暗闇の中で育てられる。育成機の中は光も
音も届かない。すーりすーりができないように一匹ずつ器具で固定され、舌に癖がつかな
いように後部からチューブであんこを継ぎ足され、ハンドボール大になるまで成長させら
れたゆっくりは、真空パックされて仮死状態となり、晴れて出荷される。このれいむもま
た、大量生産の愛玩用ゆっくりの一匹だった。
真空パックから取り出され、やがて目覚めたれいむは、幾度か目をしばたかせる。目の
前の鮮やかな色彩。生まれて初めて目にする姿。頬に触れた指の感触。何も知らず、何も
見えず、何も聞こえず、暗闇の中で成長させられたれいむには、それは生まれて初めての
ゆっくり体験だった。
箱を開け、真空パウチからゆっくりを取り出せば、刷り込みにより、ゆっくりは購入者
に絶対の信頼を抱く。未刷り込みゆっくりを真空パックで流通できるようになったことで、
ゆっくりは食用、加工用だけでなく、愛玩用という新たな商品展開を得た。
「すーりすーり、ゆっくりー!」
「おー、柔らかい……!」
娘の指に頬ずりし、れいむは歓喜の涙を流す。暗闇の中で育ち、一切頬に触れないよう、
固定されて育ったれいむには、その感触は絶対的にゆっくりできるものだった。娘もまた、
れいむのぷにぷに感に頬を緩ませる。両手でつかまえ、ぶにぶにと揉みしだいているうち
に、れいむは腹もないのにおなかを鳴らした。
「おねえさん! おなかぺこぺこだよ!」
「開けてから何も食べさせてなかったものね。いいわ、いまエサあげるわね」
娘は餌皿とれいむを床に置くと、ゆっくりフードの袋を確かめる。食べた物は中身にな
るため、栄養価はどうでもいい。食事をした充足感でゆっくりすることにより、ゆっくり
は存続し、成長することができる。そしてこのゆっくりフードは、ゆっくりが人間の食べ
物に興味を持たないよう、加工場の秘密テクノロジーで極限の苦痛を味わい、とてもとて
も甘くなったゆっくりから作られている。
「え~っと、成体まで大きくしたいときは、一日一回、三粒かぁ」
餌皿に固形フードを三粒。れいむには未知の物体だが、それがとてもゆっくりできるあ
まあまさんであることを、あんこに刻まれている本能が告げていた。
「ゆゆっ! あまあまさん! おねえさんありがとう!」
れいむは目を輝かせ、舌で器用にゆっくりフードを口に運ぶ。そして一噛み。その甘さ
は、生まれて何一つ口にした記憶のないれいむには、あまりにも衝撃的だった。噛むたび
にお口いっぱいに広がる素敵な甘さ。とてもゆっくりできるあまあまに、口の動きが止ま
らない。それと同時に、あんこの底から湧き出た言葉が口をついて迸る。
「むーしゃ! むーしゃ! しあわせー!」
噛みながら叫ぶので餌の欠片をぼろぼろ飛ばし、滂沱の涙を流す。飛び散るかけらに、
娘は思わず眉をひそめる。
「れいむ、食べながらしゃべらないの。汚いでしょ」
「むーしゃむーしゃしないとゆっくりできないよ!」
娘の言葉に、れいむはふにっと傾いて不思議そうな顔になる。咀嚼しながら答えるので、
もちろん欠片はボロボロこぼれていく。
「おぉう」
ゆっくりはゆっくりする、という本能を実現するためだけに存在している、不思議な動
くおまんじゅうである。それを人間の都合にあわせて躾を行うのは容易なことではない。
単純にゆっくりの存在の根幹である、ゆっくりすることを我慢させることに成功したとし
ても、我慢することはゆっくりできないこと。ゆっくりできなくては、ゆっくりはゆっく
り分不足で干からびてしまう。また、恐怖や苦痛で従えたとしても、ゆっくりは表情がわ
かりやすく、言葉を喋る特性から、愛玩用途には向かなくなってしまう。始終怯え、顔色
を伺うだけの動くおまんじゅうを敢えて愛玩用に買っていくニッチな需要など、商売とし
て期待できようはずもない。
本能だけで動くゆっくりを人間社会の都合に合わせ、それでいてゆっくりらしさを失わ
せないように。根気と知識の必要な、大変難しい仕事なのである。しかし人類の英知と技
術は対話と調教を介することなく、ゆっくりを人間社会に組み入れる事に成功した。れい
むの後部に取り付けられている小箱こそが、小型化され、量産された技術と英知の結晶。
メモリーボックスである。
娘はれいむに同梱のプラスチックケースを開く。中にはプラスチックの薄板が無数に詰
め込まれていた。ラベルと蓋の裏のリストを見比べながら、娘は一枚手に取ると、夢中で
ゆっくりフードを貪っているれいむを抱えあげ、膝に乗せる。
「むーしゃ! むーしゃ! しあわせー! おねえさん! とってもゆっくりしてるよ!」
「えーっと、取説だとここについてるはずなんだけど……あったあった」
ぼろぼろ餌を飛ばしながら歓喜の声を上げている、れいむの後ろどたまの髪の毛をめく
ると、取扱説明書の通り、おりぼんの付け根のあたりに小さな箱が直付けされていた。娘
はカードの裏表を確かめ、恐る恐る小箱に挿し込んだ。
しゃこん。軽やかな音を立て、メモリーボックスにカードがスロットイン。アクセスラ
ンプのLEDが赤く点灯すると同時に、れいむはあんこを貫く電撃に、目をカッとひん剥い
て硬直した。
「ゆ゙っ?!」
ゆっくりできる言葉や、ゆっくりするための知識は、生まれる前からあんこに刻み込ま
れている。しかし、ゆっくりの中身のあんこには、部位によって違いはない。当然である。
中身にムラのあるおまんじゅうなど不良品なのだから。だが人類の英知と不断の努力は、
ついにゆっくりの中身を解明した。当然、そこに至るまでは幾千幾万のゆっくりが生きな
がらに解体され、技術革新の礎となったが、所詮はゆっくり。生命の尊厳もなければ権利
もないおまんじゅう。すりすりさせればいくらでも増えるので原材料費もほとんど掛から
ず、解体済みゆっくりも無駄なく餌として再利用できるので、大したことではない。
娘の差し込んだカードは、食事修正アクションチップ『むしゃナイザー』。アクション
チップは文字通り、ゆっくりの活動に関わる機能を持つ。後ろどたまからあんこに深々と
挿し込まれたメモリーボックス基部は読み込んだ情報に基づいて、れいむの不要なあんこ
を瞬時に灼き切った。
何かをむーしゃむーしゃした時は、しあわせー、と叫べばゆっくりできる。それはゆっ
くりの基本活動である。ゆっくりは食事の栄養価によって存在を維持するわけではない。
飲み込んだ物は中身に同化されるだけ。食事をした、という充足感によってゆっくりする
ことで、ゆっくりは活動し続けることができる。
そしてその機能を失ったれいむは、何を口にしても二度とむーしゃむーしゃしあわせー、
をすることはない。しかし、そのままでは食事によるゆっくり分が得られず、干からびて
永遠にゆっくりしてしまう。そこで、あんこに直結されたメモリーボックスが食事のあん
こ反応を拾い、ゆっくりに『むしゃナイザー』から書き込まれた代替活動を行わせる。そ
して、ゆっくりは食べこぼしが気になる持ち主のために上書きされた本能で、ゆっくりす
るのである。
「ゆ゙……ゆ゙ぴ……」
「ランプが緑になったら上書き完了です。カードを取り出して再起動して下さい、と」
かしゅん。ゆっくりの本能をほんの数秒で焼き尽くした薄板が、あまりにも軽い音をた
てて排出された。メモリーボックスの再起動コマンドにより、れいむのあんこに軽い電気
ショックが加えられる。
「ゆっくりしていってね!」
「おはようれいむ。ゆっくりしていってね」
ぐりん、と白目から戻ったれいむは、反射的にゆっくりモーニングの声をあげる。娘は
れいむの髪を指で梳いてメモリーボックスを覆い、布巾でお口の食べこぼしを拭う。ゆっ
くりを飼うのはこれが初めての彼女は、加工場謹製『ゆっくりカスタムセット-Extra-』
の威力をまだ信用していなかった。
「れいむ、あまあまさんもう一つ食べたい?」
「ゆっ! おねえさん、たべていいの? れいむもうひとつほしいよ!」
掌に乗せて差し出された餌を、れいむは器用に舌で口に運ぶ。
「ゆっくりたべるよ! むーぐ! むーぐ! ごっくん! しあわせー!」
ゆっくりフードの甘さに歓喜の涙を流し、れいむは口をつぐんで行儀良く咀嚼する。そ
して、喉もないのに飲み込んでから、改めてしあわせー、を叫ぶ。これならば、ひとかけ
らもこぼれることはない。使い物にならなくなったあんこのかわりに、メモリーボックス
に書き込また本能が、れいむを動かしていた。思う様あまあまを頬張ったことで、れいむ
は存分にゆっくりできた。むーしゃむーしゃしあわせー、をしていた記憶は上書きされ、
既に残されていない。
「ぉー、これはすごい」
「ゆゆっ? おねえさん、なにかすごいの?」
不思議そうに見上げるれいむを撫で、娘はにっこり微笑みかけた。あんなにこぼしてい
たのに、たった一度、カード一枚で直るなんて。
「なんでもないわ。れいむ、いっしょにゆっくりしましょうね」
「おねえさんといっしょにゆっくりするよ!」
乗せられた掌におでこを擦りつけ、れいむは嬉しそうに娘の膝の上で跳ねた。すてきな
カードとメモリーボックスにより、一人と一匹の生活はとてもしあわせー、な物となった。
最早、ゆっくりが何をしようとも、持ち主は叱ったり、躾けたりする理由は無い。何か
不都合があれば、必要なチップで上書きすれば二度と問題行動は起こらない。ゆっくりの
あらゆる行動は幾千幾万のゆっくりの屍の上に解析され、その犠牲は修正チップとして昇
華されているのである。
「ゆぴー、ゆぴー」
「ぅああぁ、洗濯物ぐっちゃぐちゃ……」
翌日、帰宅した娘の見たものは、ひっくり返って中身をフローリングにぶちまけた籠と、
そこに埋もれて後生楽な寝顔を見せるれいむだった。
「れいむ、起きなさい」
「ゆっくりおきたよ! おねえさんゆっくりおはよう!」
目を輝かせ、れいむは娘に飛びつく。ぼふっと抱きかかえ、娘はれいむの頬を挟んで持
ちあげた。
「これどうしたのかしら」
「れいむががんばってつくったゆっくりぷれいすだよ!」
「あなたの寝床は昨日つくってあげたでしょ」
「ふかふかさんはとってもゆっくりできるよ! ゆっくりあつめたよ!」
ゆっくりの形に窪んだ洗濯物の山を自慢げに示し、れいむはゆっへんと反り返ってみせ
た。人間の部屋はゆっくりには広すぎるのか、ゆっくりは狭いところにすっぽりはまりこ
んでゆっくりしようと、巣作りをする場合がある。
「もう、しょうがないわねえ」
「ゆっ? おねえさんゆ゙っ?!」
れいむを抱えたまま、娘はカードケースを開く。今回使用するのは、巣作りをやめさせ
るアクションチップ。テーブルにれいむを置くと、メモリーボックスに『おうちサプレッ
サー』を挿し込んだ。LEDのアクセスランプが点灯し、不必要な情報を蓄えたあんこが、
一瞬で灼き切られる。れいむのあんこからはおうちを求める本能が削り取られ、人間さん
の作ってくれたおうちがあればゆっくりできるように上書きされた。
もうれいむは自分のゆっくりぷれいすがないとゆっくりできない本能に苛まれることも
なければ、理想のゆっくりぷれいすを求めて巣作りをすることもない。人間に所有される
愛玩ゆっくりには、人間の与えるゆっくりぷれいすこそが真にゆっくりできるぷれいすで
あり、勝手に部屋を荒らしたり、物を崩したりして巣作りをすることは求められていない。
もちろん、持ち主がそれを望むのは自由である。故に、購入者を尊重するために、初期状
態の愛玩用ゆっくりに上書き処理は一切施されていない。
娘が排出されたカードをケースに戻し、メモリーボックスから再起動を行うと、あんこ
に走る電流で、コミカルな白目を剥いていたれいむは目を覚ます。
「ゆっくりしていってね! おねえさん、ゆっくりしすぎだよ! れいむねちゃったよ!」
「あら、れいむはどこで寝ていたのかしら」
「おねえさんのふかふかさんだよ!」
「ダメじゃない、ちゃんと自分の寝床で寝ないとゆっくりできないわよ」
「ゆっくりりかいしたよ!」
『おうちサプレッサー』の効果は抜群で、洗濯物の山は既にれいむのゆっくりぷれいす
ではなく、執着することもない。刷り込みにより、持ち主に絶対の信頼を置いているれい
むは、二度と洗濯物の籠を倒して巣を作ろうとすることはなかった。
おねえさんのつくってくれた寝床はとても柔らかくてゆっくりでき、れいむは確信して
いた。こんなにゆっくりできるゆっくりぷれいすをおねえさんにもらえるれいむは、きっ
と世界で一番しあわせー! なゆっくりなのだと。
「ゆーん、ゆゆーん、ゆっくりーのひー、すっきりーのひー、まったりーのひー」
「れいむ、うるさーい」
「おねえさん! れいむのおうたでゆっくりしてね!」
「え、それ歌だったの?」
「ゆがーん!」
数日後、取扱説明書に目を通している娘の足元で、れいむがゆんゆんとわめきちらして
いる。頁に付箋を貼りながら娘が軽く蹴ってやると、れいむはころころと転がっていく。
「ゆっくりころがるよ!」
ゆっくりは、一日一粒のゆっくりフードを与えれば、いつまでも大きくさせずに飼うこ
とができる。成体サイズに成長させるために三粒ずつ与えられているれいむは、数日でハ
ンドボール大から一回り大きくなっていた。歓声を上げてフローリングの床を本棚まで転
がると、れいむはぽいんぽいんと跳ねて娘の足元まで戻ってきて、足に頬を擦りつける。
「おねえさん! ゆっくりころがしてね!」
「待ってねー、先にやることあるのよっと」
娘は戻ってきたれいむを取り上げると、ふとももで挟んで固定して、後ろどたまのメモ
リーボックスにカードを挿す。三度目ともなれば、操作も慣れたもの。足の間で白目に
なって、れいむはびくっと硬直する。挿入された『おうたーミュート』はゆっくりからお
歌を永遠に奪う。アクセスランプが緑に変わり、れいむのあんこからお歌に関する全てが
消えた。今や、お歌はゆっくりが口にするような物ではなく、ゆっくりのれいむがお歌を
歌うなどということは、実にゆっくりできないことだった。お歌を失ったれいむは、他の
ゆっくりのお歌を聞いたとしても、ゆっくりすることはない。
再起動したれいむはお歌で娘の機嫌を損ねることなく、与えられたおもちゃで遊び、遊
び疲れて娘に寝床に運んでもらい、ゆっくりと眠りについた。メモリーボックスと各種
チップによってカスタマイズされたあんこは、決して機能を回復することはない。れいむ
はゆっくりできるタオルと段ボールの寝床でゆっくり夢を見る。その夢の中でさえも、上
書きされたかつての本能に触れることはないのだ。
おねえさんの作ってくれた寝床はれいむの自慢のゆっくりぷれいす。これよりゆっくり
できるぷれいすは、きっとどこにも無いだろう。
おねえさんのくれたおもちゃがあるから、おねえさんが遊んでくれないときでも、れい
むだけでゆっくりできる。
「うーん、もっといろいろする方が面白いかなあ」
「れいむはとってもゆっくりしてるよ!」
座布団の上でゆっくりしていたれいむを、頬杖を突いて眺めていた娘は取扱説明書をめ
くった。カスタムチップはアクションチップだけではない。ゆっくりの性質を変更できる、
エモーションチップである。
「れいむおいでー」
「ゆっくりおよばれだよ!」
娘はぽむぽむと跳ねてきたれいむを両手でつかまえ、膝に乗せた。後ろを向かせ、メモ
リーボックスにエモーションチップ『アクティブハート』のカードを挿入する。れいむの
あんこの一部が破壊され、活発さが上書きされる。
「ゆっくりしていってね!」
「ええ、ゆっくりしていってね」
再起動したれいむは膝からテーブルに飛び移り、何度も跳ねて娘に挨拶する。お茶請け
の一口ゆっくりまんじゅうを狙ったりすることはない。人間の食べ物はゆっくりできない。
アクションチップ『猫度』でカスタマイズされたれいむは、雑食性で食い意地の張った
ゆっくりでありながら、盗み食いなどしたりはしない。
「おねえさん! れいむとあそんでね!」
ぽむっ、ぽむっと頬杖に軽く体当たりし、袖を甘噛みするれいむの髪の毛をくしゃっと
してやり、娘は小さく鼻を鳴らす。
まりさなら、お帽子取ってこいよね。れいむと遊ぶのって何があるのかしら。柔らかい
れいむをぶにっとテーブルに押さえつけては離して、弾力を楽しんでいた娘の指が、れい
むのおりぼんに触れた。そして、娘はぱちっと指を鳴らした。
「ゆ゙っ! ゆ゙っ! つぶれちゃうよ!」
「少し運動させたほうが大きく育ちそうよね」
れいむが元の形に戻ろうと、むにょむにょ百面相している間に、物差しに糸を結び、取
り外したおりぼんを結わえ、即興のおもちゃが完成した。
「れいむのすてきなおりぼんさんかえしてね!」
右へ。
「かざりさんがないとゆっくりできないよ!」
左へ。
「おりぼんさんゆっくりしてね!」
取り戻そうと大きく跳ねたれいむは、物差しをひょいと持ち上げられ、顔面から天板と
物理的に仲良くなった。れいむは少し平たくなって、お顔は赤くひりひりする。娘が手を
小さく動かすと、それに従っておりぼんはれいむの目の前でひらひら踊る。
「まってね! おりぼんさんにげないでね!」
むにっと突っ伏した状態から跳ね起きると、れいむは下膨れの顔を半泣きに歪めて必死
にテーブルの上を跳ね回る。そのブサ可愛い必死面に、娘は満面の笑みを浮かべて物差し
の振り幅を次第に大きくしていく。
「ゆっくりしてよー! おねえさん! ゆっくりできないよー!」
「あはは、れいむがんばって!」
虚空を舞い踊る飾りに追いつこうと、れいむは愉快な音を立ててテーブルを跳ねまわる。
娘がひょい、ひょいと追いつく寸前に物差しを振ると、れいむはおまんじゅうボディを
いっぱいにたわませ、再び跳ねていく。絶対に捕まらない、果てしない鬼ごっこ。万一に
も追いつきそうになったら、その場で真上に振れば、絶対に届くことはない。
「ゆっくりしていってよー! ゆっくりしていってよー!」
娘が満足するまで走り回らされ、疲れ果てたれいむは呼吸の必要もないのに、上下に大
きくたわんで、りぼんにお願いするばかり。ウザ可愛い泣き顔にこみ上がるにやにやを必
死に押し隠し、娘はれいむの眼前におりぼんを垂らし、小刻みに動かして誘ってやる。れ
いむがじりじりと這いずって距離を詰めると、同じだけおりぼんも離れていく。
「あいきゃんふらい!」
そして、テーブルの端でひょい、と持ち上がったおりぼん目掛け、れいむは風になった。
「おそらをとんでゆ゙べし!」
おりぼんを追い回していたれいむの泣き顔は、突然の浮遊感に一瞬で笑顔に変わる。そ
して、ゆっくりできない勢いで近づいてくる地面に白目を剥いて歯を剥きだして固まって、
そのままフローリングと情熱的な抱擁を交わした。
「あちゃー、やりすぎたかしら。やっぱり活発すぎるのもダメね」
びくびく痙攣しているれいむに『クール!』のエモーションチップを挿し、その間に娘
はおりぼんを戻す。あとは、床との熱烈なキスでお口から溢れたあんこを詰め戻せば元通
り。ゴミや埃が混ざったところで、どうせあんこに変換されるので安心です。
「おねえさん! ゆうびんさんがきたよ!」
「れいむとってきてー」
「ゆっくりとってくるよ!」
バレーボールほどに育ったれいむは、定形外郵便でもくわえて運ぶことができる。扉の
郵便受けから落ちた封筒をくわえ、ずーりずーりと廊下をひっぱってきたれいむを一撫で。
ご褒美に麦チョコを一粒与え、娘は封筒の封を切った。それは、加工場が購入者全員へ
送った手紙だった。
「『ゆっくりカスタムセット-Extra-』をお買いあげいただき、まことにありがとうございます。
この度加工場は、ゆっくり用メモリーボックスをすっきりー小型化に成功しました。
つきましては、お使いの古いメモリーボックスを新型メモリーボックスと無償で交換いた
します。あなたのゆっくりの思い出の全てを安全に保護できる、新型メモリーボックス
を是非お試し下さい」
「おねえさん! かこうじょうはゆっくりできないよ!」
「いやいやれいむ。あなたは加工場から買われてきたのよ」
「ゆがーん!」
あんこに刻まれた恐怖の単語に、がたがた震えるれいむににっこり微笑みかけ、娘は同
封された分厚いメディア用封筒と、ユーザー登録票に必要事項を書き込んでいく。
「あ、今ならボディパーツ交換も無料ですって」
「ゆ゙ぽっ」
娘の指がれいむの頭に食い込み、テーブルに押さえつける。そして、れいむの後ろどた
まからメモリーボックスが取り外された。各種チップを使用するたびに灼き切られるため、
カスタマイズを繰り返すとあんこは使い物にならなくなっていく。持ち主を忘れるような
愛玩物など、商品たりえない。しかし、人類の英知はその程度の困難には屈しない。最終
的にはゆっくりをを動かす程度の能力しか残されなくなるあんこの代わりに、メモリー
ボックスがゆっくりのカスタマイズと、持ち主との思い出の全てを記憶するのである。
娘はあんこに深く埋まっていたメモリーボックスの基部を拭いて折り畳み、メディア用
の封筒に入れて封をした。そのうちに彼女のれいむは再び彼女の元へ帰ってくる。品質保
持の真空パックで、仮死状態から再起動すれば同じ顔をして「ゆっくりしていってね!」
と叫ぶことだろう。
「丁度いいわ、明日ゆっくりゴミの日だし」
メモリーボックスを取り外されたれいむは、ぴくりとも動かない。虚ろな目に小生意気
そうな光はなく、口はだらしなく半開き。幾度もアクションチップを、エモーションチッ
プを使用され、その度に灼かれてきたれいむのあんこはもはやメモリーボックス無しでは
機能しなくなっていた。
れいむの全ては小箱の中に収められている。だが、メモリーボックスはゆっくりそのも
のではない。では、この動かないおまんじゅうが、れいむなのだろうか。メモリーボック
スをつけられた新たなゆっくりがれいむになるのだろうか。ただ確かなことは、ゆっくり
は決してゆっくりすることはない消耗品である、ということだけ。
ゆっゆっ、と音を漏らすだけのおまんじゅうは、ポリ袋の中でゆっくりしていた。ゴミ
収集車の圧縮板に押し潰されるその時まで。
最終更新:2011年07月30日 01:24