積年の恨み
とある農村の畑。
数人の農夫たちが話し合っていた。
農夫たちの表情はいずれも暗く、その語調には真剣味が篭っていた。
「このままじゃ俺たちおまんまの食い上げだぜ」
「ああ、あの出来損ないのド饅頭を何とかしない限りな」
「
ゆっくりどもめ……」
ゆっくり。言わずと知れた謎の生首饅頭生命体だ。
人語を解すが知能は低く、耐久性、運動性共に絶望的で、自然界において底辺生物の地位を不動のものとしていた。
ただ繁殖力の極端な旺盛さによって数を維持していた。
また精神構造に問題があるのか、人間など他生物の強さを理解できず、傲岸不遜な態度を取っては人間たちの不興を買った。
まさに死ぬために生まれた生物。存在自体がひとつのアイロニーだった。
この農村では近年ゆっくりによる畑荒らしが頻出していた。
いや、それどころではない、昼夜を問わず毎日のように畑を襲ってくるのだ。
もちろん農夫たちも出来る限りの対策を取った。
見つけたゆっくりは可能な限り捕らえ、すさまじい拷問を加えてみせしめとした。
畑の周囲には無惨な姿のゆっくりたちが防腐処理を施されて吊るされている。
不具にして罪の烙印を背負わせて森に放ち、人間の恐怖を宣伝させた。
だが、ゆっくりたちは恐れを知らぬかのようにまったく懲りずに続々とやってきた。
「やつら、まるで殺されるためにわざわざやってくるみたいだ」
「ああ、怖気がするな」
「ゴミ虫以下だぜ」
ゆっくりは本来はもっと臆病な生物のはずだった。
だが最近のゆっくりの無謀ぶりには狂気すら感じさせる。
ゲスと呼ばれる性格の劣悪な個体も格段に増えたようだ。むしろ、大半をゲスが占めているようにさえ思えた。
ゲスゆっくりは一方的に要求と罵詈雑言を喚き散らすだけで、まったく対話が不可能なのだ。
単に知能が低くて自分の罪を理解できないだけでなく、自分に咎があるのがわかったとしてもそれを意に介さず人間に楯突いてくるのだ。
ときには山狩りもしたが、大した効果は上がらなかった。
これらのゲスゆっくりたちは統率された群れではなかったからだ。
長を抱く群れだったならば目的があり、戦略があり、ゆえに動きを読むことができたが、
烏合の衆でしかないゆっくりたちの狙いを読むことは不可能だった。そもそも狙いなどないからだ。
もし、ゆっくりたちを全滅させようというのなら、大規模な一斉駆除の必要があったが、
そんなことができる人的金銭的余裕はこの村にはなかった。
政府もゆっくり問題に関しては腰が重い。この存在は未だに明確に定義されていなかったというのもある。生物と認めることさえはばかりがあった。
ゆっくり対策をするというマニュフェストを掲げても失笑で迎えられるのがオチだった。
ゆっくりは政治的、学術的にも腫れ物のような存在だったのだ。
「あーあ、ドスでも現れんかなー」
農夫の一人が言った。他の農夫たちは思わず自嘲混じりの苦笑を漏らした。
ドスとはドスまりさという特異なゆっくりのことだ。
脆弱とされるゆっくりにおいて、この変異種だけは強大な戦闘能力を誇っていた。
大きさからして他を圧し、のしかかられれば人間でも潰されてしまい、口からはドススパークという怪光線を放った。
普通のゆっくりも充分常識はずれの存在だったが、このドスに至ってはもはやモンスターと言うしかなかった。
そんな危険な存在だが、人間にとって有益な点があった。
ドスは知能においても通常種よりはるかに優れているため、人間の優位性をわかっているものが多い。
人間の強さとは個体の強さではなく、集団の強さであるということがわかるのだ。ドスが全力で暴れまわったとしても最終的には殺されてしまうことを悟る。
ゆえに、正気なドスはその生息範囲にある人間の里と協定を結びに来ることがある。内容は相互不可侵条約だ。
人間はドスを襲わない。安全を保障する。その代わり、ドスは下位のゆっくりたちを統率し、人間に迷惑をかけさせない。
ドスはゆっくりたちを従えることができた。ゆっくりたちには自然とドスの元に集い、その命に服従する本能があるのだ。
こうなれば人間のペースだ。
ドスとの協定などというものは児戯にも等しい。ごっこ遊びに付き合ってやってるようなものだ。
人間側に有利なように解釈して、いくらでも言いくるめられる。ゆっくりを使役することすらできた村もあったという。
どうしても邪魔なら一気に駆除することもできる。
たしかにドスは恐ろしい存在だったが、充分対処は可能なのだ。
人間の中にはドスのような特異ゆっくりを専門に狩るハンターが存在した。
彼らは素性の怪しい者たちだったが凄腕揃いで、確実、迅速にドスまりさを葬ることができた。
要求する報酬は高かったが、大規模な山狩りに必要な経費に比べれば充分現実的だった。
頭を潰したならば、集まったゆっくりたちが散らばる前にローラー作戦で叩き潰していくだけだ。
全滅とまではいかなくとも、ゆっくりの勢力を大幅に削ぎ、村はしばらくの間安泰となる。
「ん? なんだこの音……」
森の方から大きな音が響いてきた。
「なにか大きなものが森の中を動いているような……」
「まさか!」
森の中から巨大な影が現れた。
「ドスだ!」
それはドスまりさだった。
ドスの噂をしたタイミングで都合よく現れたドスを農夫たちは訝しく思ったが、これでゆっくり対策の目処がつくかもしれない。
村人たちは喜びを隠せなかった。
「ドスだドスだ!」
「みんなに報せるんだ!」
「おーいドスよー! 俺たちと協定を結びに来たのかー?」
ドスが人間の里にわざわざやってくるとすれば、それは協定を結ぶ以外にない。
ドスは答えるかのように大きな口を開けた。
次の瞬間、強烈な閃光が迸った。
「あ……あ……」
畑が直線に大きく抉られた。
話し合っていた農夫の一人が、閃光に巻き込まれて黒い消炭の塊と化した。
「ば、ばかな……」
「あ、あいつがやったのか?」
「どうなってんだ……」
「んほおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
ドスは甲高いおたけびを上げると、呆然とする農夫たちに猛然と突っ込んできた。
「うわああああああああああああ!」
「た、たすけてくれー!」
逃げ遅れた農夫の一人が弾き飛ばされた。首がありえない方向に曲がった。
また一人の農夫は跳ね回るドスの下敷きにされた。その姿は見るも無惨だ。
「大変だぁ! ドスが襲ってきた! 狂ったドスが襲ってきたぞぉぉぉぉぉぉぉ!」
「んほおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
ドスは狂っていた。その目は充血して爛々と輝き、口から涎を垂れ流し、絶叫しながら跳ね回り、ときおりドススパークを無作為に放った。
死闘が始まった。
村人たちは総出で武器を手に手に、ドスへ立ち向かった。──家族と財産を守るために。
猟銃が火を噴き、ドスの饅頭ボディを抉った。だが、ドスはまるで意にかさず暴れ続け、その勢いをとどめることはできなかった。
痛みを感じていないかのようだった。
せめて、対ゆっくり用の毒を塗った弓矢か投げ槍があればよかったのだが、そんなものわざわざ用意しているわけがなかった。
スパークが放たれるたび、畑が焼かれ、家が吹き飛び、家畜が殺され、人々も死んでいった。
かけがえのない命と貴重な財産がなす統べもなく失われていった。
たしかにドスは人間にとって対処可能な存在だが、それは準備が整っていることが条件だった。
ドスの強襲に対してこの村はなんの対策もとっていなかった。
そもそも、ドスというのはこのように単騎で唐突に襲ってくることは極めて稀なのだ。
人間を見下し、敵意を持っているとしても、襲撃するより脅して食糧を強請るということを考える。
仮に人間の村を滅ぼせたとしても、そうなれば貴重な食糧の供給源を失うことになる。
いかにゲスなドスでも自分で食い扶持を潰すほどの馬鹿はいない。
ゆえに完全に狂ったドスの襲撃はまったく予想外の出来事だった。
ようやく、ドスがその動きを止めたときには、村はほぼ壊滅状態になっていた。
なにもかもが失われた。村人たちの慎ましくささやかな生活が失われた。
数刻前は平和そのものだった村が、悪夢のような焦土と化した。
生き残った村人の一人が、天を仰いで叫んだ。
「一体どうしてこうなったんだぁぁぁぁぁぁぁぁ!! 俺たちが何をしたって言うんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
その阿鼻叫喚図を一人の青年が遠くから望遠鏡を使って眺めていた。
その顔には呆れたような見下すような笑みが浮かんでいた。
その青年は山向こうの別の村からやってきた。
ひとつの装置を携えて。
その装置──無数の配線が絡み合い、アンテナのようなものが取り付けられたガラクタのごとき代物──は、この青年が作ったものだ。
ゆっくりの中にはレイパーありすと呼ばれる種類がいた。
レイパーありすは狂気に駆られたゆっくりで、見境無く他のゆっくりを犯しては子を孕ませた。
人間にとっても有害なため、見つかり次第駆除され、届出なしで所持している人間は厳罰に処された。
だが実のところ、普通のゆっくりでもレイパーと化すことがある。
レイパーとは極限状況において生き延びるために本能が解放された状態なのだ。
旺盛な繁殖力だけがゆっくりが過酷な自然に立ち向かえる唯一の武器だからだ。
この青年の持つ装置は、極限状況でなくともゆっくりをレイパー化させる機能があった。
特定の周波数の音波を広範囲に撒き散らすことによって、見境無くゆっくりをレイパー化させるのだ。
どういった原理でそれがおきるのかはわからない。なにせ常識はずれの不思議生物だ。
とにかく、レイパー化したゆっくりたちは他のゆっくりたちに襲い掛かり、際限なく子ゆっくりを増やし、ゆっくりの数を飽和状態にしてしまう。
堰を切ったように増えすぎたゆっくりたちがあふれ出て、ゆっくりの大移動が発生する。
押し出されたゆっくりたちの行き着く先は人間の里だ。行き場の無くなったゆっくりたちは食うため生きるため畑を襲うしかなくなる。
また、レイパーに産まされたためにゆっくりたちのゲス化も促進される。ゲスとは生きるために形振りかまわぬ状態なのだ。
親に冷遇され、野にうち捨てられた子ゆっくりたちは生きるためにどんなことでもしなければならなくなる。
ドスまで発狂してくれたのは嬉しい誤算だった。
本来はただ計画を邪魔させないためにドスの里を掻き乱そうと試みた結果だった。
あのドスはありすの餡を濃くひいていたのかもしれない。
おかげで、計画は予想外の成功を収め、ただ困らせじわじわと貧困させるよりもはるかに大きな損害を与えることができた。
レイパー化したドスが、なぜ人間の里を襲撃したのか、はっきりとした理由を説明することはできない。
ドスは繁殖しない。二匹のドスが出会って交尾するケースがあるのかどうかはわかっていないが、通常ドスは子を成さない。
ゆっくりを集めて里を作るのは擬似的な家族形成なのかもしれない。
だとするならば、ドスの繁殖とは間接的な形、小さな仲間たちの天敵から守るという形で行われるのではないだろうか?
これが、人間の里を命を捨てて襲撃した理由なのかもしれない。推測の域を出ないが……。
この村の者たちは忘れていたが、山向こうの村の者たちは積怨の恨みを抱き続けていた。
詳細は省くが、過去に酷い屈辱を与えられたのだ。
加害者の方はすぐに忘れてしまうことも、被害者はずっと覚え続けている。
もう数十年も前のことだが、子々孫々語り継ぐことでその怨念は衰えることがなかった。
他に情熱を傾ける対象がなかったためかもしれない。
とはいえ、直接出向いて攻撃するようなことはできなかった。
気がつかれないように相手を苦しめられる方法など今までは考え付かなかった。
だが、ゆっくりの研究をしていたこの青年の出現によって復讐は絵空ごとではなくなった。
青年がこのレイパー化装置の作成を提案した。
山向こうの村人たちもゆっくり害に悩まされていたため、この案の効果を想像することができた。
そして資金援助を行い、長い研究の末完成させたのだ。
すべては復讐のためである。
だが、彼らはひとつ忘れていたことがあった。
この青年は過去に村人たちからいじめを受けていた。
幼少の頃からゆっくりに親しみ、飼育し、観察していたその姿は、奇異な存在に映ったのだ。
暴力を振るわれ、恥をかかされ、大切なゆっくりたちを目の前で潰された。
だが、村人たちはそんなことをすっかり忘れ、まったく警戒せずにこの青年に多大な資金を与えてしまった。
加害者の方はすぐに忘れてしまうことも、被害者はずっと覚え続けている。
青年は装置の出力を最大にまで上げると、故郷に向かって山道を歩き始めた。
最終更新:2011年07月29日 02:44