TIE1
揺れる木漏れ日に照らされながらも、彼らは元気そうにぴょこりぴょこりと跳ねていた。
実際に見るのは初めての事で、本当にこんな奇妙な生き物がいるのかと最初は目を疑った。
たしか“
ゆっくり”という生き物で、マンジュウなんだそうだ。
マンジュウ、饅(ぬた)に頭と書いて。そうあの和菓子の。意味がわからん。
――意味がわからんのだが、見た目がもうそうとしか表現できない姿をしていて
柔軟な球体に目と口が付いている。体毛が上部に生えていて、種類によって別々の綺麗な飾りのようなものまで生えている。
その体自体が顔でもあるようで、歩く姿はまるで生首が跳ねてる様に見えてしまう。
見た目ですら奇妙奇天烈極まりないというのに――――。
「あまあま、おいしいねあまあま」
「ゆんうゆぅ~~~」
「あらあらダメでちょ、ころんじゃ。こっち来ておちびちゃんもあまあま食べようね」
「木のみおいしいねまま」
喋るのである。
ばら売りでは売ってないような、やや大きめの饅頭が
コンビニのレジに添えて売られてるようなミニ饅頭をあやしている。
いや、いやいや。さすがに世間的に饅頭だと言われてても蔑称のそれに違いない。
理由なく、生き物を蔑称で呼ぶことは余りにも浅ましい。
彼らは饅頭という名前じゃない。“ゆっくり”という、れっきとした生物なのだ。
「ゆっ? あそこにいるのにんげんさんだね」
「きけん? まま、ゆっくりたち食べられちゃうの?」
「――ああっ!? ……に、に……にんげ……!!?」
「(もぐもぐ)」
ほら、ちゃんと自分達でも“ゆっくり”と名乗っている。
……大丈夫、錯覚じゃない。やつらは事実、喋っているのだ。疲れてない、落ち着け。
気付けば彼らは僕を見ている。
小さなゆっくりが3匹。1匹はくりくりとした好奇心旺盛な目でこちらを見ている。
1匹は、僕と親であろう「まま」と呼ばれている比較的大きめなゆっくりを交互に心配そうな顔で見ている。もう一匹はこちらに気付いてなお、集められている木の実に口をつけている。僕の存在は彼にとって食欲に劣るようだ。
その「まま」はというと。目をこちらに向けてひん剥き。口を大きくパクパクさせながら動揺しっぱなしだ。君も落ち着け。
小動物は大抵自身を獲物とするようなより大きな生き物に遭遇すれば一目散に逃げる。
が、このゆっくりたちは親の1匹を除いて危険をなんとなく察知していても逃げようともしない。子供を守るべき親は(彼らにあるのか解らないが)腰を抜かしている始末。
この都市部にわずかに残った雑木林のなかで、クマなどは住んでいないにしても
こんな危機回避能力の無い生き物が生き延びられるのかと
僕は首を傾げると同時に腕を組んだ。
するとガサリと胸ポケットから音が鳴る。
キャンディーの包み紙だ。
(たしか、「あまあま」と言ってたな)
僕はひらめき、包み紙を取り出す。
彼らは嗅覚は良いようで、包み紙にわずかについていたキャンディのにおいに気付いた。
「ゆゆっ! あまあまのにおいがするよ!」
「にんげんさんあまあま持ってる! もらいにいこうね!」
「うん、いっぱいもらおうね!」
「ゆ!? まってねおちびちゃんたち。かってに行かないでね!」
驚いた。中身の無いキャンディーの包み紙を見せただけだというのにピョコピョコ跳ねて
こちらの足元まで来るではないか。
足元に来たのは2匹、親がその後ろで警戒しながらジリジリと草の葉を鳴らして寄って来ている。もう1匹の子ゆっくりはというと、まだ最初いた場所から動かずにモソモソと食べている。食事とは言えあのくらいの熱意は僕も見習うべきだ。
『君たち、ゆっくりっていうのかい?』
「ゆゆ? ゆっくりはゆっくりって言うよ? ゆっくりだもんね」
「ふゆゆゆゆ! ゆっくりだもんね。あたりまえだよね!」
「あまあまあるね。ちょうだいね」
ああ、これは質問が悪かったと思う。軽くトートロジーに返された。
それでも同じような言語であっても話が通じない、というわけでもなく
人と会話するように言葉が交わせる事が解った。それだけでも善としよう。
というか、すっかり「ちょうだい」コールになっている。
貰える前提で寄って来るんだなぁ……。猫なんかも喋ったら同じなんだろうが。
『ごめんね。これはただの紙で、中身はもう無いんだ』
「にんげんさんうそつきー。もうしんじない」
「バカにしたね。のろうからね」
「ゆっくりしないでいいからね。おうちに帰ろうね。ぱぱ待ってるからね」
嘘つき認定いただきました。呪詛付き、ますます意味がわからない。
しかし、僕の中で彼らへの興味は俄然沸いてきた。
母親の子供達へ言ったパパという言葉も聞き逃してはいない。
『ごめんね。あ、でも。僕の家ならあまあまが沢山あるよ』
「ゆゆ? ほんとうに?」
「もって来てね!」
一度は帰ろうとした3匹だが、親の誘導を無視してまたこちらを振り向く。
「持ってきてくれる」という期待が生まれたのか。親のゆっくりも警戒心を解いた目で
こちらを向いてきた。
夕暮れが近づいて、空が赤くなってることに今気付く。そろそろいい時間だ。
よく見えないが、コウモリのようなものもちらほら飛んでいる。
家とここの往復はさすがに辛い、かといって明日ここに来たとて会えるとも限らない。
『うーん。……そうだ、君たち家にくるかい?』
「いかない」(そりゃそうか)
「やだよ、もってきてね」(ううむ?)
「ここが近いものね」(ああー)
たぶん。危機感からではなく、面倒だから言っている。
それならば説得は簡単だ。
『じゃあ、僕の家に君たちの住処を引っ越したらどうだろう。たしかこのくらいの大きさで、ふかふかなクッションが入ってる君たちのお家を用意できるよ』
もう旅立ってしまった飼い猫のキャリーバッグを薦めた。
するとゆっくりたちは大喜び。
親のゆっくりがしばらく喜んだ後、肩を落とす。
無論、肩はない。ゆっくりががっかりしているという事だ。
「でも、まりさは……ぱぱはきっとダメっていうよ」
『パパか、僕がパパと話をしてみてもいいかな。もちろんパパも一緒に住めるようにするよ』
母親は頷いてくれた。ヘの字の口が、Hの字になってなんだか頼もしい顔にも見えてきた。
なんだか信用を得られてるみたいだ。
ゆっくりたちに案内を頼み、巣穴のある場所へ向かおうと数歩、歩いただけで皆止まった。
僕は息を呑んだ。
「おちびちゃん!? どぼして!? どぼじで!?」
「どうして!? どうして!? どうして!?」
(うっ。潰れてる……)
いままで黙々と食べていたはずの1匹が、べちゃりと潰れてそこにあった。
群がる2匹の子供ゆっくり、親ゆっくりはその場で泣いていた。
目は飛び出し、皮は半分以上なくなっていて。餡がでている。
……いやいや、だから内臓だろ。また俺は饅頭のような例えを――。
子供のゆっくりが一言。
「あんこさんが出てる……」
餡子だったかぁ。
僕のこれまでの良心はやるせない気持ちに還元されていく。
そんな冗談めいた心境もつかの間。
僕は同時に起きた2つの出来事に顔をしかめる事になる。
1つは、群がった子供の2匹が潰れた子供の餡を舐め始めたということ。
今まで仲良くしていた兄弟を、少し悲しんだと思えばすぐに食べてしまうこの生き物は
たぶん、まだ自分には理解できない理屈で動いているのだろう。
それでも、その場のその一時でこの光景を受け入れるには僕は未熟だった。
もう一つ、これが厄介だった。
ゆっくり達が案内しようとしていたであろう穴が見えた瞬間。
中から別のゆっくりがでてきた。
はじめは親ゆっくりの言う「まりさ」と呼ばれる父親なのかと思ったが
横目で見る母親のゆっくりの驚く顔から別物と解る。とても夫を見る目ではない。
外敵あるいは天敵というべきか。恐怖、怒りすら感じられる顔をしている。
穴から出てきたゆっくりは、コウモリの羽を生やし、銀髪に赤味を帯びた帽子を被った
外見では可愛らしさのあるものだったが、口には牙が飛び出ていて。
血が、いいや。餡子が付いていた。
僕は察した。横に居る親ゆっくりも察しているのであろう。
嗚咽すら掠れるのみの、静かにそして深く泣いていた。
食欲旺盛なそこに居た子も、巣穴の中で待っていたはずの父親も。
おそらくは、僕と3匹が話している間に、この羽付きに奪われた。
「キゥーーーー……。キゥ―――ぅぅぅ……」
声にならない鳴き声を出す親ゆっくりを尻目に、ゲップを一つ。
羽付きのゆっくりは満足そうに飛んでいった。
ゆっくりという種にも複数あり、木の実を食べている種である彼らを捕食する
そんな種もいることを知らしめられた。
話も表情もわかる。だからこそ
自然界ではゆっくりに限らず日常にあふれるこの食物連鎖の光景を
とてもドキュメンタリー番組を眺める感覚で見ることはできなかった。
僕は知らずの間に息が荒くなり、目頭が熱く。鼻が痛い。 泣く寸前だった。
『行こうか、今度は僕が案内するよ』
動かない親ゆっくりを掬うようにそっと持ち上げて。
『……君たちも、おいで』
まだ兄弟を食べていたゆっくりの子供2匹を片手で持ち上げ
抱えるように守る体制で足早に帰路に着いた。
帰路を行く間、僕は両腕に抱えたゆっくり達を見ることは無かった。
手がぬれてないので泣いてないということは知っていたが。落ち込んでない筈がないのだ
人間の僕がショックだったのだから。彼らの悲しみは計り知れない。
直視する勇気が僕にはない。それでも
『いいキャンディーを買い置きしておいたんだ』
『クッションは明日買って来るからね』
『今ね、長期連休なんだ。たくさん、……たくさん遊ぼう』
3匹に届いているのかわからない。
ひょっとしたら自分に言い聞かせたかっただけで言っていたのかもしれない。
泣きそうな声で僕は言い続けた。
僕はまだまだ子供なのかもしれないな。
さて、人が憎悪を覚える簡単な方法はどんなものがあるだろう?
ひとつに愛情を反転させること。
理不尽なものあれ、無関心であればさほど感情は揺るがない。
弓の弦を引くように、心を動かせば動かすほどその時の反動は大きい。
思い入れがあればあるほど、感情は動くのだ。
「弓を引く」とは例えにして言い得て妙だ。
「裏切り」こそが憎しみの引き金のひとつなのだ。
多少の理不尽なことは大人になれば許容できるようになるのだろう。
しかし、彼はまだ――――。
1話完
最終更新:2013年05月04日 21:21