――ゆっくり研究家○○さんの講演の準備が終了いたしました。
――場内は大変込み合っておりますので、お早めに席にお戻り下さい。

 館内アナウンスが流れ出すと、パラパラと席に戻る人が増えてきて、開始時間の四半刻後を待たずに全席が埋まった。
 次はどんな研究の成果が見られるのか……観客の心は、その一点に集約されている。
 緊張感と熱気に包まれた中、研究家が時間通りにゆっくりと現れた。

――大変お待たせいたしました。これより、ゆっくり研究家○○さんの講演を再開させていただきます。

 ゆっくり研究家が演壇に立つと共に、アナウンスが流れる。
 講演会第二部は、異様なまでの静けさの中で始まった。





 『ゆっくり魔理沙が極限までゆっくりできる話 その2:食欲編』





「先ほどは、睡眠を全く取らせないゆっくりを、映像を使って説明させていただきました」
「次は、食欲の抑制をしたゆっくりを見ていただきます」
「ゆっくり以外の生物……例えば犬や猫、魚でも良いですが、仮に睡眠と性欲をなくしたとしても、食事を取らなければ生命活動を続けられません」
「ただ、ゆっくりに関しては例外です」
「極めて食欲旺盛な事から、一見ゆっくりする以上に食欲を優先すると考えられているゆっくりですが、実は食事を与えなくても生き続ける事は可能なのです」
「これについては、説明するより見てもらった方が分かりやすいでしょう。ここからは、映像で説明させていただきます」
 食事をしないゆっくりについて簡単に紹介を終えた研究家は、先ほどの様に映像を映し出した。



 一匹のゆっくりまりさが、ぽつんと白い部屋の中でたたずんでいる。
 血色は良く、皮はもちもちと柔らかそうなのに、精神的にひどく疲れている様に見えた。
 当然の事だ。このゆっくりは、もう一ヶ月も食事を摂っていないのである。
 日に一度アンコを入れられ、皮が破れたり薄くならない様に手入れをされているだけで、全く何も口に入れられない生活を送らされている。
 確かに生きてはいるし、とても健康だが、ゆっくりも生物である。ものを食べられない苦しみは、他の動物と全く変わらなかった。
「ひょははふひはひょ(お腹空いたよ)……ひゅっふひへひはいひょ(ゆっくり出来ないよ)……」
 まりさがしゃべる度に、声と同時に空気が漏れる様な音が口から出てくる。
 このゆっくりまりさの口内には、歯が全く生えていないどころか、その痕跡すらなかった。
 生まれつき歯がない、奇形のゆっくりである。
「ほはーひゃん(おかあさん)……ほほひひひゅひょ?(どこにいるの)……ひゅっふひひはい(ゆっくりしたい)……」
 奇形まりさは寂しさからぼろぼろと涙をこぼすが、優しく頬を舐めてくれる母はここにはいない。
 いや、母だけではなく、ご飯を食べさせてくれた優しい姉も、ちょっと意地悪で可愛い妹も、誰もいなかった。
 全てと引き離され、今は白い部屋の中で一人、ただ生かされている現状。
 奇形まりさは、この一ヶ月全くゆっくりできない日々を送っていた。
「ひゅっふひひはい(ゆっくりしたい)……ほはーひゃん、ほはーひゃん(おかあさん、おかあさん)……」
 音のない部屋に、まりさの泣き声だけが響いていた。


「ひゅっ!?」
 不意に、奇形まりさの耳に、どんどんと凄まじい音が聞こえてきた。
 目の下に、乾いた涙の跡がある。泣き疲れてそのまま眠っていたらしい。
「ひゃひ(なに)!? ひゅっふひひへひょ(ゆっくりしてよ)!」
 奇形まりさが何か言うが、気にせずにどんどんという音が近づいてくる。
 音の向こうから何かの気配を感じる。恐ろしくてたまらなかった。
「ひゅっふひひへへへ(ゆっくりしててね)! ひゅっふひほっはひっへへ(ゆっくりどっかいってね)!」
 そろそろ逃げなければ危ないかもしれない。
 それが分かっていながら、奇形まりさはそこから一歩も動かず、ただ音に向かって声を張り上げる。

――どうせ、これから逃げ切っても同じ生活が待っている。なら、いっその事楽になりたい。

 どこかに行ってくれるなら良い。だが、そのまま襲われても楽になれる……その思いから、奇形まりさはその場から動こうとはしなかった。
 ぼごんと音がして、壁が大きくひびわれる。
 何を言っているのかわからないまりさなど気にしなかったのか、あるいは最初から侵入するつもりだったのか……。
 いずれにせよ、奇形まりさはすでに覚悟を決めていた。
「ひゅ……ひゅっふひひゃふひひへへ(ゆっくり楽にしてね)……」
 静まり返った部屋の中、息が漏れているだけにも聞こえる小さい声を出して、奇形まりさは黙り込んだ。
 何度体当たりしても決して崩れなかった壁が、轟音を立てて崩れ去る。
 その向こうから、先端が僅かに削れた黒い帽子がちらりと顔をのぞかせた。

――あぁ、あれはおかあさんの帽子だ。
――私に少しでもエサが取れる様になって欲しいって、何度も練習させてくれた帽子の先っぽが削れてる。

「うんしょ、うんしょ……ゆっくりー!」
 目の前の光景が信じられず、呆然とする奇形まりさ。
 その耳に、懐かしい家族の声が聞こえてくる。
「ゆっくりたすけにきたよ!」
「おねーちゃんだいじょうぶ?」
「みんなでゆっくりちようね!」
 お姉ちゃんに妹達。
 普通なら数日に一匹は死んでいるというのに、一ヶ月という長い時間が経っても誰一人減ってはいない。

――夢でも見ているんじゃないだろうか。

 目をしばたかせるが、誰も消えていない。まぎれもなく、愛する家族が自分を助けに来てくれていたのだ。
 奇形まりさの目が潤み、みるみる涙が溢れ出してくる。
 先ほどまでの悲しみのそれではなく、嬉しさによるものがゆっくり流れ出した。
「……ほはーはん(おかあさん)! ひんは(みんな)!!! ひっひょひひゅっひゅひひひょうへ(一緒にゆっくりしようね)!」
 この部屋に入れられてから、いくら望んでも手に入らなかった光景がここにある。
 あれほど望んだ母が、愛する家族が今ここにいてくれる。
 奇形ゆっくりまりさは、皆の下に飛び跳ねていった。





 ぺちゃんぺちゃんと、柔らかい音が断続的に聞こえる。
「ひゅははははははははははははは、ひんはぁ、ひゅっふひひひょうへぇぇ(みんな、ゆっくりしようね)」
 奇形まりさは、何もない壁や空間に向かって体当たりを続けていた。
「ほはーひゃん、ひゅっふひほはんはへはへへへぇ(おかーさん、ゆっくりご飯食べさせてね)、ひゅははははははははは」
 一転、壁に向かって親愛の情を示す様にすりすりと頬を擦り付ける。
「ひんはぁ、ひゅっふひはほほーへぇぇ(みんな、ゆっくり遊ぼうね)」
 周りに誰かいる様に、本当に嬉しそうな笑顔で話しかける。
 いもしない誰か達と、楽しそうに歌ったり遊んだり、時にはゆっくりしたり……そして、白い部屋に哄笑が響き渡った。
 奇形まりさは、狂気に身を任す事で、ようやくゆっくりする事が出来たのである。



 映像は、奇形まりさが「ひゅっふひひへひっへへ!」とわけが分からない事を叫んだ所で止まった。
「この歯のない奇形ゆっくりまりさは、今も狂気に浸ったままこの白い部屋にいます」
 再び映像が始まり、先ほどの奇形まりさがいた白い部屋が映し出される。
 そこでは、まりさがとても楽しそうに虚空に向かって歌を歌っていた。
「ひゅ~、ひゅうひゅ~♪ ひゅひゅひゅ~♪」
 先ほどと同じく、もちもちと柔らかそうな皮は変わっていないがやはり行動は異様である。
 それでも、家族に向かってひゅうひゅうと歌っている様な仕草は、とても幸せそうに見えた。

「私がこのまりさを見つけた時、奇形のために家族に捨てられそうになっていました」
「姉妹ゆっくりどころか、親ゆっくりからさえいじめられ、酷い有様でした」
「余談ですが、このゆっくりの家族の一匹が先ほどの睡眠欲の抑制に成功したゆっくりまりさです」
 そーなのかーとどこかから聞こえてくる声を無視して、研究家は説明を続ける。
「……実の家族からも見捨てられた奇形まりさですが、この食欲の抑制実験に際しては本当に役に立ってくれました」
「最初に申し上げましたが、この奇形まりさはまだ生きて白い部屋にいます」
「つまり、ゆっくりは食事を摂らなくても、一定の中身さえ維持する事が出来ていれば永久に生き続ける事が可能なのです」

「さて、次はもう一つの成功例をご覧になっていただきます。今回は歯もあり、音も聞こえる普通のゆっくりを使用しました」
 言葉を切り、何か合図をする研究家。合図に従い、ゆっくりと映像が始まっていった。
 次は、どんな事になるのか……講演の間も、映像が流れている間も話し声一つ聞こえなかった会場内に、静かに興奮が満ちていく。
 そんな興奮をよそに、一匹のゆっくりまりさが、きょろきょろと不安そうに辺りを見回している映像が流れ出した。


 ゆっくりまりさは、困惑していた。
 当然の事だ。
 寝る前まで巣で家族と一緒にゆっくり眠っていたのに、今は全く別の場所にいるし、辺りを見回しても誰もいない。
 そんな状況に置かれてしまえば、人間でも困惑するだろう。
「ゆっ……ゆっ……おかーさーん、おねーちゃーん、おちびちゃーん……みんな、ゆっくりどこいったのぉ?」
 不安そうに周囲に問いかけるが、返事はない。
 母も姉も妹も、気持ち悪い歯なし……奇形で歯のないゆっくりまりさを、このまりさはそう呼んでいる……すらもいない。
 その後も何度か飛び跳ねて呼びかけるが、何の答えもないため、ゆっくりまりさはとうとう泣き出した。
「みんなどごにいるのおおおぉぉぉ! ざびじいよぉ! ゆっぐりでぎないよぉぉぉ!!!」
 反射音がわんわんと耳をつんざくのも気にせず、ゆっくりまりさはしばらく泣き続けた。

「ゆっく……みんなをさがすよ!」
 しばらく泣き続けたゆっくりまりさは、誰もいない事を悟り、とにかく誰かを見つけようと動き出した……が、すぐに止まる。
「そのまえに、おいしいものたべるよ!」
 腹が減っては戦が出来ぬとばかりに、辺りに食物がないか探し出すゆっくりまりさ。
「ゆっゆ~♪ むしさんくささんでておいで~♪ あまぁいいちごさんはでざーとだよ~♪」
 即席の下手な歌を歌いながら、楽しそうに食物を探し続ける。

「どうじでぇ!? どうじでごはんがないのぉ!?」
 半刻ばかり経っただろうか。どれだけ探し続けても何もない事に、愕然とするゆっくりまりさ。
 辺りを再び見渡す。
「ゆぐぅっ!? なにここおぉぉぉ!!!」
 そこは、食べられるものどころか、土も岩も風もない、無機質な部屋だった。
 誰もいるわけがない。隠れられる場所がないのだから。
 また、何も食べるものもない。何もないガランとした部屋なのだから。
 ゆっくりまりさは恐慌をきたした。
「だずげでぇぇぇ!!! だれがだずげでぇぇぇ!!!」
 叫びながら壁に体当たりを仕掛けるが、饅頭の柔らかい体では、ぺちぺちと音を立てるのが精一杯。
 それでも、何度も何度も体当たりをする。
 ここはいやだ、ゆっくりできないし、しあわせにもなれない。その思いから、ゆっくりまりさは必死に壁に体当たりを続けた。


「ゆぅ……おなか、すいたよ……」
 ぺちんぺちんと、柔らかいものがぶつかる音が止まった。
 何度も何度も壁にぶつかり続けたせいで、ゆっくりまりさは疲労の極地にいた。
 もう、僅かにも動く事すらできない。ただ、死を待つばかりである。
「だれか……たべもの……なんでもいいから……」
 あえぐ様に、いない誰かに救いを求めるが、答えはない。幻聴すら聞こえない。
 ゆっくりまりさの心は、絶望に包み込まれた。
「もっと、ゆっくり、したかった……よ」
 呟いて、そのまま動かなくなる。
 皆と再会できないまま、ゆっくりまりさは静かに眠りに付いた。

「ゆー……ゆっ?」
 がば、と跳ねるゆっくりまりさ。
 先ほどとは違い、体中にアンコが満ちている様な元気を取り戻していた。
「ゆっ! これならかべもこわせるよ!」
 饅頭が何度ぶつかっても壊れる壁ではないが、まりさは自信満々に頷き、何度も壁に体を叩き付けた。
 ぺちんぺちんと音が響く。
 何度も何度も、諦めず続けているその姿は、風車に挑むドン・キホーテの様だった。

「ゆっ……おなかすいたよ……」
 ぺちん、ぺちん……ぺちん。
 饅頭が壁にぶつかる音が断続的になり、やがて止まる。
 そしてまた、まりさは眠りについた。今度は、助けを求める事はなかった。

「ゆっ!? またげんきになってるよ! なんで?」
 不思議そうに起き上がるまりさ。その体は、アンコに満ち溢れていて、つやつやとしていた。
「よくわからないけど、げんきになったからここからでるよ!」
 明らかに異常だというのに、気付かないのはゆっくりだからだろうか。
 その後も、まりさは壁にぶつかり続け、疲れ果てて眠るたびにまた復活し、壁にぶつかり続けるという行動を延々ととり続けた。


 どれだけの時間が経ったろうか。
 またぞろ復活し、壁にぶつかろうとしていたゆっくりまりさの後ろ側で、ガタンと音がした。
「ゆっ!?」
 何事かと振り向くまりさ。
 見ると、手に何か器らしきものを持った人間が立っていた。

――ニンゲンだ! ゆっくりできない!

 人間は危険なものだと、誰かから教えられたのだろうか。
 まりさは壁に張り付くほど後ろに下がり、警戒の色を隠そうともせず膨らんで威嚇した。
「だれ!? ここはまりさのゆっくりプレイスだよ! じゃましないでね!」
 あれだけ出たいと思っていた場所をゆっくりプレイスだと言う。
 この忘れやすく楽観的な性格が、饅頭でしかないゆっくりの生き延びる秘訣とでも言えるのだろうか。
「……」
「ゆっ! こっちこないでね!!!」
 威嚇されても何も気にする必要はない人間は、無言で近づいてきた。
 ゆっくりまりさは、恐怖で縮みそうな体を必死で膨らませつつ、虚勢を張る。
 後一歩踏み出せば攻撃されるという場所まで来て、不意に人間は止まり、手に持った物を置いた。
「食べろ」
「……ゆぅ?」
 不思議そうにするゆっくりまりさの事は、もう関係ないと言わんばかりに、そのまま去っていく人間。
「……ゆ、ごはん? ゆっくりたべられるの?」
 そろそろと近づき、器の中身を覗く。
 ゆっくりまりさには分からないが、人間も食べられる食料がたっぷりとあった。
「ゆっ! ごはんごはん! ゆっくりたべるよ!」
 先ほどまでの慎重さなどどこかに消え去ったとばかりに、ごはんに貪りつくゆっくりまりさ。
「むーしゃ、むーしゃ……ぶふぇぇ!!! な”に”ごれ”ぇぇぇ!!!」
 まずは一番近くにある何かと思い、口にした瞬間吐き出してしまう。
 毒かとも思うが、何か違う。毒はこんなに美味しくない。
 その思いから、何度も食べようとしては吐き出す事を繰り返すゆっくりまりさ。
 あまりに何度も食べようとしてえづくゆっくりまりさを、人間は興味深そうに眺めた。
「ゲェ、エ゛ホッ! ……お”じざん! ごれ”だべら”れ”な”い”よ”!」
 何度も何度も食べようとしては吐き出し、これは食べられないものだと判断したらしいゆっくりまりさは、とうとう人間に食って掛かった。
 人間は「そうか」とだけ残して部屋から去っていく。
「はやくたべられるものもってきてね! はやくしてね!」
 先ほどとは違い、怒りの感情から膨らむゆっくりまりさの頭から、人間が危険な存在だという知識はすっぽりと抜け落ちてしまったらしい。
 はやくはやくとねだるその姿は、ふてぶてしい普通のゆっくりまりさそのものだった。

「おそいよ! はやくごはんたべさせてね!」
 数分後、別の器を持って現れた人間に対し、ゆっくりまりさは待ちくたびれたとばかりに何度も体当たりをした。
 だが、そんなまりさの抗議を人間は涼しい顔で受け流しつつ、器からエサを一欠け取り出し、口に入れた。
 食べられる、という証拠を見せ付ける様に、もぐもぐと口を動かし、飲み下す。
 それを見たゆっくりまりさは「ゆっくりいただきます!」と叫び、そのまま器に飛びついた。
「むーしゃ……ぼふぅぅぅ! ゆぐっ!?」
 また吐き出してしまった。味は美味しいのに、食べられない。
 だが、人間が食べているのだから食べられるはずだ。
 その思いから、ゆっくりまりさは何度も食べようと試みた。

「エ゛ホッ、エ゛ホッ……ヴォエ゛エ゛エ゛ェェェ……どう”じでだべら”れ”な”い”の”お”お”お”ぉぉぉ!!!」
 食べようとしては吐き戻す。
 その行為を何度も繰り返し、まりさはどうしても食べられない事にパニックを起こした。
「お”い”じい”の”に”ぃぃぃ! じあ”わ”ぜに”な”れ”な”い”よ”ぉぉぉ!!!」
 食べようとする、吐き戻す。
 食べようとする、吐き戻す。
 あまりにも何度も吐き戻したせいで、食べているというのに逆にやせ細ってしまっている。
 それでもゆっくりまりさは、すでに吐しゃ物の方が多くなっている器に、必死に喰らい付いていった。
 不意に、人間がゆっくりまりさを持ち上げた。
「じゃま”じな”い”でぇぇぇ! ごはんだべる”の”ぉぉぉ!!!」
 じたばたと暴れるゆっくりまりさの、耳と思われる部分に口を近づけ、人間は一言囁いた。
「お前、もうご飯食べられない体になってるぞ」
 その言葉を聞いた途端、ゆっくりまりさは驚愕の表情で固まった。

――ごはんがたべられない? なにいってるのこのおじさん? ばかなの?

 ゆっくり特有のふざけた事を考えつつ、ゆっくりまりさは下を眺めた。
 そこには、アンコの吐しゃ物にまみれた器がある。
 中のごちそうは千切れたりもしているが、全体の容量としては減ってはいない。
 ただ引き千切って、アンコをかけただけにすら見える。
 ゆっくりまりさは、アンコまみれのそれを見ながら、今さっきの事を思い出していた。
 これを食べている時、いや、食べようとした時に、飲み込んでいたか。
 もうごはんたべられない……まりさのアンコに、ゆっくりとその言葉が染みこんでくる。
 まりさはわなわなと震えだした。
「ゆ……ゆ……ゆっぐりぃぃぃ!!!」
 そんなまりさを冷たい目で眺めながら、男はまた囁いた。
「そんなにショックを受ける事はないだろう……お前は、もう食事をしなくても生きられるんだぞ?」
「なにいっでるのおじざん! ごはんだべなぎゃじんじゃうよ! ばがなのぉ!?」
 顔中を涙とよだれと謎の液体でぐしゃぐしゃにしながら叫ぶゆっくりまりさ。
 食事を摂らなくては死んでしまう。
 生物にとっては当たり前、常識以前の問題である。だが、ゆっくりは常識の通じる生物ではない。
「じゃあ、お前は何で今生きている?」
「ざっぎまでごはんだべでだがらだよぉぉぉ! いやぁぁぁ……じにだぐないぃぃぃ!!!」
 男はため息をつき、混乱しているゆっくりまりさをその場に放り出した。
「ゆぎゅ!? ぐ……ぐ、ちゃんとしたごはんよごぜぇぇぇぇぇ!!!」
 即座に男に飛び掛ってくるゆっくりまりさを片手で押さえつけ、虚空に向かって何か合図をする人間。
 壁の一部にパッと光が差し、まりさにとって信じがたい映像が映し出される。

 眠ったゆっくりまりさの下に、人間たちがやってくる。
 その人間達は、ゆっくりまりさの帽子を取り、そのまま何かの機械を差し込んでアンコを注入する。
 注入し終えたら機械を抜き、機械の入っていた部分を含め、表面の傷ついた所に練った小麦粉を貼り付ける。
 触ってみて、問題ないと思えるまで回復した所で、人間達は部屋を後にする……。

 ゆっくりまりさは、その映像をただ黙って見ていた。
「ほら、これならお前は死なないだろう?」
 人間が何か言っているが、ゆっくりまりさの耳には届かない。
 あまりの光景に言葉を失ったらしく、がくがくと震え出した。
「なに、これ……おじさん、まりさになにしたの……」
 問いかけるゆっくりまりさに、初めて笑顔を向け、人間は答えた。
「お前が食事をしなくても死なない様にしてやったのさ」
 嬉しいだろ? などと問いかけながら、人間はゆっくりまりさのほほをなでた。まりさのほほがつぶれない様にと、慎重で優しいなで方。
 だが、まりさにはそれすら禍々しいものに思えて、悲鳴を上げた。



 映像は、ゆっくりまりさが絶叫をあげた所で止まった。
「このゆっくりは、現在も正気を保ったまま生きています」
 再び映像が流れる。
 そこには、必死の形相で壁に体当たりを続けるゆっくりまりさがいた。

「いやだ、ここはゆっくりできない、ここをでたらごはんたべられるよ、はやくはやく……」
 ここから出られたらゆっくり出来る、食事が摂れる……どちらももう叶わない事だが、ゆっくりまりさの頭にはそれしかなかった。
 その姿は狂気とも思えるが、ゆっくりまりさの目には知性がある。
「はやくはやく……ゆ、つかれた……ゆっくりやすむよ」
 疲れたらしく、ゆっくりまりさは一旦休んだ。
 だが、眠る事はしない。
 眠ってしまえば、またあんな事をされてしまう……ゆっくりまりさは、絶対に眠りたくはなかった。


 映像は、ゆっくりまりさがギリギリのところで眠りを堪えている所で止まった。
「このゆっくりまりさは、元々別の実験に使用しておりましたが、今回の『食欲』実験にも使えると思い、現に成功を果たしました」
「また、このゆっくりは睡眠も克服しています。あの映像を見せた恐怖からでしょうか、全く眠ろうとしません」
「睡眠欲と食欲を克服したゆっくりまりさ……それが、このゆっくりなのです」


「それでは、次の映像の準備などのため、これから四半刻の休憩を挟ませていただきます。少々お待ち下さい」
 判を押した様に先ほどと全く同じ事を言い、一礼をする研究家。
 そのまま脇に下がると同時に、館内放送が響き渡る。

――これより、四半刻の休憩を挟ませていただきます。
――休憩中の出入りは自由となっております。厠などを済ませて下さい。

 館内放送が流れても、人々はほとんど動かなかった。
 先ほどの映像について、周りの者と様々に意見を交わし合う。
 次の説明まで四半刻、会場の熱気はまだまだ収まりそうにない。
 研究家は、それを脇から眺めながら、満足そうに頷いていた。







 虐待スレ何人かのファンの期待に答えまして、第二回講演を書き上げました。
 予定では後二回ですが……ちょっと苦しくなってきたかも。
 とりあえず、最後までの構想は固まっているので、お付き合いいただけると幸いです。
 by319



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最終更新:2022年04月17日 00:18