――ゆっくり研究家○○さんの講演の準備が終了いたしました。
――場内は大変込み合っておりますので、お早めに席にお戻り下さい。
四度目の館内アナウンスが流れ出すが、既に席はほぼ埋まっている。
先ほどの食欲実験のゆっくりの興奮をまだ忘れられない人々が、様々に話をしているからだ。
次の成果は、恐らく性欲実験。
今度は、どんなゆっくりの末路を見る事が出来るのか……会場内は、異様な興奮でざわざわと騒がしくなっている。
そんな中、研究家が姿を現す。会場内は、完全に興奮のるつぼと化した。
――大変お待たせいたしました。これより、ゆっくり研究家○○さんの講演を再開させていただきます。
騒がしかった会場内が、アナウンスと同時に静まり返る。
講演会第三部。ゆっくりの性欲抑制実験の発表会は、声一つない静けさの中で始まった。
『ゆっくり魔理沙が極限までゆっくりできる話 その3:性欲編』
「これまで、睡眠を全く取らせないゆっくりと、食事を全くしないゆっくりの二例について、映像を使って説明させていただきました」
「次は、性欲の抑制をしたゆっくりを見ていただきます……これは、最も苦労した実験です」
本当に苦労したという感情がにじみ出ている声で、研究家は語る。
その言葉に反応して、静かだった会場内にひそひそ声が広がっていった。
――食と睡眠という大きな欲求の抑制に成功したのだから、性欲くらい大した事はないだろう。言いすぎではないだろうか。
聴衆の考えは、おおむねその様なものである。
だが、その反応は分かっていたとでも言わんばかりに軽く頷いてから、研究家は説明を始めた。
「皆さんの考える事は良く分かります。ですが、ゆっくりは普通の生物ではないのです」
「ゆっくりの弱さを考えてみて下さい。人間が軽く殴っただけでも死ぬ弱さで、更に捕食種がいてもあれほどに数がいるのは、何故でしょうか?」
何故大量にゆっくりがいるのか……疑問にすら思っていなかった質問に、ざわめく聴衆。
だが、困惑する聴衆を気にせず、研究家は説明を続けた。
「皆さんは『いわし』という生物をご存知でしょうか」
「恐らくは知らない方が多いでしょう。私も実物は見た事がありません。海に住む魚だという話を、外の世界から来た友人に聞いただけです」
「ですが、彼は非常に興味深い話をしてくれました」
「『いわし』は、多数集まる事で生存確率を上げようとする本能があり、その数は数万にも及ぶという話です」
「これほどの数がいれば、数匹が何かの理由で殺されたとしても、群れそのものには影響を及ぼしません」
「……ゆっくりに話を戻します。ゆっくりは親子兄弟を合わせてかなりの数がいます。数百を超える個体が所属している群れを見たという情報もあるほどです」
「また、最も数の多いゆっくりれいむ・まりさは、大体はペアで発見されます。一匹でいるゆっくりは、逆に珍しいと言えるでしょう」
「この事実から推測しますが、ゆっくりの数が多い理由は『いわし』と同じ事ではないでしょうか?」
「つまり、多数の群れで生活する事で、少しでも種族としての生存確率を上げるためという説です」
「これは私の推測であり、本当は違うのかもしれません。ですが補足に値する事実があります。ゆっくりが一年中発情期だという事です」
「春夏秋冬……冬は交尾しているゆっくりをあまり見ませんが、その理由は食物の消費を出来る限り減らして生き残るためでしょう」
「ゆっくりの性欲は極めて強く、いつでもどこでも交尾をします。今回は、真冬に交尾をする
ゆっくりについて見ていただきたいと思います」
研究家の合図で、映像が流れ始めた。
冬のある日、二匹のゆっくりまりさが寒さに震えていた。
ほほが青白く染まり、がちがちと鳴らす歯がうるさい。
「ささささ……さむいね!」
「ぶるぶるぶるぶるふるえちゃうよ!」
血が通っているワケでもないのになぜか紫色になった唇を動かし、何とか暖を取ろうと可能な限りくっ付いていく二匹。
震える事で体を動かし、少しでも温かさを得ようとする行動は人間もゆっくりも同じらしい。
くっついたままのまりさ達は、かなりの速度で震え続けた。
「ゆゆゆゆ……ゆっくりぽかぽかになってきたよ!」
「もっとぽかぽかになったらゆっくりできるね!」
しばらくすると、ほほがリンゴの様に赤くなり、血色の良い唇に戻った。
――これでゆっくりできるよ。
ほっとした二匹は今だに周囲を包む寒さも忘れ、のんびりとくっ付き合ってゆっくりしだした。
「まりさはすごくゆっくりしてるね!」
「まりさもすごくゆっくりしてるよ!」
「「ゆっゆっゆ~♪」」
端から聞いている人にとって自画自賛をしている様に思えてしまうこの発言は、二匹ともがゆっくりまりさのためである。
発音から何から全てを含めた同種族間の違いは、恐らくゆっくりにしか分からないものなのだろう。
二匹は穏やかな表情で体を揺すり、頬をすり寄せ続けた。
「「ゆ~……ゆっ!」」
穏やかな表情でくっ付いている二匹だったが、不意にぶるぶると小刻みに震え始める。と同時に、とろんとした目つきになった。
交尾の開始である。
「「ゆっゆっゆっ……」」
ぬちゃぬちゃと、粘性の物をこすり合わせる音。
良く見ると、まりさ達のもちもちとしたほほの間に、透明の液体が糸を引いている事が分かる。
「ゆゆゆゆ……ゆっゆっゆっ……」
「ゆぅ……ゆゆゆぅ……」
ゆっくりまりさ達の動きが更に早くなり、ぬちゃぬちゃという音も更に激しくなっていく。
それに連動するかの様に、ほほだけが赤かった二匹の顔全体が真っ赤に染まっていった。
「「ゆっゆっ……んほぉぉぉぉ!!!」」
ビクンと一跳ねして、同時に動きを止めるゆっくりまりさ達。
ボトボトと音を立てて、粘液が地面を黒く濡らしていった。
「「すっきりー!!!」」
ゆっくりまりさ達の交尾は終ったらしい。
二匹は、顔を赤くしたまま余韻に浸っている。
「すごくゆっくりできたよ。ゆっくりしたあかちゃんがうまれるといいね」
「うん、がんばってゆっくりあかちゃんうむよ。まりさににてもいいし、まりさににてもいいね」
顔を見合わせ、微笑み合う二匹。
全く見分けが付かないが、どうやら画面向かって左側のゆっくりまりさが母役で、右が父役らしい。
「ゆっくりしないで、はやくうまれてほしいね」
「そうだね、でもゆっくりうまれないと、ゆっくりしたこにそだたないかもしれないよ?」
和やかに冗談を言い合う二匹の表情には、憂いの色は全くない。
寒さに包まれた中、飢餓に耐えながら子供を生み育てる事がどれだけ辛いのか、このゆっくりにはその程度の事を考える頭もないのだろう。
春まではまだ一ヶ月以上ある、冬の日。
もうすぐ親になるゆっくりまりさ達の表情は、本当にゆっくりしたものだった。
映像は、穏やかに顔を見合わせて笑うゆっくりまりさ達の様子で止まった。
幻想郷のどこでも見られるゆっくりの交尾を延々と見せられていた聴衆は、かなり不満そうにしている。
確かに冬に交尾をしているゆっくりは珍しいかもしれないが、交尾そのものはどこでも見られるのだから、その考えも当然なのかもしれない。
「まずはゆっくりの交尾について見ていただきました。どこにでもある光景ですが、この光景について一つお聞きしたい事があります」
「『ゆっくりはいつから交尾をしているのか』それについて、どなたか分かる方はおられませんか?」
ざわざわと会場内に声が響き渡る。
頬をすり寄せた時点で……いや、粘液が出た辺りから……様々な意見が出るが、確信を持てるほどのものにはならない。
そんな様子をしばらく眺めていた研究家は、一つ咳払いをしてから話し始めた。
「これについては、私にも分かりません。恐らくは、他の研究者達も完全には把握できていないでしょう」
「苦労の理由の二つ目がこれです。いつから交尾をしているのか分からなければ、やめさせる事は難しいという事です」
「いつ頃から親愛の情が性欲に変わっているかを知るためには、頬をすり寄せている時から交尾に変わる瞬間を理解しなければならないですからね」
「そのため、この性欲実験については、これまでの抑制ではない三つの方法を考えました」
「一つは、性欲の抑制ではなく、性欲そのものを潰すというやり方」
「二つ目は、不感症とでも言うのでしょうか、交尾では快感を得ないゆっくりをつがいにさせるやり方」
「三つ目は、羅切(らせつ、日本の仏僧が行う去勢の事)に処した上何度も交尾をさせて自分はもう『すっきり』できないのだと理解させるやり方です」
エグい事をさらりと言う研究家に、男性の一部は顔を青くし、その中の更に一部は赤くしている。
研究家は無表情のまま、淡々と説明を続けた。
「羅切の方が楽に出来るのですが、ゆっくりの生殖器がどこにあるのか不明だったために出来ませんでした」
「また、不感症のゆっくりを見つけられなかったため、これについても出来ませんでした」
「羅切や不感症は今後の課題としまして、ここから先は性欲を潰した
ゆっくりについて、映像で説明させていただきます」
研究家の合図と共に、映像が流れ出す。
それは、一匹のゆっくりまりさが黒い箱の前に固定されているものだった。
ゆっくりまりさは、怒っていた。
もしこんな状況に追いやった者が目の前にいたら、口を極めて罵り、倍に膨らんで攻撃を仕掛けるだろう。
だが、今は不満そうに眠ったゆっくり達の入った透明な箱を眺めている。
眠っているゆっくり達と話せないからではない。固定する縄が、下手に動くと饅頭の皮が破れるほど硬く縛られているためである。
ゆっくりにも生命の危険は分かる。
このまま膨らめば、もしくは下手に口を開けば、自分は中身が飛び出した饅頭だったものになると理解する程度の頭はある。
そのため、膨らむ事もできず、文句も言えず、目の前のゆっくり達を起こす事も助けを求める事もできず、まりさはただ大人しくしていた。
不意に、箱の中のゆっくり達が起き上がった。
「っ……っ!!!」
眠そうにまりさの方を眺めているのを見て、まりさはもごもごと口を動かした。恐らくは「ゆっくりたすけてね!」などと言っているのだろう。
だが、ゆっくり達はまりさが見えない様にきょろきょろと辺りを眺めだした。
「ゆっくりしていってね!」
「ゆっくりしていってね!」
目の前にいるゆっくりまりさを無視して、同じ箱に入ったゆっくり同士が挨拶をする。
まりさは、自分が苦しんでいるのに助けようともしない仲間に怒りを抱いたらしくぷくっと膨らもうとするが、縄が食い込むので途中で息を吐き出した。
「「ふたりでゆっくりしようね!」」
恨めしそうに自分達を眺めているまりさに気付いていないかの様に、ゆっくり達は箱の中で仲良く頬をすり寄せあった。
「ゆゆっ……ゆ……んんっ……ゆー!」
「ゆふぅ……ゆゆゆ、ゆっ……」
「……っ?」
突然、箱からぬちゃぬちゃと湿った音が聞こえ出した。
箱のゆっくりは、目の前にいるまりさを無視して、ついに交尾を始めてしまったのである。
固定されているまりさは痛みも怒りも忘れ、呆然と目の前の痴態を眺めている。縛られていなかったなら、ぽかんと口を開けている事だろう。
「「ゆっゆっゆっ……ゆゆゆ! ゆーーーー!!!」」
「……っ!」
箱の中で何が起こっているのかようやく気付いたらしく、もごもごとくぐもった声をあげるまりさ。
何と言っているのかは分からないが、相当に恥かしく思っているらしい。必死で目をそらそうとしている。
だが、その顔は真っ赤に火照っており、目が潤んでいる。別のゆっくりの交尾を見て、自分も昂ぶってしまっているのだろう。
交尾中のゆっくり達は、間近で見られている事を知ってか知らずか、もしくはそんな事などどうでも良いのか、どんどん動きを激しくしていった。
「「ゆっ……ゆっゆっゆっ、ほおおおおおぉぉぉ!!!」」
「っ……ゆ、ふぅ……」
ビクビクと震えるゆっくり達の顔から、音を立ててよだれ・涙・汗の様なアンコ汁が大量に流れ出し、地面がたちまちに黒に染まっていく。
それを見ているまりさは、長時間お預けを喰らった犬の様に口の端からよだれを一筋垂れ流しながら、じっとその様子を見つめていた。
先ほどまでの怒りなど忘れてしまったらしく、まりさは快楽を求めて強引に動こうとするが、当然動けない。
「ゆ……すっきぃ……たぃ……」
すっきりしたい。もはや、ゆっくりまりさの頭にはそれしかない。
まりさは、命の元でもあるアンコで縄が黒く染まっていくのも気にせず、動こうともがき続けた。
「ゆゆゆゆゆゆ! んほぉぉぉぉぉすっぎ!?」
突然、柔らかい物がぶちゃっと潰れる音が響くと同時に、辺りがシンと静まり返った。
先ほどまでの熱気が一瞬にして薄れ、消えていく。
白目をむき、だらしない顔をしたゆっくり達は『すっきり』する事なくいきなり潰れてしまったのである。
「んむむむ!」
だが、まりさは何が起こっているのか分らないまま、箱に寄ろうと必死に動き続けた。
――すっきりしたい! まりさもすっきりさせてよ! つぎはまりさのばんだよ!
縄から逃れようともがく理由が、異常なこの状況を確認するためではなく、情欲に火照った体を冷ますためだという事は、欲に弱いゆっくりを象徴する様で浅ましい。
そんなまりさの目の前で、潰れたゆっくりがウィーンという機械音を立てて逆回しに膨らみ、そのまま眠り始めた。
「ゆぅ……ゆー……ゆゆっ」
「ゆ……ゆー……ゆぅ」
ほどなく起き上がったゆっくりは、隣に先ほどまで交尾をしていたゆっくりがいる事にも気付いていない様に、きょろきょろと辺りを眺め始めた。
「「ゆっくりしていってね!」」
挨拶をし、幸せそうに頬をすり寄せるその姿は、先ほどと全く変わらないものである。
「「ゆっゆっゆっ……ゆゆゆ! ゆーーーー!!!」」
そのままビクビクと震えながら、顔を真っ赤にするゆっくり達。交尾を再開したらしい。
「……?」
目の前のゆっくり達の、時間が戻った様に同じ事をしている異常性にようやく気付いたらしく、まりさは不思議そうな顔をした。
にちゃにちゃと粘性の音が聞こえても、もう情欲に目を輝かせたり、顔全体が火照る事はない。
ただ、なぜか先ほど潰れたはずのゆっくりが同じ行動を繰り返す目の前の状況を眺めているだけだ。
「んほぉぉぉぉぉすっぎ!?」
「……ゅっ!?」
結末も全く同じで、ぶちゃっという音と共にゆっくり達は叩き潰される。
そして、また機械音が流れ、また蘇るゆっくり達。
繰り返されるそれを見て、まりさは僅かに気味悪さを感じ始めていた。
「んほぉぉぉぉぉすっぎ!?」
「ほぉぉぉぉぉすっぎ!?」
「ゆっ……たすっ……っ!!!」
100回以上も絶頂に至らないまま何度も何度も潰れては蘇り、また交尾を始める饅頭達に、ゆっくりまりさは恐怖を感じていた。
ガチガチと歯を鳴らし、涙が止め処なく溢れている。
縄からは更にアンコが漏れ出し、黒く染まってきていた。
快楽を求めて動こうとしているためではなく、この場から逃げ出そうと必死にもがいているためである。
――たすけて、ゆっくりさせてよ。このこたちはいやだよ、ゆっくりできないよ。たすけて……。
達する直前で潰れては蘇るゆっくり達が、まりさの目には不死の悪霊か何かの様に見えているのだろう。
ゆっくりまりさは、自分の身からこぼれるアンコも無視して、ただ逃げようと身をよじり続ける。
「ゆっ……! ……やっ! ……ゅ!? ゆゅ……ぁ!!!」
その間も、何度も何度も繰り返される交尾と死にとうとう神経が切れてしまったらしく、まりさは恐怖に歪んだ凄まじい形相で気絶した。
映像は、凄惨な虐待の末にアンコまみれになって殺されたと錯覚してしまう有様のゆっくりまりさが映った所で止まった。
「まずは映像による仕込みを見て頂きました。現状でも、このゆっくりは恐怖心から交尾を行おうとはしません」
「ですが、彼らは記憶力が異常に低いため、すぐに交尾出来る様になります。数日……長くても一週間程度持てば良い方でしょう」
「そのため、この後は定着作業に移りますが、これは更に二段階に分かれます。詳しい内容については映像にてご覧下さい」
「なお、これが先ほどと同じゆっくりである目印として、帽子の先端部分に塗料を塗ってあります」
研究家による簡単な説明の後、映像が再開される。
今度は縛られていないゆっくりまりさが、帽子の先を赤く塗られている事にも気付かずに眠っている様子が映し出された。
「……ゆー?」
帽子の先端を赤く塗られたゆっくりまりさは、目が覚めてすぐきょろきょろと辺りを見回した。
どこも縛られてはいないし、口もキチンと動かせる。先ほど縄でちぎれたはずの頬も元通りに治っている。
「ゆめだったんだね! うっかりー!」
何度潰れても蘇っては交尾をする異常なゆっくりなんていない。縄でぐるぐる巻きに縛られてもいない。
自分はずっと悪夢を見続けてただけなんだ。
そう思い、安心した様にほっと息をつきながら辺りを見回す赤まりさの目に、あるはずのないものが飛び込んできた。
アンコまみれの縄と、黒い四角い箱。
夢の中では透明の箱だったから大丈夫……と思いながら恐る恐る箱を覗くと、そこにはあのゆっくり達がすやすやと眠っていた。
悪夢が現実に現れる。
「あ、あ、あ……」
がくがくと震える赤まりさ。白目をむき、口の端からは黒い泡が吹き出している。
すっきりする前に潰れてはまたすっきりしようとしていたゆっくり達。
縛られて、逃げる事も交尾をやめさせる事も、潰させる事を防ぐ事も出来ずにただ見ている事しか出来なかった自分。
「ゆっくりしていってね!」
「ゆっくりしていってね!」
不意に、バケモノ達が起き上がり、挨拶をする。この後は交尾をして、すっきりする事なく叩き潰されるのだろう。
「ごわいよぉぉぉ!!!」
挨拶に応じる事もなく、赤まりさは全速力でその場から逃げ出した。
トラウマにでもなったのか、顔は涙と良く分らない液体でぐしょぐしょになっている。
「ゆぎゅぅぅぅ!!! いやぁぁぁ!!!」
「ゆっくりしていってね! ゆっくりおちついてね!」
半狂乱になって跳ね回る赤まりさにかけられる鳴き声。
そのまま頬をすり寄せてくる。柔らかく心地良いその感触で、ようやく赤まりさは落ち着きを取り戻した。
「ゆっ……ゆっくりしていってね! ……だれ? まりさ?」
「まりさだよ! ゆっくりおちついてね! ゆっくりしてね!」
涙目のまま相手を眺めると、相手も同じゆっくりまりさだった。
ただし帽子はキレイに整えられているし、寒天の目は純度の高い宝石の様に美しく、もちもちとしたほっぺは見るだけでもすっきりしてしまいそうだ。
――どんなゆっくりよりゆっくりしてて、すごくかわいいぜ。
この部屋に元々いたまりさは、素直にそう思いながら話しかけた。
「ゆっくりできたよ。ところでまっ、まりさは、なんでここにいるの?」
「まりさもつれてきてもらったの! ここは、すごくゆっくりできるおきにいりのゆっくりプレイスだよ!」
噛んでしまいつつも、問いかける赤まりさ。その顔は帽子の先端の様に赤く、緊張と恥かしさが同居している様な表情をしている。
だが、美しいまりさは赤まりさの奇妙な表情を気にもせず、無邪気に答えた。
にこにこと笑うその顔は、悪意というものがすっぽりと抜け落ちた様にさえ見える。
赤まりさは、その優しい目を見ている内に何でも話したくなった。
「ゆぅ……ここはゆっくりできないよ、だって……」
欲求に逆らわず、赤まりさは美しいまりさにこれまでの全てをぶちまけた。
「……ゆっ、そんなことがあったの」
「そうだよ! だからゆっくりしないでここをでよう! ここはゆっくりプレイスじゃないよ!」
語り終えた赤まりさは、何か考え込んでいる美しいまりさを急かす様にぐいぐいと引っ張った。
当然ながら、一緒に逃げ出すためである。
だが、美しいまりさはその美しさに似合った優雅な仕草で赤まりさを振り払った。
訳が分からずに呆然とする赤まりさだったが、すぐに気を取り直したのか、口元を引きつらせてへこへこと奇妙な屈伸運動の様な動きをする。
人間の目から見ると叩き潰したくなる有様だが、どうやら優しい笑顔を浮かべて謝っているつもりなのだろう。
「つよくひっぱっちゃったんだね! ごめんね! つぎはゆっくりひっぱるから、いっしょににげようね!」
「ちがうの、まりさはここからでたくないの。まりさのゆっくりプレイスからでたくないよ……」
だからここでお別れね、とうつむいた美しいまりさの帽子の奥の目は涙で潤んでおり、ぽたぽたと音を立てて水滴が床に落ちていく。
濡れていく床を見て申し訳ない気分になりつつ赤まりさだが、ここは『バケモノ』のいるゆっくりできない場所なのだ。
あきらめるワケにはいかない、このまりさもゆっくりして欲しいと考え、赤まりさは言葉を尽くした。
だが、もう美しいまりさはここにいると決めたらしく、赤まりさが何を言ってもうつむいて頭を振り続けた。
「ゆぅ~……じゃあ、まりさもここにいるよ! ひとりよりふたりのほうがゆっくりできるよ!」
「ゆゆっ、いいの!? まりさはここからでたいんでしょ?」
「きがかわったよ! ふたりでゆっくりしようね!」
目を丸くした美しいまりさに、赤まりさは優しくほほをすり寄せた。
赤まりさのいきなりの積極的な行動に驚きつつも、美しいまりさは目を閉じて受け入れる。
その横顔を眺める赤まりさの目には、帽子の塗料の様に赤い、決意の炎が燃え盛っていた。
「もし、ふたりでゆっくりできなくなっても……」
「ゆぅ? まりさ、なにかいった?」
「なんでもないよ! それより、きょうはゆっくりプレイスをみつけたきねんにまりさがごはんをさがしてくるよ! まりさはゆっくりしていてね!」
赤まりさはそう告げてから、いつもの緩みきった笑顔とは違う真剣な眼差しで美しいまりさを見つめた。
「……ゆぅ?」
きょとんとした美しいまりさの姿をアンコの奥に刻み込む様に硬く目を閉じてから、赤まりさは更に弾みを付けて飛び跳ねていく。
その後頭部は、守るべき者を見つけた自信と誇りに満ち溢れていた。
最終更新:2022年04月17日 00:19