「2人と2匹の関係」(前編)

  • 友達想いの純真無垢で善良なゆっくりが、生まれてこなきゃ良かったと後悔するぐらい精神的に肉体的に酷い目に遭います




「ゆっくりしていってね!!!」

ユキオの膝の上で周囲の人間たちに挨拶するのは、飼いゆっくりであるゆっくりれいむ。
髪型は綺麗に整えられ、リボンは色褪せもほつれもない、とてもゆっくりしているユキオのペットである。
れいむは、そのもちもちふっくらとした下膨れを皆に見せ付けるように、胸を張るポーズをしている。

「おぉ、すげぇ!」「ゆっくりって本当に喋るんだなぁ!」

ユキオのれいむを見て、子供たちは驚きの声を上げる。
昼休みの校庭。誰もが遊びまわっているこの時間帯。その大声を咎める者は誰もいない。

「なぁ、どうやって捕まえてきたんだ?」
「森を探し回ってたら、1匹で迷子になってるのを見つけたんだ。
 その場には家族がいないみたいだったし、適当に言いくるめて捕まえてきたんだよ」

れいむの頬をぷにぷにと揉みながら、ユキオは自慢げに話す。
その度に、ゆっゆっゆっと珍妙な声を上げるれいむを、周囲の子供たちはしげしげと見つめている。

言語を扱う割りに知能が低く、また身体的強度が著しく低いゆっくりという生物。
適当に餌をやり、適当に遊んでやり、適当に飼っていても、結構長生きする。
学校の教室内で育てている金魚より、遥かに扱いやすい。
10歳前後の子供たちが一番最初にペットにするには、最適の生物なのだ。

「ゆっくりしていってね!!れいむといっしょにゆっくりしようね!!」
「へぇ、面白いなぁ!」「凄くかわいいね!」

人間の生首に似た饅頭生物が愛嬌を振りまくのは、男子でも女子でも興味を惹かれるものだ。
正面から少年が両頬を左右に引っ張ったり、その隣の女の子が顎の辺りをぷにぷに突いたりする。
そんなときに見せるれいむの反応が、これまた可愛らしいのだ。

「ゆゆっ!ゆっくりやめてね!!れいむがゆっくりできないよ!!」
「あーもう可愛すぎる!もっとやらせて!!」「もっと色んな所を触ってみようぜ!!」
「ゆゆぅ!!ゆもももぅ!!ゆぶぅ!!」

もみくちゃに触られて、困った笑顔を浮かべるれいむ。
それを見て、ユキオはとても満足していた。
子供たちの間では、ゆっくりを捕獲して手懐けることが一種のステータスとなっている。
それを成し遂げたユキオは、これからクラスの中で一目置かれる存在になるだろう。
ユキオ自身は、そう思っていた。

彼の背後から、さらに大きな喚声が聞こえてくるまでは。



「おお!!!すげぇ!!本当に泳いでるぞ!!」
「もう少しでゴールだよ!!頑張って!!」

ユキオとその周囲の子供たちが、校庭の端にある池の方を振り向く。
そこでは、綺麗な金髪がトレードマークのゆっくりまりさが、自らの帽子をボート代わりにして池を横断しているところだった。
口に木の棒を咥えて、その棒でバランスをコントロールしながらゆっくりと池を泳ぎ進んでいる。
そのまりさの真剣なまなざしが、子供たちの関心を惹いたのだろうか……

「何だかあっちのほうが凄そうだな!!」
「うん!行ってみよう!!」

ユキオを取り囲んでいた子供たちは、もっと面白そうなものを見るために池のほうへと駆けていった。
ぽつんと取り残された、ユキオとれいむ。無言のユキオに、れいむは大声で呼びかけた。

「ゆっくりしていってね!!れいむはゆっくりしているよ!!」
「………」

れいむの呼びかけを華麗に聞き流し、ユキオはベンチから立ち上がって池の方を見やる。
ちょうどまりさが池を泳ぎきり、陸の上に上がったところだった。
帽子を咥えてぶるぶる振り回すのは水切りのため。
水分が散ったのを確認して、まりさは口を使って器用に帽子をかぶった。

「よーし、よくできたね。あとで沢山ご飯をあげるからね」

そんなまりさを出迎えるのは、ヒロブミ。ユキオと同じクラスの少年だ。
勉強もスポーツも遊びも出来て、顔も性格も良く、さらにお金持ち。誰もが認めるクラスの人気者である。

「やっぱりヒロブミだな!」「またヒロブミか!!」「来た!ヒロブミ来た!これで勝つる!」
「ヒロブミならやってくれると思ってたぜ!!」「おぉヒロブミヒロブミ」

先ほどまでユキオの周りにいた子供たちも混じり、ヒロブミの周囲には人だかりが出来ていた。
ヒロブミを賞賛する声が響くが、ヒロブミ本人は決して威張ったりしない。

「そんな大したことじゃないよ。まりさ種はもともと帽子を使って泳ぐ習性を持っているんだ。
 僕はそれを呼び覚ましてやっただけ。水辺で練習させれば、どんなまりさ種だって泳げるようになるんだよ」

まりさの頭を優しく撫でつつ、ヒロブミは事実を説明する。
ヒロブミが力を加えるに従ってまりさの顔が横長の楕円形に歪み、まりさはゆみゅみゅと変な声を上げた。
まりさの両頬を掴まえて、ヒロブミはまりさを膝の上に乗せる。

「まりさ、皆にご挨拶しなさい」
「ゆゆっ!!まりさはゆっくりまりさだよ!!ゆっくりしていってね!!」
「やーん!!かわいいー♪」「自己紹介までするなんて、凄いな!」

何だよ。れいむと殆ど同じじゃないか。遠目に見ながらユキオは思った。
それにヒロブミの言うとおり、まりさが泳げるのは当たり前のことじゃないか。
れいむだって、練習させればきっと空を飛んだりとか……さすがにそれは無理か。

「ゆゆっ!!れいむはまりさとゆっくりするよ!!」
「あっ!れいむっ!!待てよっ!!」

その時、れいむはユキオの腕からするりと抜け出した。
れいむが跳ねていくのは、ヒロブミとまりさを囲む黒山のような人だかり。
どういう判断基準なのか一切不明だが、向こうの方がゆっくりできると判断したらしい。
森で暮らしていた頃にも、野生のゆっくりまりさとゆっくりしたことがあるのかもしれない。

子供たちの足元を縫うように跳ねながら、まりさのところにたどり着いたれいむ。
それに最初に気づいたのは、先ほどまでユキオのれいむを弄り倒していた少年だった。

「お、ユキオのれいむじゃないか。どうしたんだ?」
「ゆゆっ!!まりさとゆっくりさせてね!!ゆっくりしていってね!!」
「ゆゆ!!いいよ!!まりさとゆっくりしようね!!」

ヒロブミの膝の上から飛び降りたまりさは、れいむに頬をすり寄せる。
2匹の密着した頬がぷにぷに変形する様を見て和む一同。そこへ、人垣を掻き分けてユキオが現れた。

「れいむ!勝手に跳ねていったらダメだろう!」
「ゆっ!?ゆっくりやめてね!!れいむはまりさとゆっくりしているよ!!」

すりすりしている最中の2匹に割って入り、れいむを抱き上げるユキオ。
1匹取り残されて不満そうな顔をするまりさも、ヒロブミに抱え上げられた。
ヒロブミは、ユキオの腕の中のれいむを興味深げに見つめながら、ユキオに声をかける。

「ユキオ君のれいむ、皮の張りも髪の艶も素晴らしいね。きっと毎日お手入れしてるんだね」
「ん、まぁ……最低限のことは。皮に張りがないと、弄り甲斐がないしね」

れいむの下膨れを揉みながら、ユキオはヒロブミから視線を逸らす。
何となく居心地が悪かったので、なるべく早くこの場から立ち去りたかった。

「それで、そのれいむは何か芸が出来るの?」
「えっ?芸?…………どうかな。教えたことないし」

れいむを貶めてまりさの優秀さを際立たせようなどという考えは、ヒロブミにはまったくなかった。
でも、ユキオはどうしてもそれを疑ってしまう。クラス一番の人格者が、クラス一番の卑怯者に見えた。
問いかけられる前に、ここから離れておくんだった。後悔したが、手遅れだった。
皆の前で芸がないとあっさり認めるのも癪なので、ユキオは一か八かれいむに問いかける。

「なぁれいむ、お前って何かできることあるか?」
「ゆゆん!!あるよ!!」

予想外の返答だった。れいむにも芸があるなんて。
まりさは池を渡れるから、れいむは……もしかして、空を飛べるのか?
しかし、次のれいむの言葉でユキオの期待は裏切られる。
それどころか、彼の面目を一発でぶち壊す、最高に破壊力のある言葉だった。








「れいむはゆっくりできるよ!!!」








ユキオの周囲が、静まり返った。
喧騒に包まれた校庭の中で、ユキオの周りだけが切り取られたように。
彼だけではない。誰もがその答えを想像すらしていなかったのだから。

そして次の瞬間、どっと笑いが起こった。

「あっははははは!!!おもしろーい!!!」
「れいむ!!お前最高だよ!!」
「いつの間にこんな一発ギャグを仕込んだんだよ!ユキオ!」

腹を抱えて爆笑するクラスメートたち。
顔を赤くしたまま、何も言えないユキオ。
笑いの原因がまったくわからず、クエスチョンマークを浮かべるれいむ。
しばらく経ってその明るい雰囲気が気に入ったのか、ユキオの腕の中で顔を綻ばせて歌い始めた。
知能の低いゆっくりれいむには、子供たちが笑っている理由も、飼い主が赤面している理由も、まったくわからないのだ。

「ゆゆ~♪みんなゆっくりしているね~♪ゆっゆゆゆ~ん♪ゆっくりぃ~♪」
「ま、まぁ…ゆっくりすることも、大事なんじゃないかな…」

さすがのヒロブミも、これには苦笑い。
れいむはそれに構わず、弾力のある頬を震わせながらリズミカルに不協和音を奏でる。
俯いているユキオの顔は、恥ずかしさで爆発しそうなぐらい真っ赤に染まっていた。

「くぅっ!!!」

居ても立ってもいられなくなり、れいむを抱えたままその場から逃げ出すユキオ。
“ゆっくりー!!”と叫びながら、ユキオに連れて行かれるれいむ。
ユキオの耳に届く耳障りな笑い声が聞こえなくなる頃には、昼休みは終わっていた。



ところ変わって、ユキオの部屋。
机の真ん中に鎮座して胸を張っているれいむを、ユキオは鋭い目線で睨みつける。
その眼光に怯えることなく、れいむは眉毛を真っ直ぐ45度に保ったまま、ゆっくりしていた。

「くそっ!!お前のせいで恥をかいたぞ!!」
「ゆゆっ!?はじはゆっくりできないよ!!まんなかでゆっくりしてね!!」
「………お前、俺をバカにしてるのか?」

思い出してみると、森で拾ったときかられいむは何だか変だった。
このれいむは、他のゆっくりに比べて……バカなんだ。
バカなので手懐けるのは簡単だが、バカなので芸を覚えさせるのは難しい。
言い換えると、バカだから手懐ける事が出来たということだ。

「でも……このままって訳にもいかないよな。こいつには死ぬ気で芸を覚えてもらわないと」
「ゆゆ!!ゆっくりしていってね!!ゆっくりしていってね!!」

れいむに芸を覚えさせて皆に見せなければ、ユキオの面目は潰れたままだ。
こいつには何が出来るんだろう? ユキオは腕を組んで考える。
空を飛ぶ……まりさみたいに泳ぐ……どっちも出来そうにないが、試しにやってみようか。
そんな結論に達したユキオは、れいむの両頬を掴んで高く持ち上げた。

「ゆっ!!おそらをとんでるみたい!!」
「そうだな。それじゃ今度は、実際に飛んでみようか」

そう言って、ぱっと手を放すユキオ。
不気味な浮遊感に包まれて、重力に従い“ゆーっ!!”と声を上げながら自由落下するれいむ。

「ゆ゛っ!?」

着地する瞬間、運悪く顔面を床にぶつけてしまい、れいむは濁った悲鳴を上げる。
痛みにびくびく震えているれいむを、ユキオはもう一度持ち上げた。

「ゆゆっ!!おそらをとんでるみたい!!」
「お前ってやっぱり物覚え悪いんだな」

呆れた声と共に、もう一度手を放す。
結果はさっきと同じだった。涙を流しながら、れいむは痛みに悶えている。

「ゆびっ!!ゆっぐっ!!!いだぐでゆっぐじでぎな゛い゛い゛い゛ぃ!!!」
「痛いのが嫌なら、飛べばいいじゃないか」
「ゆゆぅっ!?れいむはとべないよ!!れいむはゆっくりしたいよ!!!」
「でも、れいむは空を飛ぶの好きだろう? さっきだって“おそらをとんでるみたい!!”って喜んでたじゃないか」
「ゆああああぁぁあぁ!!!いたいのいやだよおおおぉおおぉ!!!」

それから20回程度、ユキオはれいむを高く持ち上げて落とすことを繰り返した。
5回目ぐらいから、“持ち上げられる=ゆっくりできない”の図式が餡子脳内に出来上がったらしく…

「ゆゆぅ!!ゆっくりぃ!!ゆっくりさせてね!!ゆっくりさせてよおおぉ!!!」

ユキオに持ち上げられるたびに、悲鳴を上げながらくねくね身体を動かして必死に抵抗していた。
だが、そんな悲鳴を完全に無視して、ユキオは飽きるまでれいむを床に落とし続けた。

「ゆっじゅ……ひっぐ……ゆっぐりぃ………ゆっぐりじだい゛ぃぃ……」

20回以上床に叩きつけられ、全身の激痛に咽び泣くれいむ。
ユキオは、れいむが空を飛ぶのは不可能だと結論付けた。

「やっぱり、れいむが空を飛ぶのは無理か」
「ゆっぐぃ……れいむはおそらをとべないよぉ!!ゆっくりりかいしてね!!!」



そうと分かったら、次の検証である。
れいむを抱えて、2階の自室から1階の風呂場へと向かう。
浴槽には数十リットルの水が溜まっているが、水温は30度にも満たない。

「れいむ。まりさって池を泳げるんだぜ? 凄いと思わないか?」
「ゆ!!まりさはとてもゆっくりしていたよ!!れいむもゆっくりしたいよ!!」

話が通じているのかいないのか、判断しかねる返答をするれいむ。
ユキオはため息をつきながら、浴槽の水面に適当な大きさの発泡スチロールの板を浮かべる。
その上にれいむを乗せようとするが……当然、れいむは嫌がった。
くねくね身体を動かして、何とかユキオの腕から逃れようとしている。

「ゆっくりやめてね!!おみずはゆっくりできないよ!!!」
「でも、まりさに出来たんだからお前にも出来るだろう」
「いやだよおおおぉおぉ!!!おにーさんゆっくじさせでえええぇぇ!!!」

その願いは聞き入れられず、れいむは発泡スチロールの上に乗せられてしまった。
少しでも重心が偏れば、水底に真っ逆さま。もしそんなことになれば、全身がぶよぶよになって最後には死んでしまう。
かつて山奥でゆっくりしていたれいむは、水の恐ろしさをよく知っていた。

「ゆっぐっ!!……ゆっぐぃいいぃぃ……ゆっぐりでぎないいいいぃぃぃ!!!」
「ほら、これを使え。まりさの真似をして、この棒でバランスをとるんだ」

庭で拾ってきた手ごろな木の枝を、水面の上で叫んでいるれいむに咥えさせる。
だが、完全に怯えきっているれいむにとっては、バランスを保つどころの話ではない。
生か死か。落ちるか落ちないか。浮くか浮かないか。
それだけが頭にあって、自分でどうにかしようなどということは考える余裕すらなかった。

「こら、暴れるなって!」
「やだぁ!!!ゆっぐじさせでぇ!!ゆっぐ―――

宥めようとするユキオの手に反抗した反動で、ぐらりと揺らいだ発泡スチロール。
その傾斜に沿って、れいむはごろりと転落してしまった。


バシャァン!!!


「ゆがっ!!ゆぼぼっぼぼがぼぼあばお!!??」
「ったく……暴れなきゃ沈まないのに……ほらっ!」

浴槽の底に沈んでいたれいむをユキオは左手で引き上げ、再び発泡スチロールの板に乗せる。
ずぶ濡れのれいむは、再び水死の恐怖に怯え始めた。
水を吸ったせいか、先ほどより弾力性が失われているように見える。

「どぼじでぇ!!!どぼじでぇぇぇ!?れいぶはゆっぐじじだいのにいいいいぃいいぃぃぃ!!!」
「水の上でゆっくりする練習だよ。まりさは水の上でもゆっくりしてただろう?」
「いやだよおおおおぉ!!れいむはおみずのうえじゃゆっぐりでぎないのおおおおぉおぉ!!!」

空中から落とされるときとは違って、最初から“水=ゆっくりできない”が頭の中に定着していたせいか、その怯え方は半端なものではなかった。
口を大きく開き、涙を垂れ流しながら力の限り泣き喚く。
もちもちした下膨れをぶるぶる震わせながら、れいむをゆっくりさせてと、何度も何度も懇願する。
その願いは受け入れられることなく、れいむは再び落ちた。

「やがぼっ!?もがががお!!」

苦しい。冷たい。ゆっくりできない。れいむは水の中でも叫び続け、その直後にユキオによって引き上げられた。
でも、陸に戻されることはない。助けてはくれない。れいむの居場所は、薄っぺらな発泡スチロールの上。

何度落ちても、何度引き上げられても、れいむに安息はない。
ユキオがれいむのために用意したのは、“練習場所”であって“ゆっくりプレイス”ではないから。
死に直結した恐怖を何度も味わわされ続け、どんなに泣き喚いてもれいむが置かれるのは水上の発泡スチロールの上。
落ちて落ちて、引き上げられて引き上げられて。落ちて落ちて落ちて、引き上げられて引き上げられて……

「もうやだああぁああぁぁぁ!!!おうぢがえ゛る゛う゛う゛う゛う゛ぅう゛う゛ぅぅ!!!」

本能に従った頓珍漢な叫びも無視され、発泡スチロールの上に乗せられ、また落ちる。
そのうち、腕の疲労を感じ始めたユキオは、しれっとこんなことを口にして、れいむを絶望させた。

「落ちるたびに引き上げるのも面倒だな。腕も疲れるし。1分ごとに引き上げることにしよう」

1分という時間がどれほどのものか、れいむには分からなかった。
しかし、その後3,4回落ちては引き上げられるうちに、その1分という時間がどんなに長いものか、身をもって理解した。

「もっがおごあおがお……!!!」

水底で叫ぶれいむを、ユキオは退屈そうなまなざしで見つめている。
1分。人間でも息を止めるのに苦痛を伴う時間だ。
それだけの時間を、強制的に、水の中で、何度も何度も、身が崩れ、死を予感しながら、それでも願いは受け入れられず、れいむは苦しむ。
ユキオは、これでれいむがちょっとでも泳ぎを覚えてくれれば、とささやかな期待を抱いているだけ。
れいむの痛みも、苦しみも、叫びも、ユキオはまったく意に介さない。

「ゆっぐぃ……おねがぁ…ぃ……ゆくり……させ…―――


バシャァン!!!


21回目。

れいむは―――
いっそのこと、このまま放っておいてくれればと思った。
1分という時間はれいむを苦しめるが、れいむを殺してはくれない。
息苦しくなり、全餡子が猛烈な勢いで酸素を欲し、身体が水分を吸って脆くなり、意識が薄れ始めるところで、1分。
決して気絶させてくれない。意識を保たせたまま、れいむを死ぬほど苦しめる。それが1分という時間だ。

「本当に物覚えが悪いな、れいむは」

ユキオにそんなつもりはなかったが、これはもはや練習ではなく……拷問だった。

「やっ………ゆ゛っ……めっ…」

56回目。

れいむが意味ある言葉を発しなくなり、口から涎を垂らすようになったところで“練習”は終了した。
終了した理由は、ユキオが飽きたからである。



翌日。

いつものようにランドセルの隙間にれいむを捻じ込んで、ユキオはいつもより早めに家を出た。
れいむはフリスビーのように平たく押しつぶされた形となり、ゆぐぅと窮屈そうな声を上げる。

「ゆっぶびばびれえ!!!ぶばぶれぶっぐぢれびばいぼ!!!ゆ゛っゆ゛っ!!」

なにやら文句を言っているようだが、毎日のことなのでユキオは気にしない。
ランドセルの隙間から漏れ出す、解読不能の呪文をBGMにいつもの道を行く。
ユキオが一歩一歩進むたびに、振動を感じたれいむがゆ゛っゆ゛っと声を上げる。

「ゆ゛っゆ゛っ!!おぼびべぶびぶぶぼおあおあおあお!?でいぶぼぶっぶびばべべええぇぇ!!!」
「………うるさいなぁ」

昨日から肉体的精神的に痛めつけているせいか、今日の呪文は2倍増しだった。
もううんざりだという表情を浮かべて立ち止まり、ユキオはランドセルの蓋を開けて中を覗き込む。
ランドセルの中から、縦方向に4分の1に圧縮された“潰れいむ”が、横長の目でユキオを睨みつけた。

「ゆっぶびばびべべ!!!ぼぼばぶっぶりべりばいぼっ!!!」
「ゆっくり出してね。ここじゃゆっくり出来ないよ。……ふぅん」

そんなに外が好きならば、とユキオはれいむの顔面をがっしり掴んで引っ張り出した。
ぶるんと弾むように身体を震わせて、もちもちとしたれいむの身体は元の形に戻る。

「ゆっ!!どうしてれいむをゆっくりさせてゆゆうううぅぅーーーー!!??」

文句を言う間など与えない。
れいむの頭髪をがしっと握り、そのまま思い切り宙に放り上げた。

「ゆーーー!!!おそらをとんでるみたいいぃぃーーーーー!!!」

怖がっているのか喜んでいるのか分からない悲鳴を上げながら、れいむは上昇していく。
顔は笑っているから、どちらかというと喜んでいるのだろう。
そして、地上から7,8メートルのところで一旦停止。

「ゆっ!とてもゆっくりしてっゆううううううっぅぅぅぅ!!??」

束の間の空中散歩を楽しんだ後、転じて急降下。
迫り来る地面を見て、れいむはやっと自分の置かれている状況を正確に把握した。
昨日20回以上味わわされた痛みと恐怖。それ以上のモノが迫り来ているのだと。

「いやあああぁぁぁぁあああぁぁ!!!じめんさんゆっくり゛じでえええぇええぇぇぇぇぇ!!!!」

大量の涙と涎を撒き散らしながら落下していくれいむ。
地面が退いてくれるわけがなく、ユキオが放り投げたのとほぼ同じ速度で地面に激突した。
びたんと鈍い音を響かせると共に、れいむの全身を衝撃が駆け巡る。

「い゛い゛い゛い゛い゛い゛!!!!」

そして、ビクビク痙攣している饅頭を、ユキオは真上から踏みつけた。
早朝の住宅街。人通りがほとんどない時間帯なので、まったく容赦しない。

「何の芸も出来ないくせに、文句言ってんじゃねーよ。
 芸のないクズれいむは、狭い狭いランドセルの中でずっとゆっくりしてればいいんだよ」
「ど、ぶ、どぼぢで、ぞ、んな……ごどいう…の…?」

ユキオの足から逃げ出そうと、必死に身を捩りながら言葉を紡ぐ。
踏みつける足の力を強めながら、ユキオは呆れ顔で問いかけた。その口調には、明らかに棘が隠れている。

「何か芸が出来るんなら、外でゆっくりさせてやるけど?」



「ゆっ…れいむは、ゆっぐりできr――――

ズドンッ!!!

「うぎぃっ!?!」

次の瞬間、れいむの顔面にユキオのつま先が深く食い込んだ。
吹っ飛ばされたれいむは、背中から塀に激突。短い悲鳴を上げる。
そのままズルズル滑り落ちたところを、ユキオはもう一度顔面につま先を捻じ込む。

「ゆ゛い゛い゛い゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!?」
「そういうことを聞いてるんじゃねーんだよ!!! このクズれいむ!!!
 あーくそっ、昨日の忌々しい出来事を思い出しちゃったじゃないかよっ!!!」

ユキオは激怒していた。眉を吊り上げ、針のように鋭い視線でれいむを突き刺す。
昨日の“事件”で傷つけられたプライド、その傷口が治らないうちに再び抉られたからだ。
一方れいむは、自分がどうしてこんな酷い目に遭うのか理解できず、歪まされた口から叫び声をひり出す。

「ゆっくりなんて出来て当たり前なんだよ!!! ゴミ饅頭!!!
 誰にだって出来る!!! 俺にだって出来るッ!!! サルにも豚にもアメーバにも出来るッ!!!」
「うごぎっ!??ごびおげっ!?!?」

ガスッ!! ドスッ!!
思いつく限りの罵詈雑言を並べながら、繰り返しれいむの顔面を蹴りつけるユキオ。
今まで蓄積し続けてきた怒りを、全てれいむにぶつけている。

「無意味なんだよッ!! 無価値なんだよッ!! わかるか!? 無・意・味、なんだよッ!!!
 そんなもんを“できるよ!!”とか誇らしげに言うんじゃねぇッ!! 二度とだッ!!! 二度と言うんじゃねぇぞッ!!!」
「びっ!?!ぼべべぇっ!!?!」

とにかく、蹴って蹴って蹴り続ける。
最初は鈍い叫び声を漏らしていたれいむだったが、しばらくするとその声すら聞こえなくなった。

そして数分後。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

肩で息をしながら、足元のれいむを見下ろすユキオ。
そこには、顔面が2倍以上に腫れ上がったれいむの姿があった。

「うぎぃぎ……ぎぅ………びば…ぶれう…っぶび……れびば…いぼっ……」

周囲の分厚く腫れた皮膚に、口が覆い隠されてしまっている。
思うように口が動かないので、発する言葉は意味不明。食べ物を食べることもままならないだろう。
自慢のリボンはボロボロ。髪の毛はところどころ抜け落ちて、部分的にハゲになっている。
もはやゆっくりですらない醜い物体にトドメを刺そうと、右足を上げた……その時だった。



「おい、そこの君!」
「は、はぃい!」

背後からの声に驚き、慌てて振り向くユキオ。
振り向いた先に立っていたのは、リュックを左肩に背負った若い男性だった。大学生ぐらいの、真面目そうな人だ。
あぁまずい、これは怒られる。ユキオはそう覚悟していたが……現実はちょっと違った。

「こんなところでゆっくりを虐めてたら、他の人に見つかっちゃうじゃないか!
 もっと場所を選んでやらないと駄目だよ?」
「へ?……は…はぁ」

その男の人が焦点のズレたことを言うものだから、返答に窮してしまう。
だが、男性の方は言いたいことを言って満足したらしい。
ユキオが呆けている間に、彼は手を振りながら爽やかに走り去っていく。
こんな意味不明の言葉を残して……

「ルールとマナーを守って楽しく虐待しよう!!」

彼の着ている白地のTシャツ。
その正面には『虐』、背面には『鬼』の字が、豪快な筆遣いで書かれていた。

「ぎゃく? おに? ……何なんだ、あの人は?」

ユキオは知らなかった。
彼が、ごく一部の人々の間ではとても有名な『虐待お兄さん』であるということを。
ユキオにとっては、彼は頭に超のつく変人でしかなかった。



視線を足元に戻す。
“膨れいむ”は涙を流しながら、無言で少しずつ這いずっていた。
その進む方向は、先ほどの男性が走っていった方向だ。

「…あっちの人の方がゆっくりさせてくれるってか?」
「ゆっぐぃ……ざせぢぇ……」

あの男性はれいむの命の恩人だ。理由は何であれ、ユキオの最後の一蹴りを妨げたから。
そんな彼のもとにいればゆっくりできると思ったのだろう。
今まで飼ってもらった恩も忘れて、ユキオのもとから離れようとしているのだ。

「逃げられると思うなよ? ほら、舐めろ。お前が漏らした餡子だ」
「うびぃいいぃ!!」

ユキオはれいむのもみ上げを摘み上げ、自分の足元に無造作に落とす。
そしてれいむの口があるであろう場所に、餡子で汚れた靴のつま先を押し付けた。

「うっぐぃ……うっぐりしらいぃぃ……!」

聞き取りづらい言葉を発しながら、れいむは渋々自分の餡子を舐め取り始める。
砂利や泥が混じった、自分の中身を必死に舐め取っていく。

「お前の飼い主はあの人じゃない。俺だ。俺の言うことを聞いて、俺の言うとおりにゆっくりしてればいいんだ」
「ひぐうぅぅ……うっぐりりらいしらよっ…!!」

逃亡を諦めたれいむは、一言返事をすると……靴についた餡子を不幸せそうな顔で再び処理する。

今まではとてもゆっくりさせてくれたのに。
どうしていきなりこんな酷いことをするの?
れいむは……れいむは何も悪いことしてないよ?
どうして?どうして?どうしてなの?れいむはお兄さんとゆっくりしたいのに……

れいむは、答えのない問いに頭を悩ませながら、再びランドセルの中へと押し込められた。
登校途中で余計なことに時間を浪費した結果、ユキオが学校に着いたのはいつもと同じ時間だった。



8時を過ぎると、多くの生徒が教室へ駆け込んでくる。
その中には、優秀なゆっくりまりさの飼い主であるヒロブミもいた。
7時半には教室に着いていたユキオは自席から、特に意識せず視線で彼の姿を追う。

「……ヒロブミが遅刻ギリギリなんて、珍しいな」

いつものヒロブミなら7時40分には学校に着いて、自分の席でノートを開いて自習していたはずである。
なのに、今日はチャイムが鳴る直前に教室へ駆け込んできた。
慌てているような様子はないから、彼にとっては予定通りなのかもしれないが……ユキオは微かな違和感を抱いていた。

「まりさ。先生に見つかるといけないから、ここでゆっくりしてるんだよ」
「ゆっ!ゆっくりりかいしたよ!!」

ランドセルの中からまりさを引きずり出し、即座にロッカーの中に放り込むヒロブミ。
躾も世話も行き届いているヒロブミのまりさは、元気の良い返事をする。

「……まりさ」

ユキオはひとり、考える。
自分がみんなの前で、れいむによって面目を潰されたのには、大きく分けて2つの原因がある。
一つ目は、れいむの発言。あのふざけた発言が一番の原因だった。
二つ目は、まりさの存在。ヒロブミのまりさが居なければ、あんな痛ましい“悲劇”は起こらなかった。

「…そうだ、簡単なことじゃないか」

何かを作ったり、何かを習得するのは難しい。
それは、昨日れいむに泳ぎを覚えさせようとしたユキオが、一番よく知っていることだ。
でも、それに比べて何かを壊すことは驚くほど容易い。
ただ単純な暴力を対象に浴びせるだけでいいのだから。

そう、とても簡単なことだ。
れいむに芸を覚えさせるより、芸を覚えているまりさを壊すほうが、とてつもなく簡単だ。

「簡単だよ。それこそれいむにだって出来ることだ」

教室に先生がやってきて、日直が号令をかける。
誰もがそうするように、ユキオもその場で腰を上げた。
ユキオは視線を2つ前の席のヒロブミに向けて、誰にも分からぬように微笑みながら朝の挨拶をした。

「「「おはようございます!!」」」




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最終更新:2022年05月03日 16:19