いい天気ですねえ。
生い茂る緑。立ち上る入道雲。かしましく鳴く蝉たち。まさに夏真っ盛りといったところでしょうか。木陰の下、水辺にいても、満ちあふれるエネルギーは陰りを見せませんね。おお、暑い暑い。
しかし、あなたも釣りがお好きだとは意外でしたよ。なかなか理解されない趣味ですからねえ、これ。
え、他に誘ってみたんですか? ふぅん、そうですか。
群れの中で釣りに興味があるゆっくりというと、レティ種ですかね? 彼女の釣り好きは有名ですから。ワカサギ釣りのときに氷をぶち破った件は、衆知というか羞恥の出来事になってますし。
しかし、今は夏眠しているはずですよ。無駄足に終わったでしょう。違うのですか? レティじゃなくて。
長? 長を釣りに? 確かに長も休暇ですが、今度の収穫祭でやる演劇の台本を書いているはずですよ。役者との打ち合わせもこっそりやっているようです。何かと物議を醸す、特に参謀辺りが怒り出しそうな内容みたいですね。なんでわざわざ悶着起こすような……今に始まったことじゃないですけど。とにかく、長を誘ったのなら、それこそ無駄足でしたね。
こんな奇特な趣味を持つのは私たちくらいでしょう。それほど変だとは思いませんが、端から見たら時間の無駄でしょうからね。魚を得るのだけが目的なら、飛行種に任せておけば、いくらでもとは言いませんが、鮭くらいは捕ってきますし。
……あー、いまの洒落は高度でしたか?
まあ、あれですよ、単に魚が欲しくて釣りをやっているのなら、全ての釣り人は魚河岸へ向かわなくてはなりません。
そういうのじゃないでしょう、釣りの楽しみというのは。こうやってのんびり過ぎゆく時間に浸ったり、時折やってくる魚との駆け引きに熱くなったりするのがね、いいんです。漁獲の効率とは間逆にある価値観ですよ。手段こそが目的なんです。まあ、釣れるに越したことはありませんけど。
この沼で言うと、そうですね、ブルーギルなんて釣れますよ。幻想郷では珍しいでしょう。
食べてもそれほど美味しい魚ではないんですが、私は嫌いじゃないんですよ。威嚇するとき頬を膨らませるなんて、親近感湧きません? 海外から持ち込まれた魚で、在来種を食い散らかすというのも、野山の生態系を荒らす害獣としてのゆっくりそのものですしね。ええ、そう見る人間は多いのですよ、実際はともかく。
しかし、そんなブルーギルを放流したのは人間なのですがねえ。日本の釣り人が、力強く釣り糸を引くブラックバスやブルーギルを好んだわけです。日本の魚では物足りなかったのでしょうか。何だか角界を連想しますが、そうしてスカウトされた外来種は釣り人の期待に応えて繁殖し、今日も元気に日本の生態系をボロボロにしているのでしょう。
日本の釣り人が「自然を大切にね! キャッチ&リリース!」なんて言うのは、そう考えるとなかなかセンスあるジョークですね。見習いたいものです。
まあ、私たちは釣った魚はすぐに食べてしまいましょう。寄生虫などの耐性はありますよね? この前、カムルチーを生で食べてましたものね。ここは指定区域の外だから、いくらでも捕って、いくらでも食べることができますよ。
あ、釣りは苦手なんですか。ふふっ、そうですか。下手の横好きというやつですね。いやいや、構いませんよ。先ほども言ったように、釣果は問題じゃないんですから。
そうだ、良かったら、私の釣った魚を差し上げましょう。いいんですよ。気っぷの良さには定評がありまして。気前マルと呼んでください。
しかし、こうして沼を眺めていると、いろいろなことが頭に浮かびますねえ。人間には、こういうとき嫌なことばかり思い浮かぶので、音楽を聴いて紛らす事例は多いらしいですけど。あなたはどうです? え、私ですか? うぅん……そうですねぇ、やっぱりあのことでしょうか。
あー、ところで今日は何日でしたっけ? あはは、「時そば」をやるつもりはありませんよ。ただちょっと、ええ。
24日? そうですか……なるほど、思い出すわけです。
いえね、ちょうどこの日だったんですよ、あれがあったのは。「三方一両損」の話です。
私たちの群れにもいますから、ニトリ種のことは知ってますね。水に弱いとされるゆっくりの中でも、珍しく水棲の生態を持つ種です。
ええ、河童に属する性質を持っていると言われますが、あまり相関性はないんじゃないですか。私もカラス天狗の性質を有するとされてますけど、一切の面影がないでしょう? まあ、それはともかく。
目の前にあるこの沼、これよりもっと大きい湖沼にそのニトリたちは住んでました。いえ、「たち」と素直に呼んでいいものかどうか、少し説明が必要ですね。
「クダクラゲ」って知ってます? 知らない? そうですか。まあ幻想郷には海はありませんから仕方ないかもしれませんが、学問は必要ですよ。《無学は神の呪いであり、知識は天に至る翼である》。「ヘンリー六世」の一節です。
え? 「ヘンリー六世」も知らない? いやはや……確かに、太陽が地球の周りを回っていても不都合ありませんけどね。
話を戻しましょう。
クダクラゲは普通のクラゲとは違い、それぞれの個体がくっつき、群体を為す生態で知られています。単純な群れじゃないですよ。つながって、一つの生物のようになっているんです。
それぞれが遊泳、捕獲、消化、防衛に特化した機能を持ち、集団全体を生かすために生きるのです。生殖専門の個体もいるんですよ。「一心同体」を地でいく生物とでも申しましょうか。
ええ、それをやっていたんです。そのニトリ「たち」は。
ゆっくりは基本的に水に弱く、雨にしばらく打たれていただけで溶けて死んでしまう者さえいます。それは致命的な弱点であるのですが、あるニトリ種は水に強いだけでなく、その性質を利点として活かすことができるのです。
あなたは見たことがないでしょう。群れのニトリ種でできる者はまだいませんからね。身体に親水性を持たせ、水中で粘液状に広がるのです。
九割以上が水分で、半透明。とはいえ、それは紛れもなくニトリの身体であり、自在に動かせます。しかも意識的な変異もできる。顔だけお化けのくせに、複数の腕を生じさせた例もあります。「ニチョリ化」と呼ばれる能力ですね。
水が豊富になければできないことですが、逆に言えば水中においては無敵の力です。
その能力をさらに発展・応用して、彼女らはクダクラゲのごとく一体化しました。自在に身体を変形させる能力で、互いの身体を融合させることを考えつき、実行したのです。
水面を通して、ニトリたちが大樹と連なっているのは壮観でした。節くれ立った巨大な幹が、ほの暗い湖底へと続いており、思い思いに幹から伸びる枝は、ゆらゆらと不気味に蠢いているのです。その全ての部位ににやけ顔が無数に張り付いていました。青みがかった半透明の身体に、屈折した日の光が透過して……。
繁栄を妨げる者はいませんでした。それまでは魚や鳥が天敵でしたが、その状態になってからは、むしろ餌としていました。上空を飛ぶ鳥に向かって、水中から天高く触手を伸ばし、沼へと引き込むというのは、まさに「烏賊」という漢字がしっくりくる光景でしたね。それとも「飛ぶ鳥を落とす勢い」の方が適切でしょうか。
その沼は河童ゆっくりのユートピアだったかもしれません。ただ、あまりにも閉じた世界だった。彼女らはその沼地から少しも外に出ようとしなかったのです。そして、新しい種を取り入れようとしなかった。
常時水の中にいられるゆっくりは、ニトリ種をのぞけばスワコ種くらいのものですからね、彼女らの生き方に合わせられるゆっくりは確かにいません。しかし、それなら自分たちの生き方を周りに合わせる手段もあったはずです。陸上生活と水中生活に分かれ、ニトリ種だけは沼で結合して生きるとか、あるいは時間を掛けて耐水性を獲得させて、それから群体へと引き込むとか。でも、しなかった。
完全に一つの群体となる前は、沼の中だけで生殖していたようです。近親婚ですね。群体となってからは、分裂タイプの生殖で増えていきました。増える分には、それで問題ないわけです。
しかし、遺伝的にも文化的にも、新たなものを取り入れない閉塞は、必ず破綻へと向かっていきます。
まず食糧が足りなくなりました。目に付くものを際限なく食べていれば、当然そうなります。このままではまずいと反対意見を言う者がいませんでしたから、ただただ食べ続けたのです。沼はからっぽになりました。蛙の声さえ聞こえない、静寂の湖沼となりました。
それで、今度は川へと進出しました。そこにはまだ食べ物がありましたからね。しかし、餌を求めて山の外、森の領外にまで行ってしまいました。そう、人間と接触してしまったのです。
彼女らは人を恐れませんでした。実際、水の中の河童饅頭に対し、人間は何もできませんでした。動きは素早いし、たとえモリが当たったとしても千切れた身体はすぐに融合・再生してしまいます。「ニチョリ化」したニトリは、ほとんどアメーバみたいなものですから。それに、群体から見ればモリの一撃などかすり傷に等しい。
やりたい放題でしたね。釣り針に掛かった魚を横取りしたり、仕掛けの位置を動かして自分たちの物として使ったり、川遊びをする子どもたちのお尻に手を入れたり。
村人の怒りは相当のものでした。もともとゆっくりに対して、侮蔑的な感情を持っていましたからね。まあ、好印象を持つ人の方が少ないのでしょうけど、その村は筋金入りでしたよ。
村に入ってきた饅頭妖怪は問答無用で駆除。畑荒らしであろうと迷い子であろうとお構いなしです。視界に入ったら、とにかく虐殺。そして、死んだ饅頭は一口も食べずに埋めるという徹底ぶり。スタンダール風に言えば、「見た、殺した、捨てた」ですね。
かつて集団レイパーアリスに村を荒らされたことが、その異常なまでの嫌悪感の遠因らしいのですが、詳しいことは知りません。ゆっくりは人間に近しい妖怪ですが、その村の付近には一匹もいませんでしたねえ。
さて、そんな村人に対して、ニトリたちはさらに図に乗った行為を始めました。畑を荒らしたのです。
細長くした身体で用水路を通って、そこから陸地に触手を伸ばし、畑の農作物を盗むのです。村の畑の至る所が、粘液にまみれ、穴だらけになりました。
被害は甚大、怒りは心頭。では、村人はいかに? 何をしたと思います?
答えは「毒」。沼に大量の毒を流したのです。
川や用水路にまで進出したとはいえ、ニトリたちの本拠地は元いた湖沼でした。眠るときは必ずそこで、大樹のように一塊になっていましたから、そこを狙ったのです。
効果はてきめんでしたね。彼女らは苦しみ悶え、逃れようとした。しかし、沼の周囲から一斉に取り囲むように毒を流し込んだので、気づいたときにはもう遅く、連なる身体をのたうち回らせるしかできませんでした。その身体も、どんどん融解・崩壊していきました。
ゆっくりは個体によってさまざまな特徴があります。同じ種であっても、その性質に大きな差があったりする。毒への耐性も同じです。しかし、ニトリ種は分裂タイプで増えたため、その毒に対してまったく非力だった。耐性を取り入れることができなかった。全滅するしかなかったのです。
凄惨な光景でしたね。この世のものとは思えない様相……陳腐な表現かもしれませんが、他に適当な言葉が思いつきません。わずかに残った魚や蛙が腹を向けて浮いていたのもそうでしたが、何よりニトリ種の悲惨さは筆舌に尽くしがたいものがありまして。
断末魔の形に開いた口からは舌が垂れ、目は飛び出さんばかりに見開かれて苦悶の色を表していました。顔はこれ以上ないというくらい歪みきり、それら全体が溶けて破れた皮膚から漏れた体液と混じり、ぐしゃぐしゃに潰れているのです。無数に連なる全ての顔が、そのように地獄を映していました。
こうして沼のニトリ種は全滅しました──今日この日、7月24日の出来事です。
ニトリ種が破滅したのは必然だと言えるでしょう。
力があるからといって、全てが可能になるわけではありません。そして、敵を作ることは災厄を抱え込むことと同義なのです。
あなたも気をつけてください。「無知は罪」とまでは言いませんが、死ぬ理由としては十分ですから。「跳ぶ前に見ろ」というイギリスのことわざもあります。
話、続けていいですか? ええ、まだ続くんです。
ほら、この話は「三方一両損」でしょう。まだ「一方」だけですから。
湖沼に毒を流されて、「損」をしたのはニトリたちだけではありませんでした。山の神です。
普段は大人しい神さまで、百年以上は人前に姿を現さなかったのですが、流石に自分の足もとを毒まみれにされてはね。黙ってはいられないでしょう。
とてつもない「損」をもたらした不届きな村人。彼らに対し山の神は怒りを示しました。
大地を揺らし、地面を割り、山を崩し、岩を放る。口で言うと大したことがないように思えますが、自然災害の恐ろしさはあなたもよく知っているでしょう? そのレベルですから。
家は地震で崩れましたし、田畑は地割れで壊れました。山の幸は一切採ることはできなくなり、飛んでくる大岩に潰される者もいました。これが村人にとっての「損」です。ゆっくりに受けた被害の比でないので、先ほどは「損」とはしなかったのですよ。
さて、これでゆっくり・神・人間の「三方一両損」になるわけですね。ちょっと規模が大きい「一両」かもですが、看板に偽りなく、羊頭狗肉にならずに話を終えることができました。はい、どっとはらい。
おや、何か言いたげですね。何です?
ああ、そうですね。私たちの群れがこの話に出てこないのは不自然です。
いや、もちろん関わってますよ。見ていたように語っていたのは、実際見ていたからです。私たちの群れは何度も移住をするでしょう? 以前の移住地の話なんですよ、これは。
ニトリたちの沼にはすぐ交渉しにいきました。同じゆっくり同士仲良くやりたいですし、たぐいまれな能力を有してますから群れに引き込めればもっと良かった。
長と私、そして護衛のチェン種とヨウム種が一体ずつ、計四人で行きまして。──すぐに追い払われました。とりつく島もないとはあのことです。言葉を交わしたのは、実質どれほどもありませんでしたよ。
大きな触手が何本も、蛇のようにうねりつつ襲ってきましてね、命からがら逃げてきました。お土産に数々の罵倒や揶揄の言葉もいただいて、いやあ、あれは本当に不愉快でした。おお、不快不快。
不愉快といえば、その後日もですね。大きなイノシシを仕留めた狩猟班が、その湖沼の近くを通った際、獲物を強奪されましたっけ。やはり触手が水面から飛び出してきまして。ヨウムたち狩猟班は素早く逃げ、事無きを得ましたが、獲物はまんまと奪われてしまいました。
その様子を物陰から眺めていたのですが、百キロを超えるイノシシが木の実でもたぐられるように軽々と宙を舞うのは、あまりのパワーに肝が冷えましたよ。
いや、その後の光景はもっと心胆を底冷えさせました。
イノシシがニトリの大木の幹にあたる部分に取り込まれてから、半透明の身体を通して、その消化される様が眼前で展開されたのです。
イノシシはゆったり回っていました。頭を上にして、くるっくるっと横に回転していました。そうして、どんどん姿形を変貌させていきました。
皮が溶け、黄色の脂肪が現れたかと思うと、鮮やかな桃色の筋肉が露出し、漏れ出す赤黒い血は霧散して、色とりどりの臓物が現れ……全てが溶け、太い胴体の獣は、瞬く間に白骨と化してしまいました。強力な同化作用です。その骨も、枯れ木のように折られ、砕かれ、そして溶かされて、跡形もなくなりました。
仮にですよ、私たちが交渉にいったとき、もしも、あの触手に捕まっていたとしたら……おお、怖い怖い。狩猟班も危機一髪でした。
後日、当然抗議しにいきまして、そしてやっぱり追い返されました。初めて交渉しにいったときのメンバーだったのも、デジャヴを感じましたね。やれやれです。
ええ、言いたいことはわかりますよ。
我々が率先して「損」をしている。つまり、「四方一両損」の方が表題としてふさわしいと。そういうことでしょう?
まあ、その先を聞いてください。
自分の湖沼を毒まみれにされて、山の神はお怒りでした。
村人に毒を取り除けば許してやろうと言ったのですが、彼らにはどうすることもできませんでした。もともと河童饅頭を殺すことしか頭にはなかったのですから、その後のことなんてね。で、私たちの出番というわけです。
毒を吸収するメディスン種の能力を活用しつつ、中和剤を空中から散布しました。すると、なんということでしょう、瞬く間に湖沼は元の無毒の状態に澄み渡りました。匠の技です。
山の神はそれはもう大喜びでしたよ。こちらまで嬉しくなりましたね。
丁寧なお礼をいただき、そのうえ手厚くもてなされました。
あんなにたくさんの桃を食べたのは、産まれて初めてでしたねえ。ふふ、好きなもので、つい食べ過ぎてしまったんです。なにしろ山積みの果物です。食べ放題の食い倒れでした。驚いたことに、その中にはメロンなんてのもありましたよ。
はい? ……うんうん……おお、すごいすごい。
先ほどの疑問といい、あなたはなかなか洞察力がありますね。単純な知識量以上のものを持っています。
そうですよね。ずいぶんと都合のいい話です。
山の神にできなかった、そして作った村人にさえ無理だった毒の除去。なぜ横からポッと出の我々が、あれほど容易くやってのけられたのでしょうか。
種を明かせば簡単なことです。あの毒はですね、除去を前提として開発されたのですよ。何もしなければしつこく残留しますが、ちょっとしたコツですぐ取り除けるのです。そう、私たちが開発しました。
作ったのは村人ですよ。私たちから製法を聞き出してね。
どうか毒の作り方を教えてください、と頼んだわけじゃありません。さっさと教えやがれ!と脅したわけでもありません。そもそも、私たちが毒の製法を知っているなんて、彼らがどうしてわかるんです?
要は、たまたま聞きつけたんですよね。ゆっくりたちが毒についておしゃべりしているのを。それでそのまま物陰で一切を心に刻みつけたというわけです。陰に耳あり。
そのときのチェン種とラン種は、こんなことを言っていました。
〈さいきん、ぬまのにとりたちがとってもすごいらしいわ!〉
〈つよいんだね、わかるよー〉
〈にんげんなんかめじゃないらしいわよ。ひとひねりだって〉
〈にんげんさんがよわいのかもねー〉
〈むきゅ、そうかもしれないわね! だってなんにもてだしできないんだから!〉
〈ごたいまんぞくなのに、てもあしもでないんだね、わからないよー〉
〈ぐずなにんげんね!〉
〈だめなにんげんさんだね!〉
〈むっきゃっきゃっきゃっきゃっ〉
〈あっひゃっひゃっひゃっひゃっ〉
失礼。毒の製法が話題に出てくるのは、このだいぶ後です。
でも、なかなかの演技でしょう。さすがは「劇団シキ」の役者だと思いませんか。あ、私の口真似も上手かった? ありがとうございます。
ラン種の演じた役柄は参謀を参考にしたとのことですが、ええ、お察しのとおり、黒ゆっくりプロデュースです。
本人に発覚する前に、長は稀少種獲得の旅に出ましたがね。ホントにあの人のイタズラ好きには困ったものですよ。わざと参謀に内容を流す苦労を少しは理解してほしいです。いや、喜んでやりましたけど。
ともかく、この二匹の会話によって、村人は目的意識と手段の両方を手にいれました。このままコケにされてたまるか。毒を流しさえすれば殺せる。やれるのにやらなかったら、人間のコケンに関わる。あの沼のゆっくりに目に物見せてやる。
そして彼らは実行しました。山の神のことなんか考えもしないでね。
マンドレイクって知ってます? 魔法薬の材料などでポピュラーな植物なのですが、これを持ち帰るのが一苦労でしてね。引き抜くと恐ろしい悲鳴を上げて、それを聞いた者は死に至るのです。
では、どうするかというと、定番の方法として犬に引かせるやり方がありますね。自分は声の届かない遠くに離れていて、犬に合図を送る。当然、犬は死んでしまいますが、お目当ての物は手に入ると。
つまりは、まあ、そういうことです。
ニトリたちとの交渉も、行ったメンバーは群れの中でも素早さに優れる者たちでした。なぜ参謀でなく私が行ったのか、わかりますか。また、なぜ交渉決裂後に、狩猟班は湖沼の傍をわざわざ通ったのか、わかりますかね。
相手を敵と認識するため……。大義名分を得るため……。皆殺しの動機づけのため……。
共存できたはずなのですがね。仕方ありません。選んだのは、相手です。
さて、エピローグを語りましょうか。
私たちは湖沼を自由に使えることになりました。ニトリ種に食い荒らされ、毒で汚染された沼。その水産資源が元に戻るにはそれなりの時間と手間が掛かりましたが、山の神の手助けもあって、新しい年を迎えるころには良質の魚がたくさん手に入るようになりました。
山の神の庇護のお陰で、冬の食糧不足が一切なくなったのも良かったですね。山の隅々までご存じなだけあって、あなたこなたから色々な食べ物を持ってきてくれるのです。
寄りかかりっぱなしというわけにもいかないので、できるだけ自分たちの手で獲得し、労働に合わせた厳正な分配は維持しましたが、参謀が冬場の食糧について頭を悩ませない姿は、あのときくらいしか拝めませんでしたね。
村人との交易もなかなか有益でした。村人は山への立ち入りは禁止されていましたからね、山の幸は私たちが採って、彼らと物々交換したのです。
村人がゆっくりと交渉するのは変ですか? ウジ虫のごとく忌み嫌うゆっくりと対等なやり取りをするくらいなら、山菜やキノコなんて要らないと言うに決まっている? まあ、そうでしょうね。
しかし、私たちのバックには山の神がいますから。無下にすることは、そのまま災害が襲いかかることを意味します。
命とプライドを天秤に掛け、村人がどちらを選んだか──それはもう、彼らは聡明でしたよ。今、群れにあるたくさんの鉄器類は、そのとき手に入れたものです。
で、話を戻しますよ。
この話の表題ですが、やっぱり「三方一両損」で良いのです。
その三両は私たちの懐に入ったわけですから。
ね?
まだ、言いたいことがあるのですか?
この上何を……ふむふむ……おおっ! あははは、なるほど、素晴らしい。センスありますねえ。
そのタイトルの方がいいかもしれません。ダブルミーニングとは恐れいりました。
「両得」ですか。
ふふっ、今度からはそれを使わせてもらいましょうかね。「りょ・う・と・く」。うぅん、返す返す味がありますねえ。
いやいや、やはり大したものですよ、あなたは。才能の片鱗を見た思いです。原石がこんな身近に転がっているとはね。
よろしければ、私の傍で働いてみませんか? 少なくとも退屈しない毎日はお約束しますよ。答えは急ぎませんから、考えておいてください。
ところで──やっとわかりましたよ、あなたがなぜ長を釣りに誘ったのか。
恐らくどこかで、長は釣り好きだと耳にしたんでしょう。
まあ、間違ってはいませんけれども……長が好きなのは、そっちの釣りでなくてですねぇ… ぁ、引いてますよ、魚。
黒ゆっくり6
過去作
fuku2894.txt黒ゆっくり1
fuku3225.txt黒ゆっくり2
fuku4178.txt黒ゆっくり3
fuku4344.txt黒ゆっくり4
fuku5348.txt黒ゆっくり5
fuku5493.txtうやむや有象無象
最終更新:2022年05月22日 10:47