小さい空間だった。
キャベツサイズの、親である成体ゆっくり二匹と、みかんサイズの、その子供である子ゆっくり四匹が身を寄せ合うだけで半分が埋まってしまう程の、小さな空間。
三方を壁に囲まれ、残り一方はガラス張りで外が見える。天上は低く、親ゆっくりがジャンプすれば簡単に頭を打ってしまう程。
それがこの家族の家。〝おうち〟。家族の集まる場所であった。

ガラス張りの壁から、ゆっくりの身でも世界が見下ろせる位置にその空間はあった。
そして空間の外の世界を見てみれば、そこには大きさの違いこそあれど、一家が過ごしている空間とまったく同じ空間が幾つもあるのが見受けられる。
そう、そこはゆっくりを扱うペットショップであり、一家はペットショップのゆっくりなのだった。













「ゆゆっゆ~♪ ゆんゆゆ~♪」

一家の〝おうち〟である小部屋では、親れいむが家族たちに自慢の歌を披露していた。
若干の防音機能も備えているので、小部屋の外にはよほど近くに寄らなければ歌声は聞こえないため、店員は特に注意しない。

「ゆゆゆ~♪ ゆんゆっゆ~♪」

子供達の中で一番上の姉であるれいむは、母親の横で母親に追随するかのように目を閉じて自らの歌声を披露している。
しかし、年季の差なのか親れいむに比べると微妙に音がズレていた。
けれども、その事を一家は、本人を含め一匹として気にしているものはいなかった。皆一様に、幸せそうな顔をしている。

「ゆぅ、とってもゆっくりしてるよ~……」
「ゆゆ~……」

親れいむの伴侶である親まりさは、姉妹の中で一番お母さんっ子の妹まりさと頬を寄せ合ってゆったりと二匹の歌に聞き入っていた。
弾力のある頬はぐにょり、と変形し、溶け合いかねない程密接している。
妹まりさはピッタリと親まりさにくっついて離れず、親まりさはそんな我が子の可愛さに頬緩ませているのだ。
最愛のれいむと最愛の我が子。これでゆっくり出来ないはずがない、と。

「ゆっくち♪ ゆっくち♪」

親れいむと姉れいむの前では、末っ子の妹れいむが喜色満面で元気よく跳ねていた。
姉妹の末っ子とはいえ、皆同じ茎から生まれたのだから大きさの差など殆どないのであるが、末っ子は末っ子らしく、精神的にも肉体的にも一番幼かった。
故にどんだけ元気よく跳ねてもせいぜい親ゆっくりの目線の高さまでしか上がらない。
だが、その小ささが愛らしさも感じさせ、一家のアイドル的存在となっているのだ。

そして最後の一匹、家族の中で一番の美ゆっくりである姉まりさは透明な壁から〝おうち〟の外を眺めていた。
視線の先には他の〝おうち〟にいる様々なゆっくり。声を掛け合った事は無いし掛け合うことも出来ないが、見ているだけでゆっくりできる。夢想に浸って楽しめる。
もし、おしゃべり出来たらどんな事を話そう。もし、一緒に遊べたらどんな遊びをしよう。
そんな夢物語を餡子脳で展開させてはいるが、歌を聴いていないわけではない。

頬を変形させるほど透明の壁に体を密着させこそいるが、姉まりさは親れいむと姉れいむの歌声をしっかりと聴いていた。
姉まりさも、この家族の歌声が好きなのだ。
とろん、と目をとろけさせ、外を見ながら夢に浸っているその姿は、美ゆっくりである姉まりさの魅力を一層際立たせていた。

「ゆんゆゆんっ♪」
「ゆんっ♪」

自慢げに下顎を突き上げて、親れいむと姉れいむの合唱は終わった。二匹の顔は歌いきった充足感で満ち満ちている。
だが、家族たちはまだ満足できていないのか、アンコールを要求する顔を皆していた。
外を見ていた姉まりさでさえ、親れいむと姉れいむへと顔を転じていたのだ。

「もういっきゃい♪ もういっきゃい♪」

末っ子妹れいむが跳ねながらそう言うのを聞いて、親れいむと姉れいむは顔を見合わせると

「もうっ、あっといっかいだけだよ~♪」

だらしない程のにやけ面でそう言って、更に一曲歌い始めたのだった。
こうして一家団欒の夜は更ける。あと数十分でペットショップは閉店し、夜が、お休みの時間が来る。
遅い時間故か客の居ない店内。店の方から一家のいる小部屋の方を窺ってみれば、

『ゆっくり親子六匹セット 2,780円
       親子セット 1,000円
        親ゆっくり 600円
        子ゆっくり 500円』

と、手書きで書かれた値段表が見える。















朝。目覚めの時間。一日の始まりがまたやって来た。
閉鎖されていた小部屋の一角が開き、まずは親れいむが目を覚ました。

「ゆっ……ゆゆ~」

寝ぼけ眼をショボショボと開きながら、朝のエサを小部屋へと入れる従業員である青年の姿を確認した親れいむは、

「ゆっくりしていってね!!」

と、寝起きのゆっくりとは思えない大きく元気な声で青年へと挨拶を発した。
いつ、いかなる時でもこの挨拶だけは。それこそがゆっくりがゆっくりと呼ばれる所以であるし、ゆっくりにとっての誇りでもあった。
親れいむの元気な挨拶で、次々と他の家族たちも目覚め始めた。

親まりさが、姉れいむが、姉まりさが、妹まりさが、妹れいむが。
次々に目を開けて、意識を覚醒させていき、

『ゆっくりしていってね!!』

青年へと向けて朝一番の挨拶。そのどれもが皆、希望に満ち溢れたかのような輝かんばかりの笑顔だ。
だがその一方で、青年はゆっくり一家の挨拶に見向きもしなかった。
全くの無反応。まるで今の挨拶など無かったかのよう、まるで一家など存在しないかのように。

それでもゆっくり達はめげなかった。今日もおにいさんは挨拶を返してくれなかったが、いつかは返事をしてくれるはず、と今日も毎朝恒例の決意をしていた。
と、そんな一家達を一切気にすること無く作業をしていた青年が小部屋に入れたものに、姉れいむがいち早く気付いた。

「──ゆゆっ!?」

ぴょぴょん、と低空ジャンプしながら一目散に小皿に盛られたそれに駆け寄った姉れいむ。
その頃には青年は頭数分の朝食を入れ終えており、小部屋は再び閉鎖的空間へと戻ったが、姉れいむはそんな事よりも目の前の物に視線も意識も釘付けにされていた。

小皿にほんの少し盛られただけのそれ。糊化した黒っぽいその存在を、姉れいむは少ない記憶の中から引っ張り出した。
それは、姉れいむの記憶の中でも上位に位置する嬉しい記憶。
そう、

「あまあまさんだ~~♪」

ゆっくりが大好きな、甘味である。
姉れいむの歓喜の声に反応し、他の子ゆっくり達もそれぞれの小皿に駆け寄っていった。
姉れいむと同じように間近でそれを凝視し、匂いを嗅いで、「あまあまさんだ」と喜びに顔をほころばせる。

いつもは味のないパサパサしたゆっくりフードが食事である。
だが、たまにこうして甘味がエサとして与えられることもある。それがゆっくり達にとっては何よりの楽しみであった。
それは子ゆっくりだけでなく、親ゆっくりも同様であり、親れいむも親まりさも、久しぶりの甘味に涎まで垂らしている。

「む~しゃ、む~しゃ、しあわせ~♪」

姉れいむが最初に甘味を口に入れ、その美味しさを堪能し、幸せを涙という形で表したのを皮切りに、家族たちは一斉にそれぞれの小皿に盛られたそれを口に入れていった。

『む~しゃ、む~しゃ、しあわせ~♪』

いつもと違い、今朝は皆幸せに一日を始めることが出来た。
今日は何か、良いことが起こりそう。そんな予感を感じさせる、これまで平穏だった幸せが瓦解し始める日の朝のことだった。










やって来たのは少年だった。
野球帽を前後逆さまに被った、小学生の男の子であった。
彼は一人でペットショップに踏み入ると、最初キョロキョロと視線を迷わせていたが、一家の値段が表示されている値段表を見つけると一目散にそこへと向かっていった。

「……ゆっ?」

最初に気付いたのはいつも外を見ていた姉まりさだ。
一人の人間の男の子がこちらに近づいてくる。それを認識した姉まりさはすかさず家族にそのことを知らせた。
するとわらわらと一家はガラス壁の方へと殺到した。エサをくれるおにいさん以外に久しぶりに出会う人間さんなのだ。皆興味津々である。

少年は一家のいるスペースの前で立ち止まると、値段表と少年を見ようと我先に前に出てきている一家を交互に見比べた。
ゆっくりしていってね。一家は満面の笑顔でそう挨拶をした。
けれども聞こえていないのか、それとも考え事に集中しているのか少年はその挨拶に返答を示さなかった。

久しぶりに家族以外の挨拶が聞けるかもと思ったゆっくり達は内心少し落ち込んだが、それでも笑顔は崩れなかった。
だって、今朝はあんなに良い事があって、今まさに久しぶりの人間さんに出会えている。
これまでここにやって来た人間さん達は皆、一家には目も暮れなかったのだから、その嬉しさは一入である。

五分ほど考えていただろうか。少年は考えがまとまったのか店員を呼んだ。
やって来た店員に向かって、少年は財布から一枚の硬化を取り出して、こう言った。

「一番小さいれいむをくれ」と。

店員の男はマニュアルなのか、一応親子セットや家族セットでの購入を薦めてみたものの、少年は子れいむ一匹だけを所望だった。
小学生の予算なら、無理からぬ事ではあった。

店員の男は少年の注文に笑顔で応えた。少年は念願の買い物に心浮き立たせ、白い歯を見せる笑顔だ。
その二人の笑顔につられて、一家も幸せな気分になって笑顔になった。誰かがゆっくり出来るのは、ゆっくりにとっても喜ばしいことだ。




だが、そのゆっくりが自分達の犠牲の上に成り立つ場合、その限りではない。
空間が開いた。真後ろ、いつもは食事の時にしか開かれない壁が開いた。
閉鎖された空間が外界と繋がり、一家は怪訝に思って振り返った。
その瞬間だ。店員の腕が伸びて、末っ子の妹れいむを掴んで、ゆっくりにとって目にも留まらぬ速さで連れ去っていったのは。

消える妹れいむ。閉じる壁。訪れる静寂。欠けた家族。
数秒遅れて事態を把握した一家は、先ほどとは打って変わって泣き顔に顔を歪ませ、嘆きの声を上げることとなった。

「……ゆっ? ゆゆっ!?」
「れっ、れいむのおちびぢゃん!?」
「ゆあ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁ!! れいみゅがぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!」
「やめて! まりさのあかちゃんつれてかないでねっ!!」

突然訪れた家族の喪失。予想だにしなかった事態に親れいむは混乱し、妹まりさは親れいむの傍で泣きじゃくる。
姉れいむと姉まりさ、親まりさは奪われた妹れいむを取り戻そうと既に閉じた壁に向かって無駄な体当たりを敢行。
けれども、それは三匹に顔面の痛みという完全に不要な物を与えるだけとなった。
顔面をしたたかに打ち付けた三匹は、痛みと悲しみの涙で顔がグシャグシャだ。

「……ゆっ? れいみゅ?」

と、一家の意識は完全に外から閉じられた壁に向かっていたのだが、妹まりさはそれに気付いた。
さっきまでここにいて、今しがた連れ去られた妹れいむが、外に、少年の傍にいることに。
妹まりさに声に反応した一家が今度は再び外が見える壁側へと殺到した。

「ゆっ! れいむのいもうとが!」
「れいむのおぢびぢゃん! ゆっぐりがえっでぎでねっ!」
「やめでっ! いがないでねっ!」
「かえってきてねっ! おねがいだよっ!」

一家は必死で、涙混じりに叫ぶが、全て無駄。既に妹れいむは、その命を少年に買われたのである。
ワンコイン。たった硬化一枚。それが家族から引き離された妹れいむの命の価値だった。

「ゆびゃぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!! おぎゃぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛しゃぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ん!! おねぇぢゃぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ん!!」

唐突に家族から引き離された妹れいむは、手渡された少年の手の中で泣き叫んだが、その悲痛の声は誰にも届かない。
聞こえていても、届かない。
誰もかれも、その意図を汲んで家族の下に帰してやる気は無いし、あったとしても、それはそんな事など出来ないゆっくりしか持っていなかった。

「ゆんやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!! れいみゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」
「ゆっぐりがえっでぎでね! どっかいがないでねっ!!」
「やべでっ、でいぶのおちびぢゃんがえじでねっ!!」
「ばりざのあがぢゃんがっ! あがぢゃんがっ!」
「れいみゅをかえじでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

六匹家族が五匹家族に。一匹は変われていなくなり、残された家族は狭い〝おうち〟の中でわんわん泣き叫んだ。
だって、しょうがない。ついさっきまでずっと続くと思われた、幸せな家族団欒が奪われたのだから。
けれど、しょうがない。その幸せは、永遠など保証されていないものであり、人間の一存で簡単に奪われるものでしかなかったのだから。

「おがぁぁぁじゃぁぁぁぁぁぁん!! ゆびゃぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ん!!!」












少年はペットショップで五百円で購入した妹れいむを、被っていた帽子に入れて意気揚々と家に持ち帰った。
逆さにして手に持った帽子の中では、泣きつかれて眠ってしまった妹れいむがいる。
涙の跡がくっきりと残っており、今でも時折寝声で家族を呼んでいた。

少年は望外の幸運に喜んでいた。まさかこんな格安で、念願のゆっくりを買うことが出来たのだから。
今日もただ、ペットショップにいるゆっくりを物欲しそうな目で見るだけで、買うことなど考えていなかった。
のびのびと過ごすゆっくりの可愛い姿を目にして、いつかは飼ってみたいと夢想するだけだったはずなのに。

今日行ってみれば、他のゆっくりより遥かに安い、少年のお小遣いでも買える値段で売られていた。
少年は逡巡したが、何よりもこんな絶好の機会を逃して誰かに買われるのを恐れてその場で買った。
一匹五百円ならばいくら小学生でも、これだけ望んでいれば即決してもいいかもしれない。

だが少年には迷わなければならない理由があったのだ。

「……うち、ペット禁止なんだってさぁ」

寝ている妹れいむにそう言ったのは、少年が家族と住むマンションの事。
よくある話だ。それが故に少年は両親から何度もペットはダメだと言われていた。
友達のペットの話を聞く度、外やテレビでペットを見るたび、少年はペットを飼いたいと思った。
禁止されれば、殊更そんな願望は強くなるものだ。
けれども、犬猫のようなペットがもちろんダメなのは、少年だって分かる。決まりごとは、守るためにあるのだ。

しかし、ゆっくりの場合すこし違ってくる。
ゆっくりは実のところ、動物と認められていない。
だって、饅頭なのだから。どれだけ自己増殖能力や恒常性を持っていたとしても、科学的に動く理由がまるで解明されていないのだ。
もちろん、生物とほぼ同じ行動、反応を示すためゆっくりは動物だと主張する者もいる。
だが、将来はともかく現状としては、ゆっくりは科学的にも法律的にも動物だとは認められていない。

つまるところ、極論ではあるがゆっくりを飼っていてもそれはペットとしては認められず、饅頭を所持しているだけとなるのだ。
これに目をつけペットの禁止のマンションでゆっくりを飼っている人や、結局それを他所に迷惑をかけない限り黙認している管理人がいる。
ゆっくりの所持も禁止したい場合、『自律可動饅頭の所持』などを禁止するのだ。

少年が住むマンションもそうであった。隣の部屋に住む中学生の少年に、そう聞いていた。
だからゆっくりなら大丈夫だろう。そうは思うのだが、いかんせん少年の目から見てゆっくりは完全に動物に見える。
いくら決まりの目を網を潜り抜けるようにゆっくりが決まりの上で良いとしても、両親がどう思うかは分からない。
だから迷った。けれども少年は迷った末に。

「内緒で飼えば、バレないよな?」

そう、結論づけた。
少年は真っ先に家に帰ると、自分の部屋に隠してあった小さな水槽を引っ張り出した。
いつかゆっくりを飼うことになったらこれで飼おうと決めていたのだ。

少年は寝ている妹れいむを起こさないようにそっと水槽に入れると、ゆっくりと蓋を閉めた。
そして取って返すようにキッチンへと向かい、冷蔵庫を開ける。
まずは妹れいむの食事を用意するのだ。













「……ゆぅ、おかぁしゃん」
「おっ、目が覚めたか」

妹れいむが目覚めたのは、夕方陽も暮れかかった時だった。
少年は読んでいたマンガから目を上げて、自分の机の上に置いた水槽の中の妹れいむを見やる。

「……ゆぅ?」

妹れいむは寝ぼけ眼で首を傾げた。
なんで、自分がこんな場所にいるのか分からないのだ。
しかし、数秒の後に思い出した。自分は、家族と引き離されたことに。
今朝まで何事もなく続いていた幸せを、理不尽なまでに奪われたことに。

「ゆぐっ、えぐっ……おがぁしゃん……おねえぢゃん……」
「あぁ、もう。ほら泣くな」

寝る前と同じようにまたもや泣き始めそうになった妹れいむに、少年は困ったような顔をしながら近づくと、

「ほら、これやるから」

パラパラと水槽の中にお菓子を落とした。麦チョコだ。

「……ゆっ?」

突如目の前に降ってきたものに妹れいむは泣くのをやめて注視した。
一体何なのだろうと、今まで見たこともないものをじっと観察していると、頭上から少年の声がかかった。

「食べなっ、うまいぜ」
「……たべれるの?」
「あぁ」

笑顔でそう答えた少年を、妹れいむはゆっくりできる人と思った。笑顔はゆっくり出来る証だからだ。
その少年を信じて目の前の物を食べてみようと決意する。自分を家族から引き離した張本人だということも忘れて。
恐る恐るといった感じでゆっくりと麦チョコを口に含む。そして、味わう。
直後、

「しっ、しっ、しゃ~わせ~~~~♪」

満面の笑みの妹れいむが、そこにはいた。
美味しい。ペットショップで食べていたパサパサのゆっくりフードなんかとは比べ物にならないほどの美味しさだ。
たまに食べることの出来たあの甘味に勝るとも劣らない。そんな妹れいむ至上最大級の上味を更に噛み締めようと、妹れいむは残りの麦チョコも勢いよくかっ込んだ。

「む~しゃ、む~しゃ、しあわせ~♪」

家族と離れ離れになったことも忘れたかのように、幸せ涙を浮かべながら麦チョコを食べる妹れいむを、少年はにこやかに眺めていた。
やがて少年があげた麦チョコも全部無くなった頃、少年はひょい、と妹れいむを手の平に乗せて持ち上げ、目線を合わせた。

「ゆゆ~ん♪ おそらをちょんでるみちゃい~♪」

キャッキャッ、と嬉しそうに跳ねる妹れいむの愛くるしい姿に心が和んだ少年は、妹れいむと乗せた手とは逆の手の指で、柔らかい妹れいむの頬を突付いてみた。

「ゆゆ~、くすぐっちゃいよ~」

そう言いながらも顔は笑顔のまま、嬉しそうに身を捩る妹れいむの姿を見て、少年は自分の判断は間違っていなかったと確信した。
人差し指で優しく妹れいむの頭を撫でながら、少年は妹れいむに話しかける。

「なぁ、れいむ」
「ゆゆ~ん、にゃ~に?」

気持ち良さそうに少年に撫でられていた妹れいむの体を反転させ、少年は妹れいむに水槽を見せた。

「ここが、今日からお前の〝おうち〟だ」
「…………ゆっ?」

突然聞こえた〝おうち〟という単語に妹れいむはハッとした。
〝おうち〟。それはゆっくりに餡の髄に叩き込まれている、本能レベルで求める快楽の、欲求のうちの一つだ。
今朝までは、家族と一緒に居たあそこが〝おうち〟だった。

その事を思い出した瞬間、妹れいむは再び目に涙を浮かべ、

「ゆぐっ、ぐずっ、みんな゛ぁ……」

少年をまたもや困らせた。折角これから一緒に暮らすのに、いつまでもこのままではいけないな、と。
少年はそう思いながら、妹れいむを再び反転させて目線を合わせた。
そして、人差し指でれいむの頭を撫でながら、優しく、言う。

「れいむ、今日から俺がれいむの家族だ」
「……ゆぅ?」
「今日から俺が、れいむと一緒だ」

破顔一笑。ゆっくり出来る笑顔。
少年のそんな笑顔を見せられて、妹れいむは少し心にゆとりを持った。少年の言葉を聞けるゆとりを。

「ここが、今日かられいむの家で、俺が今日かられいむの家族。ずっと一緒だぜ」

妹れいむと頬をぷにぷにと突付きながら、少年は妹れいむに笑って語りかける。
妹れいむは未だにその言葉の意味を完全には理解しきっていない。だけど、少年の笑顔はゆっくり出来る。
そう思い妹れいむは、再び目を閉じて眠りに入った。

焦ることはない。妹れいむの新生活は始まったばかりなのだから。












そして、すぐに終わった。
妹れいむの第二の幸せと思われた新生活開始から、一週間と経っていなかった。

妹れいむを迎え入れた次の日から、少年は妹れいむを自室のクローゼットで飼い始めた。
水槽をクローゼットに置き、部屋にいる時はクローゼットを開けっ放しでずっと遊び、家を留守にする時や親にバレそうな時はクローゼットを閉める。

学校が終われば真っ先に家に帰って念願のペットであったゆっくりと触れ合いの時間。
お菓子をあげて幸せそうに食べる顔を眺め、頬をぷにぷにして気持ちよさを堪能したり、部屋に話して小さな体が元気よく跳ね回る姿を観察したり。
そうした生活は妹れいむにとっても悪いものではなかった。
むしろ前より良いかもしれない生活だ。

食事は前と違って毎回美味しくて甘いものだし。少年と遊ぶのは姉妹と遊ぶのは違う新鮮さがある。
そしてなにより、前の〝おうち〟より遥かに広い部屋を、自由に飛び回ることが出来るのだ。これは、妹れいむにとってとてつもなく素晴らしい事柄であった。

家族との別れを吹っ切れたわけではない。けれども、それに負けず劣らず少年との新生活が思いのほか楽しかったのだ。
少年が学校で留守にする時などは、することも無く一匹でじっとクローゼット内の水槽の中で静かにしているが、そんな折思い出すのだ。
家族との、思い出を。
その度に涙する。過去の楽しい思い出に。もう会えないという事実に。会いたいという郷愁に。

それらを完全に忘れることなど妹れいむには出来なかったが、それでも、少年もまた好きになりつつあったのだ。
過去や未来のことより目先のこと。そんなゆっくりの習性もあって、妹れいむは段々と新生活に慣れ、家族のことを思い出すことも減り始め──

た、六日目に事は起こった。

少年が学校に行っている留守の間のことだ。
少年の部屋を掃除しようとした少年の母親が、偶然クローゼットの中から聞こえてくる妹れいむの歌声を聴いたのだ。
妹れいむが歌ったのはこの時初めてだった。家族との思い出を想起しながら、記憶を頼りにかつて母や姉が歌ってくれた歌を再現しようとしていただけなのだ。
ただ、それがいけなかった。それが結局、妹れいむの失敗であった。

少年が帰宅すると、部屋に妹れいむの姿がなく、少年は狼狽した。
すぐさま母親に問いただそうとしたが、それは自分が内緒でゆっくりを飼っていたことを自白するのと同じなため、出来なかった。
だから、どうしたものかと意気消沈してリビングへ入り、そこのテーブルの上で妹れいむが寝ており、椅子に母親が座っていることに驚きを禁じえなかった。

「……座りなさい」

静かに母親に促され、少年はゆっくりと、顔を俯かせながら母親の対面に座った。
机上の妹れいむを挟むように。
やはり、というかすぐさま問いただされた。妹れいむの事を。
そして母親はペットは飼わないはずだという約束を持ち出した。それは少年がずっと前に、両親と約束したことだった。

母親からの言い分を静かに聞いていた少年だったが、やはり譲れないものもある。
れいむはゆっくりであってペットじゃない事や、どうしてもペットを、ゆっくりを飼いたかったことなどを、熱心に語った。
確かに約束を破ったことは悪いけれども、れいむはペットじゃないから、飼ってもいいだろう、と。

母親はそれらの少年の言い分を聞いて、けれども頑なに首を振った。妹れいむは飼えない、と。
愕然とする少年に母親は言い聞かせた。ゆっくりを飼ってはいけないということを、頑なに言い聞かせているわけじゃない。
確かにゆっくりは決まりの上では飼ってもいいだろう。
しかし、母親が問題視しているのはそうではなく、内緒で約束を破ったことにあったのだ。

どうして、一言相談しなかったのか。本当に、そこまでしてゆっくりを飼いたかったのなら、せめて一言両親に相談するべきだったと。
約束を内密に、一方的に破って、表面上は約束を守っているように取り繕う。そんな事はしてはいけない、と。
約束は、守るためにあるのだから。

母親に訥々とそう言われれば、少年は頷くほか、無かった。
母親が、少年が帰るまで妹れいむを捨てずにして、少年の同意のもとに捨てさせるよう促したのも、少年のことを思ってのことだった事もあるのだから。
もし、ゆっくりを飼うこと自体に反対だったとしたら、少年が帰ってくる前に捨てることをしても、良かったのだ。


















夕暮れの川原。少年はそこに妹れいむを連れてきていた。肩からかけた虫かごの中で、妹れいむが建物の外の世界への期待に目を輝かせている。
しかし、遊びに来たわけではないのだ。
少年は、ここ数日で仲良くなった妹れいむを、捨てに来た。そのために、妹れいむを連れて、川原まで来たのだ。
少年は堤防を降りて川の近く、雑草が生い茂るところまで来ると、そこで妹れいむを虫カゴから取り出した。

「……ゆっ?」

そっと地面に置き、妹れいむの様子を窺う。
妹れいむは初めての外に興奮気味だ。辺りをキョロキョロと見渡しいるその顔が、何をして遊ぼうかと思っていると、雄弁に物語っていた。

「ゆゆん、とってもしゅごいねっ! いっしょにあそぼうねっ!」

妹れいむはワクワクといった擬音が具現化しかねない程の上機嫌でそう言いながら振り返った。
そこに居るはずの少年に向かって。
しかし、居なかった。そこにいるはずの、ここ数日でうんと仲良くなって友達になった、人間の男の子が。

「……ゆゆっ?」

不思議に思って首を傾げた先、妹れいむに背を向けて堤防を登っている少年の姿があった。
妹れいむは慌ててその後姿を追う。

「ゆゆ~、どうちたの? あしょぼう、いっしょにあしょぼう!」

妹れいむは大声で少年に呼びかける。どうしたの、今日も一緒に遊ぼう、と。
少年は妹れいむにとって諸悪の根源でありながら、同時に恩人になりつつもあったのだ。
家族と引き離され、失意の淵にいた妹れいむを再び笑顔にしたのは、他ならぬ少年なのだから。

少年がいなかったら、妹れいむはきっと、家族と引き離された悲しみに無き暮れてばかりで、何もせず、何も出来なかっただろう。
そうはならなかったのは、少年が優しく接してくれて、妹れいむと遊んでくれたから。笑顔を再びくれたから。
そんな、そんな少年が妹れいむに背を向けて、去っていく。
そう、まるで別れ際のように。

「ごめん…………元気でな、れいむ」

いや、事実別れ際であった。
少年は妹れいむを捨てるのだ。それが別れ以外の何であろう。
自分から飼っておいて、捨てる。そのことに少年は良心の呵責に悩まされ、まともに妹れいむの顔を見ることも出来なかった。
だから、

「ごめんなっ、れいむ!」

ただ背中ごしにそう言って、立ち去った。妹れいむに、何も残さず。妹れいむの全てを奪って。

「ゆっ! ゆっ! まっちぇ、まっちぇね! いっしょにあしょぼうねっ!」

妹れいむは必死になって少年を追った。産まれてから一度も跳ねたことのない最悪の路面状況にも関わらず、全力で跳ねて。
底部が石で傷つけられ、硬いアスファルトに叩きつけられ。その度に痛みに顔をしかめながらも、妹れいむは少年を追った。
だって、ここで少年とも別れたら、妹れいむには何も無い。
本当に、何も。全てを失ってしまうのだから。

親も、姉妹も、おうちも、ごはんも、幸せも、遊びも、楽しいこと、嬉しいことの全部を。
そんな事を全部理解していたわけじゃない。だが、妹れいむは察していたのだ。少年の背中から。
今、この背を逃したら、後に残るのは、ゆっくり出来ないことだけなのだと。

「まっちぇ、まっちぇ! とまっちぇね! れいみゅをおいてかないでねっ! …………まっちぇ、まっちぇよぉぉぉぉぉ!!!」

結局、妹れいむは小石につまづいて、顔面を強く打ち付けて、その場でわんわん泣いてしまった。
少年を追う事も忘れて、今感じる我慢出来ない激痛を大粒の涙と共に訴えた。
誰に訴えのか。親か姉妹か少年か。定かではないが、妹れいむの訴えを聞いたものは誰もいなかった。
妹れいむはその後、陽が暮れて眠くなるまでずっと、泣いていた。体の痛みだけでなく、喪失の痛みにも苦しんで。











妹れいむは全てを失った。
親も姉妹も友達も。家も食事も遊びも。
楽しいこと嬉しいこと幸せな事全部。

後に残されたのは喪失の痛みや哀しき郷愁、懐かしき思い出といった精神的な物の他にも、夜になって吹きすさぶ寒風や外敵。
ろくにありつけぬ食事に危険だらけの世界といった物理的な〝ゆっくりできないもの〟。

夜の寒さに泣き、家族との思い出に泣き、壮絶な空腹に泣き、野良猫に追われる恐怖に泣き、転んでケガをした痛みに泣き、
口に含んだ雑草のマズさに泣き、今は無き我が家の思い出で泣き、遊びたいのに遊ぶことなど許されない現実に泣き。

それでもただ、ゆっくりにも一番根底にある〝死にたくない〟という思い一心で必死で生き延びた。
不味い不味い雑草を無理矢理口に入れたり、なんとか食べ物らしきものを見つけて生ゴミを漁ろうとしたところを他の野良ゆっくりに突き飛ばされたり。
寒くて、痛くて、眠れない夜を夜通し泣いて過ごし、朝方に寝て通学途中に小学生に蹴り起こされたり。

たった三日なのに、何年も地獄を経験したかのような野良の生活に、妹れいむは心身ともに削られていった。
何度も何度も、辛い目に合った。その度に思い出すのは、かつてのペットショップでの生活。
大好きだった家族と一緒に楽しく過ごしていた頃の風景だ。

「ゆ゛う゛……おかぁしゃん……」

ずり、ずり、と。もはや跳ねる気力も無くなった、ボロボロに薄汚れた体に鞭打ってアスファルトを這いずる妹れいむ。
もはや何処を目指しているのかも定かではない。ただ、ゆっくり出来る場所を求めて、あてどもなく動いているだけだ。
今妹れいむがいるのは、商店街の歩道。今は平日で、人はわりかし少ないが、妹れいむは端をはいずる。

もう、蹴られるのはイヤだった。死ぬかと思った。泣いて止めてといった。
けれどもあの少年と同じぐらいの男の子達は、ただ笑って妹れいむを蹴り飛ばして滑稽に逃げる様を見て愉しんだだけだった。

じわり、と目に涙が浮かんだ。もうどれだけ流したか分からぬ涙だ。
涙を流す時、それは大抵痛い時か、

「ゆぐっ、えぐっ、だじゅげで、おねぁぢゃん……」

家族の事を思い出している時だけだ。
自分を捨てた少年の事ではない。断じて。

あれからどれだけ経ったのだろう。随分昔のことに思えてくる。
また、聞きたいと思った。親れいむの歌声を。
また触れ合いたいと思った。親まりさの肌と。
また、遊びたいと思った。大好きな姉達と。

返して、欲しかった。あの幸せを。
返して、欲しかった。自分から不当に奪っていった幸いを。

そうして、願い、焦がれて妹れいむはふと歩を止めた。
何かに導かれるように、視線を横に、上に転じる。そこにはペットショップを表す文字があった。
妹れいむは文字を読むことは出来ないが、何故だか、感覚的にそこが何処か、を知った。

「────おがぁ、ざん……おねぇ、ぢゃん……」

そう、そこはかつて自分が居た場所。かつて、家族と居た場所。
偶然か、奇跡か。妹れいむはそこに辿り着いたのだ。

「ゆっ、ゆ゛っ、ゆあ゛ぁ…………!」

妹れいむは歓喜に震え、中に入ろうと決意した。
ずりずりと体の向きを変えて、中へ、扉を空けて中へ入ろうとして、

「やっほぃ! まさかまりさ二匹がこんなに安く売ってるだなんてなぁ、アイツに感謝しないと!」

ブチュリ、と。
店から出てきた青年に潰された。
青年は足の裏に感じたわずかな感触など気にも留めず、たった今買ったばかりのゆっくり二匹を鞄に詰め込みながら帰路を急いでいた。

「…………ゅ」

運悪く即死ではなく、瀕死状態となった妹れいむは気付くことはなかったが、その二匹こそ妹れいむが会うことを願ってやまなかった親まりさと妹まりさであった。

ピクピクとわずかに蠢くのは、かつて妹れいむだったもの。
それがゆっくりだったと表すのは、靴の形に潰れた頭と汚れたリボンのみ。後はただの餡子と皮の塊である。

妹れいむは数秒後に消えいく意識の中、泣いていた。
もう一度、家族に会いたいと。自分に、家族を返してくれ、と。
その願いは誰にも聞き届けられず、妹れいむは誰にも気付かれずにひっそりと、汚くその生涯に幕を閉じた。


さて、では。
妹れいむがあれだけ会いたがっていた、他の家族は一体、どうなったのだろうか。







⇒残された家族は?


───────────────
あとがきのようなもの


うぎゃー、やっぱ久しぶりですから劣化著しいです

byキノコ馬

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最終更新:2022年05月03日 20:14