れいむはれいむ。
おウチは・・・今は人間さんのおウチがれいむのおウチになっていた。
れいむの周りには、見えない壁があった。
動くことはできたけど、それでもやっぱりれいむはもっとぴょんぴょんしたい。
透明な壁さんの外には、曇りの日みたいな色の壁があるからお外は見えない。
人間さんのおウチは、とても冷たかった。
ゆっくりできるのはご飯だけだった。
人間さんのくれるご飯は、たまに変な臭いのするものもあったけど、とてもゆっくりできるご飯。
お野菜さんは食べたことがないけれど、きっとこんなゆっくりできる味だとれいむは思った。
それ以外は全部ゆっくりしてなかった。
人間さん・・・、れいむをココに連れてきたお兄さん。
お兄さんはとっても酷い、ゆっくりできない人。
毎日、まりさやありす、ぱちゅりーにいじわるをする。
ココに連れてこられてどれくらい経ったのか、れいむにはわからない。
お日様もお月様も見えないから。
れいむは独りで眠っていた。
寂しい。
今までは、れいむの横にはお母さんれいむもいたし、妹のれいむも姉のれいむもいた。
もう片方のお母さんれいむはれいむが生まれる前に死んじゃったそうだけど、れいむは家族ととてもゆっくりできていた。
「すりすりしたいよ・・・」
れいむは泣いた。
独りは寂しい。
ココに来てからというもの、れいむに触れるのはお兄さんの手だけ。
その手に触れられると、れいむはとても苦しくなる。
お兄さんにつかまれてお空を飛ぶと、じんわりとれいむは冷えていく。
体の中がとっても痛くなる。
お兄さんはれいむに酷いことは何もしない。
でも、れいむは体がグリュグリュしてしまう。
それはとってもゆっくりできないこと。
れいむの中がどうかしてしまう。
「ゆっくりしたいよ・・・」
思わず声が出てしまう。
れいむはまだ、お母さんと一緒にゆっくりしたかった。
体はもう、お母さんとほとんど同じくらい大きかったけれど。
「ゆぅ・・・」
お目目を閉じると、お母さんれいむの顔が浮かぶ。
今まで一緒だったみんなの姿も。
みんなと言っても、家族だけ。
れいむのおウチの近くには、他のゆっくりは住んでいなかった。
「今日も楽しくボッコボコにしてやんよ!」
ゆっくりできない声と一緒に、ゆっくりできないお兄さんがやってきた。
れいむの中がひんやりしてくる。
「よぉ、れいむ」
「ゆ・・・ゆっくりしていってね・・・・」
ゆっくりしたご挨拶をする。
お兄さんは、れいむには優しいのだから。
その関係が壊れないように、れいむはゆっくりしていることを伝える。
ゆっくりは良いこと。
お兄さんの手が、れいむをつかむ。
そのままれいむは透明なおウチから一つお外に出される。
体の中がとても苦しい。
寒い。
「さーて、今日は・・・。まりさに決めた!」
…。
いつから始まったのかはもう覚えていない。
お兄さんにココに連れてこられた時のことは、もうよく覚えていないから。
気がつけば、お兄さんはゆっくり達に酷いことをしていた。
熱そうな棒を口に入れたり。
キラキラした棒でホッペを切ったり。
先っぽに四角い板がついた棒で殴ったり。
でも、今ではれいむに酷いことはしなかった。
「さあ、まりさ。今日も元気に自己紹介をしてごらん。ちゃーんとできたら、ゆっくりできるかもね」
まりさ、頑張って。
ここで頑張れば、きっとゆっくりできるはず。
れいむは体がギュルギュルして苦しいけど、しっかりと見てるよ。
「まりさはまりさだよっ!ゆ・・・ゆっくりできないことはおねがいだからやめてね!おねがいだよ!」
完璧な自己紹介。
れいむはそう思った。
「ふ・・・ふふん♪」
お兄さんは、冷たい目で見下ろした。
でも、すぐに嬉しそうな顔になった。
まりさの自己紹介は大成功なんだね。
「そうか。まりさはまりさなのか。面白い自己紹介だな。じゃあ今日はコレから始めようか」
………。
お兄さんは、優しい目で見下ろしていた、まりさを。
お兄さんの手には、何回も見たことのある棒があった。
先っぽに四角い板がついた棒。
お兄さんは「はえたたき」と呼んでいる。
まりさは涙を流しながらお兄さんに許しを求めていた。
「おねがいだからやめてね!それはゆっくりできないものだよっ!!」
可哀想なまりさ。
れいむは叩かれたことがないから、どれくらい痛いのかわからない。
でも、まりさを見ていればどれくらい苦しいか理解できる。
れいむはまりさのことを考えるだけで、体の中がとても痛くなる。
「まずは、100叩き」
まりさの左頬に、四角が飛んできた。
メミョっと歪むまりさの体。
あれはゆっくりできないに違いない。
「やべでぇっ!!おべがいっ!!ぼうやべでぇえっ!!」
まりさの言葉は、お兄さんに届かなかった。
「ゆびょぇぉぉおっ!!ぼゆぉおお!!ゆびゅぅぅう!!」
左右交互に頬を叩きつけられ、まりさの頬はボコボコと膨れているのだろう。
まりさはまともに発声ができなくなっていた。
でもれいむには、まりさがとっても痛がっていることも、お兄さんに止めてと伝えていることも分かった。
お兄さんもきっと分かっているはず。
なのに、その棒は止まらない。
「ぶびゅっ!!ゅ゙・・・ゅ゙!!っ!!・・・ゅ゙!!・・・ッ!!ッ!!・・・ゆ゙っ!!」
まりさのほとんど塞がったお口から、黒いものが飛び出す。
これは餡子だ。
れいむ達ゆっくりにとって、凄く大切なもの。
これが無くなるとゆっくりできなくなる。
れいむはまりさから飛び出した餡子を見て、とても気持ちが悪くなった。
大切な何かが消えてしまいそうな・・・。
おにいさん、もうやめてあげて。まりさがしんじゃうよ。
そう言いたかったけど、声が出なかった。
怖かった。
「おっと、このままじゃまりさが死ぬなぁ。しょうがない・・・」
お兄さんはそう言って、飛び出た餡子を透明な棒に入れる。
「ちゅーしゃき」と呼んでいる小さな棒に。
棒は、まりさの後頭部に刺された。
どうやっているのかはわからないけれど、透明な棒に入った餡子はまりさの中に入っていく。
その後、お兄さんはいつものようにペラペラしたものをまりさの口に貼った。
餡子が出ないよう、押さえているのだ。
まりさが声も出せずに震えているのを見ていると、れいむはゆっくりできない。
でも餡子が出ないから、永遠にゆっくりしてしまうことはない。
れいむは、そこだけは安心だった。
しばらくすると、お兄さんはまりさに飽きたみたいだった。
今はまりさの体を治療している。
お願いだから、もう終わりにして。
れいむはそれだけを考えていた。
「次は、ありすでもやるか。・・・それとも、れいむにするか?」
怖い。
とっても怖い。
れいむは、嫌。
そんなゆっくりできないことはされたくない。
でも、ありすが痛いことされるのを見ているのも嫌。
お兄さんとゆっくりできたらいいのに。
どうしてゆっくりしてくれないの。
れいむの中が、またひんやりとする。
熱くなっていた体が冷えていく。
それと同時に、体内の痛さがよく分かる。
苦しい。
れいむの中が・・・。
痛い。
とても・・・。
………。
「おにいさん!あ、ありすとあそびましょうっ・・・!!れいむは、れいむはゆっくりさせてあげてほしいの!!」
ありすが言う。
ありすはとても優しいお姉さん。
れいむが指名されそうになるといつも、代わりになってくれる。
れいむはとっても怖かった。
だから、れいむはれいむをいじめてとは言えない。
ありすのかわりにれいむをいじめてとは言えない。
「よし、わかったよありす。じゃあ遊ぼうか」
お兄さんが棒を手に取った。
あれは熱い棒だ。
お兄さんの持ってくる棒の中では、たぶん、一番ゆっくりできない棒だ。
痛いからゆっくりできないこともあるけれど、終わった後にもっとゆっくりできないことが待っている。
「もう、いいかな?」
お兄さんが火の中に入れていた棒を向ける、ありすに。
「ゆ・・・!あ、ありすはっ・・・!ゆ゙っゆ゙ゆ゙っ!」
棒はとっても熱くなっているようだった。
ありすに触れてもいないけれど、ほんわかと温かさを感じる。
「どうしたの?ありすはお兄さんと遊ばないのかい?じゃあれいむにする?」
「ありすがあそぶわよっ!!れいむはっ!れいむ゙はゆる゙してあげてねっ!どがいはのあ゙りずがあぞぶのよぉお゙お゙ぉぉ゙っ!!」
お兄さんはニッコリと笑った。
その笑顔が崩れる前に、ありすのホッペに熱い棒が押しあてられる。
「ゆぎゅうぅうぅぅううっ・・・!ゆ゙っ・・!っ!!ゆゃぁ・・・っ!!ゆぎゅ・・・・!!」
焼ける音が聞こえるようだった。
ありすの震えるような声が、とてもよく聞こえた。
ありすは声をなんとか抑えようとしていた。
まりさみたいにありすは悲鳴をあげない。
れいむはひんやりする。
「ほら、ありす。頬がカリカリだよ」
ありすのホッペから熱い棒が離れる。
お兄さんの指が、ありすのホッペをススーっとなぞる。
「どうありす?感想を言ってごらん」
「どっでぼ・・・!ど、どがいはだわ゙っ!」
ありすが笑みを作る。
お兄さんはありすに、懸命に耐える姿を求めている。
だからありすはそれに応えている。
そうしないと、ずっとゆっくりできなくなっちゃうから。
まりさはお兄さんに、ギャーギャー騒いで盛り上げることが求められている。
だから、いつも声いっぱいに苦痛を叫んでいる。
そうすれば、ゆっくりできないことが早く終わるから。
れいむは・・・。
れいむは、何をお兄さんに求められていたんだろう。
ずっと昔、ココに来た頃はお兄さんに叩かれていたような気がする。
ほとんど覚えていないけれど。
『今、れいむは俺の望むことをしているんだよ。だかられいむには何もしていない。そうだろ?』
お兄さんはいつもそう言っていた。
いつから言い始めたのかはもう覚えていない。
れいむは頷いた。
頷かなかないと、ゆっくりできなくなっちゃうから。
お兄さんの言うことを認めないと、ゆっくりできなくなっちゃうから。
「ゆっきゅり!おかーしゃ!あいたかっちゃよー!!」
「ゆっきゅりぃい!!」
「こりぇでゆっくちできりゅねっ!」
お兄さんが赤ちゃんを連れてきた。
お兄さんはヒマがあると、赤ちゃんを作らせる。
とてもゆっくりできない理由で作らせる。
これは・・・
誰の赤ちゃんなのかわからない。
でも、いつもいじわるされている誰かから生まれた赤ちゃんだ。
あまり考えないようにする。
考えるとれいむの餡子がとっても冷たくなる。
赤ちゃんは、いじわるされた誰かを綺麗にするために産まれてくる。
それが終わったら永遠にゆっくりしてしまう。
れいむはそのことを考えたくなかった。
「ありすのホッペを直そうね」
ありすのホッペは、カリカリになっているらしい。
ゆっくり理解していたはずなのに、れいむは見ていられなくなる。
あんなにゆっくりした赤ちゃん達が、もうその短いゆっくりを終えてしまうなんて。
「さっさとやるぞ」
お兄さんの手には、キラキラしたゆっくりできない棒が握られていた。
赤ちゃんは、あんよを切られた。
そのあんよは、ありすの右のホッペに張り付けられることになった。
ありすはずっと、涙を流すだけだった。
ホッペのカリカリを取り除かれた時も、赤ちゃんのあんよが切られた時も、赤ちゃんが痛くて泣き叫んでいる時も。
赤ちゃんが全部死んでしまった時も。
「よーし、だいぶ綺麗になったな」
お兄さんが、柔らかいものが先についた棒で、ありすのホッペを撫でていた。
柔らかいものには、ゆっくりできる汁がついているから、ホッペの穴はすぐにピッタリする。
いつものことだった。
今日もゆっくりできなかった。
「移植用の子供は・・・、まあ、いいか。まだいるし」
ヌルヌルするお水が入ったものを取ろうとして、お兄さんが手をひっこめた。
お兄さんがあのヌルヌルを手にすると、赤ちゃんができてしまう。
気がつくと、頭の上に赤ちゃんができている。
ありすもまりさもぱちゅりーも、みんな赤ちゃんを作らされている。
ゆっくりできない理由で。
でも、れいむは赤ちゃんを作らされたことはない。
覚えている限りでは。
お兄さんの考えることはわからない。
でも、れいむはまりさ達より、ほんの少しだけゆっくりできていた。
「今日のシメは、ぱちゅりーで行くか」
………。
ぱちゅりーが死んでしまわないよう、いつもれいむは祈っている。
「おねがい・・・。ぱちゅをゆっくりさせてほしいの・・・。こほっ・・・」
お兄さんが、お部屋に板を立てていく。
これは、ぱちゅりーが走るための道。
お兄さんは、ぱちゅりーがじわじわと弱っていく姿が好きなのだ。
お部屋に一本道ができると、その端にぱちゅりーが置かれた。
道の両端には、緑色の円と、赤色の円が描かれている。
ぱちゅりーが下ろされたのは、赤い円の場所。
「じゃあ、いつも通りな。がんばれ」
ピピッと笛が鳴る。
これが始まりの合図。
ぱちゅりーは、弱い体をどうにか操って、ジャンプした。
でも道は長い。
ぱちゅりーにとっては、とても。
「30、29、28・・・」
お兄さんが規則正しく声を上げる。
これが0になるまでに向こう側、緑色の円を踏まないと、そのたびにゆっくりできないことがされる。
「ゆっふぅ・・・!ゆぐぅっ!ゆふっ!ゆふぅううっ!!ゆふっ!!こほっ!ゆ゙・・・!ゆ゙っ!」
ぱちゅりーは、どうにか時間までにたどり着いたけれど、もう動くこともつらそうだった。
次は最初の位置、赤色い円にまで戻らなくてはならない。
きっと間に合わないだろう。
「はい、アウト。ペナルティその1」
ぱちゅりーの後頭部に細い棒が刺された。
お兄さんは「まちばり」と言っていた。
びくんびくんと震えながら、ぱちゅりーは道を這う。
次は緑色の円を踏まなくてはならないけれど、その前に赤色の円を踏む必要がある。
やり残しは許されないからだ。
ぱちゅりーはいつの間にか置かれていた障害物に苦戦していた。
れいむは、緑色の円とぱちゅりーの位置を考えて、きっとまた間に合わないだろうと思った。
「はい、アウト。ペナルティその2」
ぱちゅりーの歯が1本抜かれた。
激痛に耐えながらもぱちゅりーは進んだ。
れいむはとても悲しくなる。
次は赤色の円だけど、ぱちゅりーはその前の分の赤色の円を踏み終えたばかりだったのだ。
「はい、アウト。ペナルティその30」
ぱちゅりーから歯は一本もなくなっていた。
お兄さんが、ぱちゅりーの口からベロを抜き取る。
もうぱちゅりーのお口には何もない。
ぱちゅりーの目の前には赤色の円があったけれど、それは一体いつ踏むべきだったのか、れいむには分からなかった。
「はい、アウト。ペナルティその49」
ぱちゅりーのお目目が2つとも無くなった。
道を作っている板だけを頼りに、のったりのったりぱちゅりーは進んでいた。
れいむには、次に踏まなくちゃならない円の色なんかもう分からない。
「はい、アウト。・・・ぱちゅりーはこれで終わり」
お兄さんはそう言うと、ぱちゅりーを持ち上げた。
また傷を治すために赤ちゃんが使われる。
ゆっくりできないことだ。
ココはゆっくりできない。
さっき、お兄さんは今日のシメと言っていた。
だからこれからは短いゆっくりタイムだ。
れいむが誰の心配もしなくていい時間。
れいむがゆっくりできる時間。
れいむが・・・。
れいむにとって、気が遠くなるほど長い時間が過ぎた。
ぱちゅりーは見事に回復していた。
「よし、今日かられいむも遊ぼうな」
「・・・・ゆ゙?」
れいむとあそぼうな。
そんな風に、れいむには聞こえた。
「今日かられいむも一緒に遊ぶって言ったの。ぱちゅりーで今日は終わりにしようと思ったけど、やめた」
「ゆ゙ゆ゙・・・ゆ゙ゆ゙ゆ゙!!」
お兄さんは言っていた。
れいむはお兄さんの望むことをしているからいじわるしない、と。
なのになぜそんなことを言うのだろう。
「れいむが考えていることは分かるよ」
お兄さんが、諭すように言う。
「れいむは俺の望む結果を出してくれた。今日だってそうだった」
じゃあ、なぜれいむがいじわるされなくてはならないのか。
「いじわるされたくなかったら、いつもみたいに、俺の望む結果を出してくれ」
でも、れいむは知らなかった。
お兄さんが何を求めているかなど。
れいむは・・・。
「れいむ。よーく聞くんだ。俺は『れいむ』と遊びたいんだ。『れいむ』とな。そこら辺をよーく考えてごらん」
体の中が痛い。
とても痛い。
今日一番の痛み。
まるで、体内で何かが掻きまわされているかのように。
ぐりゅぐりゅする。
…。
……。
………。
………れいむは、れいむ。
「ゆ・・・」
瞬間、れいむの体から痛みが消える。
じんわりとした痛みが残っていたが、それはいつものこと。
お兄さんはれいむのことがわかっているように、ニッコリと微笑んだ。
「自己紹介をしてごらん」
その言葉を聞くと、れいむは生まれたての赤ちゃんのようにハッキリと声を上げた。
「れいむはれいむだよ!ゆっくりしていってね!!」
れいむは思った。
れいむの自己紹介は完璧だ。
「よし、じゃあまずは髪の毛を全部引き千切ろうか」
お兄さんは、優しい目で見下ろしていた。
お兄さんは、優しい目で見下ろしていた、れいむを。
れいむは涙を流しながらお兄さんに許しを求めていた。
「おねがいだからやめてね!それはゆっくりできないことだよっ!!」
可哀想なれいむ。
れいむは髪の毛を引き千切られたことがないから、どれくらい痛いのかわからない。
でも、れいむを見ていればどれくらい苦しいか理解できた。
れいむは少しだけ、体の中が痛かった。
一人の男が研究室に入った。
彼は、ココの研究室に在籍する研究員の友人だった。
久しぶりに酒でも飲みに行こうと誘いに来たのだ。
「・・・なんだこれ」
机の上にノートが置いてあった。
何の変哲も無い大学ノート。
表紙に、ミミズが真夏のアスファルトでのた打ち回って死んだような、ヘタクソな文字が躍っていた。
「・・・ゆ?」
思わず、ゆっくりのような声をあげてしまった。
あまりにも殴り書きであったため、読めない。
表紙くらいマジメに書けばいいものを。
マトモに読めるのは名前と学籍番号くらいなものだ。
「ゆっくり・・・?」
かろうじて読めたのが、ゆっくりという単語。
しかしその後の文字が、本格的に読めない。
日本語とは思えないレベルだ。
「ゆっくりと、・・・ゆ・・・?」
「ゆっくりと、ゆID・・・・?」
三文字の単語らしいが、どうしても読めない。
その三文字の後ろは、比較的簡単に読めたのだが。
「ゆっくり、と、ゆID・・・に関する研究・・・か」
ゆIDというものが何かは良くわからないが、それを単語とみなせば「ゆっくりと『ゆID』に関する研究」と書いてあるのだろう。
「なにを見ているのかな、ちみぃ」
と、男の背後に待ち人である研究員が立っていた。
「おお、いたのか」
振り向き、ついでにノートを手に取る。
この汚い文字の解読をしてもらうためだ。
いくら汚い文字でも、自分の書いた文字くらいは読めるだろう。
「いたとも。いやー、うまい事成功したよ。遂に4つ目、しかも元の種で、だもんなあ!思わず酒でも飲みたいくらい」
「ふーん、なんだか知らんがおめでとさん。ま、丁度良かった。飲みに誘おうと思って来たんだよ」
わーお、と研究員が手を叩く。
男は手にとったノートのことを忘れて、飲みにいく店の説明を始めた。
「ん、じゃあちょっと待っててくれ。実験室から鍵取ってくる」
説明を終えると、研究員は研究室の入り口とは対象の位置にある扉を開けた。
その先が実験室らしい。
「お、ゆっくり霊夢がいる」
男が言う。
都会ではあまりゆっくりの姿を見ることはない。
そのゆっくり霊夢は、透明なケースに入れられていた。
よく見れば、全身がボロボロになっている。
「そりゃいるよ。俺の研究ってこれ使うし」
研究員は実験室に入っていく。
男は実験室の扉の前に立った。
「研究って、何やってんだよ」
研究員は、男を指差した。
正確には、男の持っているノートを指差した。
「それに書いてあるだろ。表紙、表紙。表紙見ろよ」
男はようやく、研究ノートを手に取ったことを思い出す。
そしてあの汚い文字も。
「読めねーよ!こんなチン毛がダンスしてるような字が読めるワケねぇって!」
改めてノートの表紙を見るが、やはり読めない。
「ゆっくりとゆIDの研究、としか解読できない。古代文字かこれは」
「うん、惜しい」
男がガクっと肩を落とす。
そして、実験室を見渡した。
「コンクリ打ちっぱルームは本当にわびしいな。しかもゆっくり、1匹しかいないじゃん。1匹じゃ寂しいだろうに」
研究員が笑う。
「お前、加藤研のトコみたいに自己生殖で同種の子供ぼっこぼこ増やしてやるよかマシだろ。あれ母体が子供生みすぎて死にまくりだし」
「いや、そこまで増やせとは言わんが」
「まあなんだ。コイツ、子供はいるぞ。加藤研の友達に自己生殖のコツを教えてもらったし。別室に子供が5匹ほどいたはず」
そう言って、研究員はいかにしてゆっくり単体で妊娠させるかについて語った。
ローションがどうの、ゆすり方がどうのと。
そして、最後に言う。
「それに、コイツは一人じゃないからな」
「・・・?」
「俺の研究だよ。・・・・ゆっくりは、生まれたときから多種、ようするにれいむ種とかまりさ種の情報を持っているって言われてるだろ」
「あー・・・言われてるんだよ。簡単に言うと同種同士を交尾させるとき、催眠術で受け側のゆっくりに相手はまりさ種って思わせるワケ」
「ふんふん」
「そうすると、自分も交尾相手もれいむ種なのにもかかわらず、完璧なまりさ種の子供ができるんだよ」
「へぇー!そりゃすげえ」
研究員は以前、そんな論文を読んだことがあった。
あれは確か、変なスプレーかなんかでシュシュッと催眠誘導をしていたはずだ。
「でもそれって、実物を見たからまりさ種を再現できたとも言えるわけだろ・・・・まあ、それでも凄いけどさ」
「そうだな」
「だから、今回使ったこのれいむは、10世代以上、れいむ種のみで生活させてきた特別なれいむ」
特別なれいむといい、研究員はれいむの入った透明なケースを軽く叩く。
「多種には会ったことがないってことだな」
「そうそう。んで、催眠術で妊娠させようと思ったんだけど」
「だけど?」
「それだと普通すぎてつまらんし、とっくにやってる人いるからな」
チラリと、男の持つノートに視線を移す研究員。
「だから、その、なんだ『ゆID』にしてやろうと思った」
「・・・だ、か、ら、その『ゆID』ってのは何なんだよ」
男はいい加減に『ゆID』とは何なのか、教えてもらいたかった。
「ま、実際に見たほうが早いんじゃないかな」
透明なケースから、れいむを研究員は取り出した。
れいむはぷるぷると震えている。
「よく見てろ」
研究員がそういうと、れいむに笑顔を向けた。
「やあれいむ。ゆっくりしてるかい」
「ゆ・・・れいむはゆっくりしてるよ・・・」
男には、とてもそうは見えなかった。
体はボロボロだし、なんだか今にも泣きだしそうだ。
「これが本当に最後なんだけど、今日の終わりにまりさともう一回遊びたいんだ」
研究員の言うことに、男は困惑したが
(ああ、このゆっくり霊夢にはゆっくり魔理沙の友達がいるのか)
という風に、解釈した。
すると、研究員はれいむの目を指差している。
「ん?なんだ?」
「これ見てみ」
れいむの目は焦点を失い、右へ左へくるくると動いていた。
そうかと思えば、次の瞬間には体をひねり始める。
それはまるで、腹痛に苦しんでいるような。
「………」
れいむの口がパクパクと動いている。
言葉は出ていない。
その状態が30秒ほど続くと、れいむの目に光が戻り、研究員に視線を移った。
研究員は満面の笑みと共に、言う。
「まりさ、自己紹介をしてごらん」
おわり。
ゆIDは強引すぎるかねえ・・・
最終更新:2022年04月17日 00:08