ゆっくりいじめ小ネタ401 うやむや有象無象

『うやむや有象無象』

 いつも通りの濃いもやが、窓の向こうにあった。
 円筒形に設計された内庭、その天井はもやに覆われていて見えない。吹き抜けになって
いるのか、それとも遙か上方に何かしらの屋根があるのか、わからなかった。自然光とも
人工光ともつかない明かりが送られてくるだけだ。
 底は、泥かよどんだ何かで、丸く静かだった。何もなくただたい積し、埋没していた。
 壁には自分以外の窓もたくさんある。大きさも形もバラバラな窓が、無作為・無機質に、
壁に張り付いている。
 壁の色はもやと同じ白で、そのせいで有るのか無いのか時々わからなくなる。自分と向
かいにある窓との距離はどれだけなのかも未だにわからなかった。
 というより、わかろうとしないだけなのかもしれなかった。それほど労力を使って考え
るようなことであるようにも思えなかった。
 カーテンやブラインドが開かれた窓はいくつもあり、その向こうに人影が見えてはいた
が、別にそれが誰で何をしているかも興味なかった。面白くわかりやすくなければ関わる
必要はない。

 底で何かが動いていた。風なのだろうか。いや、もやは相変わらずねっとりと視界に被
さっている。第一、風など吹いたことはこれまで一度もなかった。そして、風が吹いたと
ころで地面が動くはずがない。動かないものが動いているのだった。
 しかし、誰も気にとめる者はいない。気にしているのかもしれなかったが、気にしない
ふりをしていた。
 それが何であるのか、わかりすぎるくらいわかっているのだ。だが、昔はともかく、今
は放っておきたかった。十分楽しんだのだから、後は無かったことになってほしかった。
だから、動きやむまで待つことが最善だと、みんな考えているのだ。
 動きが大きくなった気がした。本当にそうなったのかもしれないし、やはり気のせいな
のかもしれなかった。まずいのは、意識がそちらに偏ったのが自分だけでないということだ。
 開かれた窓の数が明らかに増えた。人数ははっきりしなかったし、はっきりさせるつも
りもなかったが、ともかく増えた。増えている。
 誰かが無意味な叫びを上げた。みんなそちらに注意をひきつけられ、思い思いの反応を
した。自分もからかいの言葉を投げかけた。そうすることで底のことを忘れようとしていた。
 しかし、地面は盛り上がり、ついにそれは現れてしまった。

 丸かった。被膜のように汚れをまとった大きな半球が、身をよじっていた。
 何かの間違いだろう。気のせいであるに違いない。どう考えても、あれに力が残ってい
るはずがない。いずれ力尽きて、地面に沈むだけだろう。
 今や誰もが息をひそめていた。息をひそめて待っていた。当然の結末を待っていた。
 だが、まったく沈まないのだった。むしろますます動きを大きくしていて、はっきりと
した形を取っていった。そして、汚れをしたたらせながら、完全な球体が地面に乗り出し
てしまった。
 やはり「ゆっくり」だった。薄汚れた白い表面、くしゃくしゃに乱れた頭髪、笑いとも
悲しみともつかない瞳……申し訳程度にボロ切れが頭に乗っているが、髪飾りであること
は疑いない。確かに「ゆっくり」なのだった。
 「ゆっくり」は壁面に頬をすりつけている。やはりぼろぼろと崩れかけている。かさか
さの中身が漏れていた。
 すぐに動かなくなり、底に消えてしまうだろうと思った。全てが枯れ木となったあばら
屋のように、崩れ落ちてしまうと思った。だが、期待に反して、「ゆっくり」はますます
その動きを活発にしていった。鳴き声を上げさえした。
 腹立たしくなってきた。頭が悪すぎる。好き勝手にやらせているのは、こちらの気まぐ
れにすぎないのに。誰もが自分の意思通りのことをしないのは、たまたまであるというの
に。つくづく馬鹿は嫌になる。
 「ゆっくり」はまた鳴いた。大きな口を開けて、ぱくぱくとやった。口の中もやはり枯
れたようになっていた。
 ようやく食べ物をねだっていることに気づいた。「ゆっくり」は涙を浮かべた目で見上
げながら、円筒状の壁に沿ってはいずった。
 声が上がる。「ゆっくり」のではない。窓の向こうの誰かだ。それに対し、相づちの声
が別の窓から上がる。あるいは否定の声だったかもしれない。さらに別の声が上がり、ま
たそれに声が重なった。
 「ゆっくり」についての会話であることは確かだった。それは議論だった。なぜこうな
ったのか、どういうことなのか、どうするべきなのか。思い思いに声を上げているのだった。
 自分もそれに加わった。どこに向かっている会話なのか誰も知らなかったが、それが議
論である以上、ともかく意味はあるはずなのだ。

 「ゆっくり」が言葉を発した。いや、それはやはり鳴き声だったが、人が聞けば意味を
なすものだった。たとえ「ゆっくり」にとっては、食べ物をねだるオウム程度の意味しか
なかったとしても。    
 体の状態からして、ありえないほどの朗らかさだった。あまりにも普通の声だった。
 どうしようもない痛々しさを感じた。「ゆっくり」に、そして自分に。みんながそうだ
ったのだろう、それでせっかくの議論は中断せざるをえなくなった。
 窓から何かが投げつけられた。小さな箱のようだった。箱はこつんと「ゆっくり」の頭
に当たり、目の前に落ちた。
 マッチだった。「ゆっくり」のように薄汚れていた。
 「ゆっくり」はそれでもうれしそうに口に含むと、もぐもぐとやり始めた。草食だから、
木や紙は食べ物になるのだろうか。
 続けて幾つものマッチ箱が投げ入れられた。数は次第に増し、それは紙吹雪のようでも
あったし、石のようでもあった。中には火がついているものさえあった。
 「ゆっくり」は明らかに感謝の気持ちを込めて見上げながら、それらを食べ続けた。
 みんな待っていた。待って、待って、待ち続けていた。いら立ちは、はっきりと殺意に
なっていた。当然だろう、「ゆっくり」は弱者なのだ。

 そして、「ゆっくり」は燃え上がり、灰になった。

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最終更新:2009年03月05日 01:19
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