「お…?」
いつもの調子で扉を開いた俺は、目の前に広がった微妙な光景に思わずおかしな声をあげてしまった。
運動部の気合いの入った掛け声が遠くから聞こえる放課後の文芸部室。
そこでは、ホームルーム終了と共にすごい勢いで教室を飛び出していった団長が、
普段ならおとなしく文庫本でも読んでいるはずの無口宇宙人に見覚えのある魔女の衣装を着せていた。
「あぁ、あんただったの。びっくりさせないでよ」
人の顔を見て、第一声がため息とはなんとも無礼なやつだが…いや、そんなことよりだ。
俺が気になるのはその隣ですました顔をしている魔女っ子だ。
「何を始めるんだ」
薄々感付いてはいるが、どうも聞いてほしそうな顔をしていたので不本意ながら聞いてやる。
すると、ハルヒは待ってましたと言わんばかりに鼻を鳴らし、
「大好評だった自主製作映画の続編を撮るの!」
機嫌の良さそうな輝きをこれでもかと瞳に詰め込んで、長門の肩を叩きながら叫んだ。
大好評だと?
何やら聞き捨てならん修飾語が挟まったような気がしたが、まぁだいたい俺の予想は当たっていたようだ。
授業中、いつになくカリカリ音がすると思ったら、台本でも書いてたんだな。
「それで?主演女優はいないようだが。何を撮るんだ?」
部室を見渡してみるが、前回の主役、未来からやってきた戦うウェイトレス・朝比奈ミクルを演じきった麗しき先輩の姿は見えない。
その代わりと言ってはなんだが、左手に主演俳優が座っている。
「いたのか。今気付いたぜ」
「ふふ、厳しい冗談ですね」
特に普段と変わらない古泉が笑う。
余裕の笑顔をかましているところを見ると、どうやらこいつの出番はないようだ。
となると長門のソロシーンか…?
「どっちかって言うとみくるちゃんメインよ。有希も出すけど」
朝比奈さんは来てないじゃないか。
「今日は掃除当番ですって。多分もうちょっとしないと来ないはずだから…」
ハルヒは言いながら、長門を立たせて、机の上にあったビデオカメラを手に取る。
そして、『超監督』と書かれた腕章を揺らしながら、
「ここに隠れて撮るの!」
何の濁りもないピュアっぽい瞳を輝かせ、隅の掃除用具入れを指差した。
おいおい。
隠し撮りじゃないか。
それってなんの打ち合わせもしてないってことだよな?
そんなんでいいのか?
「バカね。普通のシーンが欲しいのよ。ヒロインの日常みたいな。
それに、“普通”ってのは演じさせるよりありのままを撮るべきなの」
それはそれは。
妙に説得力のあるお言葉だ。
前の映画の出来を見ていなければ、だが。
「あんたと古泉くんで普段通りの雰囲気を作っておくのよ!それでね、
みくるちゃんが油断したところに有希が飛び出していって攻撃するから」
超監督はそう言うと、自分から埃っぽい掃除用具入れにいそいそと入り、長門に向かって手招きする。
「ちょっと狭いけど…。有希はちっこいから余裕よ」
確かに、俺と朝比奈さんでも入れたんだ。
もともとスタイルのいいハルヒと、変な衣装を来ているとはいえ線の細いのは変わらない長門は、
窮屈そうな様子もなくするりと金属製の箱の中に納まった。
「閉めていいわよ。…あ、くれぐれもみくるちゃんにバレちゃダメだからね!」
わかった。善処するよ。
俺は灰色の扉を閉じながら、
昨日、ゴールデンタイムに寝起きドッキリ的な番組が二時間枠で放送されていたことを思い出した。
「こんにちは~」
それから約二十分後。
ようやく今日のハルヒのターゲットとなる憐れな子猫が、急いだ様子で部室に現れた。
いや二十分もよく待ったものだ。
俺たちじゃなくて、掃除用具入れの中の団長が。
どうせすぐ「遅いわ!」とか言って飛び出してくるか、ガタガタと箱の中で騒ぎ出すものだと思っていたから、
この長い待ち時間、部屋がしんと静まっていたのが信じられないぜ。
「あれ?お二人だけですか?」
と不思議そうな顔の朝比奈さんだが、ここは嘘をつかねばなるまい。
「はい。ハルヒも長門もまだみたいで」
「珍しいですね」
小首をかしげながら、鞄を机の上に置く。
「とりあえずお茶いれますね」
こういうときは下手に演技してもどうせハルヒにどやされるだけだから、台詞は必要最小限に抑えるべきなんだろう。
「お願いします」
俺は笑顔で答えて、朝比奈さんに会釈した。
その後、俺は古泉とともに朝比奈さんのお茶を楽しみながら、いつハルヒが飛び出してきてもいいように身構えていたのだが…。
結論から言おう。
ヤツはいっこうに掃除用具入れから出てこなかった。
いったいどれだけ地味な世間話とお茶をすする音を撮り続ける気だろう。
ハルヒが隠れてから既に三十分以上。
いくら映画のためとはいえ、こんなに根気のあるやつだったかな?
「涼宮さん、遅いですね」
制服のままの朝比奈さんの言葉に、俺は古泉に目配せして掃除用具入れをちらと見た。
古泉が肩をすくませ、小声でコンタクトをとろうか、と思った時だった。
キィ…という情けない音とともに灰色の扉が外向きに開く。
もっと勢いよく開くもんだと思っていた俺は拍子抜けしてしまい、
さらにその中の光景を見て…愕然とした。
「有希!いきなさい!」
とか言いつつ、満足そうな笑顔を浮かべているはずだった監督が、
「…」
三角防止の魔女の腕の中で、立ったまま寝息をたてていた。
俺ももちろん驚いた、というより呆れたが、もっと慌てたのは…他でもない。
本来ターゲットだったはずの朝比奈さんだ。
「へ?あれ?なんでそんなとこ…それにその格好…?」
用具箱におそるおそる近付きながら頭の上にハテナを浮かべる。
仕方ない。状況が状況だし、説明してもいいだろ。
「すいません。こいつが映画の続編を撮るとか言い出しまして…。この中から朝比奈さんの様子を撮影してるはずだったんですよ」
「えっ!?」
「でも、この有り様じゃあ何も撮れてないでしょうね」
まさかこの狭い中で立ったまま寝てしまうとはな。
静かだったのも頷けるぜ。
長門もご苦労さんだ。
「…入ってすぐに眠ってしまった」
小さく呟く長門は、寄りかかるハルヒの頭を抱えて大事そうに撫でた。
朝比奈さんを一瞥してから、ハルヒに視線を戻して僅かに目を細める。
なぜか得意気な長門に…これまたなぜかわなわなと体を震わせる朝比奈さん。
俺は二人の間に何か変な空気を感じたが、
「まぁとにかく起こしてやろう。長門も大変だろ」
ハルヒの肩に手を伸ばす。
いつまでもその格好じゃ辛いだろうと思って…気を利かせたつもりだったんだがな。
そんな俺を長門は、衣装と同じく真っ黒い瞳を爬虫類みたいにギロリと動かして睨んだ。
「起こしてはいけない。揺らさないように、今からそちらへ運ぶ」
「いや、でも…」
「大丈夫」
言葉を制された俺は、情けなくもその場に固まってしまった。
誰だってこいつにこんな風に睨まれたら怯むと思うんだが…
「あの、私が持ちます」
今日はなんと、あのいつも弱気な先輩が口を挟んだ。
目を丸く開いたまま少し頬を染め、頑固そうな長門の瞳を見据えて「こちらへ預けて」とばかりに両手を広げる。
「あなたではダメ。支えられない。危ない」
「長門さんだって。そんな格好で安全に出てこられるはずないです。私が涼宮さんを…」
「今から出る。問題ない」
「問題あります」
「ない。彼女の身は私が守る」
なんだなんだ?
数秒の間に行き来した短い言葉のやりとりに、開いた口が塞がらない。
口を挟めない。
意地の張り合い?
ハルヒの取り合い?
ただ、何にせよ朝比奈さんがこんなにも長門に食ってかかるところは見たことがない。
「私の方が…あぅ!」
口ではなく、ついに実力でハルヒを奪いにかかった朝比奈さんの右手を長門が掴む。
「彼女が起きる。…やはりあなたではダメ。意外と乱暴」
早口でまくしたて、一瞬怯んだ朝比奈さんの横を抜けて、するりと掃除用具箱から脱出した。
ハルヒが目を覚ます気配はない。
「どうぞ」
長門は古泉に出された二脚の椅子の片方にハルヒを座らせ、もう片方に腰を下ろすと、自分の肩に頭を預けさせる。
すーすーと寝息を立てるハルヒの手をやんわり握ると、
二人はまるでバランスを失ったフランス人形が寄り添って座っているような風を思わせた。
「長門さんばっかりずるい…」
おっと、これは急展開だ。
先程長門に「意外と乱暴」と評された小さな先輩が、目を潤ませながら二人のもとに駆け寄る。
ハルヒよ。寝てる場合じゃないぞ。
「私も涼宮さんを抱っこしたいです」
「ダメ」
ついに本音の出た朝比奈さんだが、長門はぷいと向こうをむく。
「ちょっとだけですから」
その顔を追って回りこんだ朝比奈さんは、自分の分の椅子を引っ張り出してハルヒの隣にくっついた。
長門は一旦ハルヒの寝顔を見て、朝比奈さんに視線を戻す。
泣き出しそうな瞳をキッと開いて自分を見つめ返す彼女を見て、長門は何を思ったのか…。
「…」
握っていた両手をほどき、ハルヒの左手をリスみたいに震えている目の前の少女に差し出した。
片方だけなら握っててもいいよ、ということなのだろうか。
朝比奈さんにぱぁっと笑顔が戻る。
「長門さん…」
彼女は小さく歓声を上げてうふふと笑うと、細く真っ白な指を腕まで絡めようにして掴んだ。
「起こさないように」
「わかってます」
両腕に美少女二人をくっつけているハルヒは、…びっくりするぐらい熟睡しているわけだが…。
できることならしばらくはこのまま眠っていていただきたい。
…両サイドの二人がお前の寝顔を幸せそうに見つめているもんでな。
最終更新:2009年01月10日 11:29