みんながわたしをどう見ているかなんて、つい最近まで考えたこともなかった。
わたしは栄えあるSOS団の団長で、ということはとても至高の位置に君臨する絶対的指導者であって
誰もがわたしの言うことを聞くのは必然のことであり、確認することもないごく当たり前のことなのだ。
人が、わたしをどう見ているか?
関係ない。わたしは、わたし。それだけのこと。
冬のある日。いつものSOS団の部室の光景には三人ほど足りていない。
わたしが陣取る団長の机の斜め後ろ、窓際に座る有希以外は誰もいない。
キョンもいない。まったくたるんでる。
わたしはマウスをいじり、何か”足し”になる情報が見つからないかとやみくもに操作を繰り返す。
そんな時だった。背後に気配を感じる。
反射的に振り返る。有希がわたしをじっと見下ろしていた。
なんだろう。なにか用があるのだろうか。
でも、とわたしは思う。彼女が自分から、わたしになにかをしようとするなんて、これまでに……
たぶん、なかった。
「これを」
無音の動作で、手に持っていた本を差し出してきた。
「有希……?」
思わず面食らう。意表を突かれた形だった。
わたしの驚きの表情には何も触れず、有希はぽつりとひとこと。
「面白い、と思う」
どういう風の吹き回しだろう。有希の意図がいまひとつ読めない。
じっとわたしを見つめるその瞳に、いつもは感じない不思議な、揺らめきのようなものを感じる。
窓からの光の加減だろうか。違うような気がする。
「これを。わたしに?」
わたしの問いにこくりとうなずく、学校で唯一の文芸部員。
「どうして?」
「この本を読んだことによる情動……訂正。気持ちを、あなたと共有したいと願っている」
ずいぶんおおげさな言い方だと思う。
でもそれが、それが有希の持ち味なんだし、今さら気になるようなことでもない。
それでも違和感はある。いつもの有希ではないように感じる。
わたしはほんの少しの躊躇のあと、あまり深くは考えないことにして、簡単に
「ありがと。時間があったら読んでみるわね」と差し出された本を受け取ろうと手の伸ばした。
その時意識せずに、偶然に触れてしまった有希の指先の感触。
冷たい。ひんやりとした彼女の手。
まるでほんとうに雪のような、でもその先に感じる、言い知れない温かみのようなものは、なんなのだろう。
「…………」
有希がそのままの姿勢で止まっている。
そのせいなのだろうか。なぜかわたしも動けない。
ふたりとも無言のまま。その場に立ち尽くしている。
わたしの視線は彼女の瞳に固定されていた。これも、動かせない。
氷のイメージを感じる。人のものではないような、これまで感じたことのない印象の彼女の瞳に吸いつけられていた。
どれくらいの時間が経ったろう。
わたしたちは互いに向き合い、彼女の差し出した本を中継点として触れ合っていた。
ごく、わずかな、指先と指先の、体温の交換。
そして、彼女の微動だにしない、その瞳。
「……あたたかい」
ぽつりと有希は、ほんとうに注意していなければ聞き取ることのできない声で、そうつぶやいた。
「……あ」
その言葉で、縛り付けられていた意識が開放されたようだった。
反射的にわたしは手を引き戻す。
本が落ちた。
「あ……ごめん」
わたしは急いでかがみこみ、本を拾い上げる。
「はは……手が滑っちゃったわね」
なぜかこの場をごまさなければならない、という変な気持ちがあった。
そう言った後、しゃがんだまま上を見上げると、有希があの不思議な眼差しのまま、再びわたしを見つめている。
そして、唇が小さく開いた。
「怖い?」
「……え?」
突然の言葉にわたしは戸惑う。
怖い? 怖いって、なに?
「人の気持ち、というものは怖いものなの?」
言っている意味がよくわからない。
彼女がこんなに話すことも初めてだった、と思う。
「あなたは今、わたしを恐れている」
怖い……有希が? わたしがそう感じている?
「あなたにとって、わたしは……」
「遅くなりましたぁ」
みくるちゃんの声。はっとしたわたしはドアの方に顔を向ける。
彼女に続き入ってくる、古泉くん、そしてキョンの姿。
「お、どうした。そんなところにしゃがみこんで」
キョンの無遠慮な声が耳朶に響く。
「え……今、本を……」
そう言って、手元に注意を戻して……
本が、ない。
確かに今、拾い上げたと思ったのに。
おかしい。そんなはずは……
周囲に視線を戻す。
有希も、いない。
いや、そこにいたはずの有希が、その場にいない。
今立っていたと思っていたのに。
さらに視線を動かすと、彼女はいつもの窓辺でパイプ椅子に座り、本のページをめくっている。
なにもなかったかのように。
「どうしたんですか?」
可愛い、いつもの上級生の気遣う言葉が聞こえてくる。
「……長門さんが、どうかしたんですか?」
「え……ううん。なんでも……ないの」
彼女はいつものように、まるで周囲には何も存在しないかのように
本を手繰り、視線をわずかに動かしていた。
その姿を見つめながら、人差し指と親指を、軽くこすってみる。
あの不思議な心地よい冷たさが、まだそこには、確かに残っていた。
最終更新:2009年01月10日 11:43