私の存在理由は、涼宮ハルヒを観察し報告すること。
それが私がここにいる理由、それだけが私がいる理由。
今、こうして読書をしている瞬間もそれは変わらない。
私を作った情報統合思念体は、現時点では涼宮ハルヒに急激な変化を求めていない。
だから私もこうして変化の少ない日常を享受している。それだけのこと。
私が本を閉じるとのと同時にSOS団の活動時間を終了することになっている。
涼宮ハルヒと共に、朝比奈みくるの着替えを待ち、帰宅する。
昨日と比較しても目立った変化は見られない。
彼女の精神状態も穏やかであると推測される。
ふと、彼女が足を止めた。
どうやら、駅前に張られたポスターに目を引かれたようだ。
彼女はそれを、数秒だけ見た後、思いついたように朝比奈みくるに話しかけていた。
二人は、好みの映画のジャンルについての会話を行っているようだ。
私には、映画を視聴した経験は無い。
特に興味を持てなかったし、必要なことだとも思わなかったからだ。
「じゃあ有希は?」
だから、私はその問いに答えることができなかった。
それを伝えるために、軽く首をかしげる動作をとる。
「映画よ、映画。どんな映画が好きなのか聞いてるの」
しかし、彼女には伝わらなかったようで、質問が繰り返された。
「ない……正確には、学園祭で製作したものを除けば、私は映画を視聴したことがない」
「それって生まれから一度の映画を見たことないってこと?」
「そう」
そう答えると、彼女は右手を顎に当て、思考する体勢をとった。
私は、私が居住しているマンションの方向へと足を向ける。
昨日と変わらずに、この場所で彼女と別れる、はずだった。
彼女は私の手を取ると、高らかに宣言した。
「今から映画館に行くわよ! こういう初体験は早いほうが良いのよ!」
涼宮ハルヒには突然の思いつきで行動方針を決定する習性がある。
しかし、今回の場合は彼女自身が、映画の視聴を望んでいるわけでないらしい。
先ほどまでの会話状況や心理状態から推測するに、彼女が望んでいるのは
私に映画を視聴させること、だと思われる。
有機生命体の感情を完全に理解できない私は、それ故に日常生活においての情報交換に齟齬が発生することがある。
そして彼女、涼宮ハルヒはそんな私を援助、もしくは保護しようとする傾向が強い。
それ自体に問題はなく、むしろ私にとって好都合である場合が多い。
私という固体も彼女のそんな傾向を好んでいる。
今回の提案もその類であると判断した。
しかし他の3名はそれぞれの理由のため、辞退する形となった。
私だけが涼宮ハルヒに従い、映画館へと向かうことになる。
私には辞退という選択肢はない。
観察のためという理由以上のなにかが、彼女との同行を望んだためである。
そのなにかが、なになのか、今の私に理解できないでいた。
映画館自体から得られる有益な情報は無かった。
文字資料から得ていた情報通りのものであり、新しい発見はない。
比較的興味を引かれた、ポップコーンと呼ばれる食品を観察していると
彼女が購入して、私に持たせてくれた。
私は黙ってそれを受け取る。
彼女はいつも、私に無償で何かを与えてくれる。
それはときに物質的な援助であったり、有益な情報であったり、
今の私には理解できない「なにか」であったりする。
そして、私が対価を払うことを決して認めなかった。
「私が勝手にやってるんだから、有希は気にしなくていいのよ」
彼女は、いつもそうやって私の提案を断っている。
その事実とは反対に、私の中で一つの欲求が生まれてきた。
私が彼女から受け取ったように、彼女に「なにか」を与えたい、というものだ。
しかし、その「なにか」が非物質的なものであること以外は私自身にもわからず
現在もその欲求は満たされないままでいた。
与えられることを望む反面、与えることのできない自分への違和感が日ごとに増すだけだった。
回答は意外な場所で見つかった。
そして、その回答が正解であるのなら、私はまたしてもその機会を涼宮ハルヒに与えられたことになる。
それは彼女と共に視聴した、映画作品の中にあった。
その作品は物語の構造としては非常にシンプルなものである。
二人の男女が出会い、恋に落ちる。様々な障害が二人の交際の邪魔となるが、最終的には結ばれる。
映画自体の視聴経験の無い私だが、今回の作品と類似した物語はいくつか書物で読んだことがあった。
しかし、文字から情景を再構成する必要のある読書とは異なり、ダイレクトに伝わる視覚情報は新鮮で、ユニークだった。
私が回答を見つけたのは、物語の最後の場面、地位を捨てた男性が女性と語りかける場面。
男性は言う。「僕は君のために生まれてきた。君のためならなんだって出来る。君を愛しているからだ」
女性は答える。「嬉しい、私もよ。愛してる」
そして二人が口付けを交わし、物語は終了を告げる。
愛。私には理解し難い有機生命体の感情。
でも、それが「なにか」の正体であると私には理解できた。
この物語の男性が女性にそう感じたように、私も彼女のためなら、あらゆることをしたいと確信できる。
それが愛なら、私の中の「なにか」が愛であることに疑念の余地は無い。
私の欲求は、彼女に愛を与えることだった。
映画館からの帰り、彼女が夕食を作ってくれることになった。
もう、与えられることに違和感は無かった。
今は純粋に彼女の好意を嬉しく思う。
「有希、映画どうだった?」
調理中の彼女が、私に感想を求めてきた。
「ユニーク」
まず率直に感じた言葉を口にする。
「一つだけ、共感できる部分があった」
次に、私が理解したこと。
「あの男性は、一人の女性のために生まれてきた言った」
彼女に伝えたいこと内容、私の気持ち。
「それが?」
「私と同じ」
私は彼女の背後まで移動すると、そのままそっと抱きしめた。
服越しに伝わる彼女の体温が心地よい。
「え、なに?」
「私はあなたのために生まれてきた」
そう言うと、彼女の体温がわずかに上昇する。
この体勢では表情は確認できないのが惜しい。
常時の彼女からは見ることのできない表情であることが推測されるだけに残念だ。
そう思うと同時に、この感情が愛なのかと自己確認する。
「あなたがいなければ私はいない。もしあなたがいなくなれば、私には生きる意味がない」
私が彼女に与えたいという気持ちが愛ならば、私に与えてくれる彼女も同じ気持ちを持っているはず。
彼女も私を愛している、そのはずだ。
しかし、それは推測に過ぎず、確信はできない。
私が彼女に愛を与えようとしても、彼女がそれを受け取るとは限らない。
その思考が自然と彼女を抱きしめる腕の力を緩めた。
彼女が振り返り、私と目が合う。
「これからもあなたのために生きる」
ずっとあなたを愛し続けると、その思いを言葉にする。
それが私の出した答え。私の欲求だった。
私は目を閉じた。
私の思いが彼女に伝わることを信じて。
時間にして3秒後、私の唇が彼女の温度を感じる。
それはあの映画と同じように、愛にあふれた口付けだった。
最終更新:2009年01月25日 13:21