3月。
別れの季節。
それは、あたしにも例外なく訪れた。
「卒業…かぁ…」
半ば咲きの桜を見下ろして、あたし朝比奈みくるは屋上で一人溜息をついた。
あの人に初めて出逢ったこの場所。
一緒に過ごした大切な時間。
この時代では恋愛しないと決めていたあたしの胸をときめかせた、あの瞬間…
全て、ついこの間のような気がして…
過去の想い出に浸っていたあたしを、
ぴろろろ、ぴろろろ
無機質な音が邪魔をした。
発信元は涼宮さん。
何故か高鳴る鼓動を押さえながら、電話に出る。
「はい」
『あ、みくるちゃん? ねぇ、みくるちゃんってば、まだ学校にいたりする?』
「はい、まだいますよ」
『よかった、それなら、部室に来てくれないかしら? あ、何か用事があるなら、別にいいわ』
「大丈夫ですよ、今から行きますね」
『そう? じゃあ、部室で待ってるわね』
電話が切れる。
…何だろう、この感覚は…
今まで彼女にときめくことはあったけど
それとは違う、胸を締め付けられるような感覚…
このまま帰ってしまいたい。
でも、今日を逃したら…
あたしは、なんとも言えない感覚を存分に味わいながら、部室へと走った。
「はぁ…はぁ…っ」
部室のドアの前で呼吸を整える。
心拍数が尋常じゃないのは、走ってきたからだけじゃない。
今ならまだ…戻れる。
でも。
コンコン
あたしはドアを叩いた。
「誰?」
予想以上に鋭い声が飛んできて、思わず身体がびくっとする。
「あ、あのっ、あたしです、朝比奈みくるです」
「みくるちゃん? なら入っていいわよ」
あたしは、心拍数の落ち着かないままドアを開けた。
窓辺に立って外を見ていた涼宮さんが振り返る。
「いらっしゃい…って、何か変ね」
そう言いながら涼宮さんは、あたしの横を通り過ぎてドアの鍵を閉める。
あたしにとって、あまり身体に良くない音。
また身体が小さく跳ねる。
「そっか…」
でも、無意識に呟いた涼宮さんもいつもとはどこか様子が違って。
それから再び窓辺に戻った涼宮さんは、外を見たまま今度はあたしに向けて言った。
「みくるちゃん、今日で卒業するのよね…」
「えっ? あ、はい…」
「最後に着たい服とかある?」
振り返って、苦笑いの涼宮さんの言葉に、あたしは正直に驚いた。
「えっ?! そそそ、そんなっ…」
「ごめん、冗談よ冗談。 そんなにびっくりしなくてもいいじゃない」
「はうぅ~…」
「でも、何か…いろいろ振り回しちゃってごめんね? やっぱりイヤだったわよね…?」
「うーん…最初はやっぱり、辞めたいなって思うこともありました」
「そうよね…」
「でも、あたし、SOS団にいられてよかったって思うんです」
「どうして?」
ちょっと驚いた顔で訊いてくる涼宮さん。
あたしは続けた。
「書道部にいた頃も楽しかったです。でも、それより、SOS団に入ってからの方が楽しくて…書道部にいたら経験できなかっただろうなって事も、たくさんあったし」
「そりゃあ、書道部は野球に参加したり、映画撮影したりしないもんね」
「ですよね」
どちらともなく、微笑が零れる。
そうか、あたしは明日から、この笑顔を見ることは出来ないんだ…
そう思うと、さっきの胸が締め付けられるような感覚にも納得がいく。
なるべく、それを悟られないように、あたしはまた続ける。
「だから、涼宮さんにはホントに感謝してるんです」
「そう…それならいいのよ。みくるちゃんはSOS団に入ってからのこと、後悔してるんじゃないかって思ってたから」
「そんなことないですよぅ」
「まぁいいわ、ま、みくるちゃんも卒業なんだし、SOS団副々団長の誇りを持って、これから先も頑張りなさいよ!」
「はいっ」
誇らしそうな笑顔。
もう、見られないなんて、大好きな彼女の傍にいられなくなるなんて…
「じゃ、そういうことだから、ごめんね、急に呼び出したりして」
「いえ、別に構いませんよ」
「あたしはまだここにいるから、みくるちゃん、先帰っていいわよ」
「そう…ですか? ならあたしは…お先に、失礼しますね」
「うん、卒業おめでとう、みくるちゃん」
「ありがとう、ございます…」
名残惜しいけれど、行かなきゃいけない…
あたしは、ドアを開けて部室を後にした。
「……」
みくるちゃんの帰ったあとの静まりかえった部室。
あたしは、バカの一つ覚えみたいに窓辺に寄って外を眺めた。
無情にも青い空。
今日が雨じゃなくてよかったと思いながら、どうしてもあの笑顔が浮かんできて
「…やっぱり無理だ…」
視界がぼやける。
「…泣かないなんて…出来っこないわよ…」
こらえていた雫が、耐え切れずに零れ落ちて
止まることを知らなくなった。
「…みくるちゃんが…いなく、なっちゃうのに…泣かないなんて…無理…っ」
せめて彼女の前では笑顔でいようと思った。
それが終われば、もう大丈夫だと信じていた。
でも、思い浮かぶのはみくるちゃんと過ごした、これまでの日々と彼女の笑顔。
「みくるちゃん…」
いつまでも一緒にいられると思った。
儚い願いと知りながら、一緒にいたいと願った。
やっぱりそれは、叶わぬ願いで…
また
たいせつなひとが
いなくなる
あたしの傍を離れていく。
これからあたし、どうしたらいい?
そんなこともう、分からないよ…
何もかも投げ出してしまいたいと、思っていたあたしを
温かい何かが包んだ。
「あ…」
分かる。
振り向かなくても、この目で見なくても。
この温もりは、この匂いは
あたしの
大好きな…―――――
「み、くる…ちゃん…っ…?」
「ごめんなさい…涼宮さんの事が心配で…戻ってきちゃいました」
ダメだ、こんなくしゃくしゃな表情は見られたくない。
でも、それに抵抗するように、涙は止まらなくて
「バカ…っ」
「?」
「そんなことされたらさ…別れるの…余計に…辛く…なるじゃない…っ」
止まらない。
むしろこみ上げてきて、
あたしは
自分のプライドそっちのけで
「みくるちゃんの…みくるちゃんのバカっ…うわあぁああぁあぁんっ!」
みくるちゃんの胸を借りて、子供みたいに泣きじゃくった。
その間中、ずっとみくるちゃんはあたしの頭を優しく撫でてくれていた。
「ごめん…みくるちゃん…迷惑…だよね」
あたしは身体を離して、制服の袖で顔を擦る。
「ごめんなさい、涼宮さん…でも、どうしてもう一度涼宮さんに会いたくて…」
みくるちゃんはまたあたしを抱きしめて囁いた。
「あたしのこと…忘れないでくださいね?」
「忘れるわけないでしょ…こんなに大好きなのに…」
治まったと思ってた涙が再び溢れ出す。
「うん…あたしも涼宮さんが大好きです…」
あたしを抱きしめる力が少し強くなる。
「だから…そんなに泣かないで?」
「そんな…無理よ…みくるちゃんがいなくなっちゃうのに…泣かないなんて…無理…」
またあたしは子供に戻る。
「お願いだから…泣くと、もっと辛くなっちゃうでしょう?」
悲しそうなみくるちゃんの声。
そうだ。
辛いのはきっとあたしだけじゃない。
みくるちゃんだって…
辛いけど、我慢してるんだ。
それなら、あたしが泣いてていいはずが無い。
あたしはみくるちゃんに抱きしめられたまま、顔を上げた。
「…ごめん、みくるちゃんの言う通りよね」
「涼宮さん…?」
「あたしが泣いてばっかりじゃ、団長らしくないわよね?」
目が腫れてるのが分かる。
それでもあたしは、ぎこちない笑顔を作って見せた。
「ううん、泣きたい時は泣いた方がいいの…でも…」
みくるちゃんは一旦そこで言葉を切って、間を持たせてから悲しそうな笑顔で続けた。
「でも、今だけは…お願い、笑顔でいてほしいの」
そういったみくるちゃんの切ない表情を湛えた顔が、近づいて
不意打ちにも等しいキスをされた。
最初はびっくりしたけど、この柔らかくて温かい感触も、もう味わえないんだと思うと胸が痛くなった。
最後のキスにしては、短くて軽いキス。
お互いの唇が離れ、再び抱きしめられる。
「…涼宮さん」
「何?」
「また、次に会うときまで…あたしのこと、好きでいてくれますか?」
「もちろんじゃない、時間が経ったからって嫌いになるわけないわよ」
「よかったぁ…」
心底安心したような、和やかな声の後に、あたしたちは身体を離した。
ああ、もう…これが本当に最後なんだな…
でも、笑顔で…それが彼女の願い。
「ごめんね、みくるちゃん、そろそろ帰らないといけないわよね」
「そうですね…」
あたし達は窓の外に目をやる。
「涼宮さんっ!」
突然叫ばれて、身体が跳ねる。
「わっ、何よ急に、びっくりしたじゃない…」
「今まで、いろいろお世話になりましたっ」
「…いいのよ、こちらこそありがとうね。おかげで楽しい時間が過ごせたわ」
「いいえ、あたしは何も…」
「いい? みくるちゃん、SOS団は全員揃ってこそのSOS団なの、何かあったら全員集合、遅刻厳禁、一番最後に来た奴は死刑だから!」
「はいっ」
「…だから、みくるちゃんも、あたしのこと…忘れないでね」
「忘れません…離れてもずっと、涼宮さんはあたしの心の中にいてくれます」
「そう…」
みくるちゃんの言葉に、また涙が出そうになる。
あたしはそれをぐっと堪える。
「それじゃあ、みくるちゃん…」
「そうですね、あたし…もう行きます」
「頑張りなさいよ! みくるちゃんは、なんだかんだ言いながらちゃんとできるんだから」
「ありがとうございます…それじゃあ…さようなら…」
みくるちゃんは、深々と頭を下げて、部室を出て行った。
もうきっと戻ってこない…
本当に、最後の別れ…
やっぱり泣かないなんて、どうしても無理みたいで
あたしは滲んでぼやけた視界で、窓の外の青空を仰ぐ。
無情にも青い空。
だけど
「あたし…ちゃんとここにいるから…みくるちゃんが戻ってきてくれるの…待ってるから…」
みくるちゃんが言った通りに、今だけじゃなく、あたしはこれから先も笑顔でいようと
そう思った。
――――涼宮さんと別れてから、あたしは昇降口に向かう廊下を逃げるように走っていた。
彼女には『笑顔でいてほしい』と言ってきたけど…
そんなの無理。
走りながらも、尚溢れてくる涙を、時々制服の袖で拭いながら
ついに外に出た。
思わず足が止まる。
一つだけ、その花を咲き誇らせている桜の木が、ほかの木よりも離れた所に立っていた。
あたしは、その木に寄って木の幹に手を当てた。
ふとよみがえる想い出。
涼宮さんと過ごした日々と、屈託のない太陽のような笑顔。
あたしは涙が落ちてしまわないようにと木を見上げ、花を眺めた。
その向こうに映る、無情にも青い空。
あたしは見上げながら
「いつかまた、あたしがあなたに出逢うまで…どうか、あなたが笑顔でいられますように…」
そう切に願った。
それがこの春の、あたしと涼宮さんしか知らない、別れの季節の物語。
今回の事象を理に、涼宮ハルヒによる世界改変を懸念し、我々情報統合思念体は何時にも増して入念な監視活動を行った。
結果的に、涼宮ハルヒによる世界改変は行われなかったが、これは類に見ない特例。
それを受け、我々情報統合思念体は、さらなる監視活動を続けることを明確とした。
-YUKI.N-
最終更新:2009年01月25日 13:58