大航海時代Online Z鯖ヴェネツィア内検索 / 「2006年05月23日」で検索した結果

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  • 国勢/2006年05月23日
    国勢/2006年05月23日/ドゥアラで英連合と西連合激突、引き分けに #blognavi
  • 国勢/2006年05月23日/ドゥアラで英連合と西連合激突、引き分けに
    ...rackback- 2006年05月23日 00 50 51 #blognavi
  • 国勢/2006年06月23日
    国勢/2006年06月23日/英連合、カーボヴェルデで葡と激突 #blognavi
  • 国勢/カテゴリ/大海戦
    ...ェルデで葡と激突 (2006年05月23日)  ドゥアラで英連合と西連合激突、引き分けに (2006年04月18日)  新たな国際港の混乱を機に、西、モンバサ侵攻 (2006年03月28日)  イスパニア連合軍、ポルトガル連合軍に敗れる (2006年03月24日)  攻略港操作?ジェノヴァ事件ととも海戦へ (2006年02月07日)  英、ヤッファ侵攻するも撤退 (2006年01月10日)  イスパニア連合軍、アテネ進攻 (2005年12月12日)  葡、カーボヴェルデ進攻し英敗退 (2005年11月21日)  イングランド・ヴェネツィア連合軍敗退 (2005年11月16日)  英、カイロへ (2005年1...
  • 国勢/2006年05月18日
    国勢/2006年05月18日/葡包囲網、大海戦投資工作まで発生 #blognavi
  • 国勢/2006年06月23日/英連合、カーボヴェルデで葡と激突
    #blognavi ■18日・カーボヴェルデ 14日夕方、ポルトガル王国のブラガンサ公爵は、西アフリカ地方ヴェルデ諸島を軍事攻撃すると公表し、同盟国ネーデルランド共和国海軍を伴って、海軍を南に向けて進発させた。 ヴェルデ諸島を勢力下に置くイングランド王国は事前にこの動きを察知し、ヴェネツィア共和国に援軍を要請、カーボヴェルデで合流し、アルギンで補給をしていたポルトガル連合軍と対峙、そのまま軍事衝突に発展した。なお、フランス王国は今回これに呼応せず、初めての静観となった。 海戦開始直後から、数で勝るイングランド連合軍は、そのまま正面からポルトガル連合軍をアルギン前まで押し込み、ポルトガル連合軍は主力が戦線維持にあたる一方で、少数編隊を多数編成して広い海域に散開させ、艦隊錬度の低い哨戒にあたっていたイングランド後方部隊を奇襲し各個撃破という戦法をとった。 結果として、イングラ...
  • 国勢/2006年02月24日
    国勢/2006年02月24日/新たに9つの港が国際港に #blognavi
  • 国勢/2006年07月24日
    国勢/2006年07月24日/東地中海が安全海域化へ? #blognavi
  • 国勢/2006年03月24日
    国勢/2006年03月24日/攻略港操作?ジェノヴァ事件ととも海戦へ #blognavi
  • 国勢/2006年03月28日
    国勢/2006年03月28日/イスパニア連合軍、ポルトガル連合軍に敗れる #blognavi
  • 国勢/カテゴリ/投資戦
    (2006年07月04日)  ヴェネツィア共和国、アテネを同盟港化 (2006年05月18日)  葡包囲網、大海戦投資工作まで発生 (2006年02月24日)  新たに9つの港が国際港に (2006年02月07日)  工作や思惑が飛び交う?大海戦の次は大投資戦 (2006年02月01日)  工作?ネタ?ヤッファ狂想曲 (2005年10月17日)  ヴェネツィア共和国、サロニカ奪取 (2005年09月27日)  混迷する情勢(3) 仏、ジャマイカ封鎖 (2005年09月14日)  混迷する情勢(2) 仏、ベイルートへ (2005年09月12日)  混迷する情勢 葡仏が攻勢にまわる (2005年08月26日)&nbs...
  • 国勢/2006年02月07日
    国勢/2006年02月07日/工作や思惑が飛び交う?大海戦の次は大投資戦 国勢/2006年02月07日/英、ヤッファ侵攻するも撤退 #blognavi
  • 国勢/2006年06月04日
    国勢/2006年06月04日/オスマン帝国、ロードス島へ進攻 #blognavi
  • 国勢/2006年05月18日/葡包囲網、大海戦投資工作まで発生
    #blognavi ★17日・ヴェネツィア ■フランス私掠艦隊とポルトガルの投資家が起こしたマリンディの騒動から1ヶ月、両国の関係は急速に悪化しつつあったが、そこへイスパニアが近づくのは必然であったのか。14日から15日にかけ、イスパニアをはじめとして、イングランド、フランス、ヴェネツィアの4カ国が、世界各地のポルトガルの同盟港への投資攻勢を行った。 イスパニアはモロッコ西岸のカサブランカ、西アフリカのカーボヴェルデ、シエラレオネ、アビジャン、サンジョルジュ、イングランドは東アフリカのキルワ、インド西岸のディヴ、フランスは西アフリカのベニン、東アフリカのマリンディと、攻撃は広範囲へ渡った。ヴェネツィアも参加はしたものの、国を挙げた参加ではなく、ごく一部の投資家が東地中海シリア地方のヤッファの再奪取を試みるに留まった。勿論ポルトガルも黙ってはおらず、奪還投資を開始、サンジョルジュ、マリ...
  • 国勢/2006年01月10日
    国勢/2006年01月10日/イスパニア連合軍、アテネ進攻 #blognavi
  • 国勢/2006年09月09日
    国勢/2006年09月09日/新大陸入港許可の配布開始 #blognavi
  • 国勢/2006年09月01日
    国勢/2006年09月01日/各国が新大陸へ進出開始 #blognavi
  • 国勢/2006年07月31日
    国勢/2006年07月31日/第2次ドゥアラ海戦 西連合が葡連合を下す #blognavi
  • 国勢/2006年02月01日
    国勢/2006年02月01日/工作?ネタ?ヤッファ狂想曲 #blognavi
  • 国勢/2006年07月04日
    国勢/2006年07月04日/ヴェネツィア共和国、アテネを同盟港化 #blognavi
  • 国勢/2006年04月18日
    国勢/2006年04月18日/新たな国際港の混乱を機に、西、モンバサ侵攻 #blognavi
  • 国勢/2006年06月04日/オスマン帝国、ロードス島へ進攻
    #blognavi ■3日・カンディア かねてからトルコ・ヴェネツィア船に対しての海賊行為が問題視されていた聖ヨハネ騎士団(ロードス騎士団)に対し、遂にトルコが強硬手段に出た。 カンディア北東、聖ヨハネ騎士団が治めるロードス島へ、5月24日から6月3日までの間、3度に渡ってオスマントルコの大艦隊が東地中海になだれ込み、軍事攻撃を行った。 これに対し、ヨハネ騎士団はローマ教皇及び西欧各国に援軍を要請し、各国は義勇兵を送ることを約束、これを機動戦力として対抗し、犠牲を出しながらも、撃退に成功した模様である。 なお、ヴェネツィア共和国は要請に対し、オスマントルコと軍事的対立を防ぐ点、また少数とはいえヨハネ騎士団がヴェネツィア船籍の交易船を襲った前歴があり、表立った協力はせずに中立の立場をとるという公式談話を発表した。 しかし、ロードスがオスマントルコの手に落ちると、エーゲ海近...
  • 国勢/2006年03月24日/攻略港操作?ジェノヴァ事件ととも海戦へ
    #blognavi ■23日・ジェノヴァ ポルトガル王国が軍事攻撃準備の動きを見せ始めてから一週間- 目標は恐らくジェノヴァであろう、と多くの国が予想し、現在ジェノヴァ共和国の同盟国であるイスパニア王国は、それを迎え撃つための軍艦の建造と大砲の準備を進めていた。ヴェネツィア共和国もイスパニアに同調の意思を表明し、艦隊の派遣を約束した。 イスパニアからの独立を目指すネーデルランド共和国は勿論のこと、今回は舞台が西地中海であるため、西地中海利権でイスパニアと対立しているフランス王国もポルトガル側につくことを表明した。 このように役者は揃いつつあった時に、事件が起きた。22日昼ごろ、数名のポルトガルの投資家数名が、多額の投資金とともにジェノヴァのジャーノ・フレゴーゾ氏に圧力をかけ、ポルトガルへの同盟へ変更するように詰め寄った。結果、その投資金により、ジェノヴァはポルトガルの同盟...
  • 国勢/2006年02月07日/英、ヤッファ侵攻するも撤退
    #blognavi ■5日・ヤッファ 3日夜、イングランド王国海軍とネーデルランド共和国軍は、投資戦の熱が冷めやらぬヤッファを目指しアテネを出港した。ポルトガル王国海軍・フランス王国海軍の連合軍は、この情報を早い段階で把握していた模様で、ポルトガル連合軍は大艦隊をエーゲ海に布陣、両軍は激突した。 戦いは小型船同士の戦いから大型船の戦いに至るまで、数に勝るポルトガル連合軍が有利に進めた。5日夜の小型船同士の海戦では、ポルトガル側の伸びきった戦列をイングランドが分断し、劣勢だったイングランドが戦術的勝利を収めたものの、時間とともに中大型船が戦線に投入されると反対に押しかえされ、結局大きく傾いていた戦局を覆すには至らなかった。 しかし、敗退はしたものの、それまでが大敗続きであったイングランドにとって、不利を承知で連携したネーデルランドの存在と、1度でも戦術的勝利を収めたという戦績は、荒...
  • 国勢/2006年07月24日/東地中海が安全海域化へ?
    #blognavi 最近、東地中海ではアテネの暫定同盟化など徐々に共和国の影響力が拡大しており。香辛料貿易ではポルトガルの後塵を廃したものの、この東地中海の影響拡大が功を奏し、ヴェネツィアのリアルト市場は好景気に沸いている。 そんな中、市場では妙な噂が流れているようだ。東地中海が情勢安定に伴い安全な海域になる、というのだ。 今まで、東地中海はオスマントルコの横暴もさることながら、監視が緩いことをいいことに各国の海賊が暴れ、商船や学術調査隊を乗せた船から多くの被害報告が寄せられており、情勢が安定しつつあってもこれらの海賊が洋上治安の悪化を招いていた。これが安全となるのならば、ヴェネツィアの商船はもとより歴史遺物などの学術調査なども行いやすくなり、その経済・文化への促進度は計り知れない。 リアルト市場の噂の発端は、ヴェネツィアに限らず各国の航海者が情報源にしているクワルト...
  • 国勢/2006年02月24日/新たに9つの港が国際港に
    #blognavi ■24日・ベンガジ 22日夕方、各国の大使級の協議にて、新たに9つの港を地域港から国際交易港に格上げ、また南米をはじめとした海域の集落11港を補給用途限定で開放することで合意、調印が行われた。新たな国際港は地中海・黒海からアフリカ・ペルシャまでわたり、早速各国から投資による利権確保が行われ、その中でヴェネツィア共和国はイオニア海の北アフリカ沿岸、ベンガジと黒海地方沿岸のオデッサの同盟港化に成功した。 ベンガジは古代ギリシア時代からある街で、住民の殆どはイスラム教徒である。主要産業は農牧畜で、主な交易品はオリーブ、羊毛、燃える水、またエジプトの隣だけあり、没薬なども輸出されている。ヴェネツィアの織物や工芸品は珍重されるようで、アドリア近海よりなるべく高値で買いたい、と交易所店主も交易船誘致に意欲的なようだ。 しかし、ベンガジはフランス王国も利権確保に動いている...
  • 国勢/2006年09月09日/新大陸入港許可の配布開始
    #blognavi ■9日・ヴェネツィア 8日夜、ヴェネツィア共和国元首公邸のモチェニーゴ官房長官は、新大陸のカラカス港及び、付近の港の入港許可を条件付で一般航海者に配布を始めることを発表した。入港許可の配布開始は大国3国、ネーデルランドに続き5番目。 配布条件は「新大陸開拓支援任務をこなした功労者」とされ、現在は先行配布として1回の任務達成で配布されているようだが、他国の進出などで情勢の悪化も予想されるため、活動する航海者を精鋭化する為に、近く「数度の達成」と条件が変えられえる見込みだ。 開港したカラカス港は、大型船停泊用の港湾設備は整ったものの、交易所はカヴェの材料であるコーヒー豆のみを扱い、酒場や銀行などの一般的な商業施設も未整備と、些か寂しい状況だ。現地の開拓団メンバーによると「あらゆる人・モノ・金が足りない」とのことで、一般航海者も様々な面で支援や資本投下が必要な...
  • 国勢/2006年03月28日/イスパニア連合軍、ポルトガル連合軍に敗れる
    #blognavi ■27日・ジェノヴァ ジェノヴァ直前投資事件から2日、その衝撃の余韻を残したまま、24日夜、ポルトガル・フランス・ネーデルランド連合軍はジェノヴァに向けてマルセイユから進発した。リグリア海のジェノヴァ沖にイスパニア・ヴェネツィア連合軍は布陣し両軍は対峙、戦いの火蓋が切って落とされた。 攻撃側のポルトガル連合軍は参加艦艇約200隻、守備側のイスパニア連合軍は参加艦艇約150隻であった。戦いはフランス・ネーデルランドの傭兵艦隊を味方につけたポルトガル連合軍が圧倒的有利に進め、数の上で劣勢だったイスパニア連合軍は正面決戦を挑んだものの、初日の戦いでは数に押し負けてしまい、ジェノヴァ寸前にまで押し込まれてしまう。 2日目になり、イスパニア側は艦隊を迂回させモンペリエ方面へ展開するが、一部突出した艦隊が戦果を上げても後方の艦隊がそれ以上の被害を受け、結果として戦線...
  • 国勢/カテゴリ/時事
    (2006年11月01日)  レパントでトルコ軍とキリスト神聖同盟軍が衝突 (2006年09月09日)  新大陸入港許可の配布開始 (2006年09月01日)  各国が新大陸へ進出開始 (2006年07月24日)  東地中海が安全海域化へ? (2006年06月04日)  オスマン帝国、ロードス島へ進攻
  • 国勢/2006年07月04日/ヴェネツィア共和国、アテネを同盟港化
    #blognavi ■4日・アテネ 3日午後、ヴェネツィア共和国元首公邸のモチェニーゴ官房長官は、エーゲ海の大都市アテネがヴェネツィア同盟港になったと発表を行った。ヴェネツィアの拠点型大規模港の獲得は今回が初めてとなる。 官房長官によると、1日夕方にヴェネツィアの投資家が大規模な投資を行い、一時僅差でヴェネツィアの旗がはためくものの、僅差故かイングランドからも奪還の投資が入り、アテネの港に掲げられる旗は二転三転する。が、アテネ交渉代理人であるフィリップ・ヴィリエール・ド・リラダン氏とヴェネツィア投資家が粘り強い交渉を行い、その結果、3日午前にアテネ港は暫定的にヴェネツィア共和国の同盟とする、との布告とともに、アテネ港の交易品のヴェネツィア人関税撤廃措置及びその他の国への関税の再設定が行われた模様だ。 アテネは共和国海軍基地カンディアの北西にある大規模港で、周辺には古代...
  • 国勢/2006年01月10日/イスパニア連合軍、アテネ進攻
    #blognavi ■9日・アテネ 葡同盟のシエラレオネか、英同盟のアテネか。進攻先を巡って激しく揉めた末、5日夕刻、イスパニア王国のタベラ枢機卿はアテネ進攻の決断を下し、艦隊の展開を進めた。 ヴェネツィア共和国もこれに呼応し、海軍基地カンディアの拠点提供と海軍派遣を行った。フランス王国も今回の連盟に参加し、7日夜、3ヶ国連合軍とイングランド王国軍はエーゲ海にて激突した。 数の差は圧倒的に連合軍が多く、イングランド王国軍も度重なる海戦で錬度は上がってるものの、数的建て直しが未だ達成されておらず、戦闘は終始連合軍の有利のまま終結した。 この戦いの結果、一時はイングランドのアテネ影響度は20%にまで落ち込み、ヴェネツィア21%、イスパニア17%まで影響度が変動したものの、この海戦の影響がなかったポルトガルの影響度が1位となって同盟国がポルトガルとなってしまうという、おか...
  • 国勢/2006年10月11日
    国勢/2006年10月11日/英連盟、カイロ沖海戦勝利も占領には至らず #blognavi
  • 国勢/2006年11月01日
    国勢/2006年11月01日/レパントでトルコ軍とキリスト神聖同盟軍が衝突 #blognavi
  • 国勢/2006年07月31日/第2次ドゥアラ海戦 西連合が葡連合を下す
    #blognavi ■30日・ドゥアラ 26日夕刻、イスパニア王国のタベラ枢機卿は、西アフリカギニア湾沿岸のドゥアラを軍事攻撃するべく艦隊を編成し出発させたとの発表を行った。また、イスパニアはヴェネツィア共和国とフランス王国に援軍を要請、両国とも要請を受諾し、外洋艦隊を進発させた。 28日にイスパニア連合はヴェネツィア・フランス両国の艦隊とベニンで合流、ドゥアラ近海に防衛線を張ったポルトガル・ネーデルランド連合軍と激突した。 参加艦艇は、イスパニア連合軍が約250隻(うちヴェネツィア籍約60隻)、ポルトガル連合軍が約140隻と大幅な戦力差があり、ポルトガル側は艦隊を散開させてゲリラ戦術を取るものの、イスパニア連合側がその数を生かし、同様に散開させて消耗戦に持ち込むなどの戦術を取ると、その戦線は崩壊。イスパニア側が圧倒的に有利な状況が終始続き、30日のドゥアラ前の正面大型艦隊戦でも...
  • 国勢/2006年09月01日/各国が新大陸へ進出開始
    #blognavi ■31日・ヴェネツィア クリストバル・コロン提督が発見したインディアスの地は、実はインドではなく、未知の大陸であった-フィレンツェのアメリゴ・ヴェスプッチ氏による「新大陸」の刊行から、各国の学者による検証と探検航海の末、「どうやらその説が正しいらしい」と踏んだ西欧各国は新大陸への進出を始めたようだ。 ヴェネツィア共和国も地中海内の国家でありながらその例には漏れず、去る3ヶ月前にオルセオロ補佐官の提案により、十人委員会にて新大陸への進出が可決されていた模様である。これに動きがあったのか、30日には「世界を行き来しているヴェネツィア市民の熟練航海者は新大陸進出へ協力すべし」との元首公邸からの勅命令が出された。 取材に対し、元首公邸ドゥカーレ宮のモチェニーゴ官房長官は「出遅れたのは事実であるが、決議が可決されたのと同時、数ヶ月前に既に調査開拓の先遣...
  • 国勢/2006年02月01日/工作?ネタ?ヤッファ狂想曲
    #blognavi ■1月31日・ヤッファ イングランド王国が攻撃国となる大海戦を目前に、その第一候補港であったヤッファが、ある商会の投資攻勢によりなんとヴェネツィア同盟港となる珍事が31日夜、起こった。 ことの始まりは、イングランド王国がヤッファへの軍事攻撃を計画中の報がヴェネツィアに入ったことから始まる。 ヤッファは一時期、ヴェネツィアがポルトガルから同盟権を奪取し、その後ポルトガルに奪還されたものの、ヴェネツィアもそれなりの影響度を保ち、現状のパワーバランスを保っていた港である。 この港をイングランドが攻撃するということは、ポルトガルと連盟を組むわけにはいかないヴェネツィアにとって、大きな問題になった。イングランドに連盟した場合は、最近のイングランド海軍の戦歴を見る限りでは負ける公算が高いため、影響度を失うことになる。連盟しなかった場合でも、そこで投資戦が起こった場...
  • 国勢/2006年02月07日/工作や思惑が飛び交う?大海戦の次は大投資戦
    #blognavi ■6日・ヴェネツィア 元首公邸であるドゥカーレ宮が突然慌しくなっているようだ。 ドゥカーレ宮を書簡を携えた人、元老院議員などがひっきりなしに出入りする様子は多く市民に目撃されており、とある筋での情報では、連日十人委員会の間では激しい論議が行われている、との話である。原因は突然激化した各国の投資戦の正確な情報把握と対処であるらしい。 大海戦直前のヤッファの投資は言うまでもなく、更には5日まで行われていた大海戦の最中、フランスの同盟港であるベイルートに連盟主であるはずのポルトガルの大規模投資が行われ、また、大海戦終了後にはキプロス島のヴェネツィア同盟港ファマガスタにポルトガルの投資攻勢が行われた。 ファマガスタの投資に関しては、ある意味ヤッファ投資戦の意趣返しともとれる投資であったが、ヴェネツィアの基地でもある港への攻勢は、ヴェネツィア一般投資家の反撃によ...
  • 国勢/2006年04月18日/新たな国際港の混乱を機に、西、モンバサ侵攻
    #blognavi ■17日・マリンディ 12日夕方、各国の大使級協議で決まった、新たな地方港の国際港へ格上げが行われ、各国が影響力の争奪に向かった。新たに開港(括弧は最初に獲得獲得した国)した港は北海方面がウィスビー(英)、ブレーメン(蘭)、西アフリカ方面がベニン(葡)、ドゥアラ(葡)、アラビア方面がセイラ(葡)、ジョファール(仏)、ヴェネツィア共和国は黒海方面のセヴァストポリを獲得した。 ほか、開港した港は東アフリカのマリンディがある。しかし、この港がヨーロッパの火薬港となることを誰が予想しただろうか。 マリンディは開港当初はポルトガルが獲得したが、直後にフランスの私掠艦隊が占拠し、同盟はフランスに変わった。ここでポルトガルとフランスで、互いの暴言や私掠行為が発端となる揉め事が起こり、両国の交渉が決裂、付近海域は互いに封鎖しあい港の奪い合いとなる武力衝突が起きた模様だ。...
  • 国勢/2005年08月26日
    国勢/2005年08月26日/ヤッファ奪取、投資戦勃発 国勢/2005年08月26日/★大海戦★ポルトガルの攻撃 投票始まる #blognavi
  • 国勢/2005年09月27日
    国勢/2005年09月27日/混迷する情勢(3) 仏、ジャマイカ封鎖 #blognavi
  • 国勢/2006年10月11日/英連盟、カイロ沖海戦勝利も占領には至らず
    #blognavi 6日午後、イングランド王国のサセックス伯爵は英海軍によるエジプト・ナイル川沿いのカイロ港の攻撃を宣言、艦隊を東地中海に差し向けた。ヴェネツィア共和国は先立つ4日に軍事協力条約を調印しており、海軍基地カンディアの寄航・補給・ドッグの提供と本国の艦隊による援軍を派遣した。 ポルトガル王国は防衛に際しネーデルランド共和国の連盟引き入れに成功し、双方の参加陣営が確定、多数の艦艇が東地中海に集結した。 参加艦艇はイングランド約180隻、ヴェネツィア籍約60隻、対するポルトガルは約90隻、ネーデルランドも60隻弱とイングランド連合軍がポルトガルの2倍近い戦力である。 当初、イングランド・ヴェネツィア連合軍の司令部では、ポルトガル連合軍は、動きのとり辛いナイル川の展開を避け、ヤッファ近辺に展開するだろうと目されていた。が、蓋を開けてみると、ポルトガル側は命令伝達に混乱...
  • 国勢/2005年10月24日/イスパニア連合軍のカサブランカ侵攻、決着着かず
    #blognavi ■23日・カサブランカ イスパニア王国、フランス王国、ヴェネツィア共和国の三カ国連盟は、当初の計画通りイベリア半島南西端のファロから出撃、21日夜よりカサブランカにて待ち構えていたポルトガル王国・ネーデルランド共和国連合軍と衝突した。開戦時の正確な戦力は不明だが、イスパニア連合軍は約140隻、ポルトガル連合軍は約90隻程度の艦船が確認された。ヴェネツィア海軍も少数ながら、精鋭と言える艦隊が参戦した。 戦闘は1,2日目は、数的には少ないものの補給面で有利なポルトガル連合軍が優位に立ち、3日目にはイスパニア連合軍が数で一気に盛り返すものの、序中盤の劣勢を覆すまでには至らず、結果は双方の被害が全くの同一数、完全な引き分けとなった。これによるカサブランカへの各国の影響度は変わらなかった。 海戦中は激戦の最中、双方の主力をなすイスパニアとポルトガル間で...
  • 国勢/2005年08月26日/ヤッファ奪取、投資戦勃発
    #blognavi ■ヤッファ・26日 26日朝、シリア地方のヤッファ政府は、ヴェネツィアからの投資を受け、同盟国をヴェネツィアとすると発表を行った。 以前まで長期間に渡ってポルトガル同盟港だったこと、またヴェネツィアからの投資金はたった一人の資金によるものと判明し、喜怒は180度違えど、両国の国民に衝撃が走った。 ポルトガルはヤッファ奪還の構えを見せており、投資戦勃発は避けられない模様である。 カテゴリ [投資戦] - trackback- 2005年08月26日 20 35 17 #blognavi
  • 国勢/2006年11月01日/レパントでトルコ軍とキリスト神聖同盟軍が衝突
    #blognavi トルコ帝国スルタンの親書は西欧に衝撃を与え、そして大規模軍事衝突に発展した。 16日、その親書の内容が政府から公表され、その内容にヴェネツィア市民は恐怖を感じつつも、怒りの気持ちを禁じえなかった。 ヴェネツィアが支配しているファマガスタ、ラグーザの割譲を初めとして、アレクサンドリアからもたらされる香辛料などの交易品の関税大幅引き上げなど、極めて高圧的かつ理不尽な要求である。世論と国益に対して、ヴェネツィアの十人委員会は、事実上トルコの宣戦布告とみなし、オルセオロ補佐官をローマに派遣、教皇及び各国の王に西欧の危機を説き、同盟軍結成の工作を行った。 各国とも内政問題を抱え、派遣を渋るものと思われたが、補佐官と大使の説得が功を奏し、熱烈なカトリックであるイスパニアのカルロス王の取り込みに成功し、イングランド、ポルトガルを初めとした各国も大規模ではないもの...
  • 国勢/2005年10月20日
    国勢/2005年10月20日/イスパニア、カサブランカへ ヴェネツィアも援軍派遣 #blognavi
  • 国勢/2005年09月12日
    国勢/2005年09月12日/混迷する情勢 葡仏が攻勢にまわる #blognavi
  • 国勢/2005年09月14日
    国勢/2005年09月14日/混迷する情勢(2) 仏、ベイルートへ #blognavi
  • 国勢/2005年08月31日
    国勢/2005年08月31日/★大海戦★ポルトガル動かず 全鯖初の 静観 へ #blognavi
  • 国勢/2005年08月26日/★大海戦★ポルトガルの攻撃 投票始まる
    #blognavi ■リスボン・8月25日 ポルトガル王国の首都リスボンでは、王宮に訪れる国内の航海者から、ブラガンサ公爵が、軍事力で港を攻め落とすには何処の港がよいかと質問する光景がしばしば見られるという。 これはイングランド・イスパニアから奪われてきた同盟港の奪還を軍事力を以って行うと示唆しているものと思われる。 なお、現状では候補に挙がっているのは次の港の模様。 ザンジバル(イングランド) マスカット(イングランド) マスリパタム(イスパニア) カルヴィ(イスパニア) ケープ(イスパニア) しかし、度重なる投資戦と大海戦でポルトガル国民は疲弊している模様で、多くの航海者は「今は動くべきではない」と漏らしているという。 カテゴリ [大海戦] - trackback- 2005年08月26日 00 55 58 #...
  • 国勢/2005年10月24日
    国勢/2005年10月24日/イスパニア連合軍のカサブランカ侵攻、決着着かず #blognavi
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