母との関係

2008-01-21 21:44:54 | その他

私は去年までPTSDの真っ只中にいた。

それはとても辛い毎日だった。

 

キチザは「よくなってる!」と言って、自分たちに感謝を要求した。

私が悪化していることを、絶対に認めなった。

それがとても悲しかった。

・・・・・だって、私の言うことを信じてくれないのだから。

私が・・・・本人が、「辛いと言っているのに、頑なに認めなかった。

 

そして、とうとう私は治療院から一歩も出られなくなった。

それは典型的な不安障害の悪化の症状だった。

 

ある晩、やっぱり認めてくれなくて、私はオラオララッシュした。

「ど~して、わかんないの~~~

 うわわわわ~~~~ん。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。」

とうとう入院することに。

 

入院中、担当医と話した。

行動範囲がどんどん狭くなってしまうのは、典型的な悪化の症状だと言っていた。

やはり。

 

退院後。

それでも、キチザは認めない。

「でも、よくなった(←入院前のこと)」

「感謝しろ」

「話を聞く必要もない」ときた。

 

ああ・・・・・脱線。

 

それとなくわかってはいたけど、・・・・・入院中確信したけど・・・・・。

私のPTSDは、事件そのもののせいばかりではない。

モラハラのせいもあるのだ。

いや、こちらが根本かも・・・と。

 

モラハラから身体は脱出できても、心はなかなか脱出できなかった

あんな悲惨な目に会ったのに、モラ僧正とはしばらくメールや電話をしていた。

話し相手だった。

どう考えてもおかしい。

「あんなヤツと二度と話したくない」・・・・・そう思うのが普通なのに。

 

でも、今は、やっと怒れるようになった。

そう、まえは怒ることさえできなかった。

そんなあたりまえの感情も失っていたのだ。

 

キチザとのことも。

断ち切る決心ができた。

怒っていいのだと。

逃げていいのだと。

 

けれども・・・・・離婚が決まって実家にいる今、

また父母の顔色を伺っている自分に気づいた。

 

そう、私は、この家を出たいといつも思っていた。

だから、この家を出たい一心で結婚に踏み切った。

その時の私は、そうするしかなかった。

 

で、家へ帰ってきて、やっぱり「辛いな」と思っている。

結婚生活で疲れきっている私。

また、磨り減っていくのだろうか?

 

家に帰ってくるんじゃなかった。

後悔し始めている。

今、離婚してよかったのだろうか?

(いや、あれでは離婚するしかなかったのだが)

私には抱きしめてくれる人が必要だ・・・・・。

 

PTSDが治ったと思ったのに・・・・今度は・・・・・。

暗澹たる気持ちになったとき・・・・・。

 

 

「娘をいらいらさせるおせっかいな母親たち」を読んで思った。

私は、すでに母親との関係で失敗していたんだ。

基本で躓いているから、自尊心が低すぎた。

だから、その後も躓き続けたのだ。

 

母との関係の失敗を認めたことで、なんか楽になった。

この本をもう少し読もう。

気持ちが落ち着いてきた。

最終更新:2010年07月08日 22:09
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