偏屈王シャルラーン
「偏屈王」を冠される王は多い、しかしその多い中でも「偏屈王」と言えば
サガト王国初期に登場したシャルラーンを思い出す者は多いだろう。
しかし、彼が本当に「偏屈」であったのかと問われれば、現代の感覚で言えば否と言えよう。
あくまでも時代の視線での偏屈であり、現代から見れば慎重で在り過ぎ、人の意見を鵜呑みにせずに己で考える王であった。
王とは頷くか、拒否する者であった時代、彼は全てを受け止めその全てに意見を述べ、質問を繰り返し、調査をさせた為に名誉ならぬ名前を冠されてしまった。
彼は死ぬまでこのスタンスを変えず、老いても呆ける事も無く
サガト王国が大きく成る布石を作った王でもある。
最終更新:2012年09月06日 00:46