#blognavi
珍しく予定していた通りに進める今回の日記です。
早速本題から入ります。
えー、代理母出産に対する政治的意見ですがwikiで要約されていることを抜き出しますと。
「妊娠・出産に対するリスクの問題を軽視していること等をその理由としている」
だそうです。
まぁ確かに、妊産婦死亡率で見るなら出生10万件で7.8%(約7800件)だそうなのでリスクが高いっちゃ高いです。
確かに、高いんだけど……産めない人間はさてどうするってことなんですよね。
産めない人たちって、その10万の中に入ることすら出来ない人たちなんですよ。
だから、五体満足が当たり前な僕達が批判して良い事じゃない。
wikiを見ていただければ分かると思うんですが、代理母出産には幾つもの批判があり、またそれに対する反論も多数あります。
さて、ここで僕がこの問題を提示した理由をもう一度書きます。
僕は、代理母出産の何が悪いのか、正確には悪いという人は何を以て悪いというのが分からない、からです。
まぁここにある批判意見は実際至極正論なんでしょう。
っていうか正論でしょう。
でもそれって産めない人間のこと考えてないよね。
批判意見ってのは自分の立場だけで言うものじゃありません。
相手の立場、状況、相手が何故そう言うのか、その思想の根源は何か、それら全てを理解した上で初めて相手を否定しなければその批判は只の自分の常識を頑なに守ろうとする排除行為でしかない。
更にその行為を簡潔に表現するならば一種の差別というべきか。それとも数の暴力というべきか。
まぁそもそも多数決で片付ければ何でも正しいとか思い込んでるエセ民主主義も大問題でもあるんだが…
そろそろこれに対する結論行きます。
僕自身は、代理母出産に関しては賛成もしないし反対もしません。
その理由ですが、至極理性的に言えば産めない人間が何が何でも子供が欲しくて最後の手段でやった行為を、何一つその経緯も、その間の感情の一片すらも分からない赤の他人である自分が口出しして良いのかってことです。
めんどくさい事抜きにして言えば、それで幸せになろうとするなら良いんじゃないってことです。
しかし、社会ってのはそれを許さないわけです。
何でかっつーと、社会における正義はぶっちゃけ多数決だからです。
大人数が幸せなら少人数は不幸でも正義なんです。
だってそれが多数決であり所謂民主主義だからです。
更に言うなら、善悪もそうです。多いほうが善で少ないほうが悪です。
嘘だと思うならどうぞそう思っててください。けど歴史はそういうもんです。
だから勝てば官軍なんて言葉や力こそ正義なんて言葉もあるんです。
勝っちまえば好き勝手言い放題で歴史捻じ曲げようがどうしようが思いのままですし、力さえあれば何でもねじ伏せればいいんですから。
以上が今回の結論です。さて、次に前回の居てくれないと困る、に関して。
何で反対意見が無いと困るか、ですが…
四字熟語に十人十色って言葉があります。正しく其れです。
十人いれば十通りの好き好きや考え方があるって言葉があるのに、全員同じだと逆に気味悪くてしょうがないです。
なので、居てくれないと困るわけです。
で、グダグダしながらですがスピリチュアルなものをどう思ってるか、です。
僕は信じてます。信じてますし信じたいです。
確かに、そういう霊的なものって見えやしませんけど、目に見えることが全てじゃないはずだし、目に見えないことと存在しないことは同一じゃないはずです。
僕は心理学を専攻してますが、最近特に考える言葉があります。
それは、科学は人を幸せにするためにある、です。
心理学は統計学なので、多数のほうは良いとしても、イレギュラーが居た場合はそれに関してはノータッチってことになります。
だから、結局科学って万能じゃないですし、どんな頑張ったって科学だけじゃ幸せに出来ない人も居るわけです。
けど、別の方面で人を幸せにしてくれる人がいるならそれはそれで良いと思います。
科学と非科学なので相容れないと思うけど、結局目指すところが居るならそこまで反目しなくても良いんじゃないってのが僕の意見です。


カテゴリ: [たまには…] - &trackback() - 2007年04月29日 20:20:51
  • 「目指すところが居るなら」って何やってるんだ僕は…「正しくは目指すところが同じなら」、です。 -- 紫音 (2007-04-29 21:19:07)
  • あ、鍵括弧つけるポイント間違えた… -- 紫音 (2007-04-29 21:19:39)
名前: コメント:
#blognavi
最終更新:2007年04月29日 21:19