モヘンジョ・ダロ遺跡

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モヘンジョ・ダロ遺跡 - (2014/07/14 (月) 22:10:25) の編集履歴(バックアップ)



  • 紀元前2300年頃に栄えたと見られる計画都市。

  • 城塞と市街地という二つの区画から構成される。西側に城塞、東側に市街地が所在する。
   城塞および市街地を囲む周壁は現在のところ確認されていないが、城塞地区の南東隅に
   長方形の保塁が発見されており、城塞部が周壁で囲まれていた事はほぼ間違いないとされている。
(市街地についても、他のインダス都市から類推する限り、周壁が存在ていた可能性が高い)


  • 街路沿いに下水溝、また各住居には水洗式を含むトイレが設置されるなど、高度な衛生管理を行っていたと見られる。


  • 城塞地区には、大沐浴場や学問所、集会所など様々な大規模建築があるが、
   王の威厳を示す目的の建造物や、大きな神殿らしき建物が発見されておらず、強大な権力者が存在したらしい
   痕跡が見いだせないという。


  • 最盛期の人口は3~4万人に達していたとする試算もあり、人口密度は極めて高かったと思われる。

  • 家屋には、一軒で数十室を持つ大邸宅から長屋と見られる建物までが存在しており、
   階層差・貧富の差が存在していた事が看取される。

  • 遺跡内に土器を焼くための窯が発見されており、都市の中で土器の生産を行っていたと見られる。


  • なお、現在のところ共同墓地は未発見とのこと。





      参考文献
『インダスの考古学』近藤英夫

『週刊世界遺産 No.36』