済子



   翌985年(寛和元年)九月二日に初斎院に入る。同月二十六日、野宮に遷る。

  • 986年(寛和二年)六月十九日、済子と瀧口の武者平致光(たいらのむねみつ)との
   密通事件が発覚、六月二十二日に任を解かれた。(以上、『日本紀略』、『本朝世紀』、『帝王編年記』など。
   ただし、『日本紀略』の記述は「瀧口の武者平致光と密通の由風聞す」。)

  • 済子のその後の消息は不明。

  • 平安朝の斎王で、事故による退下(たいげ)は済子の事例のみという。


(『史料にみる日本女性のあゆみ』総合女性史研究会)



最終更新:2012年07月16日 02:28