- 父は著名な歌人の清原元輔。清少納言の「清」はこの姓から取られていると見られる。
- 定子のもとへ出仕したのは993年(正暦四年)。二十八歳ごろのこととされる。
定子が崩御した
1000年(長保二年)の翌年、
1001年(長保三年)ごろに、宮仕えを終えていると思われる。
- 和漢の典籍についての膨大な教養を持ち、その才気を定子に寵愛されていた様子が『枕草子』に詳しい。
なお、同書により、定子からは「少納言」と呼びかけられていた事が分かる。
- 清少納言作とする日記に『松島日記』があるが、一般には偽書とされる。
尼になった清少納言が奥州松島へ下る、という内容。
- 1742年(寛保二年)に『清少納言知恵の板』という書籍が刊行されている。
正方形の板を分割したピースを組み合わせて様々な形を作るというパズル(西洋ではタングラムと呼ばれるもの)。
清少納言が考案したという説もあるが、恐らくは当時「賢い女性の代名詞」として名づけられたと見られる。
参考文献
『枕草子(下)』
朝日新聞2014年1月26日記事
最終更新:2014年02月10日 02:57