森島中良

   医者としては森島甫粲あるいは甫斎を名乗る。

  • 「森島」は桂川家の旧姓。
(「桂川」姓は、桂川家初代の桂川甫筑が、平戸松浦藩蘭方医嵐山甫安に教えを受けた事からつけたそうな。
   京都の桂川が嵐山を水源とすることから)

  • 狂歌作者としての名は竹杖為軽(たけつえのすがる)。
    1873年(天明三年)四月に開催された宝合の会の世話役を勤めた。

  • 戯作者としての名前は森羅万象(しんらまんぞう)、万象亭、天竺老人、築地善交など。

  • おそらく明和年間ごろに、平賀源内の戯作の門人になったと思われる。
   中良自身、二世風来山人、二世福内鬼外などとも号している。

  • 源内の死後の1780年(安永九年)、遺作を編集して『風来六部集』を出版してもいる。

  • 多くの洒落本、黄表紙を書いた他、あまりの好評に師源内の不興を買ったという浄瑠璃作品『目黒比翼塚』などもある。

  • 他に、考証随筆『桂林漫録』(1803年《享和三年》)、桂川家に集まった蘭学者たちの齎した話題を集めた『紅毛雑話』(1787年《天明七年》)などを著した。



       参考文献

『江戸の文人サロン』揖斐高



最終更新:2013年06月20日 01:49