桂川甫周



   訳業の始まった1771年(明和八年)時点で、十八歳だったという。

   その見聞談話を整理編集したロシア地誌『北槎聞略』を著している。
   また、尋問を受けた光太夫は、ロシアでは日本人として桂川甫周、中川淳庵の名は知れ渡っている、と話したとか。

  • なお、桂川家の役宅は築地中通りに所在。



      参考文献

『江戸の文人サロン』揖斐高


最終更新:2013年09月29日 01:09