黄泉

  • 黄泉戸喫に似た話はメソポタミアにも、紀元前13世紀頃のパレスチナに住んでいたカナン人にも、
 ギリシア神話にもある。
 また、中国の『録異記』にも、似たモチーフの話は存在する。
(天台の坊さんが洞窟発見、中に入って歩くと町があった。
 坊さんは気を吸う事を知っていたので腹は減らず、食べ物を口にしなかった。
 が、連れの男は空腹なので店屋で物を食った。
 さらに歩くと出口があったが、ものを食った連れは外に出ると石になった)



  • 日本書紀での「黄泉醜女」の原文表記では、
 「よ」の文字は「予」「余」「誉」など、いずれも乙類。
 そこから類推する限りでは、「黄泉=夜見」説や「黄泉=四方(よも)」説は考えにくい。
 それよりは、「黄泉=闇」説の方がまだ順当に思える


(以上、大学時代の講義ノートより)


  • イザナミが「脹満(は)れ太高(たた)へり」は状態で、その上に八匹の雷公をのせていた
 と書かれているのは一書の第九
  →首(かしら)に大雷(おほいかづち)、胸に火雷(ほのいかづち)、
   腹に土雷(つちのいかづち)、背に稚雷(わかいかづち)、尻に黒雷(くろいかづち)、
   手に山雷(やまつち)、足に野雷(のつち)、陰(ほと)に裂雷(さくいかづち)

  • 黄泉にて、イザナギに姿を見られたイザナミの恨み言比較
  一書第六 →「何ぞ要(ちぎ)りし言を用ゐたまわずして、吾に恥辱(はぢ)みせます」
  一書第十 →「汝(いまし)已(すで)に我が情(あるかたち)を見つ。我、複(また)汝が情を見む」
         ※「情」は実情の意味。この言葉でイザナギは恥じたという。

(『日本書紀』岩波文庫版 注)
最終更新:2010年11月19日 23:31