神代三陵


  • 日向国に作られた旨の記事が『日本書紀』にある。

  • 考古学者の森浩一は、神武東征以降の大和の天皇たちについて、神代三陵に使者を派遣したり、陵の修理や管理についての記事が
   『日本書紀』にまったく見られない点について注意を促している。

  • また、『延喜式』において、通常陵墓は所在地、陵墓の範囲・広さ、管理者の名前が記されているが、
   神代三陵については所在地は国名のみで郡名がなく、また広さと管理者の記述も見られないという。
   (こうした事から、現に日向国に該当する古墳があった可能性は低いと森浩一は論じている)。

  • 『延喜式』では、この神代三陵を祀る場所として、山城国葛野郡(現・京都府上京区)の
   田邑陵(たむらりょう、文徳天皇陵)の南原を定めている。
   祭場の広さは一町(約100m)四方で、当時の陵墓の範囲と比較すると狭い、とか。


   (『日本書紀』にある日向国という記述に従うなら宮崎県が相当するが、これを外している)


      参考文献

『日本神話の考古学』森浩一


最終更新:2013年09月11日 01:40