オサホ塚古墳



  • 前方部の変形が著しく、隣接するメサホ塚古墳築造のため一部が破壊されたと見る説もある。
   一方で、元から前方部の短い帆立貝式古墳と見る向きもある。

  • 明治初期頃まで、ここをニニギノミコトの陵墓とする伝説・信仰が存在していたという。
   ただし1874年(明治七年)の明治政府による陵墓決定ではそのように認定されず、
   現在に至るまで陵墓参考地の扱いを受けている(従って考古学調査はできない)。


      参考文献
『日本神話の考古学』森浩一

最終更新:2013年09月11日 03:57