- 1939年(W)、アメリカの考古学者ブレーゲンによって発掘が行われ、王宮跡が発見された。
またその際、文書室から
線文字Bを記した文書が600枚余り発見されている。
この文書は
クノッソス宮殿で発掘された文書より保存状態が良く、後に精密撮影されたものが
第二次世界大戦勃発の際、最後の引き揚げ船でアメリカに渡り、のちに
マイクル・ヴェントリスによる
線文字B解読に大きく貢献した。
線文字Bを記した330枚以上の粘土板が発見された。これがヴェントリスの線文字B解読を決定的に
確信させ、翌年の解読公表につながったとされる。
- ピュロスで発見された文書には、大工、石工、鍛冶屋、陶工、金細工師、パン屋などの様々な職業を表す語が見られるが、
農民あるいは農業を表す語は見られないと言われる。
この点をどう解釈するかは意見が分かれるとか。
(おそらく、土地所有者が耕作者とほぼイコールだったのではないか、などの見解が見られると云々)
- また、同文書には奴隷身分に関する記述が複数あるが、その中に「神の奴隷」がしばしば登場するが、
これがどのような役職を表すかは不明であるという。
「神の奴隷」は自由民と同様に土地の貸借を行っており、通常の奴隷とは違う様子である、とか。
参考文献
『古代ギリシアの歴史』伊藤貞夫
最終更新:2014年12月19日 18:10