- 『日本書紀』「雄略紀」、また『日本霊異記』に、小子部栖軽が天皇に命じられ雷神を捕らえる話が載る。
- 『日本霊異記』では、雄略天皇より雷を捕らえて来いと命じられ、緋の蔓を額につけ、赤い幡桙を捧げ、馬上して阿部の山田の前の道と、豊浦寺の前の道とから走りかかりついに雷を捉えたという。雷の描写はない。これを輿籠に入れて持ち帰り天皇に報告したが、まさに雷光を放ち明々と輝いたので、天皇恐れてこれを還し放ったという。
- 一方、『日本書紀』「雄略紀」では、天皇が「三諸岳(みもろおか)の神の形を」見たいと言う(注釈に、此の山の神おば大物主神という、或いは云はく菟田(うだ)の墨坂神なりといふ、とある)。栖軽は三諸の山へのぼり大蛇をとらえて天皇に見せたが、「天皇が斎戒せずに見ようとしたところ雷鳴雷光ともにひらめきとどろき、ついに天皇はこれを見ることができなかった」という。
(馬場あき子『鬼の研究』)
- 壬申の乱の際、尾張の国司守の小子部連鉏鉤(さひち)が、
二百の兵をひきいて、
岐阜県不破郡垂井町付近に馳せ参じたという。
(『青銅の神の足跡』谷川健一)
最終更新:2011年11月07日 15:38