衣着つる人は心ことになる也といふ。物一言いひ置くべきことありけり。
ふと天の羽衣うち着せ奉りつれば、翁をいとほしかなしとおぼしつることも失せぬ。
- 柳田国男は、奄美大島の南部、焼内村の山田という部落で採集された羽衣説話を引用し、その中で
翁に飛衣をとられた天女が悲しみ、翁を追ってきて「煙草を求めた」事に着目、
南方の島々における煙草の起源説話となる昔話で、「母が最愛の一人娘を失って、毎日墓に参って歎き悲しんでいると
見慣れぬ一本の草が生えてきた。煮て食べてみると苦くて食べられなかったが、管に詰めて煙にして吸うと
恍惚として深い憂いを忘れた」という話があることと関連させ、
すなわち天の羽衣は霊界の心意を脱ぎ去って人間社会の世の常の情愛に、身を託すべき重要なる契機であるように、語り伝えられていた説話の痕跡が、かれにもこれにも偶然に保存せられていたので、必ずしもこれがある一人の作者の、新たなる思いつきではなかったことがわかってくるのである。
としている。
さらに『因伯昔話』にある羽衣説話を引き、その中で天女は羽衣をとられた後夢を見て、
「しばらくの間人界に住め。何年かの後に白い花の咲く蔓草の下で、子供に救われるだろう」と告げがあり、
それからまったく天上の事を忘れてしまい、農夫の家に着て夫婦になり女の子が二人できるが、
その娘たちが何も知らず羽衣を持ち出して着て舞い、妹もそれにならい、やがて天女がそれを着てみると
ただちに人間の心を失って天上に昇る気になった云々という記述があることを紹介している。
参考文献
『昔話と文学』柳田国男
最終更新:2016年08月09日 15:28