源融

  • 左大臣に就任したのは貞観十四年(872年)。在任期間は二十年を超えるが、これといった実績はないと言われる。
『大鏡』では、陽成天皇譲位の折、自ら帝位を望んだという逸話が残されている。が、当時気鋭の太政大臣だった藤原基経に「源氏の姓氏を賜って仕えた身分ゆえに不可」と退けられる。

  • ちなみに、その後宇多天皇の即位時もまだ左大臣であったが、宇多天皇は同じく臣籍に降っていたにも関わらず、立太子ののち即位することとなった。

  • 『宇治拾遺物語』などに、宇多院の前に源融の霊鬼が現れた逸話を載せる。 →河原院

(『鬼の研究』馬場あき子)

最終更新:2011年08月07日 02:50