河原院

  • 平安時代の左大臣、源融の邸宅。六条と五条に面した広大な広さと豪壮さを誇った。現存せず。

  • 平安京に営まれた邸宅の中でも、特に大きなものの一つ。様々な風雅の限りを尽くし、塩竃を造り、海水を運ばせて塩焼きを楽しんだと言われる。

  • 融の死後、宇多上皇に献上される。→宇多天皇

  • 『江談抄』『古本説話集』『今昔物語』『宇治拾遺物語』『古事談』などに、この河原院にて宇多上皇の前に源融の霊鬼が現れた話を載せる。
 現れた融は、この河原院が自邸である事を主張するが、宇多上皇が献邸があった事を述べ、にも関わらず何を恨んでいるのかと答えると、融の霊はかき消えるように消えてしまったとのこと。

  • 今昔物語集』「東の人川原院に宿りて妻を取り吸はるるものがたり」でも、東国から京へ来た一行が鬼に襲われている。ただしこちらは源融の霊鬼といった趣はない。一行の妻が突然妻戸の中へ引きずり込まれ、血の気を吸い取られて殺害される。




「陸奥の塩竃の形をつくりて潮の水を汲みて湛へたり。さまざまのをかしきことを尽して住みたまひける」(『古本説話集』)

「うしほ毎月三十石まで入れて、海底に魚介等をすましめたり。――海士の塩屋に烟をたたせて、もてあそばれける」(『顕註密勘』)

「君まさで 煙絶えにし塩竃の 浦さびしくも見えわたるかな」 紀貫之

(『鬼の研究』馬場あき子)

最終更新:2011年08月07日 02:48