菊理媛

  • 菊理比売とも記述する。

  • 中国中古音で「ククリ」だが、さらに古い音韻で作ったとすれば
「ココロヒメ」と読む可能性もある。

(『日本書紀』岩波文庫版 注)


   ミソギであることから、菊理媛の発言を黄泉返るためのミソギを勧めたものと推察している。
   すなっわち、菊理は潜り(くぐり)に通じ、水中に入ってミソギする事であろうと。

   『二十二社註式』引く大江匡房撰『扶桑明月集』逸文。比叡山の客人社について
   「女形。第五十代桓武天皇即位延暦元年。天降八王子麓白山。菊理比咩神也」と。
   (ただし、大江匡房の時代から吉田兼倶の時代までに、他の文献に菊理媛と白山を
    結びつけた記述が見られず、兼倶の引用偽装説もなくはない)

  • 吉田兼倶『日本書紀神代抄』の中で、「菊理媛ト云ハ、速玉神ト泉津神ト二神ノ別号也」としている。
   この前に「伊弉ミ(冊の両端が無い字)尊速玉神泉津事解神謂之熊野三所権現也」としていることから、
   吉田兼倶はイザナミ+菊理媛=熊野権現、とした事になる。


  • 日本書紀の「白事有」を「白す事有り」と読んで、菊理媛がイザナギに何かを言ったと解しているが、
   折口信夫はこれを「白事有り」とし、「白事」はシレコトで、呪言、託宣の意であろうとした。
   一方、白川静『字統』の「白」の項目では、「白」はされこうべの形が字源で、
   葬式を「白事」と称した、とあるとのこと。


(『白の民俗学へ』前田速夫)

最終更新:2011年08月07日 10:45