- 太閤豊臣秀吉による耳塚について、柳田國男は「一目小僧その他」所収「鹿の耳」の中で、
それが「純然たる近世史の史蹟」ではないらしい旨記している。
朝鮮に出征した諸侯家の証文を見ると持ち帰ったのは鼻であるとなっており、
これを何故「耳塚」と称したか疑問が残る云々。
さらに、筑前、伊予、江戸長泉寺にも耳塚と呼ばれる塚はあり。
また信州有明山の麓の村に、
坂上田村麻呂将軍が滅ぼした中房山の大魔王、
魏石鬼(ぎしき)の耳を埋めたという耳塚も存在するという。
- 柳田の論は、諏訪の七不思議にある耳割鹿などを引きながら、神の犠牲となる
鹿にあらかじめ目印として耳を切っておいたのではという仮説と結びつける論旨。
(『定本柳田國男集 第五巻』)
最終更新:2011年04月29日 10:22